第76話 3
考え込んでいる肇を見ながら、伊緒菜はその思考をトレースしようとしていた。
肇が場に出したカードはたったの四枚。6Aと73。ここから読み取れる情報は、少ないようで多い。しかも肇がハッタリをかましていたと分かれば、さらに増える。
どういう理由でこんなハッタリをかましたのか。伊緒菜の出した手は肇に効いているのか。そして現在の意味深な長考はいったいなんなのか。
伊緒菜には、それらがなんとなく見えてきていた。
ほくそ笑む伊緒菜の視線を感じながら、肇は選択肢を絞っていた。可能性の低いパターンも、高いパターンもある。最後の最後で勘出しをする選択肢もあるが、優勝が決まるこの場でそんなギャンブルはしたくない。
結局肇は、最も現実的で、最も可能性の高い手段を選ぶことにした。
「6K」
「613は素数です」
判定員が告げ、タイマーが切り替わる。伊緒菜に出せる手はない。ドローすればまだ出せる可能性は十分あるが、引くカードによってはあとが続かない。ここはパスせざるを得ないはずだ。
肇は伊緒菜を鋭く見つめた。伊緒菜の表情は、悩んでいるというよりは、先を読んでいるようだった。
伊緒菜には、気になることがあった。
おそらく肇は、これで親を取れる気でいる。事実その通りなのだが、取った後どうするつもりなのか。肇の手札は六枚だから、おそらく三枚出し二回に分けるつもりなのだろうが……。
伊緒菜は自分の手札を見た。何か、おかしい。もしかして。
「パス」
伊緒菜はさほど悩まずにパスを宣言した。手番が再び、肇に戻る。
「今のでパスか」と肇は伊緒菜の顔を見ながら口角を上げた。「やはりQKは持ってないな。と、言うこと、は……」
肇は自分の手札を確認する。残りは3、4、7、J、J、Kの六枚。743とKJJに分けられる。
これは、勝ちだ。最も現実的で、最も可能性の高い手段が、勝利へ導いてくれた。
KJJは三枚出しで第三位の素数だ。これに勝つのはKQKとKKJしかない。しかし伊緒菜はQKを持っていないから、KQKは出ない。そして、KKJは……。
伊緒菜がこれまで出したカードは、67、6J、A3、47の六枚で、残りは四枚。そのうち三枚がKKJであることは、ほぼあり得ない。
なぜならば。
もしKKJだとすると、伊緒菜のカードはA、3、4、6、6、7、7、J、J、K、K、
だが、そんなことはあり得ない。十二枚中、十一枚が同じだなんて。
だから伊緒菜は、KQKもKKJも持っていない。だから肇は、KJJで親が取れる。そのあと743を出して、肇の勝ちだ。
「どうやら、今年もあたしの勝ちみたいだな」
肇はそうもったいつけてから、カードを出した。
「KJJ」
出した瞬間、伊緒菜が驚いた表情をした。
「131111は素数です」
判定員が告げる頃には、真面目な表情で考え込んでいた。
「どうした?」
伊緒菜は二度瞬きした。
「まさか本当にこんなことがあるなんて、思わなかった」
「なに?」
カードを出す代わりに、伊緒菜はじっと肇の目を見た。
「お姉ちゃん、もしかして残りの三枚は、743だったりする?」
「は? なんで……え」
伊緒菜は堂々と、手札から三枚出した。
「
「バカな」
肇のポーカーフェイスが崩れた。
事の次第が分かっていないのは判定員だけだった。通常通りタブレットを操作し、宣言する。
「131311は素数です」
タイマーが切り替えられた。
「待ってください」
伊緒菜が言う。肇と同時に、判定員の顔を見た。
「えっと……なんでしょうか」
思えば、判定員の顔をちゃんと見たのは初めてかもしれない。女性であることすら、いま初めて気が付いた。Yシャツにパンツルックの若い女性だ。
「お姉ちゃん、どう思う?」
「わざとではなさそうだな」
「じゃあ、本当に単なる偶然?」
「信じられないけどな」
いまこの全国大会に集まっている人間の中で、この判定員だけが何も知らなかった。素数判定を間違えずにしたり、タイマーを動かしたりするのは、意外に神経を使う。カードカウンティングなんてしている余裕はないのだ。
「信じられないかもしれませんが」と伊緒菜が真剣な声で言う。「二人に配られたカードが、全く同じでした」
「え?」
信じられない、という顔をした。その表情に嘘はなさそうだ。
「え、いや、私は、ただ配っただけで……」
判定員の反応を見て、伊緒菜と肇は頷きあった。どうやら、本当の本当に、偶然らしい。
「信じられないけど、本当みたいだね」と伊緒菜。
「そんなことするメリットもないからな」
肇は首を振った。
「パス」
判定員は、狼狽しながらも自分の職務を果たした。場を流し、タイマーを切り替える。
「これは、ある意味、良い配札だったんだろう」肇は噛みしめるように言った。「カードの強弱が完全に同じで、運の入る余地がない。お互いの真の実力を測ることができた――完敗だ」
「そんなことないよ」と伊緒菜は被りを振った。「お姉ちゃんがKJJを出したのは、まさか二人のカードが同じだとは思わなかったからでしょ?」
「それはそうだが」
「だったら、やっぱり運だよ。十二枚全部同じカードなんていう、奇跡みたいな偶然が、私を勝利に導いた」
伊緒菜はにやりと笑った。どこか寂しげだった。
「最後の試合が運任せなんて、ちょっと味気ないけど……ま、QKって、そういうゲームだよね」
手元に残った最後の一枚を場に出す。
「3」
判定員が、最後の素数判定をした。形式的にタブレットを操作する。そして、この運命的な試合に終止符を打った。
「3は素数。よってこの試合、宝崎選手の勝利です! またこれにより、宝崎選手の二本先取となりますので、この勝負、宝崎選手の勝利! 優勝は、宝崎選手です!!」
肇がカードをテーブルに置き、拍手した。三人しかいない体育ホールに、その音だけがこだまする。伊緒菜がずっと望んでいた音だった。
誰からの賛美もいらない。ただ、肇だけを振り向かせたかった。
伊緒菜は肇の顔を覗き込んで、いたずらな笑みを浮かべた。
「どう、お姉ちゃん? 悔しい?」
肇もまた、この笑顔を待っていたのだと思った。ゲームを楽しむ顔ではなく、勝てて喜んでいるこの顔を。
「ああ、悔しいよ。まさかこんな大舞台で負けるなんてね」
目元を拭ったが、涙は出ていなかった。代わりに、頬が強張っていた。もっと鋭ければ勝てたかもしれない、と後悔が襲ってくる。これを振り払うには、勝つしかないだろう。
「来年、あたしは来れないけど……またどこかで戦おう」
「うん。次は完封してあげる」
「こっちのセリフだ」
二人はよく似た笑顔を浮かべた。
***
スタッフに誘導され、みぞれ達は体育ホールに戻ってきた。試合に使われていたテーブルは、決勝戦の間にすべて壁際に寄せられていた。広々としたホールに、選手たちが散らばる。
伊緒菜と肇は、まだステージの上にいた。二人の後ろで、スタッフがやはりテーブルをどかしている。そこへマイクを持った小西那由他が現れた。マイクへ向けて、事務的に話す。
「表彰式を行いますので、加賀見選手と古井丸選手は、ステージへ上がってください」
名前を呼ばれ、みぞれはどきりとした。「表彰式」という言葉と自分の名前が、頭の中でうまく結びつかない。本当に受け取る資格があるんだろうか。
「どうしたのみぞれ」
と津々実が耳元で聞く。
「なんでもない。行ってくるね」
緊張した足取りで階段を上る。伊緒菜と目が合う。伊緒菜はにやりと笑って、小さく手を振った。
ステージに立って、ホールを振り返った。六十人近い人たちが、こちらを見ている。選手たちやその応援者、そしてスタッフ達。
みぞれは緊張で俯いた。
「古井丸選手」と小西が話しかけてきた。「もう少し奥に立ってください」
「あ、はい、すみません」
慌ててステージの奥へ行き、伊緒菜の隣に立つ。
「緊張しなくていいわ」と伊緒菜。「賞状とメダルをもらうだけなんだから」
その「だけ」が、みぞれには難しかった。既に一度地区予選で賞状を受け取っているが、これまでの生涯で賞状をもらったのはその一度きりだった。
マイクがセットされると、その前に小西が立った。緊張した風もなく、びしっと背筋を伸ばして話す。
「ではこれより、第二十二回全国高校素数大富豪大会の授賞式を行います。関三四郎さん、お願いします」
舞台袖から、五十歳ほどの恰幅の良い男性と若いスタッフが出てきた。小西はみぞれの横に立ち、小声でささやいた。
「名前を呼ばれたら、前へ出てください」
「は、はい」
関はマイクの前に立つと、ホールに向けて一礼した。
「素数大富豪協会の関です。みなさん、今日一日お疲れ様でした。いやー、今年もすごい試合ばかりでしたね」と笑顔になる。「特に決勝戦は、歴史に残る名勝負でした。まさか、あんなことになるなんて。控室で見ていて、鳥肌が立ちましたよ」
ホールにいる選手たちは、真剣な顔で頷いた。
「大会が始まって二十二年――二十二年ですから、みなさんが生まれる前からやってるわけですが――その短くない歴史の中で、初めての出来事でした。もちろん決勝戦以外の試合も、どれも非常にレベルが高かったです。年々戦術が磨かれ、どんどんレベルが上がっていると感じます。……ではそろそろ表彰に移りましょう」
関が賞状の名前を確認して言った。
「えーと、まずは古井丸さんですね」
「は、はい!」
声が裏返りそうになりながら、前に出る。関と向かい合って立った。関は賞状をまっすぐ前に掲げると、一呼吸空けてから、マイク越しに文面を読み上げた。
「第三位。萌葱高校QK部、古井丸みぞれ殿。貴殿は第二十二回全国高校素数大富豪大会において、頭書の成績を収められました。貴殿の平素の努力を称え、ここに賞します。令和XX年八月十一日、日本素数大富豪協会名誉会長、関三四郎。……おめでとうございます」
関はにこりと笑って、賞状を返した。みぞれは緊張した面持ちのまま、一歩前に出て両手を伸ばした。
クリーム色の紙を受け取る。
「それと、銅メダルです」
関はスタッフからメダルを受け取ると、一度ホールに向けてメダルを掲げた。表には、トランプを模した図案が描かれている。槍を携えた青年の絵。トランプの
トランプほどの大きさのそれを、関はみぞれの首にかけた。
重い。
まさか本物の銅ではないだろうが、金属の重みがある。
ぱちぱちぱち、と拍手が鳴った。自分に向けられた拍手だ。こんなに多くの人間から、拍手を送られる日が来るなんて。
「あ、ありがとうございます」
みぞれは軽く頭を下げてから、奥へ戻った。
緊張から解放され、深く安堵の息を吐いた。
「やったわね」と、伊緒菜が微笑みかけてくる。「三位よ。あなたは今、日本で三番目にQKが強い高校生なのよ」
三番目。実感が湧かない。たぶん、夢中で戦っていたせいだ。
本当に自分はそんなに強いのか。津々実のように、自信を持っていいのか。
「いまステージを見上げている人達の誰よりも、強いのよ」
伊緒菜が言い方を変えた。みぞれは顔を上げる。六十人近い人たちが、賞状を受け取る稲荷を見ていた。
ここにいる、誰よりも?
稲荷が戻り、肇が賞状とメダルを受け取る。そして、伊緒菜が呼ばれた。
伊緒菜が前に立つと、関は賞状をまっすぐ掲げ、読み上げた。
「優勝。萌葱高校QK部、宝崎伊緒菜殿」
伊緒菜の顔は、昂揚していた。
「以下、同文です。……おめでとうございまず」
「ありがとうございます」
外向けの気品ある笑顔で、賞状を受け取る伊緒菜。自信に満ち溢れた所作だった。その首に、金メダルが下げられる。表には、剣を構え冠を被った男の絵が描かれている。
小西に促され、みぞれ達三人も前に進み出た。伊緒菜の横に立つ。関がマイクに向かって喋った。
「今年はこの四名が入賞いたしました。みなさん、改めて盛大な拍手を送ってください」
ホールが万雷の拍手で満たされる。惜しみない賞賛が、みぞれ達に送られた。
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