第43話 0.16

つるばみ高校」と相手が名乗ったことで、嫌な予感はしていた。

 先攻の藤岡晴花はれかが出した手札を、判定員がタブレットでチェックする。そして、驚いたように宣言した。

「9863221は素数です!」

「マジでっ!?」

 一番驚いていたのは晴花自身だった。慧は思わず頭を抱えた。

 慧はこの前の時間、控室で実況を見ていた。烏羽高校の大月瑠奈と、橡高校の園田友愛ゆらの試合だ。結果的には瑠奈の圧勝で終わったのだが、二試合のどちらでも友愛は特徴的な出し方をしていた。

 彼女は、自分の知らない素数を勘で出していたのだ。

 一試合目では五枚出し素数を勘で出し、瑠奈に一矢報いていた。二試合目、先攻になった友愛は、なんと七枚出しに成功していた。試合には負けたが、実況の成田は友愛の度胸をえらく気に入っていた。あの試合の主役は、間違いなく友愛だった。

 晴花も同じ高校の生徒だから、もしかして同じような戦法なのではと心配したら、案の定だ。七枚出し素数なんて覚えていないし、先頭が9ということは、これを超えるには八桁の素数を出さないといけない。

 八桁の素数は、全く覚えていないわけではない。四枚八桁の素数を、伊緒菜に叩き込まれたからだ。おぼろげだが、四枚最強がKJQJ13111211で、それによく似たQKJK12131113も素数であることは覚えている。

 だが今は七枚出しだ。七枚でこれらを出すにはAが大量に必要な上、慧はいまAを一枚も持っていなかった。

「くばるさんふつい……くばる、さんぷ、ふい?」

 晴花が小声でぶつぶつと言っている。慧の怪訝な視線に気づくと、晴花はパッと笑った。

「あ、ごめん。語呂合わせ考えてて」

「語呂合わせ?」

「これの」

 と場のカードを指出す。花のような可愛い笑顔のまま、説明する。

「うちってほら、ボドゲ部じゃん? だからQK部のきみらと違って、QKに割ける時間が少ない分、なるたけ効率的に強くなれる戦略を探っててね」

「それが、語呂合わせなんですか?」

「いや、語呂合わせはついでかな。うちらの本領は、見ての通りの勘出し。知ってるかどうか知らないけど、七枚出しなら勘出しの成功率は20%くらいあるんだ。もちろん、偶数とか3の倍数とかは、絶対出さない前提だけどね」

「そんなに高いんですか?」

 五回に一回は成功する確率だ。頑張って覚えた七枚出しが手札に来る確率より、適当に出して素数になる確率の方が高そうだ。

「素数ってのはランダムに散らばってるんじゃなくて、桁が小さいほど多いんだ」晴花は得意気な表情で続けた。「十一枚全部使って素数になる確率はグッと低くなるけど、七枚くらいまでなら実戦でもそこそこ活かせる確率ってわけさ」

 慧には、聞き覚えのある話だった。

「それは、素数定理のことですか?」

「ん? なにそれ?」

 あっけからんとした表情で、晴花が聞く。慧は、だんだんこの晴花という少女が、気に食わなくなってきた。

「x以下の自然数のうち、素数の割合を表す定理です。素数は確かに一様には存在せず、x以下の素数の個数は、log(x)分のxに近くなることが知られています。ガウスが予想し、のちに何人かの数学者によって独立に証明されました」

「数学かー……。やっぱりQKやってる人は、数学好きが多いの?」

「そうでもないんじゃないですか? 現に、うちの部長は数学が嫌いみたいですし」

 慧はイライラしながら答えた。

「ふぅん。まあ、あたしも嫌いだしね。あんなののどこが楽しいのか……」

 悪意を持って言っているようには見えない。慧を煽るつもりもなく、映画の感想でも呟くかのような口調だった。そのことが、慧の感情をより逆撫でした。

「98654123!」

 怒りに任せて、慧は七枚のカードを叩きつけるように場に出した。もちろん勘出しだ。3の倍数と11の倍数はチェックしたが、他は全く調べていない。

 判定員はカードの枚数を数え、

「七枚で八桁なので、場より大きいですね。では、判定します」

 とタブレットを操作した。

「98654123は……そ、素数です!」

「マジでっ!?」

 慧は驚きよりも、喜びが勝った。慌てている晴花を睨みつけて、

「確率は20%なんですよね? なら驚くほどのことではありません。サイコロを振って1の目が出る確率より高いんですから。ボードゲームをやっているなら、サイコロ、詳しいですよね?」

「サイコロに詳しいも何もないでしょ」

 突っ込みながら、晴花は一枚ドローした。晴花の残り手札は五枚なので、パスするしかない。

「パス」

 判定員が場を流し、慧の手番になった。慧の手札は残り四枚。J、Q、K、K。これで作れる素数は覚えている。覚えていたから、この四枚を残したのだ。

QKJK12131113!」

「んん? そんなのあった?」

 晴花が身を乗り出して、判定員を見る。判定員はタブレットを操作すると、宣言した。

「12131113は素数です! よってこの試合、剣持選手の勝利です!」

「ぐあ、マジかよー」

 晴花は天を仰いだが、

「いや、でも次は勝てる」

 と言って、すぐに気を取り直した。

「どうして勝てると思うんですか?」

 晴花はまた、花のような笑顔で語った。

「20%の確率で起こることが、二回連続で起こる確率は4%。三回連続で起こる確率は0.8%。そして四回連続で起こる確率は、たったの0.16%。三回目を起こすことができれば、四回目はない」

 慧は眉をひそめた。

「三回目を起こす時点で、かなり難しいと思うんですが。それにその考え方は、間違ってます。連続で起こる確率がいかに低くても、ある一回でそれが起こる確率は、独立事象なら変わりません」

「そうなの?」

 晴花はきょとんとしていた。おそらく、慧の説明は理解していないだろう。慧も、理解してもらおうとは思っていなかった。

 判定員が、次の試合の準備を進める。十一枚ずつ配ると、宣言した。

「次の先攻は藤岡選手です。これより、一分間のシンキングタイムを始めます」


 伊緒菜は相手の表情を窺っていた。相手は烏羽高校一年の三島みしま小明あかり。みぞれのように小柄で、ボブカットの少女だ。配られた十一枚のカードを小さい手で並べ替えている。表情を見る限り、それなりに良いカードが来たようだ。1729でも来たのだろうか。

「シンキングタイム終了です。これより、宝崎選手の持ち時間になります」

 タイマーが切り替わると同時に、伊緒菜は一枚ドローした。そして、すぐに場に四枚出した。

「34613

 念のため革命を警戒し、絵札を早めに消費しておこうと考えた。小明も一枚ドローして食い下がる。

「ジョーカーをKとして使って、88813です」

 四つ子素数だ。烏羽の一年だし、革命時に役立つ小さい素数ばかり覚えているかと思ったが、そうでもなさそうだ。

 Kで済むところでジョーカーを使ってきたということは、小明はKは持っていないと考えていい。伊緒菜の手札にはあと一枚Kがあるので、山札にあと二枚Kが眠っている。

 また、888Jも素数なので、KがないならJで出してもよかった。それもしなかったということは、小明はJも持っていない可能性がある。まさかJを温存してジョーカーを出した、ということもないだろう。JもKもないということは、四枚八桁の素数が一つも出せないということになる。そんな状況で、ジョーカーを消費してまで888Kを出したのは、三枚もある8を早く消費したかったからだろう。

 伊緒菜はまた一枚ドローしたが、Kは来なかった。その代わり、9が来た。伊緒菜はすぐに、それを使って素数を出した。

「9KTJ131011

「9131011は素数です」

 これは四枚七桁のうち、最大の素数だ。これを超える素数は、四枚八桁しかない。小明のドロー運が良くない限り、超えることはできないはずだ。

 小明は山札からドローした。伊緒菜の手札にはもう、二桁カードが一枚もない。なのでここで返されると、苦しいことになる。内心でハラハラしながら見つめていると、小明は泣きそうな顔になって、

「パスします……」

 と力なく言った。

 判定員が場を流す。タイマーが切り替わると、伊緒菜はすぐに二枚を場に出した。

「57」

「57はグロタンカットです」

 と言って、判定員がまた素早く場を流す。伊緒菜は最後の三枚を、すべて場に出した。

「983」

「983は素数です。よってこの試合、宝崎選手の勝利です!」

「ううー、強過ぎますよー」

 小明が手札をテーブルに投げ出した。左側に1729がストックされている。残りはA、A、9、T、Q。

「なるほどね。888Kで親が取れていれば、革命からのAA、QT9でほぼ勝ち確だったわけね」

「な、なんですぐわかるんですか」

「そりゃ、手札をそう分けてたら、わかるわよ」

 もし伊緒菜が初手で二枚出しでもしていたら、小明はジョーカーを使ってQKを出し、革命できた。そしたらA8A、T889の順で出し、勝てただろう。今回は伊緒菜の初期手札もよかったので、小明は運がなかったようだ。

「次の先攻は三島選手です。では、これよりシンキングタイムを始めます」

 手札を取って、小明の表情を窺う。今度も、良いカードが来たようだ。さっきよりも良い、ということだろうか。

 伊緒菜もカードを見た。A、2、3、3、5、7、9、T、J、Q、ジョーカー。こちらも、さっきより良いカードだ。しかも革命ができることに気付いて、伊緒菜はくすりと笑った。

「シンキングタイム終了です。ここから、三島選手の持ち時間になります」

 小明はすぐにドローすると、小さい手でいきなり四枚のカードを出した。

「A729!」

「1729はラマヌジャン革命です」

「本当に革命が好きなのね、烏羽の人って……」

「強いですから!」

 小明はふんぞり返って答えた。

 しかし、革命は必ずしも強いわけではない。特にいま、伊緒菜の手札にはAがある。守りは盤石だ。カウンターすることもできるが、相手の自信満々の態度を見る限り、おそらく向こうはかなり小さな素数を出す準備がある。Aは温存すべきだろう。

 パスを宣言する前に、山札から一枚引いた。Kだ。現状ではあまり嬉しくない。

「パス」

 判定員が場を流すと、小明はすぐさま次のカードを出した。

「233!」

「233は素数です」

 おそらく最善手だろうな、と伊緒菜は思った。革命時の233は、ほぼ親が取れる素数と考えて良い。小明の残り手札は五枚。あの五枚が素数か、あるいは小さな素数二つに分けられるか。五枚出し素数を覚えていると考えるよりは、57と何かに分けられると考えるべきだろう。

 残り五枚が何かはわからないが、233が今の小明に出せる最小の素数であることは、ほぼ確実だろう。つまり彼女は、Aを持っていない。ならこちらは、Aを温存したまま最小の素数を出すべきだ。

「運が悪かったわね。229」

「ええっ、うそっ!」

 小明が可愛い声で驚く。既に2は四枚出たので、これより小さい素数を出すためにはAが必要だ。ジョーカーでも持っていない限り、カウンターされることはない。

「ぱ、パスします」

 予想通り、カウンターは来なかった。ドローもしなかったので、あの五枚は相当強い手札だと考えられる。だがAを持っていないはずなので、四枚と一枚に分けられる可能性は低い――その分け方で強いのは四枚の素数が千台の場合だが、千台の四枚出しにはAが必須だからだ。

KTQJ13101211

 伊緒菜は冷静に、四枚出した。こちらはまだAとジョーカーを持っているので、向こうがどんな四枚出しをしても対応できるだろう。

 小明は泣きそうな顔でカードを並べ替えていた。伊緒菜の予想では、あのうち二枚は57だ。233で親を取ったあと、57からの三枚出し素数で上がるつもりだったに違いない。

 果たしてその予想は、大当たりだった。

「7559!」

 小明が出したのは、57を含む素数だった。他の二枚が5と9ということは、最後の一枚はそれと組み合わせて素数になるカード、それも7559より小さな素数を作れないカード……Jだろうか。

「35A7」

 小明の残り手札は一枚。だから彼女は、絶対にこれに返せない。

 小明はドローすることもなく、

「パスします……」

 と力なく宣言した。

 場が流れると、伊緒菜は最後の一枚を場に出した。

「ジョーカー」

「単一ジョーカーは最強カード。よってこの試合、宝崎選手の勝利です! また、これで宝崎選手の二本先取となるため、この勝負は宝崎選手の勝利となります!」

「つ、強過ぎますよ……」

「いえ、あなたも筋は良かったわよ。ちなみに、あなたの最後のカードはなんだったの?」

 小明は手札を表に返した。

「Jです」

 伊緒菜はにやりと笑った。


「これで剣持選手の二本先取となったため、この勝負は剣持選手の勝利となります!」

 判定員の宣言を聞き、慧はしたり顔で晴花を見下ろした。

「0.16%でしたね!」

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