第89話 8,11
「つーちゃんカッコいい……!!!」
みぞれは口を手で押さえ、悲鳴のような声を上げた。
紅白の矢羽根模様の着物に、濃紺の袴姿。他の部員に比べ幾分質素な服装でも、津々実なら全く見劣りしない。背筋を伸ばして佇むだけで、人の目を惹いた。茶色い髪が時代錯誤だったが、それがかえってアウトローな魅力を出していた。
頬を染めるみぞれを見て、苦労した甲斐があったな、と津々実は思った。
「何か追加で注文しますか?」
と津々実は尋ねる。
「あ、じゃあ、アイスクリームを……」
「わかりました、少々お待ちください」
みぞれの視線を感じながら席を離れる。キッチンへ向かう途中にも、店員さん、と声をかけられ、笑顔で応対した。
二重のカーテンをくぐると、料理の臭いが充満していた。極力臭いの強いものは隣の準備室で作ることにしているが、それでも時間が経てばこうなっていく。
「モテるわね、津々実」
エプロン姿の鈴に言われた。手にはハヤシライスのお盆を持っている。
「聞こえてましたか」
「ちょっとだけね。お客さんと楽しそうに話してるのが」
「あまり騒がないようにします……」
「そういう意味で言ったんじゃないわよ」鈴は苦笑した。「お客さんに楽しんでもらえるならそれが一番だし」
「本物のカフェ店員みたいなこと言いますね」
「私は何事にも真剣に取り組むのよ」
「知ってます」
津々実は笑った。鈴の真面目さは、部では誰もが知るところだ。
「なんて話してる場合じゃないわ。これ、二番テーブルにお願い」
「わかりました」
お盆を受け取って、津々実はまたカーテンをくぐった。
忙しなくカーテンを出入りしつつも、お客さんと楽し気に会話をする津々実を見て、みぞれは改めて尊敬の念を抱いていた。老若男女問わず、津々実はすぐに打ち解けている。みぞれにはできないことだ。
しかし、とみぞれは考える。自分は、ああなりたいんだろうか。
馬場肇や津々実に指摘されて以来、みぞれは自分の考えを見つめ直していた。
津々実のようになりたいと、今でも思う。それは確かだ。でも、津々実を完全にコピーしたいわけでもない。
実際、今のように誰とでも仲良くなっている津々実や、教室での津々実を見ても、「ああなりたい」とは感じない。津々実のもっと別の面に自分は惹かれているのだ。
それが何かわかれば、自分がどうしたいのかもわかりそうなのだが……。
溶けかけたアイスを食べながら、みぞれはじっと津々実を観察していた。
「いらっしゃいま……あら津々実」
外向けの笑顔を作った伊緒菜は、津々実とわかると真顔になった。しかし、津々実の後ろから部室に入って来た二人を見て、またぱっと笑顔になった。
「あら、そちらはさっきの……もしかして、姉妹成立ですか!?」
美里愛と早乙女は、照れくさそうに答えた。
「「はいっ」」
「おめでとうございます! どうぞこちらへ!」
二人を撮影台の方へ手招く。
と同時に、またドアが開いて新しい女性が現れた。
「あ、いらっしゃいませ! ――津々実、撮影お願いできる?」
「はい。……随分、人来ますね?」
「そうね。もう十人以上来てるわ」
予想よりも盛況だった。
接客は伊緒菜に任せ、津々実は二人のスマホで撮影を始める。美里愛は袴姿のままだったので、セーラーブレザーの早乙女と並ぶとアンバランスさが半端なかった。
二人はその写真を見て大笑いした。同じもので笑えるのは、気が合う証拠だろう。偶然出会った二人だが、うまく行ってくれそうだと津々実は思った。
撮影を終えると、伊緒菜の接客も終わったところだった。
「またお会いできるのをお待ちしております」
と伊緒菜がお客さんを帰す。
「楽しそうだったわね」
ドアが閉まってから、伊緒菜が言った。
「今の子って、家庭科部の子よね? もしかして、作戦が……」
津々実は親指を立てた。
「やったわ!」伊緒菜がガッツポーズする。「まさか本当にうまく行くなんて! あとで新聞見に行かなくちゃ」
「実は慧も協力してくれたみたいなんですよ」
「慧が?」
「あの上級生の人が、慧のクラスに行ったらしいんです。それで、タロット占いで家庭科部に行くように言われてたそうです」
「へえ、慧がそんな気の利かせ方をするなんて」
伊緒菜はそう感心してから、「ん?」と首を傾げた。
「私、慧に作戦のこと話してないわよ」
「……え?」
「話す機会、なかったもの」
「……」
二人は顔を見合わせた。
「占いの才能、あるんですかね」
「まさか。むしろその正反対にいそうな子じゃない?」
あとで話を聞いてみよう、と津々実は思った。
その機会はすぐに訪れた。慧がクラスの仕事をしてる時間が長かったからだ。
慧のクラス、一年三組はあまり混んでいなかった。
「いらっしゃいませ。占いの館へようこそ」
目鼻立ちのはっきりした生徒が、入って来た津々実に声をかけた。魔術師のような黒いフードを被っているが、よく見ると、マントではなくパーカーだとわかった。クラスTシャツのカタログに載っていたものだ。
「七種類の占いで、あなたの運勢を占います」受付係は机の上のボードを示した。「どの占いがよいですか?」
「じゃあ、タロットで」
津々実は迷わず選んだ。
料金を支払うと、その生徒にタロットカードの占いブースまで連れて行かれた。
教室の窓は遮光カーテンで閉められ、テンポの低いBGMが小さな音量で流されている。窓側に衝立がいくつも並び、その間に机が一脚ずつ置かれていた。そこに、黒いフードを被った“占い師”たちが座っている。
そのうちの一つに、津々実は案内された。
「では、よろしくお願いします……」
と受付係が占い師に声をかけて、戻っていく。
占い師こと慧は、津々実の顔を見ると、気恥ずかしそうに目を逸らした。
「い、いらっしゃいませ……」
「よろしく、慧。フード似合ってるね」
「あ、ありがとう」
慧はさらにもじもじした。
「ところで、聞いたよ。うちのお客さんを、家庭科部に誘導してくれたんだって?」
「え?」慧は思い出すのに少し時間を要した。「そういえば、そんなことしたわね」
どうして知ってるの、と聞く慧に、津々実はことの経緯を説明した。
「伊緒菜先輩、そんなこと考えてたの……?」
「ほんと、色んなことを考え付く人だよね」
津々実は苦笑した。
「だけど気になるのは、慧のことだよ。なんで作戦を知らないのに、あの人を家庭科部に誘導したの? まさか、本当に占いが当たったとか?」
「まさか」と慧は首を振った。「タロットで、そんな細かい場所までわかるはずないもの」
「じゃあ、どうして?」
「簡単な確率の問題よ……。人が多いところなら、うちのバッジを付けた人がいる確率も増えるでしょ? だから人が多そうな家庭科部を勧めたの」
「ああ、なるほど」タネが分かって、なお感心した。「慧、頭いいね」
「べ、別にこのぐらい普通よ」
慧はフードから垂れる長い髪をいじった。
「それより、占いに来たんじゃないの?」
「ああ、そうだね」
一番の目的は慧の話を聞くことだったが、占いに乗じて相談したいのもたしかだった。
「何を占いたいの? 運勢? それとも悩みごととか」
「みぞれのこと」
「え?」
カードシャッフルする手が止まった。
「別にいいけど……。みぞれちゃんと何かあったの?」
「みぞれ、最近色々悩んでるみたいなんだけど、聞いてもしっかり教えてくれなくて。だから、何を悩んでるのかなとか、どうしたら解決できるかなとか、知りたい」
「……」
シャッフルを再開してから、慧は真顔になった。
「もしかして、本格的な占いを期待してる?」
「してる」
「あの、私、二週間前までタロットのやり方すら知らなかった素人なんだけど。動画の真似をしてるだけよ?」
「でも、家庭科室に行けばいいって言い当てたでしょ? その力に期待してるんだ」
「……」
そういうのは伊緒菜先輩の方が得意だと思うけど、と口の中でもごもご言いながら、慧は占いを始めた。
素人と言うだけあって、最も簡単なやり方だった。二十二枚のカードを裏返しのまま机に広げ、その中から二枚、客に選んでもらうだけだ。
「まずは一枚目を選んでください」
「じゃあ、これ」
「次に、二枚目を」
「これ」
津々実が選んだ二枚を、自分の前に並べる。
「一枚目に選んでもらったカードが、みぞれちゃんの現状、つまり悩みを表します。そして二枚目が、その解決策です」
そう言って、一枚目をめくる。そこには、ライオンと女性が描かれていた。
慧は記憶を辿るようにしながら説明した。
「これは八番、力のカードです。その逆位置だから、無気力とか、優柔不断とか……何かを決めきれなかったり、諦めてしまったりする姿を現してます」
「諦める? 最近、何か諦めたかな……?」
「それか、何を選ぼうか迷ってるとか」
「たしかに、進路については迷ってた。でも……最近のみぞれ、優柔不断じゃなくなってきてるよ」
「そうなの?」
元を知らない慧には、否定も肯定もできなかった。津々実は力強く頷いた。
「ああ見えてね。少なくともQK部に入ってからのみぞれは、色んなことを自分で決めるようになってきていた。もしかしたら、最初っから全然優柔不断じゃなかったのかもしれない」
あたしが気付かなかっただけで、と津々実は付け加えた。
「いま迷ってるのは、進路とか、あとは……」
人の真似を続けるかどうか、だ。特に津々実の。しかし津々実は、それを言わなかった。
「それで、解決策ってのは?」
津々実が二枚目のカードを指差し、慧がめくった。剣と天秤を持っている人物のイラストが描かれていた。
「これは十一番、正義のカードの正位置です。意味は、公平、公正、善意、正しさ、など。……正しいことをすればいい、って感じかな」
「抽象的だね」
「タロットってそういうものだから……」
みぞれが故意に間違ったことをするとは思えない。うっかり間違えないように支えればいい、ってことだろうか。
「わかった。ありがとう、助かったよ」
「それならいいけど……」
立ち上がろうとする津々実を、何か言いたげに慧が見つめた。津々実は浮かしかけた腰をもとに戻した。
「なに?」
「えっと」慧は逡巡ののち言った。「津々実ちゃんが、こんな風に人に相談したり、占いに頼ったりするなんて、意外だなと思って」
慧の言う通りだ。そつなく色々とこなせる津々実は、あまり人に頼らない。しかしそれは、自分にできる事とできない事を見極めて、自分にできる事を中心にやっているからだ。できない事はやらない。どうしてもやるときは、誰かを頼る。津々実はそういう性格だった。
だから津々実は、みぞれに関することは。
「みぞれには、あたし一人の力じゃ足りない気がするんだ」
そう感じているのだった。
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