第4章 合宿
第22話 0501
今日から五月だ。ホームルームでは、中間試験の日程表が配られた。もうすぐ大型連休というときに、水を差すような話題だった。
中間試験は、五月の第三週に三日間かけて行われる。中学のときから大して成績の良くないみぞれは、中間試験なのに三日もあるのか、と辟易しながら鞄にプリントをしまった。
津々実と一緒に、第二校舎へ向かう。いつものように、ロビーで別れた。
「本当は、合宿のこととか聞きにそっち行きたいんだけど、今日は絶対来いって部長命令が下っててさ」
「何かあるの?」
みぞれが聞くと、津々実はスマホの画面を見せた。家庭科部のグループSNSが表示されている。
「ゴールデンウィーク中、電気点検のせいで家庭科室のブレーカーが落ちるんだって。だから、今日と明日で冷蔵庫の中身を食べ尽くさないといけないらしい」
「へ、へぇ……」
家庭科室の冷蔵庫は、業務用だ。どの程度中身が入っているのか知らないが、十人そこらで食べ尽くすのはさぞ大変だろう。
津々実と別れて、QK部の部室へ向かった。
「こんにちは」
扉を開けると、既に慧も伊緒菜も来ていた。みぞれは慧と向き合う席に座った。ここがすっかり定位置となっていた。
挨拶もそこそこに、伊緒菜が話し出した。
「さて……まずは二人とも、練習試合お疲れ様でした」
伊緒菜の言葉を聞いて、みぞれも慧も急にしょげた。まだ尾を引いているのだ。
「今日は、その反省会をするわ。札譜は持ってきてるわね?」
二人はいそいそとノートを出した。
「反省と言っても、何をすればいいんですか?」と慧が聞く。「家で自分の札譜を見ましたけど、何から考えたらいいかわからなくて」
「まずは、自分の手札でどんな素数が作れたのか、素数表を見ながら考えることかしらね」
「素数表?」
「こんなやつよ」
伊緒菜がA4サイズのファイルを取り出した。クリアポケットが束になっていて、一ページごとにプリントが収納されている。
ファイルを開くと、パソコンで打ち出した表が入っていた。びっしりと数字の書かれた長方形の表や、縦長でまばらに数字が書かれた表など、色んな表がある。
「QKには、出しやすい素数と出しにくい素数がある。それに、覚えやすい素数と覚えにくい素数もね。この表は、それをまとめたものよ」
「これ……全部宝崎先輩が作ったんですか?」
まじまじと表を見ながら、慧が聞いた。
「私が作ったものもあるし、歴代の先輩達が作ったものもあるわ。うちのパソコンにはもっと色々なデータが入ってるけど、その中で私が使いやすいと思ったものを、こうして印刷したのよ」
開かれているページには、三枚出し素数が列挙されていた。それもただ列挙してあるのではなく、各三枚で作れる最大の素数と最小の素数が記されていた。この表を見れば、例えば手札が4、8、Kのとき、作れる最大の素数は4813であり、8413ではないことがわかる。
みぞれは一人で反省会をしたとき、素数判定アプリでいちいち素数を探していた。しかしあらかじめこのようにまとめておけば、簡単に素数を見つけられるのだ。
「剣持さんの最初の試合を見てみましょうか」
三人でノートを見た。
慧と美衣の第一試合は、美衣の先手で始まった試合だ。第一手で美衣がカマトトし、ペナルティで四枚引いた試合である。
このとき、慧の初期手札は2、3、3、4、7、8、8、10、J、Q、Kだった。伊緒菜がトランプで、札を再現する。
「これ、実は割と強い手札なのよ」
喋りながら、伊緒菜は十一枚のカードを四つのグループに分けた。
「美衣さんの先手だったけど、相手がカマトトしたから、実質剣持さんの先手だった。で、例えば三枚出しなら、こんな風に出すことができたわ」
机にカードが並ぶ。
823、8J7、Q10K、43。
「これは全部素数。最初に823を出して、相手がそこまで大きくない素数を出せば、8
慧は、伊緒菜が並べたカードと札譜を見比べて、指摘した。
「いえ。この試合の場合、仮に私がそれを思いつけたとしても、負けたはずです。私が8J7を出したあと、美衣さんがQ10Kを出してくるはずですから」
伊緒菜の説明では、慧は三ターン目でQ10Kを出すことになるが、札譜ではそのターンで美衣がQ10Kを出している。美衣が先手なので、慧はQ10Kを出せない。
「そうね。今回は、美衣さんの手札も強かったからね。運が悪いとそういうこともあるわ」
美衣はカマトトで四枚引いていた。札譜を交換して分かったことだが、美衣はそのときにJ、K、そしてジョーカーを引いていたのだ。あまりに運の良い引きだった。
「QKは配札が悪いと、最善を尽くしても負けることがある。そこがちょっとつらいところね」
三人は他の手も検討した。三手目にQ10KではなくK10Jを出すのはどうか。四枚出しではどうだろう、あるいは二枚出しでは。合成数出しする手はなかったのか……。
第一試合を検討したら、第二試合、そしてみぞれや伊緒菜の試合も検討した。思いついたことは、どんどんノートに書いていった。
それだけでも、みぞれはいくつか素数を覚えてしまった。今までも試合後に考察していたが、なるほどこれは重要だと、改めて思った。
一通り検討を終えると、慧が溜息を吐いた。
「つ……疲れました……」
「お疲れ様」
伊緒菜が鞄からチョコを出した。
「ありがとうございます」
チョコを食べる後輩たちを見ながら、伊緒菜が言った。
「本当は、さらに相手の出し方の特徴なんかも検討したいところだけど……まぁ、残りは明日やりましょうか」
みぞれが顔を上げた。
「出し方の特徴……なんて、あるんですか?」
「あるわ」即答した。「現に、私は吉井さんの特徴を知ってるもの」
「44Q3を出しがち……ですか?」
練習試合のとき、史から直接聞いたことだ。「吉井史」の語呂合わせで44123を覚えており、それをつい出したくなるらしい。
「それもあるわね。他にも、あの人は3n消費型素数をよく出すのよ」
「なんですか、それ?」
「3、6、9、Qを効率よく消費できる素数のことよ。Q9Jとか、Q6Kとか。たぶん、覚えている素数が3n消費型に偏っているんでしょうね」
慧が眉をひそめる。
「覚える素数って、偏るんですか?」
「もちろん。人によって覚えやすいものは違うし……それに、部活でやっているからね」
部活でやることと素数が偏ることに、何の関係があるのだろう。みぞれと慧が首を傾げた。伊緒菜がチョコをもう一個食べて説明する。
「さっき素数表を見せたけど、どこの部活にも、代々蓄積された素数表があるのよ。この素数表は、門外不出の一子相伝。つまり、先輩たちが覚えてきた素数を、後輩たちも覚えていくことになるの。だから、学校ごとに大まかな傾向が表れるのよ」
「本当ですか!?」
慧は、にわかには信じがたい様子だ。みぞれも驚いたが、心当たりはあった。
ラマヌジャン革命にカウンターできる素数を、みぞれは1480台の四つ子と「1279」の五個くらいしか覚えていない。だが練習試合のとき、勘で出した1223が革命カウンター素数だった。人によっては、こっちの方が覚えやすいかもしれない。
つまり、みぞれは既に伊緒菜の色に染まりつつあるのだ。
「宝崎先輩には、どういう傾向があるんですか?」
伊緒菜は、「そうねえ」と言いながら素数表をめくった。
「私の場合、語呂合わせで覚えているものが多いから、覚えている素数が最強素数とは限らない場合があるわね。例えば『
限られた持ち時間の中で、咄嗟に最強素数に並べ替えるのは難しいのだ。
「あと、関連付けで覚えるから、何かしら偏りはあると思う」
「関連付け?」
「えっと」伊緒菜はまた素数表をめくった。「これよ」
二人に表を見せる。それは、二枚出し素数が縦に並び、その横に数字が書かれている表だった。
「この表は、二枚出し素数を三枚出し素数にする方法をまとめたものよ。例えばQKは、頭にA、4、Kを付けても素数になる。同じように、三枚出しに何を追加すれば四枚出し素数になるかも覚えているわ」
そういう覚え方もあるのか、とみぞれは感心した。
伊緒菜はちらりと教室の時計を見た。
「そんなところかしらね。下校時間まであと少しあるけど、今日はもう帰りましょうか」
「あ、あの、その前に」
みぞれが身を乗り出した。伊緒菜が小首を傾げる。
「なに?」
「ええと、合宿って、何するんですか?」
伊緒菜の家に泊まることは聞いたが、具体的な内容はまだ何も聞いていない。慧も真面目な顔で伊緒菜を見つめた。
「基本的には練習の繰り返しのつもりだけど、いつもと違う練習もするつもりよ。実戦形式の練習ばっかじゃ、つまらないでしょ?」
「どんな練習をするんですか?」
伊緒菜はにやりと笑って答えた。
「それは当日のお楽しみ」
高校の最寄り駅で、みぞれと別れる。途中の乗り換えで、慧と別れる。伊緒菜の家は、萌葱高校から遠かった。
伊緒菜は、QKをするために萌葱高校に入ったと言っても過言ではない。QK部のある高校のうち、家から一番近いところが萌葱高校だったのだ。
幸いにも、萌葱高校は強豪校だった。先輩たちは毎日真剣にQKをやり、素数表も立派なものばかりだった。元々QKに詳しかった伊緒菜は、すぐに実力をつけ、全国大会準優勝を果たした。
今年はどうなるだろう。伊緒菜は後輩二人の顔を思い浮かべた。みぞれはとにかく強い。実力はまだまだだが、今後の鍛錬次第でいくらでも伸びるだろう。慧はみぞれに比べればだいぶ弱い。だが数学や計算が得意なら、テクニックを駆使して勝てるようになるかもしれない。
それに二人とも、少しくらい負けても臍を曲げない根性がある。練習試合で負けても、やる気を失った様子は全くなかった。萎えていたらどうしようと心配して合宿に誘ったのだが、杞憂だったようだ。落ち込んではいたが、もっと強くなってやろうと意気込んでいるように見えた。
気合があっても強くなれるとは限らないが、気合が無ければ強くなれない。みぞれにも慧にも、強くなる下地はあると伊緒菜は思っていた。あとは、伊緒菜がどう導くかによる。
二人とも強くしたい。そしていつか、全力で戦いたい。
全国大会の舞台で。
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