第58話 811-1

 新幹線を使えば一時間で着くところを、一浦いちうら小海三こうみ内田うちだ鈴鹿すずかは在来線を乗り継ぎ、三時間かけて前橋から東京駅へとやってきた。

「すごい! 人がたくさん!」

 一年生の鈴鹿が、ホームに降りるやいなや快哉を叫んだ。

「こら鈴鹿、みっともないからはしゃぐな」

 三年生の小海三が鈴鹿の腕を引っ張った。気のせいか、去年より人が多い。はぐれないようにしなくては。

 今日は八月十日、木曜日。明日は金曜日だが、山の日なので祝日だ。そのあと土曜と日曜で、十三日から世間的にはお盆休みになる。つまり、明日から大型連休だ。

 時刻は夕方。Yシャツ姿の大人が多いが、大きな旅行鞄を持った人もいる。せっかちな都会人は、もう旅行へ行くのだ。

 かくいう自分達も、似たようなものだ。二泊三日の東京旅行。旅の主目的はQK全国大会だが、ちゃっかり観光の予定も立てている。

「さあ先輩、早くホテルへ行きましょう!」

 鈴鹿は小海三の腕に自分の腕を絡めながら言った。すぐ近くで電車を待っていたYシャツ姿の男性が、ギョッとしてこちらを見た。

「ま、待て、落ち着け鈴鹿、そして言い方に気を付けろ」

「言い方?」

 無垢な瞳で首を傾げる鈴鹿。冷静に考えれば、別に変な言い方ではない。小海三は一人で勝手に赤面した。

「あー、えーと、私らの目的地はここじゃない。ここからさらに……山手線に乗り換えだ」

 鈴鹿の腕をほどいて、スマホで調べる。

「でも先輩、あたしもう我慢できません……」

 もじもじしながら、鈴鹿がスカートを押さえる。周囲の男性の目が痛い。

「な、なにが我慢できないんだよ!」

「トイレ……」

「そのくらい、駅にもあるよ!」

 小海三は鈴鹿を引っ張って、トイレへ連れていった。まったく、手のかかる後輩だ。

 鈴鹿のトイレを待ちながら、小海三は大会のことを考えた。

 一昨年は、地区予選でベスト8に終わった。去年は四位で全国へ進んだが、一回戦で敗退した。

 だが今年はついに、地区予選で優勝を果たした。小海三はいま、北関東で一番強いプレイヤーなのだ。今年は凡退なんて、決してしない。

 それに去年は、相手も悪かった。初戦の相手が、あの宝崎伊緒菜だったのだ。今年は伊緒菜や、去年の優勝者である馬場肇の札譜も研究した。もしまた初戦でぶつかっても、今度は負けない自信がある。

「お待たせしました」

 鈴鹿が戻ってきた。

「先輩、もう緊張してるんですか?」

「それなりにね」

「大丈夫です、先輩! あたしが応援すれば、優勝間違いなしです!」

 鈴鹿は鼻息を荒くし、両手でガッツポーズを作った。純粋に小海三の優勝を信じている瞳だった。

「そうだね、ありがとう」

 小海三は鈴鹿の頭を撫でた。


「お嬢! もう着きます!」

「お嬢! 起きてください!」

「だから誰がお嬢や!!」

 大阪府立茨黄いばらき高校の佐藤さとう龍火りゅうかは、目を覚ますなり後輩二人に手刀を食らわせた。

「あ、ありがとうございます、お嬢……」

 腹を打たれた伊森いもり友希ゆうきは、呻きながら答えた。

「今日も鮮やかな一撃です、お嬢……」

 同じく頭を打たれた川内かわうち康保やすほも、痛む頭を擦りながら答えた。

「全く、うちはカタギやと何度も言うてるのに」

 そう語る龍火の目つきは竜のように鋭く、髪は炎のような赤茶に染めていた。どこからどう見ても、不良少女かヤクザの娘である。心なし、周囲の乗客達との距離が遠い。

 新幹線が停車した。三人は大きな荷物を引きずってホームに降りる。

「うわ、めっちゃ暑いやん」

 途端に、ムッとする空気に包まれた。ただでさえ気温が高いのに、人混みが発する熱でホームはサウナのようだった。

「アホみたいに暑いですね」

「体が溶けそうです」

「そうやな、はよ行くか」

 階段を下りて、新幹線ホームをあとにする。駅構内に入ってしまえば涼しかった。

「お嬢! ちょっと調べたんですが、駅の中に美味いカレー屋とかあるらしいですよ!」

 と康保が提案したが、龍火はまた手刀を食らわせた。

「アホ! 今日はすぐ宿に行って、最終特訓や! 夕飯なんかコンビニ弁当でええ!」

 片腕を上げ、龍火はずんずん歩いていく。後輩二人は「やっぱりかー」と愚痴りながら着いてきた。

 龍火は前しか見ていなかった。今年こそ、優勝を目指す。あの宝崎伊緒菜や馬場肇を倒し、我らが茨黄高校から初の優勝者を出すのだ!

「うちはやったるでー! 燃えるでー!!」

 八重歯を見せ、がははと笑う龍火を、周囲の人々は遠巻きに見ていた。


「あ゛つ゛い゛……」

 ガラガラと青いキャリーバッグを転がし、スマホで地図を確認しながら、嘉数かかず祈里いのりはホテルを目指して歩いていた。

 祈里は沖縄出身だったが、暑さに弱かった。人間はどこ出身であれ、暑いときは暑いし、寒いときは寒いのだ。

 東京に来るのは初めてではない。中学のときに一回、修学旅行で来たことがある。だがあのときは十月だったし、団体でぞろぞろと移動したので、もっと楽だった。

 今回は八月のど真ん中で、たった一人だ。前回とは様子が全く違った。ホテルの予約も飛行機のチケットも、全部自分で取ったのだ。

 大変だったが、祈里はこの遠征を楽しんでいた。初めての一人旅。どこへ行くのも何をするのも自由。解放感は、祈里がこの世で最も好きなものだ。もうこのまま、どこまでも行ってしまおうか。

「いやいや、何言ってるの私」

 街中で独り言をつぶやく。明日は全国大会だし、この遠征の目的は全国大会だ。学校のみんなも、私の全国出場を喜んでくれている。きっといい成績を持って帰らないと。

 ようやくホテルに着く。駅から離れた安いビジネスホテルだ。自動ドアを抜けると、一気に涼しくなった。祈里はそこで初めて、自分が大量に汗をかいていることに気付いた。ポケットからハンカチを出して、拭う。

「いらっしゃいませ」

 フロントに近付くと、女の人が礼儀正しく声をかけてきた。女子高生だからと舐められるようなことはないようだ。

「ご予約の方でしょうか?」

「はい」

「お名前を頂戴できますか?」

「嘉数祈里です」

 名前を確認し、親の同意書を提出する。受付嬢がその内容を検める間、一人旅するにはこれが邪魔だなぁ、と祈里は思った。解放感を得るために一人旅をしたいから同意書をくれと言って、うちの親は書いてくれるだろうか。

 大人になったら、きっと一人旅をしよう、と祈里は決めた。

「ではこちら、お部屋の鍵になります」

 受付嬢からルームキーを受け取る。部屋番号は313だった。素数だ。幸先良いぞ、と祈里はほくそ笑んだ。

 エレベーターで三階に昇り、313号室を探す。案内に従うとすぐに見つかった。

 鍵はカードキーだった。ドアノブの上にある差込口にキーを入れると、ピッと音がして鍵が開いた。

 部屋に入って明かりをつける。そこで祈里は目を輝かせた。

 綺麗なベッド、シンプルなサイドランプ。機能性重視の質素な部屋だったが、それが却って大人っぽさを感じさせた。ちゃらちゃらしたオシャレホテルではなく、純粋に旅を楽しむ者のための部屋だ。

 荷物を放り投げると、祈里はベッドに倒れた。ギシッと音がして、スプリングが弾む。

「ふわあああ……」

 振動をしばらく感じてから、祈里は感嘆の声を上げた。

 むくっと起き上がると、服を脱ぎ捨て全裸になった。そして今度は、ジャンプしてベッドに飛び込む。

 スプリングがさっきよりも大きく沈み、祈里の体を跳ね返した。ふわっと体が浮かんだ直後に、またベッドに落下する。何度かの振動のあと、祈里は恍惚として天井を見つめた。

「解放感ヤバい……!!」

 大人になるまでなんて待てない。大学生になったら、夏休みに一人旅しよう。祈里は予定を前倒しにした。


 部屋に着いたのは良いものの、府川ふかわまりは目を白黒させていた。

 鍵はカードだった。なるほどこれをタッチするのだな、と思って鞠はドアノブにカードを付けたのだが、全く反応がなかった。場所が違うのかなとノブの下にタッチしたが、そっちも反応がない。

「あれ? あれ?」

 と言いながら、ドアのあちこちにタッチする。

 地元長野を発って約四時間。ようやくここまで着いたのに、まさかこんなところで足止めを食らうとは。早くこの重い荷物を下ろしたいのに……。

 リュックサックにしたのは失敗だった。お母さんの言う通りスーツケースにしておけばよかったなぁと後悔したとき、鞠は声をかけられた。

「タッチじゃなくて、そこの穴に入れるんですよ」

 振り返ると、背の低い少女が立っていた。赤い花のアクセントが描かれたTシャツと短パンを穿いている。顔も、すらりと伸びている腕と脚も、みんな小麦色に日焼けしていた。手にはジュースのペットボトルを持っている。自販機コーナーで買ってきたところのようだ。

 少女はドアノブの上を指差して、

「ほら、そこの」

 と言った。鞠が言われた通りにすると、ピッと音がして鍵が開いた。

「あっ、本当だ! 恥ずかしい……」顔の前でパタパタと手を振った。「どうもありがとう!」

「いえいえ」

 小麦色の少女は手を振って立ち去ろうとしたが、鞠は声をかけて引き留めた。

「きみ、高校生?」

「え?」少女は振り返り、戸惑いながらも答えた。「うん、2年生。明日大会なんだ。あなたも?」

「そうなんだ。私も大会。QKっていう、トランプゲームの大会なんだけど」

「えっ!」鞠が言い終わる前に、少女は声を上げていた。「私も!」

「ほんと!?」

 鞠も目を丸くして驚いた。

「じゃあ私達、ライバルだね。私は長野の松葉まつば高校の府川鞠。きみは?」

「沖縄の海松茶みるちゃ高校の嘉数祈里」

「遠っ」

 鞠は笑った。

「沖縄でもQKやってる人いるんだ」

「うちの高校では、私だけですけどね……」

 祈里は暗い顔で答えた。

「あるあるだね。うちはそもそもQK部じゃなくて、ボドゲ部だし」

「東京とかだと、QK部がいっぱいあるのかな?」

 鞠は首を振った。

「そうでもないみたい。むしろ多いのは北海道とか、大阪みたいだね」

「北海道?」

「うん。しかも北海道は、強い人も多いんだって。白練高校の馬場肇とか」

「馬場さん……あっ、なんか聞いたことある。二年連続で優勝している人でしょ!」

「そう! 今年優勝すれば、大会史上初の、三年連続優勝の人!」

 沖縄の人も知ってるなんて、馬場さんはすごいなぁと鞠は思った。知名度だけなら日本を縦断していることになる。

「今年の優勝候補はその人と、萌葱高校の宝崎伊緒菜って人だって噂だよ」

「そんな噂が?」

「うん。私、情報網だけはすごいから」

 鞠の所属するボドゲ部は、部員がかなり多い。その分、コネも多い。知り合いやそのまた知り合いにQK部員がいるため、彼女らから情報をかき集められるのだ。

「もしよかったら、後で私の部屋においでよ。私が集めた情報、教えてあげる」

「えっ、ありがとう!」

 二人は意気投合していた。


 新千歳空港から羽田空港までは、一時間半ほどで着いてしまう。慣れてしまえば、ちょっと車で出かけるくらいの感覚で東京へ行けてしまうのだ。

「ちょっと早いけど、ここで夕ご飯にしちゃおうか」

 馬場肇は腕時計を見て言った。キャリーバッグを引きながら着いてきた後輩の加賀見かがみ稲荷いなりは、

「はい」

 とだけ短く答えた。

 稲荷の目はクリっとしていて猫のようだが、表情に乏しく、受け答えもそっけないことが多い。本当に猫のようだなと、肇はときどき稲荷をからかっていた。

「和食にする? 魚料理の方が好きでしょ?」

「私、猫じゃありません」

 稲荷はつっけんどんに答えたが、言葉にトゲはない。むしろ、からかわれて喜んでいるようにすら感じる声音だ。

 事実として、稲荷は肇とのやり取りを楽しんでいた。肇は美人で溌溂としていて頭もよくて、憧れの人物だった。そんな肇と二人きりで旅行できるのが、たまらなく嬉しかった。

 肇も、稲荷の羨望は感じ取っていた。小学生の頃から周囲の人気者だった肇は、他人が自分に向ける好意も敵意も、すぐに嗅ぎ分けることができた。人付き合いが多い人は、それだけ人の気持ちを察する能力が磨かれる。そして人の気持ちがわかる人間は、ますます周囲からの人気を得る。正のスパイラルが生まれるのだ。

「魚より肉がいいです。馬刺しが食べたいです」

「セレブだなお前」

 刺しを指定したことに馬場肇は穏やかでない意図を感じつつも、肉には賛成だった。

「よーし、焼き肉か豚カツか、なんかそんな感じの店を探そう! 今日は肉食って体力つけて、明日に控えるぞ!」

 そして今年も伊緒菜を倒すぞ、と肇は心の中で付け加えた。

 あの可愛い舎弟とは、メッセージのやり取りはしょっちゅうしているが、リアルで会うのは一年ぶりだ。さて、どれほど成長しているかな?

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