第44話 36679
「まさか、私がステージに呼ばれるなんてね」と遠海美衣は歯を見せて笑った。「注目選手が呼ばれるって話だったけど……注目されてるのは私ときみと、どっちなんだろうね?」
挑発するような笑顔だった。千草高校一年の
「あんたに決まってるっすよ。団体戦の萌葱とのバトル、大盛り上がりだったじゃないっすか」
汐音は唇を尖らせながら、目の前の相手が先鋒だったか中堅だったか、思い出そうとしていた。顔も名前もそっくりなので、区別がつかない。
スタッフに誘導されて、席に座る。美衣はカメラを意識した。ステージの手前に一台、テーブルの上に一台、そして二人の背後に一台ずつ。合計四台のカメラが、二人の対局を睨んでいる。
既に何試合か終了し、戦いを終えた選手たちがいる。彼女らは控室でこの試合を見ていることだろう。大勢の前で無様な戦いはできない。勝利を目指しつつ、「魅せプレイ」もしたいところだ。
カードドローにより、先攻は汐音となった。素数判定員が二人にカードを配る。
「先攻は東選手です。ではこれより、一分間のシンキングタイムを始めます」
二人は同時にカードを取った。
「さあ始まりました、本日二つ目の実況試合」
実況部屋となっている控室に、成田凜の声が響き渡る。二十人ほどが入れる部屋だが、いまは十人弱の選手しか集まっていない。試合が進み、負けた選手が増えるにつれ、人口も増えていくだろう。
成田はその中に、見覚えのある選手を見つけた。烏羽高校三年の、大月瑠奈。背の高い、艶やかな黒髪の少女だ。彼女はまだ負けていないはずだが、たまたま空き時間ができたのだろう。
手元のトーナメント表を見て、成田は彼女がここにいる理由を察した。この試合の勝者が、瑠奈の次の対戦相手なのだ。成田は表を見ながら、モニターに映る二人の選手の名前を読み上げた。
「対戦選手は、千葉県柳高校一年の遠海美衣選手と、埼玉県千草高校一年の東汐音選手……あれ、二人とも一年生ですか」
「はい」
モニターを挟んで、成田の向かいに座っていた小西那由他が、落ち着いた声で首肯した。髪を後ろで一つにまとめたスーツ姿の女性と、へそが見えそうなほど軽装な女性が隣り合って座っている様子は、なんとも滑稽だった。
「実況するのは注目選手だと聞きましたが、一年生にしてもう注目されているんですか、この二人は?」
「そうです。千草高校は団体での全国常連校ですし、柳高校の遠海選手は、午前の団体戦で圧倒的な計算力を見せてくれました。ご覧になった皆さんは、覚えていますよね?」
小西は実況部屋に集まった選手たちに視線を投げた。何人か、頷き返す選手がいた。
「そうなんですか?」と成田が聞く。
「はい、遠海選手はそろばんをやっているらしく、31×37を暗算で出したんです。双子のお姉さんもそろばんをやっていて、8QTKが素数だと計算していました」
「はっはっはっ、なんだそりゃ」
成田は腹を抱えた。涙を拭うとモニターに向き直り、
「さて、その注目選手ふたりの手札ですが……おっと、東選手は並べ終えてる感じがしますね」
「早いですね」
汐音の手札は、598QKJT984Aと並んでいた。小西が空で素数判定する。
「これは、手札運が良すぎましたね。五枚、五枚、一枚で上がれます」
「というと?」
成田も汐音の作戦はわかっていたが、解説は解説役の小西に任せた。
「T984A、98QKJ、5。この順で出せれば勝ちです。ちなみに、T984Aは四つ子素数ですね」
「すると、遠海選手は早くも窮地に追い込まれているように見えますね。間もなくシンキングタイムが終わりますが、さあどう出るでしょうか」
結論から言えば、美衣はどうにも出られなかった。汐音の出したT984Aを前に、美衣は苦虫を噛み潰したような顔になった。
「やっぱり、五枚出しは覚えてないみたいっすね」
汐音の勝ち誇ったような口調に、美衣も不敵な態度で答えた。
「覚える必要がないからね。ドロー」
手札を増やして、そろばんを弾く。五枚出しと言っても、たかが六桁だ。そのくらいなら計算できる。
散々計算したあと、美衣は2Q467を出した。
「212467は素数です」
これに、汐音はすぐに返した。
「98QKJ」
「98121311は素数です」
八桁。これを超えるためには、九桁にしなくてはならないだろう。それはさすがに計算できない。それ以前に、美衣の手札には二桁カードが二枚しかない。
「ドロー」
二桁カードが来ればと願ったが、来なかった。パスするしかない。
判定員が場を流すと、汐音は最後の一枚を出した。
「5」
「すごい! 小西さんの言った通りになりましたね!」
成田は大げさに言って、場を盛り上げた。観戦している選手たちも、五枚出しを覚えている者は少数だ。実況部屋では、小西の株が急上昇していた。小西は、成田の「小西さん」という呼び方にくすぐったくなりながら、
「まあ、わかりやすい手札でしたからね」
と謙遜した。
成田は、白板に書いた美衣の初期手札を見て、
「遠海選手は、手札もあまりよくなかったですよね」
「そうですね。絵札が三枚しかなく、しかも最初に東選手が絵札一枚入りの素数を出したので、絵札を使わざるを得なくなりました。結果論ですが、あそこはパスしてもよかったかもしれません」
モニターの中では、判定員が新たにカードを配っていた。次の先攻は美衣だ。
「遠海選手はどうするでしょうか?」
「彼女は先ほど五枚出しに苦戦していたようですし、もしかしたらあまり大きな素数は覚えていないのかもしれません。だとしたら、三枚出しや四枚出しを中心に攻めるべきでしょうね」
シンキングタイムの間、美衣はずっと指を動かしていた。成田はそれを指差し、
「これは、確かにそろばんの動きですね。五枚出しの素数を探しているんでしょうか?」
「どうでしょう? それは相手の土俵に上がってしまうので、避けるべきと思いますが……」
慎重派の小西に対し、成田は「いやいや」と反論した。
「相手の得意分野で倒してこそ、カルタシスが得られるってものですよ」
成田の悪い癖が出た。彼女は勝てる勝負で余計な挑戦をして、失敗することがしばしばある。小西は肩をすくめ、モニターを注視した。
「では、彼女が勝負師か賭博師か、見守ることにしましょう」
実況部屋の選手たちも、黙って画面の美衣を見る。ちょうどシンキングタイムが終わったところだった。美衣は一枚ドローすると、マイクが辛うじて拾える声量で呟いた。
『まあ、41まで割れないし、いいか。36679』
「五枚だ!」成田は手を叩き、大げさに喜んだ。「しかも、覚えてない数のようですよ! 彼女はこっち側の人間でしたね」
「そうみたいですね」
小西は意外そうに呟いた。モニターの中では、判定員がタブレットを操作している。
『36679は素数ではありません』
「ああ~、残念!
小西はスマホで調べた。
「43×853ですね」
「えっ、43の倍数なんですか? 遠海選手は、『41まで割った』と言っていましたから……」
「あと一個割っていれば、合成数だとわかったんですね」
「ああ~、惜しい!」
成田は自分のことのように悔しがった。
「さあ、これで遠海選手はペナルティで五枚引いて、手札は……」
「最初に一枚ドローしていたので、合計十七枚になりますね。画面に全部映ってますか?」
「ぎりぎり見えますね。えーっと」
成田は白板に数字を書き写した。
A、A、2、3、4、5、6、6、6、7、7、9、J、Q、Q、K、
「これだけあって絵札が四枚とは、なかなか厳しいというか、運が悪いというか……」
白板と画面を見比べながら、成田は苦笑していた。
「全部偶数になるよりはましでしょうか」と小西。「ジョーカーでなんとかするしかなさそうですね」
「さあ、一気に戦況不利になった遠海選手、どうなるでしょうか。一方の東選手は、まだカードを並べ替えています」
「右側に、四つ子素数のA5643が用意してありますね。また五枚出しで攻めるつもりのようです」
汐音の他のカードは、2、3、7、7、J、Qだ。汐音はこの六枚だけ並べ替えて、素数を作ろうとしていた。
「作れる素数はありますか?」と成田が小西に聞く。
「そうですね……『南にジュニア』が素数ですね」
小西は白板に「3732J」と書いた。
「なんですか、それ」
「語呂合わせの『南に』シリーズです。他にも
意気揚々と小西が白板に数字を書き連ねる。選手たちがへぇ、と感心したとき、モニターの中で汐音がカードを出した。
『A5643!』
「おっ、出ました! 四つ子の五枚出しです!」
「当然、素数ですね。残りの手札は……」
汐音のカードの並びを確認する。2JQ737と並んでた。
「これは?」
と成田が聞く。小西はスマホで調べた。
「どうやらJQ737も素数みたいですね。次の遠海選手のカードにこれでカウンターして、親を取るつもりなんでしょう」
「なるほど。遠海選手は五、六桁あたりから上の素数は怪しいですし、親が取れる確率は高そうですね」
美衣は山札から一枚引いた。4だ。これで手札が十八枚になった。そろばんを弾く美衣の指を見ながら、成田が実況する。
「さあ、遠海選手はJQ737より大きい素数を出すんでしょうか、小さい素数を出すんでしょうか」
「仮に小さい素数を出しても、まだ十三枚も手札が残るので、東選手のカウンターにさらにカウンター可能でしょう。例えば、4A593を出して、東選手のJQ737を受け、AQJQKを返すという作戦が考えられます」
「そうすると残り手札がこうなるから……」
白板に数字を書きながら、二人で先の展開を予想する。それを聞く選手たちも、固唾を呑んで二人の議論とモニターを見守った。
五分ほど経ったとき、ついに美衣の指が止まった。
「おっ、計算が終わったようです。でもなんだか、自信なさそうですね」
美衣は頭を垂れていた。サイドテールが対戦テーブルに乗っている。
『投了っすか?』
待ちくたびれた様子の汐音は、諦めるなら早くしてくれと言わんばかりだった。美衣は首を振って答えた。
『ううん。このターンは凌げる。投了するかどうかは、きみのカウンター次第だ』
美衣は顔を上げると、強気な表情でカードを並べた。
「おっ、素因数場に並べましたよ!」
成田が身を乗り出した。美衣は合成数出しをしようとしている。素因数が一つ、二つ、三つ……。
「えっ」
モニターを見ている全員が、口を開けて固まった。美衣はその視線を感じているかのように、勝ち誇った笑顔で宣言した。
『7×29×31×41×47=QQ66J!』
「ええええっ!?」
成田が大声を出したが、決して大げさなリアクションではなかった。素の反応だ。
「これは合ってるんでしょうか?」
モニターに注目する。素数判定員が枚数と桁数を数え、タブレットを操作した。
『合ってます! 合成数出し、成功です!』
「そろばんすげえっ!」
成田は腹を抱えて笑った。
「これは、手持ちの素数を片っ端からかけたんでしょうか?」
「どうなんでしょう?」
白板にいまの合成数を書くと、小西はスマホの電卓を立ち上げた。
「7の倍数であることは、1001チェックで見抜けます。そこでこれを7で割ってみたんじゃないでしょうか。その結果をチェックすると、2001チェックで29の倍数だとわかります。QQ66Jを7と29で割ると、商は59737。遠海選手は41まではすぐ割れるようですから、これが31の倍数だとわかれば……」
白板に計算式を書く。59737÷31=1927。
「どっかで見た数だな」
成田は首を傾げた。
「ラマヌジャン革命1729の並べ替えです。彼女はこれが41×47であることを、覚えていたのかもしれません」
「だとしても」成田は画面の中の美衣を見た。「よくQQ66Jを割ってみようと思ったな!」
「もしかしたら、初めからこれを狙っていたのかも……」
小西はスマホをあごに当てて、分析した。
「相手は五枚出し素数を出してくる選手です。自分がそれを覚えていないなら、同じ土俵で戦うのは危険。彼女はそう判断して、合成数出しの土俵を選んだんじゃないでしょうか?」
「でも、一手目では素数を出そうとしてましたよ? 36679を」
小西はスマホを突きつけて答えた。
「それこそが、彼女が初めから合成数出しを狙っていた証拠です。遠海選手は『41まで割った』と言っていましたが、あれはシンキングタイムで割れたのが41までだったんじゃないでしょうか」
美衣はシンキングタイム終了後、すぐにドローして、36679を出していた。シンキングタイムでしか計算していなかったのだ。
「あれはカマトトだったんです。最初から、手札を増やすつもりであの数を出したんですよ。『もし素数ならラッキー』くらいのつもりで」
手札を増やした結果、美衣の手札には6とQが何枚も来た。処理に困るこれらを使おうとして、QQ66Jをたまたま選んだのだ。
『ドローします』
画面の向こうでは、汐音が山札から一枚引いていた。彼女の手札には、絵札が二枚しかない。場を超えるためには三枚必要だ。
『ふっふっふー。ドローしたってことは、これを超えられる素数を持ってなかったってことかな? 五枚出しが得意そうな感じだったけど、そうでもないんだね』
『絵札が全然来なかったんっすよ!』汐音は投げやりに叫んだ。『パス!!』
素数判定員が場を流した。美衣は笑顔で、残り四枚のカードを出した。
『ジョーカーを5として、65=5×K!』
『合ってます。合成数出し、成功です。よってこの試合、遠海選手の勝利です!』
「すげえ、勝っちゃったよ!」成田はぱちぱちと拍手した。「今日のMVPは、決まったも同然ですね!」
「それ前の試合でも言ってましたけど」
小西が冷静に言う。ちなみにMVPは、成田が勝手に決めているだけで、大会の公式な賞ではない。成田は笑いながら、モニターに向き直った。
「さあ、これで両選手とも、一本獲得となりました。勝負は三本目にもつれ込みます。勝利の女神が微笑むのは、そろばん少女の遠海選手か、五枚出し少女の東選手か!?」
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