第20話 44123
美衣と美沙が、手を取り合って喜んでいる。その声を背中に聞きながら、みぞれは津々実たちのいる部室の隅に戻った。
「みぞれ」津々実が立ち上がって、手を握ってきた。「ドンマイ。惜しかったよ」
「うん」みぞれは力なく頷いた。「でもやっぱり、みんなすごいね。あんなに強い人達がいるなんて」
伊緒菜も立ち上がって、みぞれの肩に手を置いた。
「実際、運が悪かったわ。最後の残り四枚のとき、相手はジョーカーを持っていたから、あなたは何枚出しをしても負けていたと思う。それに、私の指示もあまり良くなかったかもしれない」
「え?」
「ほら、四枚出しで短期決戦を狙えと言ったでしょ? 一本目はそれでうまく行ったけど、二本目以降は相手が四枚出しの対策をしてしまった。敗因の一つは、それね」
同じ相手に同じ手が何度も通用するほど甘くはない。常に相手の出方を伺って、こちらも作戦を変え続けないといけないのだ。
そんなこと、わたしにできるかな、とみぞれは思った。
「ま、反省会は後にしましょう。吉井さんがもう準備してるからね」
史は既に、
伊緒菜は史の対面に座ると、軽く会釈した。
「吉井さん、よろしくお願いします」
「よろしく、宝崎」
史は頭をかいて、後輩二人を見た。
「ついにあたしの番か……。あんまり、後輩の前でカッコ悪いところは見せたくないんだけどね」
「そんなの、私だって同じです」
史は溜息を吐く。
「お手柔らかに頼むよ」
「いえ、全力で戦わせてもらいます」
「……だよね」
史は肩をすくめた。聞くまでもなかったことだ。
二人のやり取りを聞きながら、慧はみぞれに耳打ちした。
「前から気になっているんだけど、宝崎先輩って、強いの?」
「え? あ、そっか、剣持さんは戦ったことないんだっけ」
「それどころか、試合してるところを見たこともないわ」
「あれ、そうだっけ?」
思い出してみると、たしかに慧が入部して以来、伊緒菜が試合をしたことはなかったかもしれない。
「何回か対決したけど、強かったよ。一度も勝てたことないし」
「古井丸さんより強いとなると……どのくらいなのかしら?」
「さぁ?」
相手の部長は三年生だ。QKの経験も伊緒菜より長いだろう。上級生相手でも伊緒菜は強いのか。
二人とも、身を乗り出して試合に注目した。
それは、虎と子猫が戦っているような試合だった。
先攻の史は、初めから攻勢だった。しかし伊緒菜に、その攻撃は全く効いていないようだった。
「24
「ドローして……257です」
史の出した素数に、慌てることなく素数を返す。伊緒菜の返す素数は、史の素数に近いものが多かった。まるで、自分の力加減を史に合わせているかのようだった。
やがて史が大きな素数を出すと、伊緒菜は迷うことなくパスを宣言した。
「なんか、淡々と進むわね?」
慧が小声で言った。みぞれは小さく頷いて、
「うん。だけど……」
と言葉を濁した。
試合の展開だけ見れば、両者の実力は互角に思えた。だが、思考時間や表情には、歴然とした差があった。
史は、既に五分以上時間を使っている。一方、伊緒菜はまだ一分も使っていない。伊緒菜が素早くカードを出すせいで、史の持ち時間だけが削れていた。
表情を見ても、史が追いつめられているのがわかる。史は眉根を寄せ、何かを必死に計算している。対して、伊緒菜は覚えている素数だけを使っているのか、計算する素振りすら見せていなかった。
史の攻撃が、伊緒菜には全く効いていない。それどころか、伊緒菜がちょっと本気を出せば、史など簡単に叩き潰されてしまいそうに見えた。
史が手札から三枚出した。
「96
美沙がスマホを操作した。
「素数です」
史はホッとした表情を見せた。自信がなかったようだ。
伊緒菜の残り手札は六枚。史の残り手札は四枚。伊緒菜はそれを見て、口を開いた。
「吉井さん。もし手札にQがあるなら、別の手を出すべきでしたね」
史の眉がかすかに動いたことに、みぞれは驚いた。伊緒菜の指摘は当たっていたのか? どうして史の手札がわかったのだろう。
伊緒菜が手札を出した。
「
「あー、負けた」
判定が出る前に、史が仰け反った。
「え、あの」
美沙が戸惑う。史は流し目で美沙を見て、
「一応判定して」
「12113は……素数です」
美沙が史に目線を送る。史は期待せずに山札から一枚引いた。カードを見て、首を振る。
「パス」
美沙が場を流す。伊緒菜は小さくため息をついて、残り三枚を場に出した。
「危なかったです。557です」
「557は」
美沙がスマホを操作する。伊緒菜にも史にも判定はわかっていた。
「素数です。よってこの試合、宝崎さんの勝ちです!」
「ダメだったかー」
史が手札をテーブルに投げた。
みぞれは拍手をしながら、史のカードを確認した。
「3と3と、4、4、Q……本当にQがある! 宝崎先輩、なんでわかったんですか?」
伊緒菜がこちらを振り返る。
「さっき言ったこと? ただの勘よ」
「勘でわかるんですか!?」
みぞれが目を丸くすると、史が否定するように手を振った。
「あー、お嬢さん、そんな驚くことじゃないよ。宝崎はあたしの癖を知ってるってだけだから」
「癖?」
聞き返すと、史は頭をかいてから、カードを手に取った。
「この四枚、44
「そうなんですか?」
「しかも、あたしの名前にもなる」
みぞれは小首を傾げた。史のフルネームは、吉井史。
「本当だ!」
伊緒菜がにやりと笑った。
「だから吉井さんは、比較的よくこの素数を出すのよ。五、六試合に一回くらいはこの手で上がってる気がするわ」
「そんなに多くないだろ」
「いえ、結構出してます」
部室の隅で考察ノートを広げながら、美衣が言った。
「ほら、このページにも、こっちのページにも、44Q3が」
「マジか」
美衣がノートを持ってきた。史はページをめくると、
「マジだ」
と言って頭をかいた。
「まぁいい。早く二本目をやろう。次はこうはいかないからな」
「どうぞ、本気でかかってきてください」
「嫌味な奴だな」
二人の掛け合いを見ながら、楽しそうだな、とみぞれは思った。そして、どうしてだろう、と思った。
美衣と慧、美沙とみぞれの間にあったような、殺伐とした空気がない。虎と子猫が戦うというより、じゃれ合うような試合だった。
美沙がカードを配り終えた。シンキングタイム開始の掛け声と同時に、二人がカードを取る。みぞれ達も、身を乗り出して伊緒菜のカードを見た。
伊緒菜のカードは、A、A、2、4、6、7、8、9、10、Qだった。
「どうするかわかる?」
津々実が聞いてきた。
「ううん……向こうの部長さんが先手だからなぁ……」
自分が先手なら四枚出しで攻める手順を考えるところだが、相手が先手だと作戦を立てにくい。さっきの試合で史は三枚出しをしてきたから、今回もそうするだろうか。だとすると……。
「吉井さんが小さい三枚出しをしてきたら、691でカウンターして、返されたらQ107を出せば親が取れるかもしれないけど……ううん?」
すると残るのはA、2、4、8だが、この四枚を組み合わせると3の倍数になる。別の手を考えた方が良い。
「シンキングタイム終了です。ここから、史先輩の持ち時間です」
そうこうしているうちに、シンキングタイムが終わってしまった。
史はそこからさらに三十秒ほど考えてから、カードを三枚出した。
「229」
「229は……素数です」
伊緒菜は迷わず山札から一枚引いた。10が出てきた。
「偶数が増えちゃった」とみぞれが言う。
「だけど、二桁カードだから悪くないかも」と慧が答えた。
伊緒菜はすぐに、手札から三枚出した。
「647」
美沙がスマホを操作して、「素数です」と宣言する。史が溜息とともに言った。
「相変わらず、合わせて来るね」
「その方が、カードを消費できますからね」
伊緒菜がにやりと笑う。史は手札に目を下ろした。何やら考えながら、手札を並べ替えている。
ようやく出したカードは、36
「素数です」
「やれやれ」
背もたれに寄りかかる。
「まるで勝ったような態度ですね?」
「こっちは一手出すだけで大仕事なんだよ」
手で顔を扇ぎながら言った。
伊緒菜は山札からカードをドローした。今度はKだ。これで伊緒菜の手札は、A、A、2、7、8、9、10、10、Q、Kの十枚になった。
「あれっ、すごい」みぞれが小さく言う。「二連続で二桁カードが引けた。かなり強い手札になったかも……」
「場は四桁だけど、勝てる素数はあるの?」
「ええと……810Kとか?」
伊緒菜は少し時間を使って、カードを並べ替えた。手札から三枚取り出す。
「810A」
「素数です」
判定を聞いたあと、史はすぐに三枚出した。
「810
伊緒菜が出すかと思ったが、史の方から出てきてしまった。これで史の残り手札は二枚、伊緒菜は七枚だ。
「いま、ドローしませんでしたね」
「え? あ、ああ、そうだな」
「しかも、ドローするかどうか、迷いもしませんでしたね」
史は、しまった、という顔をした。伊緒菜がにやりと笑う。
「ということは、その二枚はJJや10Jではないんでしょう。さらにここまでで既にKが2枚出てますから、これはほぼ勝ちですね。
「あー、また負けたっ!!」
史が天を仰いだ。
「え、えっと」美沙は一応、スマホを操作した。「素数です」
「パス」
山札から引きもせず、史が宣言する。カードをテーブルに伏せて、
「どうぞ」
と伊緒菜に手で合図した。
「では、A729で、上がりです」
「1729はラマヌジャン革命。よってこの勝負、二本先取で宝崎さんの勝利です」
「ありがとうございました」
「おめでとう」
史がパチパチと拍手した。
「やっぱり強いね」
「それほどでも」
伊緒菜ははにかんで答えた。
みぞれ達は拍手することも忘れ、半ば呆然としながら、津々実が完成させた札譜を見ていた。
伊緒菜は今、なぜ勝てたのだろう。初期手札が殊更強かったわけでもない。強い素数を出し続けたわけでもない。トリッキーなことは何もせず、淡々と相手に合わせて三枚出しを繰り返しただけだ。なのに、いつの間にか勝っていた。
「あ、あの、宝崎先輩!」
みぞれは思わず立ち上がって聞いた。
「最後、Q10Kを出す前に、どうして勝てるってわかったんですか?」
伊緒菜は振り返ると、笑いながら言った。
「勘よ」
「勘でわかるんですか!?」
「おい、後輩を騙すな」
史が突っ込みを入れた。
「冗談よ、ちゃんと理由があるわ。さっきも言ったけど、あの時点で既にKが2枚出ていたし、私の手札にKが1枚あった。つまり、吉井さんはKを最大でも1枚しか持ってないってことがわかるの」
「でも、それで勝てるってわかるんですか? 例えば、吉井さんがKJJを出してくる可能性はあったはずです」
「もちろんその通りよ。でもあのとき、吉井さんの手札は2枚だった。直前のターンでドローしなかったということは、その2枚は素数だった可能性が高い。でも、JJは素数じゃないでしょ? だから吉井さんの手札は、JJでない可能性が高かった」
「JJは素数ではありませんけど」慧が口を挟んた。「Jは素数です。810Kのあと宝崎先輩がパスしたら、吉井さんはJを2回出して上がるつもりだったのかもしれません。Kは持っていないだろう、と予想して」
「そうね、その可能性もあったわ。でも、あの時点で私は1枚もKを出していなかったし、吉井さん視点ではKは2枚しか出ていなかった。その状況で、私がKを持っていないと予想するとは考えにくいわ」
美沙がテーブルの上のカードに手を伸ばした。
「ちなみに、史先輩の残りの2枚は……あ、57だったんですか」
「あら、素数じゃなかったんですね。予想が外れました」
伊緒菜がおどけて言う。史は肩をすくめた。
「最初に57を出すべきだったよ」
「そしたら、戦局は全然違ったでしょうね」
すごいな、とみぞれは感心していた。自分に足りない物の一端が、なんとなく見えた気がした。美沙の言っていた通り、このQKというゲームは、素数を覚えているだけでは勝てないのだ。
「宝崎先輩って、本当にすごかったんですね! ビックリしました」
呆けたように言うと、史が「えっ」と声を出した。
「おい、宝崎、まさかと思うが、もしかしてアレも言ってないのか?」
「な、なんのことでしょう」
伊緒菜が、珍しく動揺しているように見えた。史は溜息を吐くと、伊緒菜の代わりに言った。
「教えておこう、後輩さん達。この宝崎伊緒菜さんは、去年の全国大会の準優勝者だよ」
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