第51話 64

 スタッフに呼ばれ、伊緒菜は渋々ステージに上った。対戦テーブルには、背の高い艶やかな黒髪の少女が座っていた。決勝戦の対戦相手、大月瑠奈だ。瑠奈はやっと席に座った伊緒菜を、鋭い眼光で眺めた。

「落ち着かない様子だな? さっきの試合でも、そうだった」

「見てたんですね」

「途中からだがな」

 伊緒菜は深呼吸した。ステージ下に引っ張られていた意識を、テーブルの上に引き上げる。それを見て、逆に瑠奈がステージ下に視線を送った。二つの対戦テーブルで、五位決定戦の一回戦が行われていた。

「あそこに、君の後輩が二人ともいるんだったな。片方は二本目が始まったばかりだ。二人とも長考タイプだから、長引いている。もう片方は、三本目が始まっている。うちの陽向が、しぶとく粘っているようだね」

 伊緒菜は瑠奈から視線を逸らすことなく、にやりと笑った。

「どうしてわざわざ、そんなことを話すんでしょう? 私を動揺させようとしているんですか?」

「さぁな」

 白を切るように、瑠奈はテーブルの上で手を組んだ。伊緒菜はまた、にやりと笑う。

「まあ、瑠奈さんほどの人が、私ごときを動揺させようとなんてしませんよね。まさか、そうしないと私に勝てないなんて、思ってるはずありませんから」

「……」

 瑠奈が、眉を一瞬引きつらせた。伊緒菜は、私を揺さぶろうなんて百年早いですよ、と心の中で呟いた。

 もっとも、落ち着かないのは本当だ。ステージ下で行われている勝負がどう決着するのか、気になって仕方がない。

 だがそれよりも、自分の試合に集中しよう、と伊緒菜は決めた。ようやく強い相手と戦える。美音はそこそこ強かったが、苦戦という程でもなかった。瑠奈相手なら、互角くらいにはなるだろう。

「私、瑠奈さんと戦うのは、楽しみにしていたんですよ。強い人と戦うのが好きなんです」

「それは光栄だな。昨年の準優勝者に、実力を認められているとは」

「ええ。ですから、私を楽しませてくださいね?」

 にやりと笑う伊緒菜を見て、食えない奴だな、と瑠奈は思った。陽向とは正反対のパーソナリティだ。

「始めてよいですか?」

 火花を散らす二人に、素数判定員が遠慮がちに声をかけた。二人は、同時に「お願いします!」と頭を下げた。

 判定員がカードを扇状に広げる。ドローの結果、先攻は伊緒菜になった。

 二人に十一枚ずつ、カードが配られた。瑠奈は自分のカードを見て、驚いた。

 3、8、5、7、9、T、J、Q、Q、K、K。二桁カードが六枚もある。これは余程へまをしない限り、簡単に勝てるカードだ。

 シンキングタイムの一分間、伊緒菜は瑠奈の様子を観察していた。余裕の表情をしている。かなり良いカードが来たようだ。瑠奈の視線は、カードの上を行ったり来たりしていた。瑠奈はあまりカードを並べ替えないようだ。

「シンキングタイム終了です。ここから、宝崎選手の持ち時間になります」

 自分の手番になると、伊緒菜はすぐに山札から一枚ドローした。出てきたカードはAだった。伊緒菜は少し悩みながら、カードを並べ替えた。

 その間、瑠奈も自分のカードを見ながら、考えていた。伊緒菜が何枚出しで来るかわからないが、傾向として、彼女は三枚か四枚で来ることが多い。六枚出しはあまり覚えておらず、五枚は十二枚の約数ではないからだろう。試合開始後、一枚ドローして手札を十二枚にし、三枚ずつ四ターンで上がるか、四枚ずつ三ターンで上がるのが好きなようだ。

 ずっと無言だった伊緒菜が、ようやくカードを場に出した。

116411

「116411は素数です」

「ほう、そう来たか」

 瑠奈はテーブルから視線を上げて、伊緒菜の目を見た。赤縁の眼鏡の奥から、知的な目が見つめ返してくる。

「意外な手でしたか?」

「そうだな、私ならそうは出さない」

 瑠奈は、人差し指で場のカードを指差した。

「これは並べ替えて強くできる。上位互換は6J4J。何か理由がない限り、私なら6J4Jの形で出す」

「なるほど、さすがですね」

 伊緒菜は感動のこもっていない声で返事をした。瑠奈は怪訝そうに、

「前から気になっていたんだが、君はもしかして、上位互換を覚えていないんじゃないか?」

「さあ、どうでしょう?」

 今度は伊緒菜が、白を切った。瑠奈は伊緒菜の目を見つめたまま、

「上位互換を覚えていないのは、語呂合わせや関連付けで覚えている人間の特徴だ。今の出し方は……J二枚に挟める素数を、関連付けて覚えているんじゃないか? 『J4Jは素数だが、4だけでなく64も挟める』といった具合に」

「さあ、どうでしょう?」と、伊緒菜はまた答えた。「仮にその覚え方なら、『J4Jの前に6を付けても素数になる』と覚えそうですけど?」

「なるほど、確かにそうだ」

 瑠奈はあっさりと認めた。詮索するつもりはないようだ。

 彼女の指摘は、全くの間違いではなかった。伊緒菜は、素数をグループで覚えることが多い。例えば「6427は素数だが、64271も素数」といった具合に。J64Jを覚えていたのは、「64」をパーツに持つ素数を覚えているからだった。

「君がJ64Jを覚えていて6J4Jを覚えていない理由は知らないが、弱点の一つには違いない。君には、少なくとも二つの弱点がある」

 瑠奈は右手でVサインを作った。

「一つは、上位互換を覚えていないこと。もう一つは……」

「もう一つは?」

 瑠奈は首を振って、Vサインをひっこめた。

「言うはずがないだろう。いや、『言うまでもないだろう』と言うべきか。君なら、自分の弱点くらい気付いているはずだ」

 伊緒菜は何も答えずに、ただ瑠奈を見つめていた。

「無駄話は終わりだ。私の持ち時間を、これ以上減らすわけにはいかない」

 瑠奈はそう言ってから、手札に視線を戻した。

 伊緒菜のもう一つの弱点は、実況部屋で成田も指摘していた。彼女は、低確率の可能性を排除する傾向がある。だが、それは伊緒菜に限った話ではない。陽向や瑠奈でも、そういう思考はする。いちいち低い可能性にまで配慮していられないからだ。

 それを頭に入れたまま、場のカードをもう一度見る。J64J。伊緒菜は四枚出しにも関わらず、Jを二枚も使った。これは少し不自然だ。四枚八桁の素数は、すべてJを一枚以上使う。四枚出しで、Jは重要なのだ。初手からJを捨てたのは、そもそも八桁が作れない手札だからかもしれない。

 ……と、瑠奈に思わせるために、Jを二枚使ったのかもしれない。もしかしたら、まだJを持っているのでは? 瑠奈の手札にはJが一枚あるので、伊緒菜が持っているJは最大一枚。あとはジョーカーがあるかもしれない、という程度だが……。

 もし伊緒菜が八桁を作れないなら、瑠奈はQ7QK、9KTJの順に出せば、親を取れる可能性が高い。そしたら残りの853を出して、瑠奈の勝ちだ。

 だが、わざわざ危険を冒す必要はないだろう。伊緒菜は八桁を持っているかもしれないし、持っていないかもしれない。そのどちらであっても、瑠奈の出すべき手は変わらない。

「私の最善手はこれだ。KJTK」

「13111013は素数です」

 瑠奈の残り手札は、3、5、7、8、9、Q、Q。ここで親が取れたら、57でまた親を取り、8Q9Q3を出せば勝ちだ。

「そう来ましたか」

「意外か?」

「少し」

 瑠奈はカードを伏せて言った。

「確かに、何を出すべきか、少し悩んだ。Jを二枚も使ったから、君は八桁を出せないんじゃないか、とも思った。だが、それはそう思わせるためのブラフにも見えた。だからここは、出せる最強の手を出すべきだと判断した。これより強い素数はKJQJだけで、これにはJが二枚必要だ。しかし、Jはもう、あと一枚しかない」

 伊緒菜はため息を吐いた。

「やはり、ブラフは見抜かれますか。小さい手を出させようとしたんですが」

「すると、八桁は出せるんだな? だがそれは、KJTKより小さい……」

「いいえ」

 瑠奈の言葉を遮って、伊緒菜はにやりと笑った。

「小さい手というのは、『最強じゃない手』という意味です。ジョーカーをJにして、KJQJ!」

「13111211は素数です」

「なっ!」

 Jとジョーカーを持っている可能性は、低いので排除していた。運の悪いことだ。

「私のもう一つの弱点は、そのまま瑠奈さんにも当てはまりそうですね?」

 伊緒菜は挑発した。

「そうだな。まさか、その二枚を持っているとは思わなかった」

「私も心配していたんです。もしかしたら瑠奈さんは、Jとジョーカーを持っていて、KJQJが出せるかもしれない、と。でもその可能性は低いので、無視しました」

 瑠奈は首を振った。

「今回はこっちの運が悪かったということか」

「ええ。QKは、暗算能力と記憶力、そして運の、三つが揃って初めて勝てるゲームですから」

 瑠奈がパスし、判定員が場を流すと、伊緒菜は最後の四枚を場に出した。

789。フランス革命素数です」

「下位互換だな」瑠奈はカードをテーブルに置いて言った。「逆順にした、9871も素数だ」

「そうなんですか」

 二人ともこれが素数だと知っていたが、形式的に判定員の宣言を待った。彼女はタブレットを操作し、判定を告げる。

「1789は素数。よってこの試合、宝崎選手の勝利です!」

「まずは一敗か」瑠奈は手を組んだ。「だが、運で負けたのなら、次は勝てる」

「どうしてですか?」

「毎回運が悪いなんてことは、ないからだ」

「なるほど」伊緒菜はにやりと笑った。「でも、私の方が、実力が上かもしれませんよ?」

「それは、次の試合ではっきりするだろう」

 楽しい、と伊緒菜は思った。自分と互角の相手と戦えるのは、なんと楽しいことだろう。

 伊緒菜の最終目標は、もちろんあの人を倒すことだ。幼い頃に出会った、ライバルとも師匠とも呼べる人物、馬場ばばはじめ。彼女を倒すことが至上命令であったが、それだけが大会参加の目的ではない。伊緒菜は、自分より強い相手と戦い、そして勝ちたかった。

 地区予選程度では、伊緒菜より強い相手はほとんどいない。だから伊緒菜は、瑠奈と戦えるのを本当に楽しみにしていた。


 そして、伊緒菜は、今。

 喜びに打ち震えていた。

「パス」

 瑠奈がパスを宣言し、伊緒菜が出したQK1213が流された。伊緒菜の手札は残り五枚。5、7、9、T、3だ。57でグロタンカットし、9T3で勝つ。勝ち確だ。伊緒菜の優勝が決まった。

 57を出そうとした、そのときだ。

 体育ホールに残っていた数人の選手たちが、ざわついた。思わず、ホールを見てしまう。瑠奈もホールを一瞥すると、すぐ視線を伊緒菜に戻した。

「どうやら、君が恐れていた事態になってしまったようだな」

「……」

 覚悟していたが、実際になってしまうと動揺した。

 五位決定戦の一回戦が、両テーブルとも同時に終わった。勝ったのは、みぞれと慧だった。

「試合中に長時間周囲を見ていると、カンニングと見なします」

 判定員が冷静に忠告した。伊緒菜はパッとテーブルに向き直った。瑠奈がカードを伏せて置き、伊緒菜の表情を眺めていた。

「敗者復活戦は、君の後輩たちの一騎打ちだ」

「……二人が敗者復活戦に回った時点で、どちらか一人しか全国へ行けないことは確定していました。わかっていたことです」

「そうか」

 瑠奈は手を組んだ。伊緒菜は、とにかくこの試合を早く終わらせて二人と話そう、とカードを出した。

「57」

「57はグロタンカットです」

 判定員が場を流す。カチッとタイマーが動くと、伊緒菜は瞬時に最後の三枚を出した。

「9103」

 瑠奈はため息とともに目を閉じだ。判定員は形式的にタブレットを操作し、宣言した。

「9103は素数! よってこの試合、宝崎選手の勝利です。また、これにて宝崎選手は二本先取となりましたので、この勝負、宝崎選手の勝利です。よって、南関東地区予選、優勝は宝崎伊緒菜選手です!!」

 よし、勝った! 伊緒菜は「ありがとうございました!」と頭を下げると、すぐにステージを飛び降りた。

 目の前には、伊緒菜の試合終了を待っていた三人がいた。津々実と慧、そしてみぞれ。

「優勝おめでとうございます、伊緒菜先輩!」

 伊緒菜は少しだけ顔をほころばせると、

「ありがとう。でも今は、二人のことが気になるわ」

 そう言うと、慧とみぞれが顔を見合わせた。それから二人して、不安そうな目で伊緒菜を見た。

「伊緒菜先輩、どうしたらいいですか?」

「まさか、こんなことになるなんて、思ってませんでした」

 伊緒菜は眼鏡を押し上げると、二人の肩に手を置いた。

「私も予想外だったわ。でも、なってしまったものは仕方ない。二人とも、相手の心配はせずに、全力で戦いなさい。これが地区予選の最後の試合なんだから。悔いのないように、ね」

 にこりと笑顔を作って、続ける。

「かえって良かったと考えなさい。いつもの部活みたいに、楽しんで試合すればいいわ。疲れも緊張もピークだろうけど、慣れた相手なら緊張はしないでしょ?」

 伊緒菜は二人の後ろに回ると、背中を押してステージ上に向かわせた。二人は戸惑いながらも壇上に上った。

「全力、出せますかね?」

 津々実が小声で聞いた。伊緒菜は「わからないわね」と首を振った。

「でも、たぶん二人とも、出すわよ。慧は負けず嫌いなところがあるし、みぞれはあれで、勝敗にこだわるタイプだから」

 素数判定員が席に座った。長かった地区予選も、これが最後の試合だ。

 全国行きの最後の一枠が、これで決まる。

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