第75話 12=12

 モニターの中で、シンキングタイム終了と同時に肇が一枚ドローした。引いたのは、6だ。

 伊緒菜と全く同じ手札だということは、もちろんまだ気付いていないだろう。いま引いた6だけが、二人の手札の差だ。

「これで馬場選手の手札は、A、3、3、4、6、6、7、7、J、J、K、Kとなりました。小西さん、どう見ますか?」

「ちょっと前代未聞過ぎる状況で思考がまとまっていませんが」と前置きしてから、小西はホワイトボードを見た。「馬場選手の手札だけに注目すると、いささか厳しい手札かもしれません」

「というと?」

「四枚の絵札J、J、K、Kは、四枚出しも二枚出しもできません。三枚最強のKKJとKJJが出せるだけです。敢えて四枚出しの場にするか、三枚出しで攻めて行くかが、ポイントになりそうです」

「なるほど。さあ馬場選手、一枚引いてからずっと動きが止まっています。宝崎選手の顔を見ながら、長考に入りました。……ちなみに、三枚出しだとどんな素数が考えられますか?」

 長くなりそうだと判断して、成田は話を振った。

「そうですね」小西はホワイトボードに書き込みながら話した。「奇数には恵まれているので、比較的出せる素数は多いです。661とか、643とか、743とか。絵札を使うものなら、63Jや74Jなどでしょうか。できればKKJを残しながら立ち回りたいところですね」

「たしかに、よく見れば手札に偶数は三枚しかありませんね。しかしその条件は両者とも同じ。馬場選手も宝崎選手も、同じ手を狙ってくる可能性が高いです」

「戦術が似てますからね。すると、どちらが先にKKJを出すかのチキンレースになるかもしれません」

「そしてどちらが先に、この異常な事態に気付くのか……おっと、馬場選手が動きました!」

 モニターの中で、肇が手札を並べ替え始めた。そして、そこから二枚を取り出し、場に出した。

『6A』

『61は素数です』

 判定員がすぐに告げ、タイマーを切り替える。

 成田と小西は、首を傾げた。

「二枚? なぜ二枚出しなんてしたんでしょう?」

「わざと最善手を崩してきた?」

 小西は先程の伊緒菜の戦法を思い出しながら言った。

「なるほど、意趣返しというやつですね。ですが、さすがに無謀では? この手札の二枚出しでは、最大でも6Kしか出せませんよ?」

「だからこそ敢えてやったんでしょう。おそらくこれは、ハッタリですね。強い相手が二枚出ししたら、当然QKか、KQの合成数出しを持っていると判断します。そうやって、宝崎選手の読みを混乱させるのが目的と考えられます」

「なかなか高度な心理戦の様相を呈してきました! さあ、宝崎選手は山札から……なんと、6をドローしました! これで十二枚全部同じカードです!!」


「二枚……」

 場に出されたカードと肇の顔を交互に見ながら、伊緒菜は小声で呟いた。

 肇の表情は、自信に満ち満ちている。だがそれはいつものことだ、手札が良くても悪くても、この人はこういう顔をする。

 表情から読み取るのは諦めて、冷静に思考する。こちらの絵札は四枚だが、内訳が心もとない。なるべく無駄遣いせずに親を取りたいが、このラリーでは無理かもしれない。初手から二枚出しするということは、肇はQKかKQ=2^5×4Aを持っているに違いない。

 伊緒菜は、肇の策にまんまとはまっていた。そして、最悪のケースを想定する。

 肇が、KQを持っていたらどうなるか?

 KQ=2^5×4Aは、QKにカウンターできる上に六枚も消費する合成数だ。二枚出しのラリーを続け、こちらがQKを出したあとに相手がKQを返したら、流れは完全に奪われる。

 このとき取れる戦術は、あまり多くない。ラリーを続けるほど相手の手札が減って不利になるので、早めに大きな素数を出してKQを吐き出させてしまった方が良い。

 しかし、肇もこの対抗策は知っているはずだ。にもかかわらずこんなカードを出してきたのは何故だろうか。まさか、伊緒菜が大きな素数を持っていないと読めたわけではないだろう。

 だとすると……。

 肇がこの次のターンでKQを出すと、残りは四枚。その四枚が素数なら、肇の勝ち確だ。まさか、私は既に負けている?

 もし肇がKQの合成数出しを狙っているなら、伊緒菜が何をどうやっても勝つことはできない。ここは、肇がQKを狙っていることを祈るしかない。

 伊緒菜はそっと、場に二枚出した。

「67」

「67は素数です」

 判定員が告げ、タイマーを切り替える。肇は伊緒菜の顔をジッと見ながら、言った。

「ふぅん……意外に小さい数を出してきたな」

「意外? 私はよく、こういうの出すと思うけど?」

「そうかな。あたしがいきなり二枚出ししたのに、ラリーを続けようとするのは不自然だ。もっと大きい数を出して、あたしにとっととQKを出させた方が良い。そうしなかったのは……大きい素数を持っていないからか?」

 伊緒菜の表情を観察しながら、肇は言う。

 肇にとって、伊緒菜が小さい素数を出したのは誤算だった。できればいきなり絵札を使って欲しかったし、それがQKだったらベストだった。その後で肇が何も出さなくても、伊緒菜に怪しまれないからだ。

「73」

 肇は渋々、次のカードを出した。肇の手札で、100に一番近い素数だ。これで絵札を消費してくれるだろうか?

「73は素数です」

 出てきた素数を確認し、伊緒菜は肇の表情を伺った。ずっと変わらず、余裕のある笑みでこちらを眺めている。

 KQのことは、心配するだけ無駄だ。出されたらどうあがいても負ける。それより、肇がQKを持っている場合を考えるべきだ。

 こちらにQKがないので、肇のQKを防ぐ手段はない。だから伊緒菜は、なるべく早く肇にQKを出させつつ、こちらの被害は最小限に抑えなくてはならない。

 伊緒菜の最大の素数は6K。これは二枚出し第五位の素数なので、これを出せば肇はQKを返すだろう。それでも構わないが、もっといい方法はないだろうか。

 伊緒菜は、できればKは使いたくなかった。絵札はJ、J、K、Kの四枚だから、消費するならKよりJにしたい。そうすれば三枚出し最強のKKJを残すことができる。ならば、出すべきなのは3Jか?

 それに、肇の出し方も気になる。61の次に73を出してきた。もし伊緒菜に絵札を出させたいなら、ここはもっと100に近い素数を出すべきだ。もしかして、8も9も持っていない? どちらかを持っていれば、83や97を出せたはず。そうしなかったということは、8も9も持っていない可能性が高い。

 悩む伊緒菜を眺めながら肇は、もしかしたら絵札を出して来ないかもしれないな、と思った。こちらが思っている以上に絵札が少ないのかもしれない。あるいは、Qばかりとか。

 肇の手札にJとKが二枚ずつあるのだから、伊緒菜の手札にJとKがある確率は下がる。絵札がQしかない、とかそんな極端な状況もありうる。表情を見る限り、そこまで悪くはなさそうだが。

 もし本当に絵札が少ないなら、とっとと伊緒菜にQKを出させた方が良い。次のターンで肇が6Kを出せば、伊緒菜はQKを出す可能性が高い。そのとき、伊緒菜も肇も、手札の残りは六枚。肇の手札は3、4、7、J、J、Kだ。伊緒菜が三枚出し二回で決めようとしても、肇のKJJで打ち勝てるだろう。これに勝てる素数はKQKとKKJの二つだけ。どちらもKが二枚必要だ。しかし肇の手札にKが二枚あり、伊緒菜がQKを出してくれば、伊緒菜の持つKは最大でも一枚。ジョーカーを持っていなければ、KQKもKKJも出せない。

 まさかジョーカーが二枚あるなんてことはないだろう、と肇は内心で苦笑した。

 なんだか笑われているような気配を感じながらも、伊緒菜は考え続けていた。なんとかしてこちらの絵札消費を抑えつつ、かつ向こうにQKを出させる算段を。

 ここで絵札を消費したら、おそらく肇の思う壺だろう。どうしようか、さっきみたいにわざと悪い手を出すか? だが肇に同じ手は二度も通用しないだろう。今までほとんどやらなかった手で、裏をかかないと勝てない。

 時間が経過していく。その間、肇はずっと伊緒菜の顔を見ていた。真剣な表情だ。本気であたしを倒す方法を考えてくれている。慣れ合いなんかじゃない、ガチの真剣勝負ができている。肇はそれが、たまらなく嬉しかった。

 ならば肇も、絶対に油断なんてしない。裏をかこうとする伊緒菜の、さらに裏をかいてやる。

「合成数出しします」

 やがて伊緒菜が宣言し、手札からカードを取った。

 伊緒菜が合成数出しとは珍しい。80台の偶数でも出すつもりか? 絵札の消費を抑えつつ肇より先に手札を減らすなら、良い作戦だ。

 しかし出されたカードは、肇の予想とは大きく異なるものだった。

「611=A《1》3×47」

「二桁かける二桁? 伊緒菜が!?」

 判定員を見る。素早くタブレットを操作した判定員が、宣言した。

「合ってます。合成数出し、成功です」

 伊緒菜はにやりと笑った。

「そんなに驚くとは思わなかった」

「合成数出し自体珍しいからな。よく出せたね」

「部活で慧が何度か出してたの」

「慧……ああ、あの黒髪ロングの。それで伊緒菜も覚えたんだ」

「うん」

 雑談をしながらも、肇の頭は高速で動いていた。

 伊緒菜が出した6Jは、幸いにも6Kより小さい。問題は枚数だ。伊緒菜はいま、六枚も出した。伊緒菜の残りはたったの四枚! 絶対に親を渡してはいけない。伊緒菜が親になった瞬間、肇は負ける。

 一見危機的な状況であったが、肇は落ち着いていた。伊緒菜の顔を見ながら考える。

 おそらく伊緒菜は、QKを持っていない。持っていたら、いま出しているだろう。伊緒菜はいま、こちらがQKを持っていると思い込んでいる。6Jは二枚出しの中ではかなり大きな数だから、これを出せば肇がQKを出す可能性が高いと考えるはずである。そしたら伊緒菜は親を取れない。にもかかわらず6Jを出してきたのだから、伊緒菜はQKを持っていない。肇の6Kで親が取れる公算は高い。

 しかし、そうだとすると伊緒菜は何を持っているんだ? 肇は首を傾げた。

 肇が考え始めて五秒後、伊緒菜が、

「やられた」

 と肇に聞こえるように呟いた。

「何にだ?」

 肇がとぼけて聞き返す。

「お姉ちゃん……QKもKQも持ってないでしょ!?」

 肇は、ふん、と鼻で笑った。

「何を言っているのかわからないな」

「もしQKを持ってるなら、このターンで迷わず出してる。私の手札があと四枚なんだから、ここは確実に親を取りたいはず。そのためにはQKを出すのが最善手。でもそれをやらないってことは……」

 肇が首を振った。

「いや、今は伊緒菜がQKを持っているかどうか、考えているんだ。もし持っていないなら、いま焦ってQKを出す必要はないからな。そうだろ?」

 伊緒菜は睨んだ。絶対に嘘だ、と思った。この二枚出しラリーは、肇のハッタリだったのだ。伊緒菜に肇の手札を誤認させ、手札を無駄撃ちさせるための……。

 しかし、そうだとすると肇は何を持っているんだ? 伊緒菜は首を傾げた。

 伊緒菜が黙ったので、肇も黙って「読み」を再開した。果たして伊緒菜は、Qを持っていないのか、Kを持っていないのか?

 場のカードと伊緒菜の顔を繰り返し見るうちに、肇は小さな違和感を覚えた。どこかで覚えのあるこの感覚。脳がざわっとするこの感じは……デジャブに似ている。

 デジャブ? 全く同じ対戦をしたことがあるとでもいうのだろうか。そんなバカな、と肇は否定した。しかし、場に出たカードにはたしかに既視感がある。

 伊緒菜が出したカードは八枚。67、6J、A3、47。

 不意に、肇は自分の側に出されたカードと、手に持っているカードを視界に入れた。

 そして、気付いた。

 伊緒菜の出した八枚。それはどれも、自分の手札にあるカードだ!

 十二枚の手札のうち、八枚が共通していたのである。

「そんな」

 思わず声が出た。伊緒菜が、

「どうしたの?」

 と聞いてきたが無視した。

 少しびっくりしたが、八枚くらいなら普通にあり得るのではないか? トランプの数字は十三種類しかないのだから、二人に十一枚ずつ配れば四、五枚は被って当然である。普段はそんなこと、気にしたこともない。どうも気持ちが昂っているようだ。伊緒菜と戦っているからだろう。

 軽く深呼吸して、気持ちを落ち着かせる。伊緒菜の視線を感じた。肇はそれも無視して、冷静に考える。

 伊緒菜の態度を鑑みると、おそらくここは6Kで親が取れる。そのあと肇の残り手札は六枚で、伊緒菜は四枚。そうなると、肇の採れる選択肢は、もうあまり多くない。

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