第53話 1313

 津々実は嫉妬していた。みぞれが慧と仲の良いことは知っていたが、二人の睦まじい様子を見るのは初めてだった。津々実は、部活でのみぞれを知らないことに気付いた。みぞれがQKを始めて以来、こんなことが何度かあった。津々実はみぞれのことを、まだまだ知らないのだ。

 津々実の想いを他所に、みぞれは自分のカードに向き合っていた。既にシンキングタイムは終了し、みぞれの手番に移っている。

 山札から一枚ドローし、みぞれの手札は十二枚になっていた。A、A、2、3、4、4、4、6、8、J、K、K。二桁カードは三枚、4が三枚。偏ったカードだ。

 二枚出しや三枚出しは危険だろう。慧はこれらに対し、異様な強さを発揮する。合成数出しで、相手より早くカードを減らせるからだ。必然的に、出すカードは四枚出し以上、できれば五枚出しということになる。

 幸いにも手札に4が三枚もあり、しかも8や6もある。偶数消費型の素数が出し放題だ。みぞれは、4を使った偶数消費型素数を次々と記憶から引き出した。

 4Q7、444A、94849、4989四苦八苦QK、……。

 記憶と手札を突き合わせ、出せる素数を探す。一分ほどで、みぞれは都合の良い素数を発見した。

 4JQK4111213は素数だ。この四枚は手札にはないが、4JA2K4111213の五枚は手札にある。これを足掛かりにできないか?

 手札を並べ替えたとき、みぞれは別のことに気付いた。4JA2Kを並べ替えた42AJKも素数だったはずだ。こちらの方が大きい。出すならこっちにすべきだ。

 これは五枚出し七桁の素数だ。もう少し大きくできないだろうか、とみぞれは欲張った。二桁カードはJ、K、Kの三枚あるから、もう一桁増やせるはずだ。

 42AJKとよく似た素数を見た記憶がある。たしか、42JKKも素数になったはずだ。手札の二桁カードをすべて使って、五枚八桁の素数が出せる!

 みぞれはこの五枚を移動させ、残りの手札を睨んだ。A、A、3、4、4、6、8。これらで作れる素数は、すぐに思い出せた。

 8644Aと、A3。

 これで、手札をすべて使い切れる。

 まず8644Aを出す。慧がこれに何かを返して来たら、42JKKを出す。それで親を取れれば、最後にA3を出してみぞれの勝ちだ。

 みぞれは顔を上げた。慧は髪をいじりながらカードを見ていたが、みぞれがカードを抜き取ると、気配に気付いてこちらを見た。

「8644A!」

「86441は素数です」

「五枚……」

 慧は枚数を確認した。驚いている様子はなかった。彼女はこの展開を予想していたのだ。

 みぞれは記憶力が良い。反面、慧は暗記が苦手だ。ならば、みぞれの最善手は巨大素数を出すことだ。慧にも、それはわかっていた。

「一枚引きます」

 慧はまずドローして、手札を十二枚にした。そして、あらかじめ決めていた五枚のカードを場に出した。

「QT882」

「……えっ」

 反対に、みぞれは慧の手を予想できていなかった。

 偶数。これは明らかに素数ではない。カマトトだ。

「1210882は素数ではありません」

 判定員が形式的に述べ、慧にペナルティを渡す。

「カマトト……?」

「みぞれちゃんに勝つには、たぶんこうしないと無理だから」

 慧の手札が十七枚に膨れ上がった。これでいい。合成数出しには枚数が必要だ。これだけあれば、みぞれが何枚出ししても対応できる自信があった。

 対するみぞれは、作戦に自信が持てなくなっていた。元の作戦通り、42JKKを出して、果たして親が取れるか? これより大きな五枚出しなんていくらでもある。慧がそのどれかを出さないと、言えるのか?

 伊緒菜ならどう考えるだろう、とみぞれは想像した。あの人なら、慧はすべての二桁カードを持っていると仮定するはずだ。手札は十七枚もあるし、QとTを持っていることは既に確定している。

 例えば、慧はいまQT882を出したが、82TTJは素数だ。もし慧がこれを覚えていたら? みぞれの42JKKにカウンターされたら、みぞれは残り手札一枚で子になってしまう。この事態は避けたい。

 実際には、慧はそんな複雑な素数は覚えていなかった。みぞれは、自分が覚えているのだから慧も覚えているだろう、と安直に考えていた。慧の力量を読み違えていたのだ。

「24A」

 結局、みぞれは安全策に走った。三枚出しなら、残る手札は四枚。3、J、K、Kだ。仮に慧にカウンターされても、三枚出し最強のKKJを返せる。それで親を取れば、3を出して勝ちだ。

 この作戦は、ほぼ勝ち確だ。失敗するのは、慧が次の一手でKKJを出す場合と、次の一手で十七枚の合成数出しをする場合だ。しかし、KKJを出されても、依然みぞれの有利は変わらない。親になった慧が三枚出しをすればKKJを出せるし、四枚出ししても3KJKを返せる。そして、さすがの慧といえど、十七枚の合成数出しはできないだろう。

 慧は場と手札を比較して、静かに興奮していた。三枚出しなら勝てるのでは? 慧の手札にも、KKJがあった。これを出せば、確実に親が取れる。いや、それだけではない……。

 内心の興奮を隠すように、努めて冷静に、慧はカードを出した。

「69A」

「691は素数です」

 順調な流れだ。みぞれも慧も、互いにそう確信していた。これは、勝てる流れだ。

「合成数出しじゃ、ないんだね」

 みぞれが聞いた。慧は小さく頷いた。

「うん。今はまだ、その必要はないから」

「そんなに手札があるのに?」

「うん」

 慧は自信あり気だった。みぞれは、KKJを持っているのかな、と考えた。慧の今の手札は十四枚、KKJを除くと十一枚。もしかしたら、十一枚の合成数出しを覚えていたか、計算したのかもしれない。

 それはあり得そうに思えた。だが、その計算はもはや、役に立たないものだ。みぞれは笑顔でカードを出した。

「KKJ」

 三枚出し最強素数。慧は、これに勝てない。

 ……はずだった。

 慧は目を輝かせていた。そして一枚ずつ丁寧に、場と素因数場にカードを並べた。みぞれが目を丸くすると、慧は嬉しそうに微笑みながら宣言した。

2^4×283×29西に婆さん着くKKQ131312!」

 十枚の合成数出し! これより大きな三枚出しは、KKKしかない。だが、それをこの場で出すのは不可能である――既にKが四枚すべて使われているからだ。

「合ってます」判定が下された。「合成数出し、成功です」

 みぞれは慧を見つめた。慧はまだ、嬉しそうに微笑んでいる。みぞれも微笑み返した。

「すごいね。これを狙ってたんだね」

「うん。2が三枚も必要だから、滅多に出せる合成数じゃないけど……念のため、覚えておいてよかった」

 みぞれはドローせずにパスした。みぞれの手札は3が一枚だけ。

 慧は残り四枚だ。みぞれは、慧がその四枚を出して勝つものだと思っていた。しかし慧はそのまま固まっていた。

「……どうしたの?」

「ちょっと、待って」

 慧に残されたカードは、5、8、T、Jだった。最初から持っていた8とTが、そのまま残っている。

 一枚の素数は、5とJだけ。みぞれの残り一枚はKではあり得ないので、Jを出せば親が取れる。が、あまり意味はない。残りの8とTでは素数が作れないからだ。

 二枚出しは8Jのみ可能。みぞれはこれに返せないだろうから、慧の手番になるが、5とTでは素数にならない。Aでも引ければ5TAが素数だが、そんなに都合よくドローできないだろう。

 三枚出し素数は作れない。慧は一分かけて計算した。5TJは29の倍数、T5Jは23の倍数、8TJは7の倍数、T8Jは19の倍数だ。

 残りは、四枚出しだ。一枚目にはJしか使えないので、残り三枚をどう並べるかを考えなくてはいけない。

 慧は三分かけて計算した。

 58TJは……1001チェックも969チェックも2001チェックも通る。29までの素数では割れない。

 5T8Jは、1001チェックで7の倍数だとわかった。85TJも7の倍数、8T5Jは13の倍数、T85Jも13の倍数、T58Jは19の倍数だ。

 可能な組み合わせ六通りのうち、五通りが素数でない。つまり、慧に与えられた選択肢は一つしかない。

 素数かどうかはわからない。が、素数の可能性があるのはこれだけだ。慧は静かに四枚のカードを並べた。

「58TJ1011

 みぞれが小首を傾げてカードを見た。彼女も、これが素数かどうか、覚えていないようだ。

 判定員がタブレットを操作し、判定を下した。

「581011は、素数ではありません」

「っ!」

 慧は息を呑んだ。こんな偶然があるだろうか。5、8、T、Jは、どう並べ替えても素数が作れない組だったのだ。

 判定員から、四枚のペナルティを受け取った。手番がみぞれに移る。彼女は、手にしていた最後の一枚を、場に出した

「3」

「3は素数。よってこの試合、古井丸選手の勝利です!」

 慧は大きなため息とともに、手札をテーブルに置いた。

「58TJは、素数じゃないんだね」とみぞれ。「並べ替えたら、素数にならない?」

「ならない」慧は首を振った。「六通り、全部計算したの。58TJ以外は、29までの素数で割れる。58TJは……ちょっと、わからないけど」

「さっき69Aを出してたけど」とみぞれが記憶をたどった。「あそこで、8TAを出していれば、良かったんじゃない?」

「え?」

 慧も記憶をたどった。KKQの合成数出しを除くと、慧の手札は6、9、A、5、8、T、Jの七枚。69Aの代わりに8TAを出していたら、残りの手札は6、9、5、J。

596Jご苦労ジャック!」慧は素数を叫んだ。「そっか、この順番で出せばよかったんだ……。みぞれちゃんの24Aにつられて、小さい素数出しちゃった」

 みぞれがくすくすと笑った。

「伊緒菜先輩が、よくそういう出し方するからね」

「じゃあ、負けたのはあの人のせいか」

 慧は冗談を言って微笑んだ。みぞれもまだ笑っている。

 なんだか雰囲気が和やかだった。とてもここが、全国進出を決める分水嶺とは思えない。まるでいつもの部室のようだ。

 だがここは、確かに正念場だった。ここはQK大会地区予選の会場で、いまは敗者復活戦の決勝戦。

 次の試合で勝った方が、全国へ行ける。


 その最後の試合は、あまりにあっけなく終わった。

「いやー、驚いた!」実況部屋の成田が、一日の最後の体力を振り絞り、称賛を送った。「見事! 鮮やか! こんなストレートな勝ち方があるでしょうか! 今日のMVPは彼女に決まりですね!」

「いったい何人MVPがいるんですか」小西は突っ込みながら、ホワイトボードに書いた札譜を見た。「鮮やかでしたが、動き出しは遅かったですね。やはり、この最後の素数を思い出すのに時間がかかったんでしょう。とても覚えやすいのに、とても見つけにくい、盲点のような素数ですから」

 成田はちらりと時計を見た。表彰式の予定時刻まで、まだ余裕がある。興奮が冷めぬまま、ホワイトボードを眺めた。

「せっかくですから、今の試合を振り返ってみましょう」

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