第52話 1:13
伊緒菜は実況部屋へ来ていた。体育ホールよりもこちらの方が、二人の表情もカードもよく見える。ノートとシャーペンを手に、札譜を取る準備をした。
実況部屋は混んでいた。二十以上ある座席は満席だ。大会に参加しているほぼ全選手が集まっている。伊緒菜は部屋の一番後ろで、壁に寄りかかって立ち見することにした。
「さあ、いよいよ本日最後の試合! この試合の勝者が、全国行きの最後の切符を手にします!」
成田は興奮した様子で喋った。既に四時間近く喋り続けているはずだが、そのテンションは衰えを知らない。むしろますます強くなっている。
「しかもこの二人は、同じ制服を着ています。つまり、同じ高校の選手ということです! 小西さん、どこの選手ですか?」
小西は資料を確認せず答えた。
「萌葱高校です。全国常連の強豪校ですね」
「まさかの、強豪校での同校対決! しかもこの二人、学年も同じ一年生のようです! さあ、全国へ行くのはどちらでしょうか!?」
伊緒菜は腕を組みながら、二人のトークを聞いていた。近くで立ち見していた吉井史が、そばに寄ってきた。
「盛り上がってるね?」
「それはそうでしょう。客観的に見て、これほど盛り上がる展開もありません」
「宝崎は、どっちが勝つと思う?」
伊緒菜は眼鏡を押し上げて、史を見上げた。
「実力は伯仲しています。入部したての頃はみぞれの方が強かったですが、最近の戦績ではそうでもありません。しかも二人は、プレイスタイルが違います。どっちが勝つか、私にもわかりません」
みぞれが暗記した巨大素数で叩くパワータイプなら、慧は計算力で合成数を駆使するテクニックタイプだ。伊緒菜もどちらかと言えばパワータイプなので、はっきり言って、慧の実力を読み切れていないところがある。もし慧がテクニックタイプの人間にQKを教わっていたら、今よりもっと強くなっていたかもしれない。
伊緒菜は深呼吸して、画面を見た。みぞれと慧が、神妙な面持ちで先攻を決めるカードを引いた。
津々実はみぞれと慧の横顔を、交互に見た。二人はまだ、自分の態度を決めかねているようだった。遠慮せずに叩き潰すか、多少手加減をするか?
ホールに残った選手は、津々実を含めて十人もいない。観戦者は選手よりも、スタッフの方が多かった。特に素数判定員たちは、もうやることがないのか、リラックスした様子で興味深そうにステージを見ていた。
「どっちが勝つと思う?」
体育ホールに残っていた遠海姉妹が、津々実の背後でこそこそと話している。ホール内はそこかしこから、こそこそと話し声が聞こえていた。
「やっぱり剣持ちゃんだよね?」と美衣。「合成数出しで一気に詰められるのは、強いよ」
「いや、古井丸ちゃんだよ」と美沙。「そう都合よく、合成数ばっかり出せないって。古井丸ちゃんが四、五枚出しを連打して勝っちゃうて」
あの双子でも意見が分かれるのか、と津々実は意外に思った。
「ではこれより、五位決定トーナメント決勝戦、古井丸みぞれ選手と剣持慧選手の試合を始めます。まずは両選手、カードドローをお願いします」
判定員がテーブルの上で、トランプを扇状に広げた。みぞれがすぐに一枚抜き取り、慧も一拍遅れて一枚取った。
判定員の合図で、同時に表に返す。判定員がカードを確認した。
「古井丸選手がハートのA、剣持選手がスペードのK。よって先攻は、剣持選手です」
カードが回収され、再びシャッフルされる。そして、二人に十一枚ずつ配られた。
「ではこれより、一分間のシンキングタイムを始めます」
タイマーが動き出した。二人は同時にカードを手に取った。
カードを見ながらも、慧の頭の半分は、みぞれのことを考えていた。
全国へ行くには、みぞれを倒さないといけない。そうすれば当然、みぞれは全国へ行けない。自分はみぞれを蹴落としてまで、全国へ行きたいのか? 自分はそこまでQKに真剣だろうか。
慧は以前から密かに、みぞれに感謝していた。慧の数学好きを、初めて受け入れてくれた人だからだ。それが嬉しかったから、慧はQK部に入った。つまり慧の目的は、QKではなく、みぞれだった。彼女と仲良くなりたかったのだ。
もしここで慧が勝ったら、みぞれは落ち込むだろう。それは嫌だった。では、わざと負けるべきか。
慧は眉根を寄せた。それも嫌だった。きっかけはどうあれ、慧はQKを始め、今ではすっかりQKに夢中になっていた。数学の次ぐらいに好きだ。そして、好きなもので手を抜くのは、もうたくさんだった。
全力で戦おう。慧はそう決めた。その結果みぞれが負けたとしても、そのときはそのときだ。今はただ、好きなことを思いっきりやるだけだ。
みぞれもまた、カードを見ながら慧のことを考えていた。
こんなとき、津々実ならどうするだろう。津々実は目的のためには手段を選ばない人だ。こう言うと語弊があるが、目的をきちんと定めたら、そこへ向けて適切な手段を考え、行動するということだ。仮にその手段が、あまりやりたくないことだったとしても、目的の達成を優先する。
みぞれの目的は、津々実のようになることだ。自信に溢れ、実力も伴っている素敵な友人のように。その手段として、ひとつでいいから、何かで一番になろうと思った。これだけは誰にも負けないと胸を張れるものがあれば、それはきっと自信につながる。
“誰にも”負けない。たとえ相手が慧であっても、みぞれは負けるわけにはいかないのだ。
勝とう。みぞれはそう決めた。慧を倒して、わたしは全国へ行く。
「シンキングタイム終了です。これより、剣持選手の持ち時間となります」
慧は改めて手札を見た。二桁カードが三枚、奇数が七枚、偶数が四枚。カードのバランスは良い。特に、A、2、5、Tが手札にあるのが良かった。これらが揃うと、一の位がAの素数を使って、〇A×2×5=〇Tという合成数出しができる場合がある。
そのためには、〇の部分のカードが二枚ずつ必要だ。しかし慧の手札は、一枚ずつのカードばかりだった。これでは、この合成数出しはできない。
他に良い合成数出しはないだろうか。あのみぞれに勝つには、合成数出しを駆使して、一度に大量枚数を消費するしかないだろう。慧はそう考えて、合成数出しを探した。
2があるので、2のべき乗を出せないだろうか。慧は下から順番に探した。
2、4、8、A6、32、64、A28――これは出せる――、256、5A2――これも出せる――、T24、……。
慧は2の
慧は語呂合わせを思い出し、簡単なかけ算を繰り返した。
みぞれも改めて自分のカードを見た。A、2、2、3、3、4、6、9、J、K、ジョーカー。二桁カードは少ないが、ジョーカーがある。ジョーカーを使えば二枚出し最強のQKも、三枚出し最強のKKJも出せる。
カードを並べ替えるうちに、ひとつの分け方を思いついた。
ジョーカーを
みぞれはじっと、慧の表情を伺った。長い髪をいじっていた慧は、急にその手を止め、カードを並べ替えた。
「合成数出しします」宣言すると、慧は場と素因数場に、カードを出した。「2^
「合ってます、合成数出し、成功です」
四枚だ! しかし、これではダメだ。8192は、6421より大きい。作戦通りには進められない。しかも慧は、今の一手で六枚消費した。残り手札は五枚だ。あれが、強い四枚出しと、一枚出し素数に分かれている可能性は高い。
中途半端な強さのカードを出すより、ここは出せる最強の手を出すべきだろう。ここで、慧の持つ強い四枚出しを超える素数を出せなければ、みぞれは負ける。
「ジョーカーをTとして、9KTJ!」
「9131011は素数です」
タイマーが切り替わる。慧は場と手札の間で何度か視線を往復させたあと、
「パスします」
と宣言した。
みぞれはホッとしたが、ここからが問題だった。残りは七枚。642A、233。どちらから先に出しても、もう片方を続けて出すことはできない。
「ドローします」
みぞれは手札を八枚に増やすことにした。なんとか、四枚ずつの組に分けられることを祈りながら。
引いたカードは9だった。手札はすべて、一桁のカードだ。少し、分が悪い。それに、この八枚は四枚ずつに分けられただろうか。
2と3があるから、
慧の持つ素数が何かわからないが、なるべく大きな素数を作った方が良いのは確かだ。すると、9を頭に持つ素数を考えた方が良い。それはこの手札なら、例えば9623がある。これを除くと、残りはA、2、3、4。この組み合わせでできる素数は覚えている。423Aだ。
四枚ずつに分けられた。423Aを出し、次に9623を出す。慧がこれより大きい素数を持っていなければ、みぞれの勝ちだ。
「423A」
「4231は素数です」
みぞれが出したカードを見て、慧は眉をひそめた。四枚出し素数を用意しているので、みぞれが四枚出ししてくれたのは好都合だ。だが、あまりにも都合がいいと、何か裏があるんじゃないかと深読みしてしまう。みぞれの残り手札も、四枚だし……。
並べ替えて強い素数が作れないだろうか、と慧はしばらく考えたが、記憶にもなければ、計算できる桁数でもない。慧は諦めて、用意していた素数をそのまま出した。
「
「101117は素数です」
これは、慧が覚えている数少ない四つ子素数のひとつだ。残り手札は一枚。みぞれがこれに返して来なければ、慧の勝ち。
みぞれは手札を一瞥したあと、すぐに一枚ドローした。だが、良いカードは引けなかったようである。
「パス……」
場が流される。慧は最後の一枚を出した。
「5」
「5は素数。よってこの試合、剣持選手の勝利です!」
なんとか勝てた。ふぅ、と慧はため息を吐いた。判定員がカードを回収するのを眺めながら、ふと言った。
「もしかして、私いま、すごく危なかった?」
「え、そうなの?」
みぞれはきょとんとして、首を傾げた。
「だって私、最初の2^Kのあと、TJA7で親を取るつもりでいたから……。でも、みぞれちゃんが9KTJを出してきたから、それができなかった」
「それって、つまり……」みぞれは少し考えてから言った。「わたしは、TJA7より小さい素数を出していれば、勝ててたってこと?」
慧は頷いた。
例えば、慧の2^Kに対して、みぞれが9623を出したとする。そしたら慧はTJA7を返し、残り一枚になっただろう。みぞれはそれに対し、ジョーカーをKとして3KKJを返せば、慧は手も足も出ない。手札が一枚しかないからだ。最後に残った42Aを出せば、みぞれが勝っていたのだ。
「TJA7で親を取れるかなって思ってたんだけど、結構、甘い考えだったみたいね」
と、慧ははにかんだ。みぞれも釣られて微笑みながら、
「よく考えたら、わたしもそうだよ。慧ちゃんが残り五枚のときに親が取れたんだから、あそこは五枚出しか六枚出しすればよかったんだよ。そうすれば、慧ちゃんは返せなかったかもしれないもん」
二人は照れ臭そうに笑いあった。お互いに、凡ミスをしていたのだ。
「なんか、微笑ましいですね」
成田は画面の中の二人の仕草に、頬を染めていた。
「たまにはこういうのも、可愛らしくて良いですね?」
「そうですね」
小西も恥ずかしそうに頬を掻きながら答えた。
「普段の部活では、こんな感じなんでしょうね、きっと」
「いいなあ、女子高生。可愛いなぁ」
「その発言危険ですよ、成田さん」
部活での二人を知る伊緒菜は、確かに普段の二人はあんな感じだな、と思った。リラックスしてきた証拠だろう。良い傾向だ。
それからふと、津々実が嫉妬してなければ良いな、と思った。
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