第41話 1/7
みぞれが、最後の一枚を場に出した。
「Jです」
判定を聞くまでもない。これは素数だ。それでも判定員が宣言するまで、選手たちは黙っていた。
「11は素数。よってこの試合、古井丸選手の勝利です!」
わっと会場が湧いた。その歓声にかき消されながらも、判定員が続ける。
「また、これにて萌葱高校は二本先取となるため、萌葱高校の勝利となります!」
津々実が駆け寄ってきた。
「やったじゃん、みぞれ!」ばしんと肩を叩く。「優勝だよ! 全国進出だよ! おめでとう!」
髪を揉みくちゃにされながら、みぞれは笑顔になった。慧も、遠慮がちにみぞれの肩を叩くと、
「やったね」
「うん!」
「二人とも、よくやったわ」伊緒菜も笑いながら、みぞれの頭を撫でまわした。「私が出るまでもなかったわね」
「あ、本当だ!」津々実が笑う。「先輩、戦ってない!」
「退屈だったわ。全国では私にも出番を回して欲しいわね」
萌葱高校の四人がはしゃいでいる姿を見ながら、美沙は涙目になっていた。その手にあるカードは、Aと2。素数は作れない。
もしこれが素数になれば、勝っていたのは美沙だった。最後の最後、彼女は運に負けたのだ。
弱々しい足取りでテーブルを離れる。
妹は既に泣いていた。美沙も釣られて泣き出した。寄り添いながら、ぽろぽろと涙を流す。
「君ら、泣くような子だったんだな」
史にとって意外なことだった。いつも楽しそうにしているから、悔しがったり悲しんだりする姿を想像できなかった。この子たちにこんな一面があったのか。
抱きしめるように、双子の背中を撫でた。
「まぁ……なんだ。二人とも頑張ったよ。うん、いい試合してた。惜しかったよ。運が悪かっただけさ」
だからこそ悔しいのだ。二試合とも、互いの手札は同程度だった。腕も大して変わらない。そうなると、勝敗は自分の力が及ばないものに左右される。先攻後攻と、ドローの運。QKとはそういうゲームだ。
だが、運で負けたのなら、次は勝てるはずだ。コインは常に裏が出るわけではない。
二人は同時に同じ結論に達し、涙目で見つめ合いながら、固く手を握り合った。
予選はまだ終わっていない。まだ個人戦が残っている。そこで勝ち進めば、いずれ彼女たちとまた戦うことになる。
そのときは、絶対に勝つ。
団体戦が終わると、一時間ほどの休憩となった。みぞれ達は昼食のため、文化会館内のラウンジに来ていた。
壁一面がガラス張りになった、明るい空間だ。小さな売店や自販機もあり、学校のラウンジと設備はそう変わらない。ただし広さは桁違いで、イスとテーブルは百人分くらいあった。
体育ホール以外でもイベントをやっているらしく、ラウンジは混んでいた。明らかに高校生でも教師でもなさそうな人たちも、テーブルでコンビニ弁当を広げている。
津々実が、持ってきたお弁当を三人に振る舞った。
「えー、みぞれと検討した結果、お弁当はおにぎりとなりました」
ランチバッグには、色とりどりのおにぎりが入っていた。白米にゆかりを混ぜたり、鰹節を混ぜたりして握っているようだ。それぞれ具材がわかるように、少しだけ中身が出ていたり、上に具材の切れ端が載せてあったりしている。
「みんなで分け合って食べやすい物、腹持ちがいい物、などを検討した結果このようになりました」
「素晴らしいわね。鎌倉時代の武士のようだわ」
「倉藤は本当に料理できたんだな」
石破教諭が感心しておにぎりを眺めた。
「いしちゃんも食べますか?」
「じゃあ一つだけもらおうか」
海苔は別のバッグに分けてあった。そこから一、二枚ずつ取って、おにぎりを包む。梅干しやおかかなど馴染みのものから、天むすや唐揚げなど手の込んだものまである。五人とも一つずつ手に取ると、
「いただきます」
と食べ始めた。
「ん、美味しい!」
みぞれ達の反応に、津々実はにこにこ笑っている。
「中の具材も、作れるものは基本的に作ってまして。その唐揚げとか、こっちのツナマヨなんかも作ったんです」
得意気に、作り方や隠し味を解説する。津々実は楽しそうだった。
石破教諭はおにぎりを一つ食べきると、「教師がいると落ち着かないだろうから」と席を立とうとしたが、
「ああ、そうだ」
と足を止めた。
「風の噂で聞いたのだが、宝崎、柳高校と練習試合したそうだな」
伊緒菜のおにぎりを持つ手も止まった。
「な、なんのことでしょう」
石破教諭はみぞれに聞いた。
「したのか?」
「ええと……」
「あ、ズルいです、後輩に聞くなんて!」
「なら正直に言いたまえ」
「すみません、しました」
伊緒菜は正直に言った。石破教諭は腕を組んで伊緒菜を睨むと、
「罰として、もう一個もらおう」
ランチバッグからおにぎりを一つ取って、今度こそラウンジから立ち去った。
みぞれ達は呆気に取られて、顔を見合わせた。
「つーちゃんのおにぎり、気に入ったのかな?」
「私が狙っていたの、取られました」
「連帯責任ってことかしらね」
小西那由多はゼリー飲料を片手に走り回っていた。毎年人手不足のこの大会は、司会進行役と言えど裏方の仕事も手伝っていた。
それでも今年は楽な方だ。遅刻者が一人もいない。昼休憩中に全選手の到着を確認できたのは初めてだった。おかげで、事前に仮作成していたトーナメント表がそのまま使える。なんて優秀な選手たちだ。
控室で実況用の機材を確認していると、スマホに電話がかかってきた。
『小西さん、
「やっと来たのね。わかった、いま行く」
電話を切って、足早に部屋を出る。ロビーを突っ切って入口へ行くと、これから海水浴にでも行きそうな、ラフな格好の女性が立っていた。実況役に呼んだ成田
「久しぶりー、那由多」
「先月会ったばかりでしょ」
笑顔の凜に、那由多も笑顔で答える。
「っていうか凜、27にもなってその格好はどうなの」
「今日は若い子がいっぱいいるんでしょ? だったらこっちも若い格好しないと!」
二人は大学時代の同期だった。ともに都内の大学の数学科に通い、ボドゲサークルに属していた。そこでQKを知り、いくつか大会に参加するうちに、運営にタッチするようになっていた。普段の二人は、ごく普通の会社員だ。小西は都内の証券会社に、成田は都内の保険会社に勤務している。
「若い恰好って……。だいたい、みんな制服だし」
スーツ姿で早歩きをしながら小西が言う。
「そうか、あたしもセーラー服で来るべきだったか」
「やめろ」
控え室では実況解説の準備が済んでいた。モニター画面に、体育ホールのステージの様子が映っている。
成田は小西に言われるがまま、バッグを置くと実況席に座った。
「解説は誰なの?」
「私」
「は?」
「私」
成田はうきうきと笑った。
「できるの?」
「一緒にチーム大会で優勝したの、忘れたの? できるよ」
「団体戦では負けたけど、次当たったら勝てるはず」
ラウンジでお弁当を食べながら、千草高校の長江恵は後輩二人に説明した。
「あの双子のことは大体わかったし、他の選手たちの力量も大体つかめた」
「ほんとっすか先輩!」と二年生の
「さすがっす先輩!」と一年生の
二人はいつもこんな調子だった。恵は二人の様子に気を良くしながら答えた。
「さっきは油断しただけだからね。次は勝てるから」
「それで、どんな作戦で戦うっすか!」
子犬のように二人が顔を寄せてくる。
「え、ええと……」恵は頬をかきながら、「ま、まずあの双子だけど、どうやら基本的な素数しか覚えていないっぽい。おそらく三枚以上は曖昧な記憶で戦ってるね」
ふんふん、と後輩二人が頷く。
「だから、あれに勝つためには……」
恵が言いよどむと、千尋が両手を握って言った。
「五枚出しをすればいいんすね!」
恵は千尋に指を突き付けた。
「そう! それよ!」
汐音も拳を握りしめて笑顔になった。
「うちも五枚出しくらい余裕っす! 勝てるっす!」
「さすがっす先輩!」
恵は腕を組んで、後輩たちから目をそらした。
「あ、あんた達も、油断しないことね。個人戦は、団体戦よりハードなんだから」
「はいっす!」
神奈川県
たった二人のボドゲ同好会で、大会に出場するのは梨乃一人。会長は付き添いにすら来てくれなかった。顧問の先生も、野球部の大会があるとかでこっちには来れなかった。寂しいよう、と泣きべそをかきながら母親の作った弁当を食べていた。
ラウンジはざわついていたが、QKの話題は妙に耳に入ってきた。「五枚出しくらい余裕っす!」と威勢の良い声も聞こえてきて、梨乃の心に不安の影を落とす。
梨乃はセーラー服の胸ポケットから、お守りを取り出した。駅まで見送りに来た会長がくれたものだ。「安産祈願」と書いてある。何を産めというのだ。素数か。
「だいたい会長の方が強いじゃないですかぁ~。なんで来てくれないんですかぁ~」
お守りに話しかける。返事はない。
会長はすごい人らしい。「らしい」というのは、梨乃が会長のやっているゲームに詳しくないからだ。会長は「ドミニオン」というゲームが好きらしく、去年はその大会で好成績を残していた。それを見た梨乃が、「私も何かの大会に出たいです」と言ったら、初心者でも入りやすいとオススメしてくれたのがQKだった。
『プレイ人口が少ないから、初心者でも上位に行けるんだ。一年生が全国優勝したこともあるらしいぞ』
「って言ってたのに、個人戦35人もいるんですけどー!」
このうち全国へ行けるのは五人。上位七分の一だ。QKを始めて半年と少しの自分に、そこまで行けるのか。
「会長~、私もう帰りたいです~」
お守りを両手で握って嘆く。
「あの」
するとお守りから声がした。まさか祈りが通じたのか。何が産まれるんだ。
「ここ、空いてます?」
変なことを聞いてくるお守りだ。ここってどこだ。私のお婿さんの席なら絶賛空席中だ。
「あの……」
戸惑った声で、ようやく梨乃は顔を上げた。背の高い、綺麗な女の子が立っていた。おっきなハート型のヘアピンで前髪を止めている。女の子は、梨乃の目の前の席を指差していた。
「あ、ああ、空いてます! 絶賛空席中です!」
「?」女の子は不思議そうに首を傾げたあと、「それじゃ、失礼します」と席に座り、スクールバッグからコンビニのパンを出した。
「あの、あなたも一人なんですか?」
梨乃は思い切って話しかけた。女の子は、
「ええ。……あなたも?」
「そうなんですよぉ~! あ、私、鳥の子高校二年の相馬梨乃って言います。神奈川から来ました。あなたは?」
「埼玉の
「あぁ~、やっと同じ境遇の人に会えましたよぉ~。心細かったんですぅ~」
すると美音は少し困ったように眉を下げた。
「同じ境遇かは……」
「違うんですか?」
美音は小さく頷いた。
「実は私、ボドゲ同好会なの。それも会員一人の」
梨乃は身を乗り出した。
「わ、私もです! 会員は二人ですけど、ここ来たのは私だけなんです!」
「そうなの!?」
美音の表情がぱあっと輝いた。あ、可愛い、と梨乃は思った。会長もこのくらい可愛げがあればいいのに。
梨乃の緊張は、いつの間にか解けていた。
「落ち着いたか?」
史は後輩の双子に尋ねた。文化会館の外のファミレスで、食事を取り終わったところだった。
双子はオレンジジュースをごくごくと飲み干すと、同時に言った。
「落ち着きました」
「それはよかった。私はちょっと、トイレに行ってくるよ」
双子は少し赤い目で、互いを見た。
「絶対勝とう」と美沙。
「うん、絶対勝つ」と美衣。
トーナメントを勝ち進んで、あの萌葱の二人を倒す。そしてもちろん、全国へも行く。
「そういえばお姉ちゃん、トーナメント表のあれ、気付いた?」
「うん、もちろん」
何がと言われなくても、美沙には妹の言いたいことが分かっていた。妹は歯を見せて笑った。
「私達、勝ち進むと決勝でぶつかるんだね」
「スタッフさんも、粋なことをしてくれるよね」
「決勝戦で双子が対決なんて、絶対大注目されるよ」
「ふっふっふー」「ふっふっふー」
双子たちはすっかり元気になっていた。
小西那由他は、時計を見上げた。午後一時二十分。受付のスタッフに電話する。
「小西です。全員戻ってきましたか?」
『はい、確認しました』
「よし、今年は優秀!」
電話を切る。控室を出て、体育ホールへ向かった。
個人戦の開始時刻は、午後一時半。
もうすぐ、後半戦が始まる。
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