第88話 211

「戻りましたー……」

 フラフラと、慧とみぞれが部室にやってきた。

「既にお疲れね、二人とも」と伊緒菜。「まだ始まったばかりよ」

「そうなんですけどー……」

 声が枯れている。伊緒菜が手渡した水をごくごく飲む。

「じゃあ、今度は私が宣伝に行くわ。津々実とみぞれは店番をお願い」

「おーけーでーす」

 津々実が手を振る。伊緒菜は手を振り返して部室を出た。

 廊下は賑やかだった。三年生の教室全部に、飾りがついている。半分近くは食べ物屋であるが、中には「写真からペンダントを作ります」とか「あなたをイメージした俳句を作ります」とか、変わったものもある。

「慧のクラスは占いだっけ?」

 伊緒菜が聞くと、「はい……」と慧は暗い顔で答えた。

「あなたが一番苦手そうな分野ね」

「別に苦手ではないんですが、覚えることが多くて」

「覚えること?」

「私はタロット占いなので、各カードの名前や意味を覚えなきゃいけないんです。でも、なんでそういう意味になるのかわからないものが多くて」

「やっぱり苦手なんじゃない」

「うーん……。それでも、水晶占いや手相占いよりはマシです」

「水晶占いなんてできるの?」

「はい。顔を見て、適当にそれっぽいこと言うそうです」

「冒涜的ね」

 第二校舎を出たところで、二人は別れた。慧は自分の教室へ、伊緒菜は看板を掲げて正門へ。

 正門は人が多かった。外部客が受付前で渋滞しており、そこから見えるように生徒たちが看板を掲げている。ただ、混みあっている割には妙に穏やかなので、騒ぎすぎて既に教師から怒られたのかもしれない。

「時刊新聞第一号でーす! レスリング部の大食いチャレンジに、早くも完食者が出ました!」

「科学部の爆発実験、まもなく始まりまーす! 興味のある方は、本館一階理科室へ!」

 受付を済ませた外部客へ、各部活が必死に宣伝活動を行っている。極力穏やかに、ヒートアップしないように。伊緒菜もその一陣に加わった。

「QK部でーす。お姉様方、妹ちゃん達、お嬢様高校の思い出として、姉妹作りをしませんかー!?」

 外向けの笑顔を振りまきつつ、他所の部活と変わらない声量を上げる。大学生らしき女性グループがこちらを見た。

「お姉様だって。可愛い」

「うちってお嬢様学校だったんだ」

「QK部なんてあったっけ?」

「あとで行ってみよっか」

 どうやら卒業生らしい。来てくれることを祈りつつ、にこにこと笑顔を向けた。

 しばらくすると、

「時刊新聞第一号でーす!」

 と、新聞部の腕章を付けた生徒が、伊緒菜に紙を突きつけてきた。

「え? あ、どうも」

 勢いに押されて受け取ってしまう。

「よしっ、はけた! 戻んなきゃ!」

 手ぶらになった新聞部員が早足に去っていく。残飯処理かよ、と思いながら、紙面を見た。

 開会式からの一時間で起きた出来事が、写真と短い説明文で紹介されている。ボランティア部始動、レスリング部の大食い完食、漫画研究部による「いらすとやさん」談義。

 去年はこんな新聞なかった。ボランティア部と同様の作戦で票を増やす魂胆か。こんな紙をばらまいたら、そのボランティア部の活躍の場を増やすだけだと思うのだが。

 そう思いながら紙面を眺めていると、右下に気になる記述を見つけた。

『次号予告! お昼直前、家庭科部の「大正浪漫喫茶」直撃レポート!』

 伊緒菜は新聞をポケットに突っ込んだ。その手でスマホを取り出し、電話をかける。

「あ、みぞれ? 店番中にごめんなさい。突然だけど、シフトを変更するわ」


 津々実とみぞれは、家庭科室へ続く列に並んでいた。電話のあとすぐに伊緒菜が戻ってきて、店番を交代したからだ。

「伊緒菜先輩ひとりで大丈夫かな」

 みぞれが心配そうに上を見る。QK部室の方向だ。

「先輩なら平気でしょ」

 と津々実は全く気にかけない様子で言った。

 家庭科室へ続く列は、言うまでもなく、「大正浪漫喫茶」へ続く列である。幸い、列はまだ長くない。お昼頃やおやつ時が一番混むらしい。

 やがて津々実たちの番が来た。

「いらっしゃいま……あ、津々実」

 出迎えたのは美里愛であった。花柄の着物に、セピア色の落ち着いた袴を着ている。髪も頭頂部でまとめていた。まるで日本人形のようである。そして袴の上に、QK部のバッジがちょこんと付けてあった。

「お客さんで来たの?」

「うん、そう。あ、みぞれと二人ね」

「はーい。二名様、こちらへどうぞー」

 家庭科室内の様子に、みぞれは驚いた。家庭科の授業で何度か来たときと、全く違う。

 各テーブルには、丈の長い朱色のテーブルクロスが敷かれている。ガス台やシンクには蓋がしてあるようだ。元々あった丸椅子は撤去され、代わりに背もたれのある木の椅子が並んでいる。そこには刺繍の施されたクリーム色のクッションが置かれ、座るとふかふかしていた。

「え、すごい、これ全部作ったの?」

 津々実は苦笑した。

「全部ではないけど……あ、そのクッション刺繍したのあたしだよ」

「えっ、えっ、すごい!」

 立ち上がってよく見てみる。椿か何かのデザインだ。花弁が何枚も重なった細かい刺繍である。

「こんなの作れるなんてすごい!」

「それほどでも」

 津々実は努めてすまし顔で答えた。

「こちら、メニューです」

 と美里愛が木製のボードを差し出した。一番上に「ブカイテカ ーェフカ」と書いてある。

「……? あ、右から読むのか」

「そう」

 メニューそのものは縦書きであった。コーヒーが二銭、ソーダ水が一銭、アイスクリームが二銭、などと書いてある。

「銭?」

「そこ悩んでね」と津々実は頬杖をつきながら苦労話を始めた。「大正時代、コーヒーは一杯五銭だったらしいんだ。でもそのまま書いたらお客さんが混乱しちゃうし、かといって百円や二百円じゃ大正っぽくないし。どうしようかって話し合って、結局『っぽさ』を優先することにしたんだ」

「それはいいけど、結局これはいくらなの?」

「下に小さく書いておいた」

 こればかりは妥協した。「※一銭は百円とします」と一文入れたのだ。みぞれがくすくす笑った。

「なんか、ここだけかわいいね」

「そう? 間が抜けてない?」

「そんなことないよー」

 みぞれにつられて、津々実も笑った。

「他にも悩んだところあるの?」

 みぞれが身を乗り出して聞いてくる。

「たくさんあるよ。まず、リアルな大正時代のカフェを再現するか、みんなのイメージする大正ロマンを作るかで揉めて……最終的に、イメージ優先になった」

「へぇ。家庭科部って、毎年すごくリアルなものを作るんじゃなかったの?」

「初めはあたしらもそのつもりだったんだけど、リアルにすると、袴じゃなくなるんだよ」

 袴姿は大正時代の流行ファッションのひとつであったが、それは女学生の間の話だ。カフェの女給は和服の上にエプロンをつけた恰好が一般的だった。

「女給の年齢層は二十歳前後が一番多かったみたいだし、当時のカフェは今よりもっと高級志向だったから、チャラチャラした袴姿は合わなかったんだろうね」

「知らなかった」

「あたしらもだよ。で、みんな袴を着たいっていうから、イメージ優先になったんだ。まぁ、本当に女学生がやってるから、リアル志向と言えなくもない」

 もしかしたら、大正時代の女学校の文化祭はこんな感じだったかもね、と津々実は想像を話した。

「つーちゃんも、あれ着るんだよね?」

「うん」

「じゃぁわたし、またあとにも来るね」

「うん? いや、あたしのシフトもこの後すぐだから、ちょっと長目にここにいればいいよ」

「いいの?」

「この程度の混み具合なら……」

 外に列はできているが、昼前に出れば問題ないだろう。津々実のシフトは昼からだが、ちょっと早めにシフトに入っても誰も文句言うまい。みぞれは食べるのが遅いから、先に食べ終えて着替えてしまえばいい。

「それで、なんにする? ジュースもスイーツも料理もあるよ」

 みぞれの方にメニューを向ける。みぞれは、ううん、と言ってメニューを考え始めた。

 津々実はふと、後ろからシャッター音が聞こえることに気付いた。振り返ると、新聞部の腕章を付けた生徒が、運ばれてきた料理を撮っている。伊緒菜が言っていたのはこれか、と理解する。果たして作戦はうまくいくのだろうか。

「じゃあ、わたし、マカロニグラタンとクリームソーダにする」

「OK。すみませーん」

 手を振って、部員を呼んだ。

「あら、津々実。ご注文はお決まりですか?」

「はい。マカロニグラタンひとつと、クリームソーダひとつと、ソーダ水ひとつ」

「あれ、つーちゃん食べないの?」

「あたしはあとで食べるよ」

 部員がメモを取る。

「マカロニグラタンひとつ、クリームソーダひとつ、ソーダ水ひとつですね」

「はい」

「では、少々お待ちください」

 会釈して、家庭科室の奥へ歩いて行った。

「あれ、そういえばどこでお料理してるの?」

「あそこだよ」

 津々実が指差す先で、さっきの部員がカーテンの向こうへ消えた。家庭科室の後ろ四分の一ほどが、カーテンで区切られている。そこにはテーブルが二台あり、シンクやガス台が使える。カセットコンロや電子レンジ、冷蔵庫なども、すべてその一角にあった。お洒落なこちら側と違って、あのカーテンの向こうは全く大正をイメージしていない。

「そういうものなんだね」

「そりゃあね」

 舞台裏なんてそんなものだよ、と津々実はシニカルに言ってみせた。

 そのとき、離れた席がなにやら騒がしくなった。

「えっ、うそ、これいけるんじゃない?」

「いけそうな気がします!!」

 美里愛が、上級生らしい女性客と何か話している。

 もしや、と思っていると、美里愛がその女性客を連れてこちらへやって来た。

 校章の色から、二年生とわかる。ショートの髪を毛先だけ赤く染めている。気の強そうな顔をして、制服も着崩している。案外こういうのがタイプなのか。

「ね、ねえ! 津々実!」

 美里愛の声は上擦っていた。

「なに、どうしたの?」

 わかっていたが、わざわざ尋ねた。

「こ、この人もQK部のバッジ付けてるんだけどさ、211って、素数!?」

 上級生の胸元には、ダイヤの模様が描かれたバッジがついていた。中央に「2」と書いてある。

「なるほど、そちらのお姉さんとマッチングしたと?」

「そうなんだよ。数字を並べると211で、これって2でも3でも5でも7でも割れないし」

「17まで試した」と上級生が言う。「いけるでしょ?」

 どうやら素数の判定方法を知っているらしい。17の2乗は289なので、そこまでで割れなければ確実に素数である。

「211は……」

 それでも津々実は焦らした。

 そして、告げる。

「素数です!」

「ひゃーーっ!」

「やったーーっ!」

 二人して騒ぎだす。素数だと聞いて喜ぶ人を見るのは、大会以来だ。

「え、なに、何事」

 近くにいた先輩部員が戸惑って聞いてくる。周りの客も注目していた。

「あー、えっと……」

 津々実はさり気なく立ち上がりつつ、後ろの新聞部員をちらりと見た。フォーク片手に、こっちを見ながら目を光らせていた。ネタになる事件が起こったのか、吟味しようとしているのだ。満足させてみせますよ、と言わんばかりに、津々実は堂々と話した。

「騒がしくしてすみません。実はQK部で姉妹マッチングサービスをやってて、偶然、今この場でマッチングしたんですよ」

 津々実は「偶然」を強調した。嘘ではない。

「ああ、例のやつ……」

「はい。例の、恋人マッチングみたいなやつです。マッチング成立したので、つい騒いじゃいまして」

 そのとき、肩を叩かれた。

「すみません、新聞部なんですけど、いま何部って言いました?」

 釣れた。津々実は笑顔で振り返った。

「QK部です。アルファベットで、キュー、ケー。姉妹マッチングサービスの『プライム・シスター』をやってるんです」

「QK部。で、姉妹マッチング? どんな企画なんですか?」

「男子禁制の恋人マッチング、って言えばいいですかね。姉が欲しい女子と妹が欲しい女子をマッチングさせる企画なんです」

「へぇ、それは……」新聞部員の頬がにやけた。「いい企画ですね」

「ありがとうございます」

 新聞部員がスマホをいじる。

「あ、そっちの二人、よかったら写真撮っていいですか?」

「あ、どうぞー!」

 美里愛が快諾する。

「すごいね、つーちゃん」とみぞれが小声で言った。「伊緒菜先輩の作戦通りだよ」

「うん、こんなうまくいくなんてね」

 姉妹マッチングは、恋愛ネタみたいなものだ。新聞部員が食いつかないはずがない。伊緒菜の読みは当たった。あとは、美里愛の好みの人がタイミングよく訪れてくれる幸運に賭けるだけだったが、どうやら運は味方してくれたらしい。

早乙女さおとめさんは、どうして家庭科部へ?」

 新聞部員がスマホでメモを取りながら、インタビューした。

「いやー、それがさー、運命の導きがあって」

「導き?」

「さっき1-3の占いに行ったら、家庭科部に行くよう言われて。タロットカードでこんなことまでわかるんだねー」

 津々実はみぞれと目を合わせた。一年三組は慧のクラスだ。しかも慧の担当はタロットだったはずである。

「まさか、慧ちゃんが?」

「慧がそんなに協力的とは思わなかったな」

 二人は一緒にくすくす笑った。

「お二人とも、ありがとうございます。十一時に発行する時刊新聞第二号に掲載させてもらいます!」

 新聞部員はさり気なく自分たちの宣伝をした後、席に戻った。美里愛と上級生の早乙女も戻ろうと振り返ったとき、目の前に家庭科部副部長の鈴が仁王立ちしていた。

「あ、副部長。えーと、これはその……」

 津々実も背中をこわばらせた。怒らせてしまっただろうか。

「コラボしないと言ったのに、まさかこんな形で利用するとは……」

「す、すみません」

 津々実は頭を下げた。

 しかし鈴の口調は和やかだ。お客さんの前だから静かにしている、という感じでもない。

「びっくりしたけど、怒ってないからいいわ。お客さんにはウケてるし」

「え?」

 言われてみると、周囲からは黄色い声が上がっている。

「エスだわ! エスが生まれてるわ!」

「これこそ大正ロマンよね!」

「まさか実物を見られるなんて!!」

 どうやら、大正ロマンに詳しい客が多かったらしい。おかげで事なきを得た。

「でも、いちいち営業がストップするから、もうやらないでね?」

「は、はい。すみませんでした」

 鈴はそれだけ注意すると、カーテンの向こうへ戻って言った。

 安堵の息をついて席に座ると、みぞれが聞いてきた。

「ねぇ、つーちゃん。エスってなに?」

「うーん、大正時代の文化のひとつ……って言えばいいのかな」

 津々実は頬を掻いてから答えた。

「というか、まさにあたしらが今やったことだよ。女学生同士の親密な関係のことを、シスターの頭文字をとって、エスと呼んだんだ」

 百年も前から、女学生は似たようなことをやっていたのだ。

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