第17話 13711
言われてみれば、美衣の指の動かし方は、筆算のそれではなかった。人差し指だけでなく、親指も動かしている。
「よしっ、出せるはず!」美衣が三枚出しした。「6
「素数です」
慧は唇を噛んだ。早い。いったい何秒くらいで計算しているのだろう。きっと、私よりはずっと早い……。
美衣の残り手札は三枚。彼女は手札を見ながら、指を動かしていた。
慧も必死で暗算していた。早くしないと、美衣が計算を終了してしまう。
慧の残り手札は、2、7、8、9、Kの五枚。6121より大きい数は、いくつも作れる。だが、素数はあるだろうか?
7139は3の倍数ではないが11の倍数だ。
8137は3の倍数でも11の倍数でもない。7では……8137-7=8130で、さらに8130+70=8200であり、これは明らかに7の倍数ではないから、7でも割り切れない。13では……。
持ち時間が飛ぶように減っていく。残り五分を切っていた。
「なるほど、この順番か」
美衣が計算を終えた。三枚の手札を見て、にやにやと笑っている。
「さ、早く出しなよ。私はもう、準備できてるよ」
「っ……」
また煽ってきている。落ち着いて計算しなくては。
教室の隅で試合を見ていた伊緒菜は、「まいったわね」と小声で呟いた。
「まずい状況なんですか?」
津々実が小声で尋ねた。
「そりゃね……」眼鏡の位置を直しながら答える。「だってあの表情、剣持さんの出したカードにカウンターできる自信があるってことよ。たぶん、残りの三枚で、五桁以上の素数が作れるんでしょうね」
ちょっと貸して、と津々実からノートとペンを借りる。この試合の札譜を見て、二桁カードが使われた箇所に丸をつけた。
「今回、既に二桁カードが大量に使われているから、残りのカードがあまりないの。KとJが二枚ずつと、10が一枚あるだけ。相手がこのうち二枚を持っていたら、最悪810Kが作れる可能性もある」
810Kは、三枚出しで作れる五桁の素数のうち、最大のものだ。この場合、慧が五桁の素数を出したとしても負ける。しかも今の慧の手札には、二桁カードが一枚しかない。つまり山札からドローしない限り、四桁の素数しか作れない。
慧はそのことに気付くだろうか。気付いたとして、山札から二桁カードを引けるだろうか。
残り時間が四分となったところで、痺れを切らしたように慧はカードを出した。
「8
「8137は……」史がスマホを操作した。「素数ではありません」
「えっ」
計算ミスか。それとも、計算した素数よりも大きい素数で割り切れたのか……。
山札からペナルティを三枚引く。手札は八枚になった。相手は残り三枚。
「なーんだ。素数じゃないのか」
美衣が、手札を全部場に出した。
「
素数判定員の史を見る。彼女はスマホに値を入力していた。
「ルート13700は約117。私はこれ以下の素数全部で割れないことを確かめたからね。間違いないはずだよ!」
「13711は」史は判定ボタンを押した。「素数です! よってこの勝負、美衣の勝ち!」
「やったーー!!」
美衣は立ち上がって喜んだ。姉の美沙とハイタッチする。
「二本先取! ストレート勝ち!!」
負けた。慧は俯いた。圧倒的大差で負けてしまった。
自分はよほど弱いのだろうか。枚数差だけではない。素数の暗記でも、計算力でも、全然敵わなかった。
慧は手札を置くと、三人の待つ教室の隅に戻った。
「剣持さん」伊緒菜が立ち上がった。「落ち込む必要はないわ。大丈夫。相手のレベルは十分計れた」
「本当、ですか?」
伊緒菜は力強くうなずいた。
「あの子は確かに強い。でも、隙がないわけじゃない。多分あの子、計算力を鼻にかけて、大して素数を覚えていないわ。K7Jも覚えてなかったしね」
K7Jなんて素数、慧も覚えていなかった。反応に困っていると、代弁するように津々実が聞いた。
「それって、みんな覚えてるもんなんですか? 向こうの部長も覚えてなかったみたいですけど」
「そうね、偶数消費型でもないし、覚える優先度の低い素数だけど、ちょっとした特徴のある数なの。これは三枚とも素数だけど、この三枚を並べ替えて作れる素数は、これだけなのよ。それで印象に残ってるプレイヤーは少なくないはず」
「へ、へぇ」
そんな理由で覚えられるだろうか、と津々実は思った。
「ちなみに語呂合わせは、
ぷっと慧が噴き出した。変な語呂合わせだ。
「よかった」伊緒菜が慧を見つめて言った。「ちょっとは元気出た?」
「え?」
笑わせるために、この話をしたのか。慧はそっぽを向いた。
「別に、元からそこまで落ち込んでません。所詮は練習試合ですし」
「そう? ならいいけど」
それから伊緒菜は、座ったままのみぞれを見下ろした。
「さあ、次はあなたの番よ、古井丸さん」
「は、はい」
緊張した顔で立ち上がる。
「古井丸さん、よく聞いてね。あの姉の方も、妹と同程度の実力だと思うわ。同じ経歴だろうからね」
「つまり、強いってことですか?」
「ええ。でもいま言った通り、隙がないわけじゃない。覚えてる素数の数は、あなたの方が多いわ」
津々実が小さく手を挙げた。
「でも、それがアドバンテージになりますか? 五桁の素数を計算できるなら、覚えてるのと変わらないんじゃ」
「そんなことないわよ。QKで重要なのは、素数かどうかを計算できる力よりも、手札の中から素数を見つけ出す力の方よ。そしてその力は、素数をたくさん知っている人間の方が強い」
伊緒菜はみぞれの両肩に手を置いた。
「だから古井丸さん、四枚出しや五枚出しで、短期決戦を狙いなさい。手札が減ったら、相手は並べ替えで簡単に素数を見つけ出す。相手の手札が多いうちに、叩きのめすのよ」
みぞれと美沙が、席に付いた。素数判定員は、再び史が務めることになった。
美沙の見た目は、妹の美衣とそっくりだ。サイドテールの向きが違うだけで、ほとんど区別がつかない。右側にサイドテールのある美沙が、みぞれと向き合うと微笑んで言った。
「さっきは妹が挑発して悪かったね。美衣は性格悪いから」
「お姉ちゃんもでしょ!」
美衣から野次が飛んでくる。みぞれが答えあぐねていると、
「ま、美衣と私、ほぼ同じ性格だけどね」
否定せずに言った。
「性格悪い……って、こと?」
「ふっふっふー、さあ、どうだろうね?」
少なくとも笑い方は妹とそっくりだな、とみぞれは思った。
「それでは、カードドローをお願いします」
史がカードを扇状に広げた。二人は適当に一枚ずつ選ぶと、同時に表に返した。
「美沙がスペードの2、古井丸さんがクラブの8。先攻は古井丸さんです」
有利な先手が取れた。幸先が良いな、とみぞれは思った。
史は十一枚ずつカードを配り、タイマーをセットした。
「では、シンキングタイムのスタートです」
みぞれは手札を取った。A、2、4、4、6、7、9、J、Q、K、K。偶数五枚、奇数六枚。二桁カードが四枚。悪くない手札だ。
手札を並べ替えて、記憶の中の素数と照らし合わせる。出せる素数はたくさんある。QK、9J、4JK、KKJなどなど。ラマヌジャン革命のA729も出せる。悪くないどころか、かなり強い手札だ。
三枚出し、四枚出しと記憶を引き出していく。カードを並べ替え、素数を作っていく。
シンキングタイムが終わる直前に、みぞれは気が付いた。この手札は、かなり強いなんてものではない。これは、このカードは……。
「シンキングタイム終了です。ここから、古井丸さんの持ち時間になります」
「ええと……よ、よろしく?」
みぞれは場に四枚のカードを出した。4、6、4、9……通称
「素数です」
史が宣言する。
「いきなり四枚で来るとはね。きみ、強そうだね」
「ど、どうかな?」
みぞれは曖昧に笑った。
「ちょっと待ってね。三枚出しで来るだろうと思ってたから、油断してたよ」美沙は指を動かしながら言った。「もしかして、四枚出しで攻めろっていうのが、宝崎さんの指示だったりするのかな?」
「うん。宝崎先輩が褒めてたよ。美衣さんは強いって」
やった、と姉の後ろで美衣が喜んだ。
「だからたぶん、美沙さんも強いだろうって言ってたんだけど……でも、弱点も見つけてくれたの」
「それが、四枚出し?」
「うん」
美沙はカードを並べ替えて、また指を動かした。
たしかに、美沙も美衣も、四枚出しの素数はほとんど覚えていない。覚える必要がなかったからだ。四枚出しの素数は四桁から八桁だが、六桁くらいまでなら時間をかければ計算できる。そろばん塾の生徒たちと何回かQKをやったときも、みんな暗記よりも計算力で勝負していた。
小学一年から九年間そろばん塾に通っていた二人は、多くの数に慣れ親しんでいた。それに彼女達は、計算が好きだった。二人が大きな数を暗算でかけ算すると、それだけでみんな驚き、褒めてくれた。それが面白くて、二人は色んな数を計算した。数と計算は、美沙と美衣にとって、いたずらのための良き相棒だった。
「
美沙はテーブルに四枚のカードを出した。奇数ばかり消費してしまうのはもったいないが、みぞれに四枚出しを続けられてしまうよりマシだ。ここで四枚出しを食い止めて、二枚か三枚の勝負に持ち込む。
判定はもちろん素数だ。手番がみぞれに移る。
みぞれは高鳴る胸を鎮めるために、軽く深呼吸した。美沙は今、KとJを消費した。自分の手札にはKが二枚もあるから、美沙がもう一枚Kを持っている可能性は極めて低い。だから、記憶が確かなら、これで勝てるはずだ。みぞれは十秒と待たずに、次の手を出した。
「
「うぇ、何それ」
美沙がうめくような声を出した。史がスマホを操作して、「素数です」と宣言した。
これより大きな素数がいくつあるのか、みぞれは知らない。しかしこれに勝つには、Kが少なくとも一枚は必要だ。これより大きい数を作るためには、QK○○とするか、K○○○とするしかないからだ。その一枚を、美沙は持っているか?
美沙は山札から一枚引いた。それを見て、ため息を吐く。
「パス」
場が流れた。みぞれの手番だ。
みぞれは残りの手札三枚を、全部場に出した。
「A27」
美沙にも史にも、判定するまでもなくわかった。
「素数です。よってこの試合、古井丸さんの勝ち!」
「や、やった!」みぞれは後ろを振り返った。「つーちゃん、見た!?」
「う、うん、見たけど……え、ウソでしょ?」
津々実は完成した札譜を見て、驚愕していた。
み(A244679JQKK)
美(???????????)
み:4649
美:KJA3
み:QKJK
美:D(?)Pass
み:A27,Win
みぞれはたった三ターンで勝ってしまった。ドローすらしていない。
ふっふっふー、と美沙が笑った。
「運が良かったみたいだねぇ」
口は笑っていたが、目は笑っていなかった。
美沙にとって、数と計算はかけがえのない相棒だ。相棒と共に戦って負けるなんて、プライドが許さない。
「次はこうはいかないよ。史先輩、早く配ってください」
「はいよ」
配られた十一枚を、美沙はさっと手に取った。
「それでは、シンキングタイムのスタートです」
今度の先手は美沙だ。さっきのような展開にはなりえない。親を取り続ければ、試合を有利に進められる。
みぞれも手札を確認した。A、5、6、7、8、8、9、9、10、J、Q。偶数五枚、奇数六枚。二桁カードは三枚。9が二枚あるのはありがたい。目に付く素数は、9J、8J、887、6QAなど。グロタンカットの57もある。今日はなんだかツイている。さっきの試合に続いて、強い手札だ。
短期決戦を狙うなら、四枚出しをしたいところだ。6810Jや9810Jなどだろうか。これらを出すために、なるべく早く親を取らなくては。
両者とも方針は決まった。美沙は、みぞれに大きな素数を出させないために親を取る。みぞれは、短期決戦で終わらせるために親を取る。
「シンキングタイム終了です。ここから、美沙の持ち時間になります」
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