第86話 ー18
「ということで、うちのクラスの出し物は、綿菓子屋に決まりました」
文化祭まで、二週間半ほどとなった。クラスの文化祭実行委員である
準備が楽というのは、重要なことだ。その分、他のことにエネルギーを使える。綿菓子なら、数回の練習で綺麗に作れるようになる。そしたらあとは、教室の飾りつけとか、クラスTシャツのデザインとか、そういったことに集中できる。そうすれば、より完成度の高いものが作れるだろう。
それに津々実にとって、文化祭は忙しくなることが約束されていた。クラスの出し物だけでなく、QK部と家庭科部でも働かなければならない。各場所で十分に協力するには、それぞれの準備が楽な方が望ましい。
津々実は頭の中で、労力の分配を考えていた。やはり一番大変なのは家庭科部だろう。衣装は既に作り始めているが、慣れないものなので時間がかかる。次はQK部だが、津々実に任されたのは宣伝である。家庭科部とかクラスとかで、それとなく姉妹マッチング「プライム・シスター」のことを話すのだ。
最後はクラスの綿菓子屋だが、どのくらいの仕事量になるか、まだ具体的な想像がわかなかった。文化祭実行委員の相田が役割分担をし始めたので、これから明らかになるだろう。
「まず綿菓子の機械ですが、これはさっき話した通り……」
「私達が借りてきまーす!」
姉妹みたいによく似た三人組が、元気に手を挙げた。一人がリサイクルショップでアルバイトしていて、そういう業者に詳しいらしい。相田と三人が、日程を話し合っている。
「みぞれ、綿菓子ちゃんと作れる?」
津々実は後ろを振り返って、みぞれをからかった。
「つ、作れるよ!」
「中学のとき、作れなかったじゃん」
「あ、あれは……作らなかっただけだもん」
以前二人で行った夏祭りで、綿菓子を作る機会があった。津々実が幼い頃によく行っていた駄菓子屋が出店していたのだ。店長と仲の良かった津々実が自分で綿菓子を作ったが、みぞれは怖がって作らなかった。
からかっているうちに、話が進んでいった。機械を借りる日程が決まり、飾りつけの買い出し班が決まる。
「それから、クラスTシャツも作ります」
相田が言うと、集中を切らしていたクラスメイト達が歓声を上げた。みんな、雑談を止めて前を向く。
作るといっても、基本的にはカタログから選ぶだけだ。元となるデザインを選び、そこにつける絵や言葉を決めるだけでいい。
しかし責任は重大である。このデザインでお店の雰囲気が決まるし、クラスメイトの士気にも関わる。
「中心となるメンバーを何人か決めて進めたいと思いますが……」
津々実は、相田と目が合った。丸眼鏡の向こうの瞳が「やってくれると助かるんだけど」と訴える。
相田の懇願ももっともだ。飾りつけに興味のない生徒も、自分が着るTシャツにはこだわるだろう。クラスメイトほぼ全員のお眼鏡に叶うものをこしらえなくてはならない。このクラスでそれができるのは、津々実だけだ。
それは、津々実のデザインセンスが優れているから、ではない。津々実が、クラスでそういう地位を既に築いているからだ。クラスのファッションリーダー的存在である津々実が決めたデザインなら、クラスの誰も文句を言わないし、言えない。
「じゃあ、あたしがやります」
津々実は小さく手を挙げた。相田がホッとするのがわかった。教室も、津々実なら安心だという雰囲気になる。
「ありがとう、倉藤さん。じゃあ……古井丸さんも一緒にやってくれますか?」
「え、私?」
完全に油断していたようで、上ずった声をあげた。
「一人だと大変だと思うし、それに……仲良いでしょ?」
「そうだね」と津々実は後ろのみぞれを見た。「やろうよ、一緒に」
「わ、わかった。じゃあ、やる」
「じゃあ、あたしとみぞれでやりまーす」
丸眼鏡の相田がほほ笑む。
「ありがとう。じゃあ、クラスTシャツは倉藤さんと古井丸さんの二人にお願いします。もちろん、クラスみんなの意見を聞いて作るので、みんな二人に協力してください」
では次は、と相田は次の役割分担に移る。ホームルームはつつがなく進行した。
「これ、カタログね」
ホームルームの後、相田が薄い冊子を渡してきた。
「悪いんだけど、今週中に決められる?」
「今週中? 別にいいけど」
三十人分のTシャツとなると印刷にも時間がかかるのだろう、と津々実は思ったが、そうではないらしい。
「学校でまとめて発注するらしくって、金曜の放課後までに提出しないと受け付けないんだって」
「あ、そういう感じなのか。わかった」
津々実が笑顔で答えると、相田は気まずそうに声を潜めた。
「なんか、ごめんね。押し付けるみたいになっちゃって」
「いや、平気だよ。あたし、こういうの得意だし」
「ならいいんだけど……。古井丸さんも、ごめんね?」
「え? ううん、わたしも、平気だよ」
みぞれが、はにかみながら答えると、相田は「それならよかった」とほほ笑んだ。
「じゃ、お願いね」
と言い残して、他の担当者のところへ駆けていく。きっと相田は、文化祭当日まで忙しいのだろう。
「でもつーちゃん、本当によかったの? 大変じゃない?」
「大丈夫大丈夫」津々実は笑いながら、カタログを広げた。「クラスみんなの好みはだいたい把握してるから、折衷案みたいなデザインは作れると思う」
「え、すごい」
みぞれが目を丸くするのを、津々実は愉悦を感じながら見つめた。そもそも、カタログから選ぶだけなので、できることがそんなに多くないのだ。だから、みんなの好みを統合するのではなく、決めたデザインが個々の好みに合うことを納得させた方が早い。そしてそれは、津々実の立場なら簡単なことだった。
「それにさ、良い役割だと思うんだよ、これ」
「良い役割?」
みぞれが小首を傾げる。津々実はその耳元で囁いた。
「みんなの意見を聞いて回るフリをしながら、さり気なくプライム・シスターの宣伝ができるでしょ?」
「あ……」
みぞれがまた目を丸くする。津々実はいたずらっぽく笑った。
「つーちゃん、まさか最初からそのつもりで?」
「もちろん」
大きくうなずいた。
それにこれなら、QK部とクラスの準備を同時にできる。残りの時間を、家庭科部の準備に充てられる。
「つーちゃん、すごいね」
「まぁね」
謙遜もせずに答えた。
「家庭科部の方は、どう?」
校舎の階段を下りながら、みぞれが聞いた。
「やっと副部長が、文句言わなくなったよ」
津々実はおどけて言った。本当は文句なんて一度も言っていなかったが、なかなか諦めきれない雰囲気はずっと出していた。
家庭科部のテーマは、大正ロマンに決まった。特定の作品ではなく、文化そのものをテーマにするのは、珍しいことだった。
和風を推していた副部長の鈴は、万葉集の良さを懸命にプレゼンしたが、最終的に「袴を着てみたい」という意見が多数を占めて大正ロマンに決まってしまった。
「和風がよかったのにーっ!」と鈴は愕然としていたが、翌日には受け入れていた。後輩たちの手前、文句を言うことはしなかったが、少し残念そうだった。
「でも、大正ロマンって、『和』なんじゃないの? 日本の文化でしょ?」
とみぞれが首を傾げた。
「いや、どうかな。服装は袴とかの和服だけど、料理はカレーとかソフトクリームとかだからなぁ」
「あ、そっか。洋食なんだ」
「それも、現代なら家庭料理になってるようなやつだね。――ただ、ややこしい点もあって、例えばカレーライスは明治時代にイギリスから入って来た料理なんだけど、大正までの間に、日本で手に入りやすい材料や日本人の口に合う味付けに変わったせいで、元々のカレーとは全然違うものになっちゃったんだよね。だからあれは、ある意味では和食なんだ」
「……和洋折衷ってこと?」
「とも違うんだよなぁ」
みぞれと津々実は、一緒に首を傾げたのだった。
家庭科部には、半分くらいの部員が来ていた。同じ裁縫班の
「大変そうだね。できそう?」
「今日中には」
ミシンから目を離さずに答える。家庭科部は毎年、演劇部の文化祭用衣装も作っており、実質的に兼部のようなものになっていた。
「今日はこっちなんだな」と、部長の雪子がミシンを止めて声をかけた。彼女は、既に袴を縫い始めている。「QK部の方はどうなったんだ?」
「QK部は、あんまり準備するものがないんで、わりとこっちに力入れられそうです」
「それはよかった」雪子はにっこりと笑う。「こっちは忙しいからな、本音を言うとできれば付きっ切りでいて欲しい」
津々実は曖昧に笑った。
「QK部は何やるの?」
ミシンを止めた美里愛が、服の出来を確かめながら言う。津々実は、待ってました、とばかりに――しかしその空気は出さずに――答えた。
「なんて言ったらいいかな……妙な企画をやることになったよ」
「妙?」
わざと曖昧な言い方から始めた。他の裁縫班のメンバーや、材料費の計算をしていた調理班の鈴も、興味を示した。
「そう、妙で、派手な企画。学校全体を巻き込んでやるような企画になった」
「へぇ? でもQK部って確か、四人くらいしかいないんじゃなかった?」
「そうだよな」と雪子は首を傾げた。「それで準備が少なくて、学校全体を巻き込むようなもの? 何をやるんだ?」
満を持して、津々実は答えた。
「いわゆる『恋人マッチング』。それのシスター版をやろうとしてます」
「シスター……!? あの、『マリみて』みたいな!?」
美里愛が異常に食いついた。興味があるらしい。『マリみて』がなんだか知らないが、美里愛がたまに読んでる少女小説みたいなものだろう。
「恋人マッチングならぬ、姉妹マッチングか」
と雪子も興味深そうに言う。材料費の計算に飽きたらしい鈴も、首を突っ込んできた。
「よくそんなの許可下りたわね。不純異性交遊を誘発するものとか、公序良俗に反するものはできないはずだけど?」
「恋人じゃなくて、姉妹ですからね。女性限定だから『異性』じゃないですし、マッチング自体は公序良俗にも反しません」
これは伊緒菜が言ってたことだ。生徒会への申請書も、不純だとか公序良俗に反するだとか感じられないよう、注意深く書いていた。
「そうです、副部長。シスターはそんな不純なものではありません」と美里愛が息巻いて、津々実の肩を持つ。「学校に慣れた先輩が不慣れな後輩に学園生活のノウハウを教えたり、交流を通じて人と深く接することの楽しさや難しさを学ぶ、高尚で純粋なものです!」
「そ、そう」鈴は勢いに押されていた。「美里愛ちゃん、そういうの好きだったのね」
「大好きです」
鼻息荒く答えた。大好きという割には、今までそんな話をしていたことがなかったが、隠していたのかもしれない。津々実が話したことで、たかが外れたようだ。
「じゃあ美里愛」と津々実が美里愛の肩に手を置く。「この姉妹マッチングサービス『プライム・シスター』は、参加者の数が肝になるんだ。参加者が多いほど、企画が盛り上がって、姉妹が増える。だから、ぜひ、君に宣伝隊長をしてもらいたい」
冗談めかした口調で言うと、美里愛もノリに合わせて敬礼した。
「合点承知であります!」
すべてがうまく運んでいるな、と津々実は感じた。
そして、いよいよ。
文化祭当日が、やってきた。
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