第16話 10331
作戦会議のため、両部員が部室の反対の隅に集まった。伊緒菜は、みぞれと慧の顔を交互に見た。
「さて、どっちが先に試合しましょうか。じゃんけんで決めても良いし、先か後か希望があれば聞くけど?」
二人は顔を見合わせた。先に名乗り出たのは慧だった。
「私が先で良い?」
みぞれはすぐに頷いた。
「うん、良いよ」
「ありがと」
慧はほっとした。
これまで、慧はみぞれに圧倒的に負けていた。伊緒菜と試合したことはないが、部長なのだからみぞれより強いのだろう。つまり、慧は部内で一番弱い。彼女はそれを気にしていた。自分はQKプレイヤーの中でも弱いのか、それとも部内で弱いだけで、外部の人達に比べれば強いのか。それを早く知りたかった。
伊緒菜は言っていた。数学が得意でも、QKが得意とは限らないと。それでも慧は、数学好きとして、素数を使ったゲームで弱くありたくないと思っていた。それに慧は、計算力にも自信があった。たとえ素数を覚えられなくても、他のプレイヤーより早く正確に計算して、確実に素数が出せるはずだ。
対戦相手は双子の妹の方、遠海美衣だった。向かい合って席に座る。二人の横に、史が座った。
「じゃ、素数判定員はあたしがやるから、よろしく」
素数判定員とは、QKにおけるディーラーのことだ。出されたカードが素数かどうか判定したり、時間を管理したりする仕事を担う。
「では、カードドローをお願いします」
史がテーブルにトランプを広げた。意味がわからず、慧は伊緒菜を振り返った。
「あ、そっか。それも言ってなかった」
「おい」
史がまた呆れた。
「QKの大会では、カードドローで先攻後攻を決めるのよ。カードを一枚引いて、大きい数を引いた方が先攻になるの。同じ数だった場合は、スペード、ハート、ダイヤ、クラブの順に強い。ジョーカーはどのカードよりも強くて、ジョーカー同士の場合はイラストがカラーのジョーカーの方が強い」
慧は前を向いた。広げられたトランプの中から、カードを一枚取る。美衣も一枚引き抜いた。
二人同時にカードを表にする。慧はハートの7、美衣はスペードの7だった。
「では、美衣の先攻でゲームを始めます」
カードを回収して、軽くシャッフルする。
「あ、そうだ、これも説明しておこう。一本目はカードドローをするけど、二本目以降は、直前の試合で負けた方が先攻になるんだ。オーケー?」
十一枚ずつカードを配った。史がタイマーを一分にセットする。
「それでは、シンキングタイムのスタートです」
慧はカードを取った。手札は、2、3、3、4、7、8、8、10、J、Q、Kだ。奇数は五枚、偶数は六枚。二桁カードも四枚ある。強い手札だ。
この手札で作れる素数はなんだろう。まず目立つのは、QK、10K、8Jの二枚出し上位の素数だ。それから、四つ子素数の823と827がある。
あとは何があったっけ、と慧は記憶をひねり出した。三枚出し最強はKKJなので、あと一枚Kが来れば出せる。たしかKQKも素数だったはずだ。これも、あと一枚Kが来れば出せる。
偶数消費型の大きい素数はないだろうか。10QKは3の倍数でも11の倍数でもないが……7で割り切れる。Q10Kも、3の倍数でも11の倍数でもないが……。
そこで一分が経った。
「シンキングタイム終了です。ここから、美衣の持ち時間になります」
タイマーを動かす。十三分の持ち時間が減り始めた。
それと同時に、美衣が手札を出した。
「おっと、まさかのノンタイム」史がタイマーを止めて札を確認した。「えーと……ん?」
美衣が出したのは、2、6、6、10だった。
慧は眉をひそめて美衣を見た。この四枚は、どう組み合わせても偶数になるから、素数ではありえない。だが美衣はすまし顔だ。史が平坦な口調で言う。
「26610は素数ではありません」
「違うかー」
棒読みで言った。出したカードを手札に戻し、山札から四枚引く。美衣の手札は十五枚にも膨れ上がった。
「では後攻の剣持さん、どうぞ」
「あ、は、はい」
慧は戸惑いながらも、自分の手札に集中した。
部室の隅で札譜を書いていた津々実が、小声で伊緒菜に聞いた。
「なんですか、今の。舐めプですか?」
「いえ、あれはカマトトね」
「カマトト?」
「わざと素数でない数を出して、ペナルティを受ける戦法よ。たぶん、手札が偶数だらけなんでしょうね」
ペナルティを受けると、一度に大量のカードを引くことになる。運が良ければ、それで一気に奇数を増やせるのだ。
「そんなのアリなんですか?」
「ルール上は何も問題ないわ。実際よく見るテクニックよ」
慧はまだ混乱していたが、とにかく知っている素数を出すことに決めた。手札から三枚取って、場に出す。
「823」
「823は素数です」
史がスマホを使わずに宣言する。慧の手札は八枚になった。さあ相手はどう来る、と慧が美衣の顔を見ると、彼女はにやにやと笑っていた。
「ふっふっふー、そんな数出しちゃっていいのかな?」
「え?」
「せっかくこっちが手の内を少し明かしたのに、全然活用しないんだねー」
ムッとして聞き返す。
「どういう意味ですか?」
「こういう意味だよ」
美衣は笑いながら、場に八枚ものカードを出した。
「6910=2×5×69A!」
「なっ」
合成数出しだ。慧は瞬時に暗算した。いや、実際には計算するまでもなかった。691が素数であることは覚えているし、2×5は10だ。これらをかけて6910になるのは、考えなくてもわかる。
「あってます」史が平坦な声で宣言する。「合成数出し、成功です」
美衣の手札が、十五枚から七枚に激減した。慧の残りは八枚。たった一手で逆転されてしまった。
「ほら、この6も10も、さっき出したやつだよ」
美衣は楽しげだ。煽られている、と慧は感じた。こちらの感情を揺さぶって、ヘタな手を出させようとしている。
うまいな、と伊緒菜は思った。カマトトの欠点は、自分の手札がバレることだ。だが美衣は、バレた手札四枚を、次のターンで全て消費した。おそらくあの合成数出しは、初期手札の時点で完成していたのだろう。
同時に、伊緒菜は慧を心配した。あの子はどうも煽りに弱い。変な方向に誘導されないだろうか。
慧は自分の手札を見た。慧の残り手札は、3、4、7、8、10、J、Q、K。美衣がほぼノンタイムで出し続けているせいで、自分の持ち時間ばかりが減っていく。
場は6910、四桁だ。三枚出しの中では大きな方ではないが、慧は四桁以上の素数をまだあまり覚えていなかった。
「一枚引きます」
Kを期待して、山札からドローする。出たのは5だった。全く意味がない。
ある数を素数だと確定させるためには、その数の平方根以下の素数で割り切れるかどうかを確かめればよい。121013は約12万で、12万の平方根は√12の百倍だ。√12=2×√3=約3.5だから、12万の平方根はこの百倍で約350。よって350までの素数で割り切れないことを確かめれば、121013はほぼ素数だと言える。
慧はそこまで考えて、現実的でないと判断した。
素数のような気もする。しかし、確信が持てない中で出す勇気はなかった。
持ち時間が二分減っている。合成数出しを考える余裕もない。慧は手札から三枚のカードを出した。
「4
これは素数だ。慧は確信を持っていた。
「素数です」
史がまた平坦な声で言う。素数判定員はなるべく感情を出してはいけないらしい。
慧の残り手札は六枚。美衣は七枚。
美衣はさっきからずっと、テーブルの上で指を動かしていた。空で筆算でもしているのだろう。合成数出しを狙っているのか、それとも素数かどうか計算しているのか。
一分、二分。美衣の持ち時間が減っていく。慧も伊緒菜に言われた通り、美衣が考えている間に、自分の手札と格闘していた。
「うーん、わかんないけど勝てる気がする!」
美衣が顔を上げる。場に、三枚のカードを出した。
「
慧は目を丸くした。史が答える。
「素数です」
「そんな……」
落胆の気持ちが口から出た。これはさっき悩んだ数ではないか。素数なら出せばよかった。
慧の残り手札には、二桁カードが10とQしかない。六桁の121013に返すためには、もう一枚二桁カードが必要だ。
慧は山札からドローした。しかし、出てきたのは4だった。
「パスします」
史が場のカードを流した。
「ふっふっふー」美衣がまた笑った。彼女の手札は、残り四枚だ。「これはもう、勝てたかもしれないね。ジョーカー!」
場に、ピエロのカードを一枚出した。一枚出しのジョーカーは最強のカードであり、これが出されたときは強制的に場が流れる。
史が場を流す。美衣は残りの三枚とにらめっこしていた。
「出すの、出さないの?」
史が促す。
「ちょっと待ってください、いま最終確認してます」
テーブルの上で指を動かす。3では割れない。7、11、13でも割れない。17、19、23……割れない。
一分もかけずに検算を終えた。確定できる数まで割ったわけではないが、大丈夫だろう。相手の残り手札は六枚だから、ここで間違っても同じ枚数になるだけだ。
「はい、出します!」手札の三枚をそのまま場に出した。「62
伊緒菜が顔をしかめた。史はそれに気付かず、スマホで素数判定を行った。
「6211は」
アプリの「判定」ボタンを押した。表示を見て、宣言する。
「素数です! よってこの試合、美衣の勝ち!」
「やったー!!」
美衣が両手を挙げて喜んだ。後ろで、姉の美沙が拍手した。
反対に、慧は手札を取り落としそうなほどショックを受けていた。六枚も残して、あっという間に負けてしまった。
もしかして、自分はものすごく弱いのではないか? みぞれにも美衣にも勝てない。みんな高校生になってからQKを始めたはずだ。同程度の経歴のはずなのに、この差はなんだ。
「ちょっとタイム!」
伊緒菜が急に立ち上がった。
「吉井さん、その子、妙に強くないですか? 合成数出しができるのに敢えてカマトトをするなんて、素人の発想じゃありません。いったいその子、何者ですか?」
「いや、初心者には違いないよ。ただ、QKのことは入部前に知ってたし、何回かやったことはあったみたいだ」
QKの経験者は滅多にいない。これはまずい、と伊緒菜が思ったとき、畳みかけるように史が言った。
「だけどね、この子らの強さはそこじゃない。この子らは二人とも、そろばんの有段者なんだよ」
「そろばん!!」
試合中に指を動かしていたのは、頭の中で珠を弾いていたからだったのか。
そろばんが得意な人間は、なぜか暗算もできる。伊緒菜はそろばんをやったことがないので、理由はわからないのだが、とにかくそうだ。頭の中にあるそろばんで計算ができるらしい。
美衣が伊緒菜に向けて、ピースサインを出した。
「QKも、通ってたそろばん塾で教わったんです。たまにみんなでやったりしてたんですよ」
ふっふっふー、と笑いながら、慧を見た。
「さあ、二本目、やろっか」
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