第7章 全国大会

第57話 8+32

 伊緒菜がトランプカードを五枚、机の上に出した。

 Q、K、7、2、9。

 みぞれはこれらを頭の中で並べ替える。

「9QK27」

 伊緒菜はスマホを使わずに判定した。

「うん、正解。QK27が素数で、その上に9を付けた素数ね」

 夏休みだった。地区予選を終え、期末試験をやり過ごしたみぞれ達は、八月十一日の全国大会へ向けて特訓の日々だった。大会まで、あと二週間ほどだ。

 萌葱高校第二校舎三階の、空き教室。強豪校であることを忘れさせるような質素な部室に、白いセーラー服の少女たちが集まっていた。締め切った窓が、セミの声も運動部の掛け声も遮断している。聞こえるのはエアコンの送風音と、四人の真剣な声だけだ。

「えっと……181、281、881、1181、1381、811、8111」

 机に並べられた8とAのカードを見ながら、慧が数を唱える。津々実はそれを、手元の素数表と比べた。

「お、すごい。全部正解」

 ふぅ、と慧は安堵の息を吐く。津々実はすぐに次のカードを出した。

「じゃぁ、今度はこれ。5、Q」

「えっと……」

 慧は計算した。この並びでは後ろにしかカードを追加できないが、1、7、Kは3の倍数になるので除外できる。そして5Q9は23の倍数だ。さらに、QJが後ろにつくのは2、6、Jの三つだけなので、5QJは素数ではない。

「5Q3?」

 慧は消去法で自信なさげに答えた。津々実は素数表を確認して、

「残念、違うね。って、え、これすごい」

 津々実と慧は、驚いて素数表を覗き込んだ。5Qのあとには、何を付けても素数にならないのだ。

「こういうこともあるんだ。じゃあ、Q5だと?」

 津々実は机の上のカードを入れ替えた。

「Q59とQ5J」

「正解」


 午前中は素数を覚え、午後は実戦を繰り返すのが、ここ一週間のルーチンだった。

「さっきの訓練は、なんで二人のやり方が違ったんですか?」

 昼食のサンドウィッチを食べながら、津々実が尋ねた。伊緒菜は箸を置くと、眼鏡を押し上げた。

「理由は色々あるけど、単純に重点項目が違うからよ。みぞれには五枚や六枚の素数を覚えてもらって、慧には三枚出し素数を全部覚えてもらうつもりでいるの」

「全部……」

 コンビニのおにぎりを両手で持ちながら、慧は途方に暮れたように呟いた。伊緒菜は続ける。

「みぞれには大きい素数を覚える能力があるわ。QKの初期手札は十一枚なのだから、極論を言えば、一枚引いて六枚出しを二回すれば勝てちゃうのよ。みぞれにはたぶん、それができる」

「そうでしょうか……」

 箸をくわえながら、みぞれは小さく言った。

「一方、慧には暗算能力がある。巨大な数でも、1001チェックや2001チェックを駆使して、素数かどうか判定できるわ。そして、三桁や四桁の素数を大量に覚えておくと、そのチェックが高速でできるようになる。だから覚えてもらう」

 1001を引いて数を小さくしていくと、最終的に三桁の数が残る。これが素数かどうか記憶だけで判断できれば、1001チェックをより高速に行えるのだ。

「四桁の素数を覚える必要は?」と津々実。

「身もふたもない言い方をすれば、『ついで』ね。だけど、三枚出し素数を覚えるのは、合成数出しにも有用なはずよ。三枚出し素数の倍数を出せるようになるのだから」

 伊緒菜は箸を持つと、慧を見つめた。

「素数を覚えておけば、合成数の計算に割ける時間が増える。素数かどうかを計算する必要がなくなるからね。あなたには、この状態を目指してもらう」

 同じ説明を、みぞれ達は既に聞いていた。パーティの翌日、伊緒菜が今後の目標として掲げたのだ。そのときは遠大な目標だと思ったものだが……。

 ご飯を一口食べて飲み込むと、伊緒菜は二人に言った。

「口では無理って言ってるけど、本当のところ、できそうな気がしてきているんじゃない?」

 昼食を食べる手が止まる。地区予選が終わってから、一か月が経っている。この間、二人はずっと特訓を続けていた。出会った素数は、もはや数えきれない。同じくらい、覚えた素数だって多いはずだ。事実、今日は9QK27やQ59を覚えていた。

 二人の反応を見て、伊緒菜はにやりと笑った。

「あなた達ならできるわよ」

 伊緒菜の信頼しきった口調に、みぞれはくすぐったくなった。


 昼食を終えると、伊緒菜が三人に告げた。

「いつもなら午後はひたすら実戦をしてたけど、今日はちょっと違うことをやろうと思うわ」

 ちょっと待ってね、と言って伊緒菜はスマホを操作した。すぐに、ある画面を三人に見せる。

「実は今日、これが発表されたのよ」

 三人は画面をのぞき込んだ。飾りっ気のない、表計算ソフトで作ったような表が写っている。そこに並んでいるのは、学校の名前のようだ。その意味は、すぐ上に大きく書かれていた。

『第22回全国高校素数大富豪大会 出場校一覧』

「出場校!」

「そう」伊緒菜は頷いた。「あと、個人もね」

 画面をスクロールすると、同じようなデザインの大きな表が現れた。32人分の名前が書かれている。その中に「古井丸みぞれ」の文字を見つけて、みぞれは照れ臭くなった。

「こんなの、発表されるんですね」

「ええ。そしてこれは、私達にとって重要な情報でもある」

 伊緒菜は表を一枚目に戻した。八つの出場校が、地区順に並んでいる。

「当日誰と戦うことになるかはわからないけれど、この中の三校と戦うことは確実よ」

 伊緒菜は、自分たちが決勝まで進むことを前提に話した。

「そこで今日からは、対戦校や対戦相手に合わせた練習もしていくわ」

「そっか、そういうことも考えなきゃいけないんですね」

 画面を見たまま、慧が感心したように言った。QKで勝つには、ただ自分の力を高めるだけでなく、対戦相手の分析も必要になるのだ。将棋やチェスと同じだ。

 当然、相手の高校も、萌葱高校の分析を行っていることだろう。今ごろ自分たちの人脈を駆使して、地区予選での対戦データを収集しているに違いない。

 みぞれが顔を上げて尋ねた。

「この中で強いところって、どこですか?」

「全国に来るくらいだから、どこも強いけれど」と伊緒菜は前置きしてから、一つの名前を指差した。「まずは、うちね」

 伊緒菜の指先は、「萌葱高校(千葉県)」を示していた。

「そういえば強豪校でしたね、うち」

 みぞれも慧もいまだにピンと来ていないが、萌葱高校は何度も優勝している強豪校なのだ。事実、今回は全国に二人も出場している。

「あとは、ここかしら」

 そう言って、表の一番上に書かれた名前を指差した。「札幌しとらす高校(北海道)」と書かれている。

「北海道……ですか」

「ええ。どういう理由か知らないけど、北海道って強豪校が多いのよ。寒いとQKに強くなるのかしら?」

「単に、学校数が多いだけじゃないですか?」

 慧が指摘すると、伊緒菜は腕を組んで首を傾げた。

「うーん、そうかしら……。まあ、理由はこの際どうでもいいわ。とにかく北海道は強豪校が多くて、特にこのしとらす高校は厄介よ」

 伊緒菜は眼鏡を押し上げた。

「小手先のテクニックに一切頼らず、ただひたすら暴力的に殴り掛かってくる集団なの」

「なんですか、それ」

「要するに、六枚出しや七枚出しを得意としているのよ」

「七枚!」

 みぞれが珍しく大声を出した。みぞれは、やっとこさ六枚が出せるようになってきたところだ。まだ「得意としている」と言えるレベルではない。

「ここの札譜を見ると、初手でKJQJを出したあと、七枚出しして上がり……なんて勝ち方をよくしているわ」

「そんなの、勝てるわけないじゃないですか」

「だから強豪なのよ」

 伊緒菜は肩をすくめた。

「ま、対策は後で講じるとして、他に強いのは……あら」

 画面に目を戻した伊緒菜が、小さく驚きの声を出す。下から二番目に書かれた、中国・四国地方の「南翠みなみみどり高校(広島県)」を指差した。

「知らない高校があるわ」

「え」

「いつもなら、中国・四国は阿波紅あわべに高校とかなのに……何か一波乱でもあったのかしら?」

「急成長した高校ってことですかね?」

 津々実が聞く。伊緒菜は「さぁ」と言って首を傾げながら、画面をスクロールさせた。

「南翠からの個人戦出場は……ひとりいるか。偶然ってわけではなさそうね」

 運良く勝てたのではなく、実力で勝ち取った全国出場と考えてよさそうだ。

 伊緒菜はスマホを手に取ると、「南翠高校」で検索した。学校ホームページを確認する。

「QK部はないみたいね。同好会なんでしょう」

 それがわかったところで、相手の強さも戦略もわからない。どうしたものか、と伊緒菜が思ったとき、彼女のスマホが鳴った。メッセージが届いたのだ。

「あ」伊緒菜は一瞬だけ顔を綻ばせたが、すぐに表情を引き締めた。「お姉ちゃんだ」

「お姉……あ、あの!?」

 みぞれ達はすぐに思い出した。

 伊緒菜の“お姉ちゃん”。と言っても、実の姉ではない。伊緒菜が小学生の頃、近所に住んでいた一歳上の女性だ。伊緒菜がQKと出会ったのは彼女がきっかけであり、伊緒菜は彼女を倒すためにQKをやっている。

 彼女の名前は、馬場ばばはじめ。北海道の白練高校の3年生で、今年ももちろん、全国へ進出していた。

『発表見たよ。個人に二人も出ててすごいじゃん。

 うちも今年は二人行くから、よろしくね』

 メッセージはそれだけだった。友好的だが、「そちらと同じだけの実力がある」という示威行為だった。

「お姉ちゃんのところも、二人来るそうよ」

「それって、強い、ってことですよね」

 みぞれが尋ねた。QKの界隈では、全国に二人出れば強豪、とされている。

「ええ。北海道地区の出場枠は四人だから、相当強いわね」

 画面を戻して、再びスマホを机に置いた。出場者の一覧を見ると、「馬場 肇」のすぐ下に「加賀見かがみ 稲荷いなり」と書かれていた。白練高校の2年生とある。

「ご存知ですか?」とみぞれ。

「いえ、知らないわ。お姉ちゃんに聞いても、たぶん教えてくれないでしょうね」

「あ、なら」と津々実が提案する。「こっちの、札幌しとらす高校の人に聞いてみたらどうですか? 知り合い、いませんか?」

「いなくはないけど。でもどこも、私達に教えてくれる人はいないでしょうね」

 慧が怪訝そうに眉をひそめる。

「どうしてですか?」

「だって、うちは強豪中の強豪、つまり優勝候補なのよ? 優勝候補に、わざわざ相手が有利になるような情報を教える人が、いると思う?」

「あ……」

 孤軍奮闘、四面楚歌。強者ゆえに、周りからの協力は望めないのだ。

「でも大丈夫よ。うちには、先輩たちから伝わる札譜があるから。初出場の相手でなければ、ここからある程度、戦略を推測できるわ」

 伊緒菜は自信満々だった。にやりと笑って続ける。

「それに、お姉ちゃんの手の内はわかってる。お姉ちゃんの後輩なら、戦略もだいたい似ているはずよ」

「あ、そっか。そうですよね」

 みぞれはほっとしたようだが、慧は懐疑的だった。

「そのお姉さんの戦略は、今も変わってないんですか?」

「少なくとも去年はね。人の癖ってなかなか変わらないものよ」

 話はそこまでと言わんばかりに、伊緒菜は手を叩いた。

「それじゃあ、そろそろ練習を再開しましょうか。まずは、そうね、しとらす高校の対策から始めましょう」

 全国大会まで、あと二週間。出場校はどこも、最後の仕上げに取り掛かっている頃だった。

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