第21話 23456789
「教えておこう、後輩さん達。この宝崎伊緒菜さんは、去年の全国大会の準優勝者だよ」
史の突然の暴露に、みぞれ達は三人そろって声を上げた。
「そうなんですか、宝崎先輩!」
「まぁ……そうね」
みぞれが一歩前へ出る。
「ど、どうして今まで黙ってたんですか?」
「なんとなく、言うのが恥ずかしくて……」
伊緒菜が珍しく口ごもった。やれやれと言った様子で、史が言った。
「宝崎は、負けず嫌いというか、変なところでプライドが高いというか……。他人には甘いくせに、自分には厳しいんだよな。準優勝なんだから、もっと誇っていいと思うんだが」
「そ、そうですよ!」みぞれが同意した。「準優勝ってことは、全国で二番目に強いってことですよね。すごいことじゃないですか!」
「いいえ。準優勝ってことは、一回負けたってことよ」
伊緒菜の強気な反論に、みぞれは言葉を飲み込んだ。
「それを自分で言うのが、なんとなく嫌だったのよ」
「ほら、プライド高いだろ?」
史が肩をすくめた。伊緒菜は仏頂面だ。
「単なる準優勝なら、私だって自慢するわ。でも、あの人に負けたっていうのが悔しいの」
「あの人……って誰ですか?」
「私の……なんと言うか……ライバルよ」
「ライバル?」
QKの、という意味だろうか。
「その話はまた今度にしましょう」誤魔化すように、伊緒菜はスマホの時計を見せた。「ほら、もう夕方だし、そろそろ帰りましょう」
それから、津々実と美衣が「札譜の交換」をした。お互いが書いた札譜を見せ合い、見えなかった相手の手札を書き写した。
柳高校を後にして、駅に向かう。河川敷で走っていた生徒たちは、今はグラウンドでボールを蹴っている。その掛け声を聞きながら、夕焼け空の下を歩いた。
帰りの電車の中で、みぞれ達はノートに札譜を書き写した。素数だけが書かれていたノートに、初めての札譜が書き込まれる。それは、初めての敗北の記録でもあった。
慧はストレート負けした。みぞれは一本しか勝てなかった。その一本も、初期手札の運が良かっただけだ。実力で勝てたという気がしなかった。
伊緒菜の試合を書き写し終えると、みぞれが言った。
「宝崎先輩、なんだか楽しそうでしたよね」
「え?」
伊緒菜の顔を見上げた。
「吉井さんと試合してるときです。あと、終わった後も。すっごく、楽しそうでした。どうしてですか?」
みぞれと慧は、試合中、ずっと緊張していた。たぶん美衣と美沙もそうだ。だけど、伊緒菜と史は違った。お互い、慣れた相手だったからだろうか。
「どうしてと言われても……。だって、面白いでしょ、QK」
当たり前のことのように伊緒菜は答えた。慧が反論するように言う。
「試合中に楽しむ余裕なんて、ありません」
「私だって余裕はないわ。でも、それを含めて楽しんでいるというか……。QKは、そもそもゲームなのよ? ゲームは、楽しむためにあるものよ」
伊緒菜は真剣な表情で続けた。
「私も負けることはあるし、負けたら悔しい。だから悔しい思いをしないために、試合中は勝つことだけを考えてる。だけど、それこそがゲームの魅力よ。他のことを考える余裕を失くし、ただひたすらゲームに没入する……この没入感こそがね。皆にはそういう経験、ない?」
みぞれも慧も、黙っていた。津々実だけ、小さく手を挙げた。
「たしかに、スポーツをしてる時は、そうなることもあります。それが、QKみたいなゲームにもあるってことですか?」
「ええ。傍から見てるだけだと、わかりにくいかもしれないけどね」
伊緒菜はにこりと笑った。
「それに、人に勝つのって、気持ち良いでしょ?」
伊緒菜にとっての一番の理由はそれなのかな、とみぞれは思った。
家に帰って、夕食を食べて、風呂に入った。
みぞれはパジャマ姿でノートを開いた。今日の札譜を確認するためだ。
自分の部屋で一人、音楽もかけずに勉強机に向かい、ノートを見下ろす。長く感じたあの戦いも、札譜にするとほんの十数行で済んでしまうのか、と思った。だがこの十数行に、あのバトルのすべてが記録されている。一行一行が、みぞれにとっては熱い勝負の足跡だった。
どうすれば美沙に勝てたのだろう。みぞれは素数判定アプリを使いながら、もっと良い手がなかったのか、調べ始めた。
手札が十一枚もあれば、カードの組み合わせは何通りもある。自分が出した素数以外にも、作れる素数は当然たくさんある。そのどれが最適なのか、今のみぞれには判断できなかった。
伊緒菜なら、同じ札でも美沙に勝てたのだろうか。みぞれは伊緒菜の試合の札譜を確認した。自分が同じ札を配られたとき、伊緒菜のように戦える自信はなかった。
自分は強いと思っていたのにな。
初めてQKをやったあの日、みぞれは津々実に初めて勝った。それまでずっと、津々実に勝ちたいと思いながら、勝てるはずないと半ば諦めてもいた。みぞれは、津々実に対して一種の劣等感を抱いていたのだ。それが、こうもあっさりと覆るなんて、と驚いた。
だから油断していた。自分はQKの才能があって、物凄くQKが強いのだと信じ切ってしまった。でも、全然違った。みぞれ程度の実力のプレイヤーは、他にもきっとたくさんいるのだ。
どうしたらもっと強くなれるのだろう、とみぞれは思った。それは、津々実と出会ったあの日から、ずっと考えていたことだ。半ば諦めながらも、津々実に勝つ方法を考え続けていた。
やがて札譜の分析に疲れたみぞれは、アプリに適当な値を入力し始めた。デタラメな数を入れて判定ボタンを押し、素数かどうかを確かめる。
何も考えずに入力すると、ほとんどが3の倍数になった。なんでかな、と考えて、そうか数の三分の一は3の倍数なんだ、と気が付いた。3、6、9、12、15……3の倍数は、3つごとに現れる。当たり前の話だ。
ほとんどの数は、一桁か二桁の素因数を持っていた。稀に、三桁や四桁の素因数しか持っていない数が出てきた。
いくつか発見もあった。
例えば、23456789は素数だ。これがQKで使えるかどうかはわからないが、出せたらカッコ良さそうだ。
クイーン2枚の後ろには、何を付けても素数にならないこともわかった。QQAからQQKまで、全部合成数なのだ。では逆に、A、3、7、9、J、Kのすべてを付けられる数はあるのかな、と探してみたが、見つけられなかった。ないのかもしれない。
他にも、123とか567とか、三連続の数を入力すると、必ず3の倍数になることも見つけた。123や567が3の倍数であることは、各桁の数を足せばすぐにわかる。だけど、「どんな三連続の数でも、必ず3の倍数になる」ということの理由は、みぞれにはよくわからなかった。
気付くと一時間くらい経っていた。ノートには素数が増えていた。素数を探すことにこんなに夢中になるなんて、とみぞれは自分で自分がおかしくなった。
ふと、電車の中でした会話を思い出した。何かに没入した経験はないのか、と伊緒菜に聞かれ、みぞれは咄嗟に答えられなかった。だけど、もしかしたら今のこの時間は、没入していた時間だったのではないだろうか。まさか、素数探しに没入するとは……。
しかし実際、素数を探すのは楽しかった。素数かどうかは、見ただけでは判断できない。素数に違いないと思った数が、判定ボタンを押した瞬間、素因数分解されてしまう。それがなんだか、ドキドキして面白かった。
このドキドキする感じは、QKの試合中にも感じていた。出した数が素数かどうかを待つ時。自分の考えた作戦がうまく決まるかどうか試す時。みぞれは確かにドキドキして、ゲームに没入していた。
なんだ、自分もQKを楽しんでいるんじゃないか、とみぞれは思った。
そのとき、スマホにメッセージが届いた。伊緒菜からだった。
『合宿をしましょう!』
と書いてあった。
自室のベッドの上で、慧は札譜を見ていた。
慧も、少なからず落ち込んでいた。自分が強いとは思っていなかったが、美衣にあそこまでコテンパンにやられたのはショックだった。
慧は今回、合成数出しもできなかった。素数を探すのに精一杯だったからだ。なのに、美衣は合成数出しもしてきた。自分の専売特許を奪われたような気分だった。
素数判定アプリに、慧が間違えた数「8K7」を入力した。「8137は素数ではありません。8137=79×103」と表示された。
「そんなのわかるわけないわよ……」
79×103なら慧でも暗算できる。80×103-103を計算すればいい。だが、逆は無理だ。79以下のすべての素数で、8137が割れるかどうか確かめるなんて。
しかし、美衣はそれをやってのけた。13711が素数だと、確定させたのだ。13711の平方根は約117で、これ以下の素数は全部で30個ある。2や3など簡単に判定できる素数を除いても、20個以上の素数での割り算を、あの短時間でやったのだ。
慧はQKには自信がなかったが、計算力には自信があった。なのに、美衣には計算力でも負けた。完敗だ。
やはり、素数かどうかをその場で計算するのは、無理がある。最低限、三枚出しの強い素数くらいは覚えておかないといけないのか……。
それでも、今回の練習試合で覚えた素数もある。自分が出そうとして美衣に出された121013。子泣き爺の13711。それに、8137が合成数であることは、もう絶対に忘れないだろう。
暗記が苦手な慧でも、試合の中で出会った素数なら比較的覚えていられた。自分の中に数との思い出がどんどん増えていくのは、ちょっと楽しいかな、と慧は思った。
そのとき、手の中のスマホが鳴った。見ると、伊緒菜からメッセージが届いていた。
『合宿をしましょう!』
すぐに次々とメッセージが届いた。
『今日の練習試合で、各自課題が色々見つかったと思う』
『私も、まだ教えてないテクニックがたくさんあるわ』
『6月25日の地区予選まで、あと二カ月弱しかない。だから、GW中に強化合宿をしましょう』
『予定を教えてね』
慧はカレンダーを見た。これと言って予定はない。
『いつでも良いですよ』
と書いて返信した。
みぞれと津々実からもメッセージが届く。
『7日以外ならいつでも良いです』
『5/7は予定がありますけど、それ以外なら』
二人して同じ日に予定があるということは……。慧はメッセージを書き込んだ。
『7日に二人で遊びにでも行くの?』
『遊びに行くというか』津々実が返信してきた。『あたしの誕生日だから、うちでケーキでも焼こうかって話してたんだ』
みぞれからもメッセージが飛んできた。
『良かったら先輩たちも食べますか?』
ケーキを食べている女の子のスタンプが送られてきた。
『いいの? なら、5~6日で合宿して、7日に誕生日パーティしましょうか』
誕生日パーティなんて小学生以来だ。慧はくすりと笑った。
『合宿って学校でするんですか?』
『いえ、私の家でやる予定よ』
『先輩の?』
『それはお泊り会と言うんじゃ…』
『合宿には違いないでしょ?』
話がとんとん進んでしまい、慧は焦った。他人の家に泊まるなんて、初めてじゃないだろうか。それも学校の先輩とは……。
思えば、慧にはあまり友達がいない。友達の家に遊びに行った経験も、あまりなかった。
自分達はもう友達なのだろうか。まだ「部活仲間」の域を脱していない気がする。そんな人達と一晩過ごすことに、慧は期待と不安がない交ぜになっていた。
でも、少しだけ楽しみだな、と思った。
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