第87話 1102
「さぁ! いよいよこの日がやってきたわ!」
伊緒菜はハイテンションだった。制服のセーラーブレザーの下は、クラスの白いパーカーだ。胸元に「2-5」と書いてある。
しかしここは、QK部である。部のTシャツを作るべきだったかな、とみぞれは今さら思った。
かく言うみぞれも、セーラーブレザーの下にクラスTシャツを着ている。津々実がデザインしたものだ。お腹に大きな綿あめの絵がプリントされ、背中にはクラス全員のあだ名が書かれている。
文化祭当日。学校内も、みぞれ達も、ほどよい
「今日と明日、二日間で、いかに集客できるか、そしていかに姉妹を作れるか。我が部の将来がこの二日にかかっていると言っても過言ではないわ!」
伊緒菜が拳を上げる。
「驚いたことに、前評判はかなり良いの。クラスの友達からも、プライム・シスターのことを聞かれたわ。津々実のおかげかしらね?」
「いやー、どうでしょう。家庭科部に、偶然こういうのが好きな子がいて、彼女に宣伝隊長になってもらったんですよね。で、結構動いてくれたみたいです」
「それは僥倖ね」
伊緒菜はにやりと笑った。
「なんにせよ、できる準備はすべてしたわ。あとはこの二日を、いかに首尾よく立ち回れるか! わずかなチャンスも見逃さずに、徹底的に知名度を上げましょう! えい、えい、おーー!!」
「おおーー!」
みぞれも、慧も、津々実も、声を上げて腕を振り上げる。
かくして、素数を巡る文化祭が始まりを告げた。
「野球部の爆弾おにぎりいかがですかーっ!」
「剣道部の三色団子をどうぞーっ!」
「きゅ、QK部でーす! 姉妹作り企画、やってまーす!」
第一校舎と第二校舎に挟まれた広い中庭は、運動部の屋台で埋まっていた。朝から美味しそうな匂いを立てながら、大声で部の名前を叫んでいる。
QK部の看板を持ったみぞれと慧は、ここでの宣伝は無理、と判断した。
「ラウンジ! ラウンジ行こう、慧ちゃん!」
「そ、そうね!」
中庭で、校庭で、廊下で。あらゆる場所で、生徒たちが自分たちの企画を宣伝していた。
ラウンジは中庭よりは平和だった。出店がないからだ。校庭から校舎内に戻ってくる生徒や、第一校舎から第二校舎へ行こうとしている生徒に、立て看板を持った生徒たちが次々声をかけている。声をかけられている方は、ちょっと迷惑そうだ。
みぞれ達も勇気を出して、看板を掲げながらPRをする。
「QK部のプライム・シスターでーす!」
「姉妹作り企画やってまーす!」
「あ、姉や妹が欲しい人、大歓迎でーす!」
奇怪な宣伝文句なので、時々振り返る人がいる。看板に書かれた「プライム・シスター」「姉妹作り」等の文字がよく見えるよう、その人に向ける。
「これ、私達より、津々実ちゃんや伊緒菜先輩の方がうまいんじゃない?」
「ううん、でも、部室に来た人に説明するよりは、こっちの方が……」
「それもそうね……」
とはいえ、役割は交代制なので、どうせどっちもやるのである。人見知りなどという言い訳は通用しなかった。
それに今日は平日なので、学外の人間は少ない。今日のうちに慣れておいた方が良い。
目を引くコツも、伊緒菜から聞いていた。ひとつ、看板はあまり動かさない。ふたつ、一瞬でも振り返った人に看板を向ける。三つ、なるべく目を合わせる。
みぞれ達はアドバイスを守って行動していた。伊緒菜は人を出し抜くことが大好きだが、ゲームをしていないときは信頼に足る人物である。それが二人の共通認識だった。
「って、伊緒菜先輩が知ったら怒るかな?」
みぞれは慧との噂話を楽しんでいた。慧もくすくす笑っている。
「先輩のことだし、お見通しじゃない?」
「そっか。そうかもね」
二人してくすくす笑った。
「あ、剣持だ!」
子供っぽい声が、二人の会話に割って入った。あどけない顔立ちで、秋口だというのにブレザーを脱いでいる。
「あ、遠野」慧が答える。「と、橘」
「よう」
目鼻立ちのはっきりした生徒が、片手を上げる。
「看板まで作るとは熱心な部だな」橘と呼ばれた生徒が苦笑する。「文芸部は入り口にポスター貼っただけだぞ」
「やる気ないなー、そっちは」遠野がけらけらと笑う。「看板くらい、うちも作ったぞ!」
「うちは隠れ家的スポットなんだよ」
橘は堂々と言い放った。
「それで、えーと、QK部の?」
橘がみぞれの目を見た。
「あ、うん」みぞれは小刻みに頷いた。「一年二組の、古井丸みぞれ」
「一年三組の橘
「丸……」
慧を見た。
慧はそっぽを向いた。
「べ、別に変な意味で言ったんじゃないわよ。なんていうの? 当たっても痛くないというか、一緒にいて安心するっていうか」
「え? そ、そう」
みぞれはちょっと照れた。
「一目見て癒し系だとわかるね」橘が評する。「クールツンデレな剣持とすぐ仲良くなれたのもよくわかる」
「く、クールツンデレ?」
「一学期の大半は、ずっと眉間にしわ寄せてる感じだった」橘が指で眉間をこすった。「でも最近、随分丸くなったよ。古井丸さんのおかげかもね」
慧とみぞれは目を合わせ、恥ずかしそうに視線を逸らす。
ほんわかした空気が流れたところに、遠野がぶっこんだ。
「おっぱいも大きいもんな!」
場が凍った。
「おいバカ」
「なっ!? 何がバカなんだよ!」
「良いからこっち来いバカ。調教し直してやる」
「おい、やめっ、はーなーーせーーー」
引きずられながらも、遠野は手を振った。
「あとで行くからーーーー」
「どのくらい来るかしらねー」
伊緒菜は頬杖をつきながら、笑顔で言った。
QK部は、いつもの部室で企画をやることになった。後方に机が積みあがっていた殺風景な部屋は、この一週間で大掃除された。机には綺麗な布がかけられ、写真撮影用の背景に。三種類の背景から好きなものを選べる。黒板には四人で描いた「Prime sister」の文字と華々しいイラスト。部屋全体もトランプで装飾されている。見違えるようだった。
「興味ある人ってどのくらいいるんでしょう?」
「正確にはわからないけど、私の所感では、少なくはなさそうね。津々実は興味ないの?」
「あたしはあんまり……。あ、でも、伊緒菜先輩は妹タイプですよね?」
「そんなことは、ない……わよ」
津々実がからかうと、尻すぼみに答えた。“お姉ちゃん”こと馬場肇とのやり取りを見られている以上、何を言っても説得力はない。
「でも、お姉ちゃん以外に“
それは一途ということなのでは……という突っ込みを、津々実は飲み込んだ。ちょうど、部室のドアが開いたからだ。
「あっ、いらっしゃい!」
一瞬反応が遅れたが、伊緒菜が立ち上がる。横で津々実が「あっ」と声を上げる。
「美里愛!」
「あら、知り合い?」
「はい。例の、家庭科部の子です」
美里愛はホッとしたように笑いながら、
「やっほー、津々実。遊びに来たよ」
と手を振った。
「ようこそ、QK部へ」伊緒菜が笑顔で迎える。「えーと、美里愛さん?」
「はい。津々実と同じ、家庭科部の布川美里愛です」
室内を見渡しながら、伊緒菜たちが座るテーブルの前に来た。
「それで、姉妹作りって聞きましたけど」
「その通り」伊緒菜は笑顔で返事した。「姉や妹に、興味があるのかしら?」
「はい」美里愛も笑顔で答えた。「私の学年だと、妹ってことになるんですか?」
津々実は腕を組んだ。
「そういえば、年齢制限は考えてなかったな。どうします、先輩?」
「別に自由でいいんじゃないかしら? 年下の姉が欲しいって人もいるでしょうし、中学生や一般人も遊びに来るわけだから」
「そんなものですか」
「あなたはどっち希望かしら? ここではまず、自分を姉にするか妹にするか、選んでもらうわ」
「じゃあ妹で」
美里愛は悩まずに答えた。
それから伊緒菜は、ルールを説明した。バッジを付けて校内を回ること、「ビビ!」と来た相手とバッジの数字を合わせ、素数になったら「姉妹成立」であること。
「素数……って、1でしか割れないような数でしたっけ?」
「ええ、そんなものね」
細かい訂正は省いた。
「美里愛さんは妹希望なので、ハート模様のバッジの中から選んでください」
と、机の上の箱を手で示す。
「自由に選ぶんですか?」
「ええ。何しろ、運命力が試されますから」
「運命力?」
「はい。バッジに書かれた数字によって、素数の出来やすさが違うんです。右の箱ほど素数が出来にくく、左に行くほど出来やすくなってます。右の方が、より高い運命力が必要ってことですね」
「へぇ……よくできてますね」
無論、伊緒菜たちがそう作ったわけではない。では誰がそうしたかといえば、「神」としか言いようがない。「1とそれ自身でしか割れない数」という定義から、そのような性質が自然と生じてしまうのである。
したがって、素数が引き合わせた姉妹は、まさに神に選ばれたペアだと言えるだろう。
「じゃあ、私はこれにします」
美里愛は、一番右の箱から「J」のバッジを取った。
「ありがとうございます。見事姉妹が成立したら、ここへ戻ってきてください。後ろで写真撮影を行います」
「わかりました」
そう答えて、美里愛はバッジを制服の胸元につけた。ハートの模様と、さり気ない『QK部』の文字が輝く。
それから、机の上の「一回百円」の文字に従って、金券を一枚出した(萌葱高校の文化祭では現金は使わない。すべてこの金券で取り引きされる)。
「ありがとう」津々実が金券を受け取った。「あと、これをどうぞ」
手帳ほどのサイズに折りたたまれた紙を、美里愛に差し出した。
「なにこれ?」
と言いながら受け取る。広げると、帯状のチラシになった。
「QKのルールブックです」と伊緒菜。「うちの部では、普段はそこに書かれているトランプゲームの特訓をしています。よかったら遊んでください」
今回の企画で、一番苦労したのはこのルールブック作りと言っても過言ではない。
初めはA4用紙一枚にまとめようとしたが、QKはルールが多すぎてとてもまとまらなかった。それに、A4の紙をそのまま渡しても、絶対に落としてゴミになるだろう。
そこで考えたのが、細長い帯状のルールブックを蛇腹に折ることである。これなら、制服のポケットにも入る。みんなが何気なくポケットに入れ、あとで家に帰ってから存在を思い出して読んでくれることを期待しているのだ。
美里愛が帯を一通り眺めたあと、ポケットにしまったのを見て、伊緒菜はにやりと笑った。
「そういえば、あなたは宣伝隊長をしてくれたそうね?」
「そうであります!」
「だったら一つ、頼まれてくれないかしら? 偶然そういう機会が巡ってきたら、でいいんだけど……」
伊緒菜が思い付きを話した。美里愛が鼻息荒くうなずいた。
「合点承知であります!」
それから二言三言話して、美里愛は部屋を出ていった。
「うまく行きますかね、そんなの」
「可能性はあると思うけど……ま、失敗したら失敗したで、全然問題ないわ」
また部室のドアが開いた。伊緒菜が「いらっしゃいませ」と言って笑顔を作った。
どうやら本当に需要があるらしいな、と津々実は思った。
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