第45話 =43×853
作戦が完璧に決まって、美衣は自分に酔っていた。巨大な積の計算だったし、実況部屋は大いに盛り上がったことだろう。その様子をこの目で見られないのは残念だった。
相手も動揺している。そのせいで次の試合にミスをしてくれたら嬉しいが、さすがにそんな都合の良い展開にはならないだろう。
配られるカードを見ながら、汐音が言った。
「さっきはすごい出し方をしたっすけど……次は、あたしが先攻っすから。同じ手は取れないっすよ!」
「ふっふっふー、それはどうかな? きみの一手目に適当な数を返したっていいんだよ?」
「二回もあたしに手番を回して、勝てると思ってるんすか? あたしは六枚出しだってできるんすよ!」
カードを配り終えた判定員が、二人のやり取りに動じずに宣言した。
「これより、三本目の試合を始めます。先攻は東選手です。では、一分間のシンキングタイムを始めます」
「さあ、そろばん少女と五枚出し少女の、最後の戦いが始まりました」成田が興奮した口調で実況する。「二人の手札は……うっわ!」
画面に映し出されたカードを見て、成田は驚愕した。観戦している選手たちもざわつく。東汐音のカードが、あまりにも良い。画面を見ながら、小西が白板に手札を書き写した。
「東選手の手札は、A、2、7、8、9、
「絵札多すぎでしょ! 最後の最後に、良い札引きましたね!」
成田は腹を抱えて笑っている。
「これだけあれば、いくらでも出せますね。五枚出し最強のKKQKJは出せませんが、二番目に強いKKQTJが出せます」
「それを二手目に出すとすると……」
早速白板で議論する。汐音のカードからKKQTJを除くと、残るのはA2789J。これらに丸を付けた小西は、すぐに言った。
「あ、これはA2J89が出せますね。普段は四枚出しQJ89として出す素数ですが、今は五枚出しで出せます。一手目にA2J89、二手目にKKQTJを出せば、残るのは7。完璧な布陣です」
「こっちの手札にKが二枚あるから、遠海選手の方からKKQKJが返ってくる心配もほぼない。これはもう勝ち確では!?」
『シンキングタイム終了です。これより、東選手の手番となります』
判定員の声で、二人はモニターを見た。汐音は、今日一番の笑顔を見せていた。長く息を吐きだすと、美衣に語った。
『やれやれ。一時はどうなることかと思ったっすけど、無事に勝てそうっすね』
汐音の言葉に、美衣は不安そうな表情をした。
『まだ一枚も出してないのに? そんなに良い手札が来たの?』
『負けるビジョンは見えないっす。どんなに計算力があっても、暗記が強くても、やっぱりQKで最後に勝つのは、運が良い奴なんすよ!』
汐音は場に五枚のカードを出した。
『A2J89!』
「おっ、また小西さんの言った通りになりそうですよ!」成田がモニターを指差す。「残りの手札は、7KKQTJと並んでいます。KKQTJを用意していますよ!」
「そういえば、遠海選手の手札は……」
小西も成田も、ここで初めて美衣の手札を確認した。手札は既に並べ替えているようだ。
「J9K2A3344Q3?」
成田は手札を読み上げて、首を傾げた。
「なんですか、これ?」
「なんでしょう?」
書き写しながら、小西も首を傾げる。この並びでは、見知った五枚出し素数が見当たらない。三枚出しや四枚出しを用意したのだろうか。しかし、相手が五枚出しすると、予想できなかったのか?
素数の判定を聞くと、美衣も長い息を吐きだした。
「運が良い奴が勝つ、か」
「な、なんすか」
美衣は遠くを見るような眼をした。
「午前の団体戦で、私は二回負けた。でもはっきり言って、どっちの相手よりも、私の方が計算力があると確信している。じゃあ、どうして負けたんだろう?」
「運が悪かったんじゃないっすか?」
汐音は早く出せ、と訴えるように唇を尖らせた。
「でも、運ってなんだろう? 例えば、萌葱高校は強豪校として知られてるよね? だけど、まさか萌葱高校が、常に運が良いってことはないと思うんだ。なら、どうして強い選手と弱い選手が生まれるんだろう?」
「それは暗記の差っすよ。覚えている素数が多いほど、手札に覚えている素数が来やすくなる。これが運の良し悪しを決めてるっす」
美衣は歯を見せて笑った。それは、汐音に負けないくらい、今日一番の笑顔だった。その顔に汐音は警戒し、声を荒げた。
「さっきからなんなんすか?」
「うちの部長のこと、知ってる?」
質問に質問で返した。汐音はまだ警戒しながら、
「吉井さんっすよね。名前は知ってるっすよ」
「うん。フルネームは吉井史。面白い先輩なんだよ。自分の名前が素数の語呂合わせになってるからって、そればっかり出そうとするの」
「よしいふみ?」汐音は頭の中で、数字に変換した。「ああ、44
美衣はまだ笑顔だ。
「これは、史先輩に感謝だね」
「うそだろおい……」
実況部屋で、成田は開いた口が塞がらなかった。誰もが絶句している。静まり返った室内に、モニターから流れる美衣の声が響いた。
『44Q3×3^3=J9K2A!』
成田たちは、美衣が五桁のかけ算をしたから驚いたのではない。美衣が、たった一手で、十一枚の手札をすべて出し切ったことに驚いていた。
「ワンターンキル……!」
『運が良い奴が勝つんだったよね?』美衣は高笑いした。『悪いけど、それは私の方だったよ!』
タブレットを操作していた判定員が、宣言した。
『合成数出し、成功です。よってこの試合、遠海選手の勝利です! また、これにより遠海選手は二本先取となったので、遠海選手の勝利となります!!』
「す、すげえっ!」
実況部屋は大盛り上がりだった。成田は場を何度も見返しながら、
「まさか、公式戦でワンターンキルが見られる日が来るなんて!」
「私も初めて見ました」小西も興奮を隠しきれない様子だった。「これは大会史上初では?」
騒いでいる実況と解説を尻目に、大月瑠奈はそっと実況部屋を出た。次は自分が美衣と戦う番だ。
体育ホールに戻ると、美衣の姿を探した。ステージのすぐ近くで、緑色のスカートとベストを着た見た目のそっくりな二人組が、手を取り合って飛び跳ねている。背後から二人に歩み寄り、「おい」と声をかけた。
二人はそろってこちらを振り返る。猫みたいな顔の双子だ。全てを見透かしているような、何も考えていないような、つかみ所のない表情をしている。
「あなたは、たしか……」
「烏羽高校QK部部長の大月瑠奈だ」瑠奈は二人を見比べて、「どっちが妹だ?」
途端に、二人は笑顔になった。
「さー、どっちでしょー?」
思った通りの反応だ。どストライクである。瑠奈は満足そうに笑うと、美衣を指差した。
「こっちだろう? 向かって左に髪が垂れている方だ」
正解を言い当てられて、二人はつまらなさそうに言った。
「なんだー」「わかってて聞いたのかー」
「それに、背中に書いてあるからな」
双子はお互いの背中を見た。今朝受け取ったゼッケンに、フルネームが書かれている。
「あ、そっか」「すっかり忘れてたね」
悪戯好きで頭も良いが、抜けているところもあるらしい。可愛い双子だ、と瑠奈は評した。
「で、なんの用ですか?」
双子が、暗闇の猫のような丸い瞳で見つめてきた。
「ひとつ、妹に聞きたいことがある。さっきの試合のことだ」
「見てたんですか!?」
「ああ。特に二試合目は見事だった。実況者が褒め称えていたぞ」
「えっへっへー」
嬉しそうに笑う。
「で? 二試合目がどうかしましたか?」
背の高い瑠奈を、上目遣いで見つめる。瑠奈の言いたいことを、もう察しているようだ。
「二試合目、お前は初手で36679を出して、ペナルティを食らったな?」
「あー、あれですかー。素数だと思ったんですけどねー」
「それは嘘だ」瑠奈は断言した。「お前は、あれが43の倍数だとわかっていた」
「どうしてそう思うんですか?」
背中で手を組み、澄ました顔で見上げてくる。
「もしあれが素数だったら、お前は逆にピンチになっていたはずだ。お前は五枚出し素数を知らないからな」
「全く知らないわけじゃないですよ?」
「だとしても、お前は最初からカマトトで手札を増やすつもりでいた。何よりお前は、小声で『41までは割れない』と呟いていたな? 43の倍数を、41まで割って素数だと判断してしまった――なんて、あまりにも話が出来過ぎている」
瑠奈は、美衣に顔を近付けた。
「あれは演出だったんだろ? お前は実況ルームの観客たちを意識して、盛り上げるために……いや、おそらくお前自身が注目されるために、演出を施したんだ」
美衣は目をぱちくりとさせたあと、歯を見せて笑った。
「ふっふっふー、ばれちゃぁ仕方がない。確かに私は、あれが合成数だとわかってました。でもそれが?」
何か文句でもあるのか、と言いたげに美衣が強気に見つめ返してくる。瑠奈は体を離すと、首を振った。
「いや、それを聞きたかっただけだ。いまので、お前のパーソナリティも、QKのレベルも、だいたいわかった」
「ふぅん?」「ほんとですか?」
「ああ。お前はおそらく、かなり強い。柳の彗星だろう」
「彗星?」
「私も噂で聞いた程度だが、柳は何年かに一度、やたら強い生徒が出てくるらしい。おそらく、それがお前たちだ」
強いと言われ、美衣たちは気をよくした。ふにゃふにゃと表情をほころばせる。
「何年かに一度かー」「確かに史先輩、そんなに強くないもんね」
「ひどい言い草だな」瑠奈が咎めるように言う。「仲悪いのか?」
「いえ? 面白い先輩ですから、好きですよ?」
「悪戯にもノッてくれるもんね」
「たまにうちらが入れ替わってても、気付かないけど」
「入れ替わるのか、お前ら……」
顔も背格好もよく似ているので、髪型を変えてしまえば簡単に騙せるだろう。
「まさか今日は入れ替わってないだろうな?」
「さー?」「どうでしょー?」
食えない双子だ。人をからかう癖が、遺伝子レベルで染みついているに違いない。
いじめたくなるほど、可愛い双子だ。
「あ、ありがとう、ございました……」
烏羽高校二年の稲葉皐月が、頭を下げた。史も一歩遅れて、「ありがとうございました」と頭を下げた。
勝ってしまった。いや勝っていいんだけど、まさかここまで勝てるとは。
一年生のときは初戦で敗退した。二年のときは二回戦だった。でも今年は、二回戦に勝てた。次はいよいよ、運命の準々決勝だ。これに勝てば、全国行きが確定する。もし負けても、五位決定戦を制せば全国だ。
「あたしが、全国に?」
まさか。ないない、と史は頭を振った。だいたい、次の相手が誰だかわかっているのか。次は、おそらく彼女だ。あの子なら順調に勝ち進んでいるだろうから、次であたしと当たるはずだ。
トーナメント表を見に行くと、ちょうどスタッフが赤線を引き終えたところだった。史から延びる赤線が、準々決勝まで進んでいる。そしてその隣の赤線は……古井丸みぞれから延びていた。
みぞれに勝つなんて無理だ。萌葱だし、何度か見たあの子の強さは、史にもよくわかっている。ここまでか……。
ため息を吐いていると、またスタッフがやってきて、線を引いた。どこの試合が終わったのかな、と眺めた史は、「えっ」と声を上げた。
美衣が。あの美衣が。烏羽の大月瑠奈に負けた。
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