第42話 2,4,6,8,10

 午後一時半。館内放送の指示に従い、選手たちは体育ホールへ集まっていた。午前中の開会式よりも、人数が増えている。個人戦から参加する選手は、団体戦の選手より多いのだ。

「いよいよ個人戦よ!」

 伊緒菜は小躍りしそうなほどうきうきしていた。

「ここから先は敵同士になるけど、恨みっこなしでお互い頑張りましょう」

「敵同士と言っても、実際にぶつかるのは後の方ですよね」

 と津々実がトーナメント表を指差した。三人が順調に勝ち進んだ場合、伊緒菜と慧は準決勝で当たり、そのどちらかとみぞれが決勝戦で当たる。同校の選手同士や強い選手同士は、なるべく後の方で当たるように配慮されているようだ。

「準決勝まで行けば、全国へ行けるんですよね」

 慧が確認した。伊緒菜は頷くと、

「そうね。だからみんな、そろって全国へ行きましょう!」

「はい!」

 みぞれと慧が、元気よく返事をした。それを見て、伊緒菜はにやりと笑うと、

「ま、私は優勝目指すけどね」

 楽しげに付け加えた。


 個人戦の参加者は三十五人。だがスタッフ数の関係で、同時に試合をできるのは八組十六人までだ。残りの選手たちは試合を観戦することになる。

 集まった選手たちの前で、小西那由他はその旨を説明した。

「開会式でも案内しましたが、隣の控室ではステージでの試合の実況解説を行います。興味のある選手はいらしてください。また選手たちは、ここ体育ホール、ロビー、控室の他へは行かないでください。大会の進行に影響を及ぼす可能性があります」

 その他いくつか諸注意を述べたあと、個人戦開始を告げた。

「試合は、トーナメント表に書かれた番号順に行います。一番から八番までの対戦カードの選手たちは、準備をお願いします」

 該当するのはみぞれだけだった。四人は話し合って、津々実と伊緒菜が札譜を取り、慧が実況を見に行くことにした。実況解説は注目選手の試合が選ばれることが多い。その札譜を取るのも、今後の作戦を立てる上で重要だった。

「それに、解説を聞くのは勉強にもなるからね」と伊緒菜は言った。

 スタッフに促され、みぞれは対戦テーブルについた。相手選手は、山吹高校一年、真島ましま春子はるこだ。薄いオレンジ色のブラウスを着た、痩せ型の少女だ。彼女は眉尻を下げながら、

「初めまして。山吹高校の真島です」

 と自己紹介した。

「は、初めまして。萌葱高校の古井丸です」

「いきなり萌葱かー……」

 春子はため息交じりに呟いた。

 みぞれは団体戦の様子を思い出していた。この人は、烏羽高校と戦っていた人だ。一回戦敗退だったが、接戦だった気がする。

『一年生だから、何も情報がないのよね』

 直前に伊緒菜にアドバイスを求めたら、そう言われた。

『山吹高校は、これと言って特徴のある戦術はとらないし……』

『そうなんですか……』

 不安がるみぞれに、伊緒菜は眼鏡を押し上げて言った。

『一つ言えるのは、あそこは覚えてる素数がかなり偏っているってことね。偶数消費型ばかり覚えているみたい。手札が奇数だらけだと、全然出せずに負けたりするからね』

 その情報をどう活かせばよいのか。みぞれは何も策が浮かばないまま、対戦に臨んでいた。

「ではこれより、個人戦一回戦、萌葱高校古井丸みぞれ選手と、山吹高校真島春子選手の試合を始めます」

「よろしくお願いします」

 二人はそろって頭を下げた。

「まずはカードドローをお願いします」

 素数判定員がトランプカードを扇状に広げる。みぞれ達はそれぞれ一枚ずつ取り、表に返した。みぞれはハートの6、春子はスペードの8。先手は春子だ。

 判定員がカードを回収して、二人に十一枚ずつ配る。

「先攻は真島春子選手です。これより、一分間のシンキングタイムを始めます」

 タイマーの入る音と同時に、みぞれはカードを手に取った。手札は、A、A、2、3、5、7、7、10、J、J、K。5を偶数とすると、偶数三枚、奇数八枚。かなり偏った手札だ。二桁カードは四枚。

 5と7があるので、グロタンカットができる。KJJは三枚出しで三番目に大きい素数だ。他には、23AAや7T23納豆兄さんが素数だ。奇数が多いので、作れる素数も多い。

 タイマーが0になった。判定員が宣言する。

「シンキングタイム終了です。これより、真島選手の持ち時間になります」

 春子はすぐさま、山札からドローした。どんなカードを引いたのか、表情からは読み取れない。春子は手札を並べ替えると、十秒と待たずに四枚出した。

「864

 偶数消費型の四枚出し。伊緒菜の情報通りだ。判定員がタブレットを操作して、宣言する。

「8641は素数です。では、古井丸選手の手番です」

 タイマーが切り替わる。みぞれも山札から一枚引いた。Jだった。二桁カードが増えたのはありがたい。しかも、これでJが三枚だ。Kも一枚あるので、JKJJが出せる。これを切り札に、手順を考えよう。

 いまJKJJを出すと、残りはA、A、2、3、5、7、7、Tの八枚。これは、7T23と57AAに分けることができる。732Aと5T7Aに分けることもできる。他にも……。

 出せる素数が多い。みぞれは眉をひそめた。選択肢が多いと、かえって混乱してしまう。どれを出しても、うまくいきそうな気もするし、失敗しそうな気もする。

 みぞれは悩んだ末、57とJKJJを温存する作戦を取った。

「7T23」

「71023は素数です」

 判定員の宣言で、手番が春子に移る。みぞれの残り手札は、JKJJ、57、AAに分けられる。もしJKJJで親が取れれば、グロタンカットからのAA11でみぞれの勝ちだ。

 春子はすぐに、手札から四枚出してきた。

QQQJ12121211

「あっ……」

 みぞれはうめいた。これは、JKJJより大きな素数だ。

「12121211は素数です」

 判定員がタイマーを切り替える。ふふ、と春子が笑った。小悪魔的な笑みだ。

「今の『あっ』は、なにかな?」

「べ、別に何でもないよ」

 みぞれは山札からドローした。これでQが来れば、まだカウンターできる。だが、9だった。それはそうだ、既にQは三枚出ているのだから、そう都合よく引けるはずがない。

「パスします……」

 判定員が場を流すと、春子は残りの四枚をすべて場に出した。

「86TK1013

「861013は素数。よってこの試合、真島選手の勝利です!」

 初戦から負けてしまった。それもあっさりと。

「よし、萌葱相手でも勝てる!」

 春子はグッと拳を固めた。自信のこもった目で、みぞれの顔を見つめる。

 強豪校という噂だったけど、そんなでもないな、と春子は思った。

 今の試合は、初期手札がかなり良かった。奇数は三枚しかなかったが、Qをドローしたおかげで、四枚出し素数三個に分けることができたのだ。運が良かっただけと言われればその通りだが、運も実力のうちだ。日頃から鍛錬しているおかげで、巡ってきた運を有効活用できるのだ。

 判定員がカードをシャッフルし、二人に十一枚ずつ配る。

「次の先攻は、古井丸選手です。ではこれより、一分間のシンキングタイムを始めます」

 二人は同時にカードを取った。春子の手札は、A、2、4、6、7、8、9、T、J、J、K。今度も運が良い。偶数が五枚ある。それも、2から10までの偶数が一枚ずつ揃っている。いくらでも出しようのある手札だ。さっき出した864Aがまた出せるし、864Kも素数だ。三枚出しなら64Aや827があるし、五枚出しなら8642Jなんてのもある。何が来ても大丈夫だ。

 春子はみぞれの顔をじっと見つめた。ショートカットの童顔が、カードを真剣に眺めている。目線を下げると、白いセーラー服の下に、存在を主張する大きな二つの膨らみがあるのがわかる。体の色んなところが細い春子は、この子にだけは絶対勝つぞ、と決意を新たにした。

 みぞれの手札も悪くはなかった。偶数が五枚、奇数が六枚、二桁カードは三枚。標準的な手札とも言える。しかしこれで、どうやって勝とうか。

 団体戦では二試合とも勝てたが、一試合目は伊緒菜のアドバイスに従っただけだし、二試合目は運が悪ければ負けていた。

 勝てたのは嬉しい。でも、自分の力で勝てたという実感が、まだ湧いていなかった。

「シンキングタイム終了です。これより、古井丸選手の持ち時間となります」

 みぞれは一枚ドローした。Kだ。良いカードが引けた。みぞれは悩みながら、春子を見た。偶数消費型を駆使するらしい相手を、どうすれば倒せるのか。

 自分の頭で考えたいと思ったし、自分の頭で考えるしかなかった。今は、誰かにアドバイスを求めることはできない。

 春子は何個くらい素数を覚えているのだろう。偶数消費型が中心らしいが、そんな偏った覚え方で何桁まで対応できるのだろう。もしかしたら、ものすごく少ないのでは? いやでも、さっきは六桁や八桁の素数を出していた。むしろ桁が多くなるほど、偶数消費の効率は良くなるはずだ。だとしたら、大きい数の方が覚えているのかも……。

 そのとき、みぞれは一つの閃きを得た。もしかしたら、この方法で追い詰めることができるのではないか?

 ここで負けたら一回戦敗退だ。でも、このままなんの作戦もなく運だけで勝ち進むよりは、しっかりと考えて勝ち進みたい。みぞれはアイディアの実現性をじっくりと考えてから、カードを出した。

「ええと、たぶん、これでいいはず……」

 ようやくみぞれが動いた。春子はみぞれの手に注目した。もったいぶるように、みぞれは一枚ずつカードを出す。一枚、二枚、三枚、四枚……。

「えっ……ろ、六枚っ!?」

 上目遣いでこちらを見ながら、みぞれは言った。

10593、です」

 勘で出したようには見えない。カマトト狙いでもなさそうだ。この子は、これをしっかりと記憶しているのだ。

 判定員がタブレットを操作し、宣言した。

「1031593は素数です。では、真島選手の手番です」

 六枚出しなんてほとんど覚えていない。パスするか? いや、相手は残り六枚。あの六枚も素数でないとは言い切れない。パスしたら負ける、と春子は直感した。

 それに、ほとんど覚えていないが、覚えている六枚出しもある。偶数消費型に限定すれば、覚えやすい素数はたくさんあるのだ。春子も手札から一枚一枚、場に出した。

「2468TA101

 連番素数、と春子たちは呼んでいた。連続する偶数を並べ、最後に奇数をつけるだけで素数になる数だ。これなら、何枚だろうが簡単に覚えられる。

「2468101は素数です」

 判定員が宣言する。どうだ、と春子はみぞれを見た。

 みぞれに焦った様子がない。失敗したか、と春子は思った。あの残り六枚が、もっと大きな素数なのかもしれない。六枚出し二連続で終わらせるつもりだったのか。

 だがみぞれは、

「パスします」

 と宣言した。

「あれ、パスするんだ?」

「え? う、うん」

 どうしてだろうか。あの六枚は、素数ではなかったのか。でも、それならどうして六枚出しを……。

 そう思いながら自分の手札を見て、春子はみぞれの作戦を理解した。

 残り手札は、A、7、7、9、K。

 奇数しか、残っていない。

 みぞれは春子の表情を窺った。作戦はうまく決まったのだろうか。ポーカーフェイスのせいで、いまいちわからない。でも手が止まっているし、きっとうまく行ったに違いない。

 トランプの数字は全部で十三種類あり、そのうち偶数は七種類(5は偶数だ)。QKで最初に配られる手札は十一枚だから、確率的にいえば五、六枚が偶数になる。

 春子が偶数消費型素数ばかり覚えているなら、もしかしたら「偶数五枚を含む六枚出し素数」を覚えているかもしれない。みぞれは、敢えてそれを誘った。春子がそれを出せば、向こうの手札から偶数が消える。奇数だらけの手札にしてしまえば、有利に戦えるに違いない。

 春子は一枚ドローした後、悩みぬいて二枚出した。

「97」

「97は素数です」

 みぞれはすぐに返した。

「QK」

「1213は素数です」

「くっ……パス」

 判定員が場を流す。みぞれの手札は残り四枚。みぞれは、それを全部場に出した。

「65713

 判定員がタブレットを操作した。

「65713は素数。よってこの試合、古井丸選手の勝利です!」

「や……やった!」

 みぞれは笑顔になった。伊緒菜のアドバイスではなく、自分で考えた作戦で、初めて勝利した。自分の頭脳は、ここで十分通用する!

「笑顔になるのは早いんじゃない?」と春子が手札をテーブルに置いて言った。「あともう一戦、残ってるんだからね!」

「わかってます」

 みぞれは自信満々で頷いた。何戦あろうと、もう春子に負ける気がしなかった。


「57はグロタンカット。よってこの試合、古井丸選手の勝利です。またこれにて古井丸選手が二本先取となるため、古井丸選手の勝利となります!」

「やったー!」

 みぞれは両手を挙げて喜んだ。一回戦、突破だ。

「おめでとう、みぞれ!」

 後ろから津々実が走ってきて、みぞれの頭を撫でた。

「なるほどね、面白い作戦だったわ」

 テーブルを回りこんで、伊緒菜も近付いてきた。ノートを広げ、今の試合の札譜を見せる。

「相手が奇数六枚の素数を覚えていたら危険だったけど、さすがに一年生じゃ、そこまで覚えてなかったみたいね」

 春子の初期手札は、偶数五枚、奇数六枚だった。もし春子が偶数を温存しようとして、奇数を大量に使う素数を出していたら、勝敗はどうなっていたかわからない。

「とにかく、一回戦突破、おめでとう」

「はいっ」

 笑顔で答えてから、春子を見る。彼女は既に席を立ち、部の先輩らしい人たちに囲まれていた。落ち込んでいる春子を慰めているようだ。

「勝ち進まないと、ですよね」

 みぞれの言葉を聞いて、伊緒菜はにやりと笑った。

「ええ、その通りよ」

 ステージ上での対戦も、いつの間にか終わっていたようだ。ちょうど、慧がノートを持って戻ってきた。

「あ、みぞれちゃん、勝ったの?」

「うんっ!」

 みぞれは笑顔で答えてから、

「実況はどうだったの?」

「すごかった」

 慧はノートを開いた。烏羽高校三年の大月おおつき瑠奈るなと、東京都つるばみ高校二年の園田そのだ友愛ゆらの対決だった。

 瑠奈はストレート勝ちしていた。革命を使わず、四枚出しと五枚出しであっという間に勝っている。さすが、団体戦の大将を務めていただけはある。

「革命使わなくても強いんですね」と津々実。

「そう。使わなくても強いのに、革命で翻弄してくるから面倒なのよ」

「こっちの園田さんって人は?」

 伊緒菜は眉根を寄せて、記憶を呼び起こした。

「たしかボドゲ部の人だったような……」

「あ、実況の人がそう言ってました」

「ボドゲ部なんてあるんだね」

「ね。私も思った」

 スタッフが慧を呼びに来た。対戦テーブルの準備が整ったようだ。慧はノートを伊緒菜に渡すと、テーブルに向かった。

 対戦相手は既に来ていた。白く縁取られた黒いベストを着ている、ボブカットの少女だ。

「よろしくお願いします」

 慧が頭を下げて席に座ると、

「よろしく。つるばみ高校二年の藤岡ふじおか晴花はれかです」

 と彼女は名乗った。

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