騒音の定義

 閑静な住宅街と一言に言っても色々ある。しかし、私が不動産屋に連れてこられたこの土地は、閑静な住宅街の極めて典型的なものだと断言してもいいのではないだろうか。昼間で人が少ないのもあるだろうが、あたりは静まり返り、音と言えば時々通る自転車や自動車の音くらいである。

「静かに暮らせそうですね、この街は」

「ここは騒音対策特区に指定されていまして。一定以上の騒音を出す施設などは建てられていないんですよ。だから本当に静かで……その分お値段はどうしてもはってしまいますが」

「まぁ仕方がないですね。五月蠅くてイライラするのに比べたら、よっぽどいい」

 私は五月蠅いのが苦手だ。ほんの少しの騒音でも頭に来てしまう。生まれつきの性分で、昔から随分苦労している。実家の近くには線路があって毎日電車が轟音をたてて通っていたから、気が狂いそうになっていた。大学で1人暮らしを始めたときも、やっと静かに暮らせると思ったら傍に居酒屋があって、毎日酔っ払いが大騒ぎだった。だから就職を機に引っ越す先は、最近政府が騒音対策事業として指定を始めた騒音対策特区にしようとしたのだ。

「近くに線路もない、居酒屋もない……五月蠅そうな施設は確かにないですね」

「そうでしょう?きっと気に入っていただけますよ」

「そうですね……」

 気に入りましたと言おうとしたときに、甲高い声が耳に入ってきた。声のする方を見ると、幼稚園児の集団がこちらに歩いてくるところだった。保育士らしき大人がいるから、散歩なのだろう。それにしても、高い声が頭に響く。

「ここ、近くに幼稚園あるんですか?」

「ええ、ありますよ。あの角を曲がったすぐそこに」

 子供たちが近づいてきて、私たちの声が通りにくくなる。私は口を大きく動かしてはっきりと喋った。

「参ったなぁ。それじゃあ日中五月蠅いじゃないですか」

「そんなことないですよ。子供の声ですから、微笑ましいものです」

「あなたはそうかもしれませんが、私にとっては苦痛なのですよ。ここは騒音対策特区ではないのですか?」

「ええ、ですが幼稚園や保育園から出る子供の声は規制の対象外なんですよ」

「またどうして?こんなに喧しいのに」

「喧しいとはとんでもない!未来を担う子供たちの声ですよ?」

「それはそうですけど……」

 子供たちが去っていき、通りに静寂が戻った。私は安心してため息を吐く。

「昼間だけですよ。五月蠅い時間はお仕事でいないでしょう?」

「そうですね。これは我慢するしかないか……」

 確かに不動産屋の言う通りだ。幼稚園がやっている昼は会社にいていないはずだ。ならばこれくらいは我慢してしかるべきなのだろう。他の場所よりマシだ。夜に静かならよしとするか。

「じゃあお部屋に案内しますね。広さも十分ですからのびのび暮らしていただけますよ」

「そうですね。そういえば、この辺ってスーパーとか……」

 無いんですか?と聞こうとした時だった。空から爆音と表現すべき衝撃が降ってきて私の声をかき消した。そばの家の窓ががたがたと震えた。上を見上げると、飛行機が上空の低い位置を飛んでいた。この位置からははっきりと見えないが、旅客機ではなく戦闘機のように見える。

「この辺に空港なんてありましたっけ?」

 轟音が去った後、私が尋ねた。耳がキンキンと鳴って自分の声もはっきりと聞こえない。

「ええ。空港ではなく航空自衛隊の駐屯地ですが」

「ああ参ったなぁ……それじゃあ毎日あんな近くを飛行機が飛ぶんですか?」

「そうですね。訓練ですから」

「これも昼間だけですか?」

「夜にも飛びますよ。ほんの少しですが」

「冗談じゃない」

 ほんの少しだろうとなんだろうと、夜にあんな大きな音をたてられてはたまったものではない。これなら酔っ払いの声の方が小さい分いくらかマシというものである。

「あの飛行機も規制の対象外なんですか?」

「はい。日本の国防を担う大事なものなので、騒音なんて理由で規制は出来ませんよ」

「そうですか。困ったな」

「なに、すぐに慣れますよ。一瞬ですから。この辺に住んでいる皆さんも慣れてます」

「慣れなかったら悲惨じゃないですか。僕はイヤですよ」

「まぁまぁ、ではお部屋だけでも見ていきませんか。折角ここまで来たんですから」

「まぁ、じゃあ……」

 わざわざこの街まで来たのに、部屋を見ずに帰るというのも確かにもったいないかもしれない。そう思った私は、不動産屋の言葉に従ってアパートの部屋に入って行った。部屋はあまり特徴のない1DKだ。部屋の中に入ると外の雑音が外壁にシャットダウンされて、余計に静かに感じた。

「どうですか?広い部屋でしょう?」

「そうですね。狭くはないですね。まぁまぁ……」

 いい部屋なんじゃないですか?と言おうとした途端、外から轟音が響いた。アパート全体を揺らすかのような衝撃が私を襲う。その轟音をよく聞いてみると、何かのメロディのようだった。

「これは……国歌ですか!」

「極右の街宣ですね!この辺じゃ珍しくないですよ!」

 私たちは声を張り上げて会話した。そうしないと室内にいるにもかかわらず互いの声が聞こえないのだ。

「街宣!騒音対策特区でそんなことをしていいのですか!」

「ダメですよ!スピーカーの音は規制の対象ですから!」

「ではこれは何なのですか!違反じゃないですか!」

「国歌は例外ですよ!なにせ国歌ですから!」

「どういうことですか!五月蠅いじゃないですか!」

「五月蠅いとはとんでもない!国歌ですよ!」

「だからどうした!」

 騒音対策特区に暮らすのはやめようと思った。

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