第4話 自己領域への応援コメント
>自己領域
感情移入のことをおっしゃっているのかな、と思いました。
そうだという仮定の上で自説を述べますが…
外界から自分の心の領域へ取り込んだ対象物は、それそのものではなく、
しょせん自分の認識を介し脳内へ写し取ったイメージ(印象)にすぎないので
対象物自体がもつ客観的な価値のほかに、
それを好きでいるほど、大切に思っているほど、主観的な価値に思い入れ補正がかかっています。
(愛の告白をされて恋人になったとたん、それまで気に留めていなかった相手が美しく見えてくる~みたいなやつですよ!)
愛というものは、この思い入れの部分が厄介で、
思い入れが強ければ強いほど、愛するものに裏切られたときの悲しみや怒りも強くなります。
そして痴情のもつれは、しばしば流血沙汰になります。
ですから、愛があればイジメを防げるかという点には疑問が残ります。
愛は万能でしょうか?
また、カクヨム作家さん達の自伝的作品で
「学校の友達がひどい奴らだけど、ぼっちにならないために空気を読まなきゃならないのがつらい」
みたいなモチーフをよく見かけます。
(自分の読む作品傾向が偏っている可能性もありますが)
自分勝手で思いやりに欠ける人間だけがイジメを行うのではなく、
友達を失いたくないがためにイジメに加担する人間もいるのではないでしょうか?
ひとりぼっちになると心が傷つくからという理由がイジメの原因になる場合もあるのではないでしょうか?
第3話 精神の生存本能。への応援コメント
心の死はあるのかもしれません。
編集済
第3話 精神の生存本能。への応援コメント
動物を使った行動実験で、
「何をしても報われない状況」や「何もしなくても災難が降りかかる状況」に被験体を追い込むと、
被験体の動物はエサを与えても食べなくなったり、みずからの毛皮をかきむしったりするそうです。
この現象を「学習性無力」といいまして、
人間の抑鬱状態と似た特徴があるとも考えられています。
しかし、
「何をしても報われない状況」や「何もしなくても災難が降りかかる状況」では、
希望を裏切られ続ける心の痛みに耐えようとするよりも、
希望を持たず心を閉ざしてしまうほうが、いっそ気持ちが落ち着くものです。
さすがに食欲不振や自傷行為となると、いずれ生命に危険が及びますし、
心を閉ざすだけでは当座しのぎにしかなりませんが、
少なくとも自殺を先延ばしにはできます。
絶望に打ちひしがれて、心が死んでしまったかのように見える人でも、
絶望の中に閉じこもることで、心を守っているのかもしれません。
では「精神が死ぬ」のは、どういうときでしょうか?
自分は、肉体が死なないかぎり心も死なないと思います。
なぜなら心は肉体の機能だからです。
どんなに追い詰められても、心は防御態勢をとるだけであり、
自殺しないかぎり希望はなくなりません。