第23話 0505

「やっと着いたぁ」

 待ち合わせの駅に着き、津々実は伸びをした。明るい色のポニーテールが、小さく揺れる。

「遠かったね」

 キャリーバッグを引きながら、みぞれが言う。家から一時間以上かかっていた。

 今日から伊緒菜の家で合宿を行う。みぞれ達は朝から電車に揺られ、伊緒菜の家の最寄り駅に来ていた。大きな駅ではないが、連休の中日のためか、家族連れの姿が目立った。これから遊びに行くのだろう。

 改札を抜けると、待ち合わせ場所のカフェはすぐに見えた。入口の横に、見慣れた人物が立っている。ふわふわしたツーサイドアップと、赤い眼鏡が特徴的なQK部の部長、宝崎伊緒菜だ。

 伊緒菜もみぞれ達に気付き、にこりと微笑んだ。

「おはようございます、宝崎先輩」

「おはよう、二人とも」

 津々実が伊緒菜の格好を見て言った。

「先輩って、意外とボーイッシュなんですね」

「そう? そんなつもりないけど」

 伊緒菜はTシャツの上に灰色のパーカーを羽織り、黒いハーフパンツを履いていた。モノトーンの服装に、赤い眼鏡と健康的なすらりとした脚が映えていた。

「私、あんまりファッションとかわからないのよね。それに、むしろ倉藤さんの方が、なんというか……彼氏っぽいわよ」

「かっ!?」

 何故かみぞれが顔を赤らめる。津々実はスポーツブランドのロゴが大きく入ったTシャツを着て、スポーツ帽を被っていた。彼氏っぽいというより、ランニング中っぽい格好である。

 “彼女っぽい”みぞれは、シンプルな白いシャツと、大量のフリルのついた水色のロングスカートを穿いていた。そよ風でひらひらしているフリルを見ながら、伊緒菜が聞く。

「フリル、好きなの?」

「そういうわけじゃないんですけど……」

 みぞれが言葉を濁す。津々実が口を挟んだ。

「こういう服だと、胸が大きいのを誤魔化せるんです。視線が下にいくので」

「へぇ、そうなの」伊緒菜はちらりとみぞれの胸を見た。「って、古井丸さんの服、倉藤さんが選んでるの?」

「選んでるっていうか、この服作ったの、あたしなんです」

「えっ!?」

 伊緒菜は改めてみぞれの服を観察した。ファッションには詳しくないが、市販されている服と差がないように見える。

「さすが家庭科部」

「まあ、昔から弟の服を縫ったりもしてるんで。慣れてるんです」

「あら、弟がいるのね。うちも妹がいるわよ」

「そうなんですか」

 それは会うのが楽しみですね、などと話しているうちに、改札口からぱらぱらと人が出てきた。次の電車が来たようだ。その人の流れの中に、QK部員の最後の一人がいた。長い黒髪をハーフアップにし、深窓の令嬢のような雰囲気を醸している美少女だ。

 キャリーバッグを引いた慧は、みぞれ達を見つけると小走りでやってきた。

「遅れてすみません」

「いえ、まだ時間前よ。むしろみんな早くて驚いてるところ」

 待ち合わせは正午だった。今は、その十五分も前である。

 慧は、三人が自分の体をじろじろ見ていることに気付いた。

「な、なに?」

「いま、ファッションの話をしていたのよ。みんなの私服姿を見るの、初めてだしね」

「はぁ」

 空いた手で、自分のスカートを引っ張る。慧は紺のセーラーワンピを着ていた。大きなスカーフを付け、胸の下を細いベルトで縛っている。

「意外と少女趣味なのね」と伊緒菜。

「胸を強調するファッションだね」と津々実。

「すっごく似合ってる! 可愛い!」とみぞれ。

「う、うるさいですね」と慧は伊緒菜を睨みながら言った。「こういう服じゃないと、母がうるさいんです。もっと女の子らしい格好しなさいって」

「そうなの? 随分厳しい親御さんね」

 慧は怒ったようにそっぽを向いた。

「まあ、いいわ。全員揃ったし、まずはご飯にしましょうか。ファミレスで良い?」

 後輩たちがうなずいたので、伊緒菜は先頭に立って駅を出た。

 駅前にはバスターミナルがあり、それを囲むように居酒屋やコンビニが並んでいる。伊緒菜は歩道橋を渡ってターミナルを越え、ファミレスに入った。


 食事を終え、四人はバスに乗った。バスに揺られること十分、さらにバス停から一分ほど歩き、ようやく目的地に着いた。

 伊緒菜の家は、二階建ての大きな家だった。庭も広く、子供用のブランコが置いてある。

「うわ、大きい!」とみぞれが言うと、「古いだけよ」と伊緒菜ははにかんだ。

「ただいまー」

「お邪魔します」

 伊緒菜に続いて玄関に入る。ぱたぱたと足音を鳴らして、小さい子供が現れた。

「お姉ちゃん、おかえりー」

 小学校低学年くらいの少女は、みぞれ達の姿を見ると、足を止めた。誰、と表情で訴える。

 少女の後ろから、大人の女性も現れた。

「あら、いらっしゃい。伊緒菜の後輩さん達?」

「はい、あたし、倉藤津々実って言います。QK部でお世話になっています」

 津々実がお辞儀する。みぞれ達も名乗り、お辞儀する。

「まあ、礼儀正しい子達ね。初めまして、伊緒菜の母です。この小さいのは、妹の伊佐緒いさおよ。ほら、伊佐緒も挨拶」

「こんにちは」

 母親の後ろに半分隠れながら、伊佐緒は挨拶した。津々実がしゃがんで、伊佐緒に視線を合わせる。

「おー、ちゃんと挨拶できて偉いね。はいこれ、ご褒美のお土産」

 バッグから菓子折りを出して、伊佐緒に渡した。中身が分かっているのかいないのか、伊佐緒は口を半開きにしたまま受け取った。

「あら、わざわざありがとう」伊緒菜の母が言うと、「ありがと」と伊佐緒もつられて言った。

「じゃ、上行きましょうか」

 伊緒菜が靴を脱ぐ。みぞれ達も玄関を上がり、母親に会釈してから、二階に上がった。

 伊緒菜の部屋に入ってまず目についたのは、壁一面の棚だった。本棚のようだが、本の代わりに大小様々な箱が収納されている。津々実が箱に書かれた文字を読んだ。

「ガイスター、ニムト、藪の中……。なんですか、これ?」

「ボードゲームよ」

「これ全部?」

 伊緒菜はにこりと笑って頷いた。

「昔からアナログゲームが好きで、こうして集めてるの。最近は専らQKばかりやってるけどね」

 棚を眺めていたみぞれは、ふと隅の方に飾ってあるものに気付いた。額に入れられたそれは、銀色のメダルだった。表面には、剣を構えた女性が描かれている。絵は上下に二分割され、下側では同じ女性が上下逆さまに描かれている。明らかに、トランプの絵札をかたどったデザインだ。

「宝崎先輩、これってもしかして」

 指差して尋ねると、伊緒菜は照れくさそうに答えた。

「ええ。去年の全国大会の、銀メダルよ」

「さ……触っても良いですか?」

 良いわよ、と伊緒菜が言ったので、みぞれは額から取り出して手に持ってみた。トランプほどの大きさで、見た目よりだいぶ重い。裏面にはトランプのスートが四つ並べられ、その下に大会の日付と「準優勝」という文字が書かれていた。

 この人は本当に準優勝者だったんだ、とみぞれは実感した。疑っていたわけではないが、初めて物的証拠を手にして、鳥肌が立ちそうになっていた。自分はこれを、いやこれ以上の場所を目指そうとしているのだ。

 部屋のドアがノックされた。母親が入って来る。

「みんな、お菓子とジュースを持って来たわよ」

「あ、ありがとうございます」

 部屋の中央の座卓に、母親はスナック菓子とペットボトルの載ったお盆を置いた。一言二言話してから、母親が出て行く。

 みぞれ達は荷物を置くと、座卓の周りに座った。伊緒菜はパーカーを脱いで冷房を入れると、トランプと小さいホワイトボードを座卓の上に置いた。

「なんでホワイトボードが部屋にあるんですか」

 津々実が突っ込んだ。

「あるとボドゲやるときに便利なのよ。点数書いたりできるから」

「なるほど」

 伊緒菜はみぞれの正面に座り、かしこまった。 

「さて、では……これより、QK部の合宿を始めます!」

 伊緒菜が開会を宣言する。みぞれ達は背筋を伸ばした。

「とはいえ、運動部みたいにガチガチにスケジュールを組んで練習三昧、ってことはしないけどね。強化合宿兼親睦会だと思ってくれればいいわ」

 入部してすぐに練習試合の日程が決まったので、親睦会や歓迎会の類を全くやっていなかった。伊緒菜は、この合宿でそれを兼ねるつもりでいた。津々実の誕生日パーティがあるのは、そういう意味で僥倖だった。

 その津々実が、小さく手を挙げて提案した。

「親睦を深めたいのなら、一つ提案があります」

「なに?」

「苗字で呼ぶのを止めましょう」

 その提案に、少しの間沈黙が訪れた。津々実は真面目な顔で続ける。

「苗字呼びって、見ていてそよそしいんですよね。ほら、柳高校の人達は、名前で呼び合っていたでしょ? 形から入るのも大事だと思います」

「そういうもの?」

 と慧は眉をひそめたが、伊緒菜は後輩達の顔を見て、

「ま、一理あるわね」

 と納得した。

「それじゃ、えーと、みぞれ? みぞれちゃん? どっちが良い?」

「どっちでも良いですよ、伊緒菜先輩」

 みぞれはにこにこしていた。

「なんだか嬉しそうね?」

「わたし、苗字で呼ばれるの、あんまり好きじゃないんです」

「あら、そう。それは悪かったわね」

 古井丸という字面が、犬っぽくて可愛いのだが、なんとなく古めかしく感じていて、苦手だった。

「で、剣持さんは……」伊緒菜は慧をじろじろ見て、「『ちゃん』って感じはしないわね。慧、ね」

「そうですか? 慧ちゃん、可愛いですけど」

「ぅ……」

 急に名前で呼ばれて、慧は恥ずかしくなった。友達の少ない慧は、大人以外から下の名前で呼ばれた経験がなかった。「剣持」より「慧」の方が呼びやすいだろうに、そう呼ばれなかったのは、親しい友人を作って来なかったことの証左と言える。当然、自分から人の下の名前を呼んだ経験もなかった。

 慧はしどろもどろになりながら答えた。

「それじゃ、その、よろしくお願いします、いお、な、先輩、み、ぞれちゃん、つつみ、ちゃん」

「なに照れてるのよ」

 伊緒菜が突っ込むと、

「別に照れてませんっ」

 と慧はそっぽを向いた。

「あと倉藤さんは」伊緒菜はみぞれと津々実を交互に見て、にやりと笑った。「つーちゃん、かしら?」

 津々実は慌てて手を振った。

「いや、その呼び方はちょっと」

「え゛っ!?」

 みぞれが顔を青くした。

「つ、つーちゃん、この呼び方、嫌いだったの……?」

「や、そういうわけじゃないよ、みぞれは良いよ!」

「あー、なるほど」伊緒菜がわざとらしく言う。「みぞれにだけ許した呼び方ってことね」

「いや、なんていうか、その……」

 津々実は口をぱくぱくさせ、みぞれは顔を赤らめていた。慧は相変わらずそっぽを向いている。なんだこいつら可愛いな、と伊緒菜は思った。

「な、名前と言えば」まだ照れている慧が、誤魔化すように話した。「みんな、変わった名前よね。私はよくある名前だけど……」

「私も思ってたわ」伊緒菜が同意した。「特に『津々実』なんて、滅多に見ない名前よね。どういう意味の名前なの?」

「そのままですよ。何事にも興味を持つように、って意味らしいです」

 四字熟語の「興味津々」から付けられた名前らしい。それなら「津々実」ではなくて「津々味」とすべきではないかと伊緒菜は思ったが、「味」だとさすがに字面が悪いと判断したのだろう。ラーメン屋の名前のようになってしまう。

「そういう伊緒菜先輩は?」

「どうも、名前に『緒』を入れたかったらしいわ。『長く続く』って意味があるらしいわね」

 妹の「伊佐緒」にも、「緒」が使われている。「継続は力なり」が家訓なのかもしれない。

「慧は?」

 伊緒菜が話を振る。慧はつまらなさそうに、

「特に意味はないみたいです。音の響きで決めたって言われました」

 名前の由来がないことを、慧は不満に思っていた。「ケイ」と読む無数の漢字の中から「慧」を選んだのも、他の人と被らなさそうだから、という理由だった。

 三人の視線が、みぞれに集中した。みぞれは「ええと……」と戸惑った後、小声で言った。

「わたしも、意味はないみたいです。わたしが生まれた日にみぞれが降ってて……それが綺麗だったらしいです」

 津々実は口を開きかけて、再びつぐんだ。以前に聞いた由来と、若干違う。生まれた日にみぞれが降っていたのはその通りだが、意味がないわけではなかったはずだ。

 名前の由来は、人によっては大切なものだ。ぺらぺらと喋りたくない場合もあるだろう、と津々実は思った。

「みぞれちゃんって、冬生まれなの?」

「あれ、慧ちゃんには言ってなかったっけ。わたし、12月13日生まれなの」

「そうなのよ」伊緒菜が得意気になって言った。「みぞれはQKの日に生まれたの」

「QKの日? ……あっ、1213!?」

「まさに運命でしょ?」

「運命かどうかは知りませんが、すごい偶然ですね」

 どこかで似た会話をしたような、と慧は思ったが、どこでしたのか思い出せなかった。

「では親睦も深まったところで」伊緒菜が仕切り直した。「合宿を始めましょう。まずは乾杯しましょうか」

 先程から菓子類が出しっ放しだった。てきぱきとジュースを注ぐと、

「では、QK部の全国優勝を目指して、乾杯!」

 グラスを打ち鳴らす。伊緒菜は一息で飲み干した。

「まずは何をするんですか?」

 みぞれが身を乗り出して聞いた。

「まずは、あるテクニックを教えるわ。素数判定をするときに役立つ、とても便利な方法よ」

「そんな方法があるんですか?」

「ええ」

 伊緒菜はにやりと笑った。

「その名も、1001チェックよ」

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