第14話 13

 千葉県立柳高校三年の吉井よしいふみは、スマホに表示された名前を見て、今年もこの時期が来たか、と思った。QKなどというドマイナーなゲームをやる部活は、県内に三つしかない。そのうちの一つ、萌葱高校QK部の宝崎伊緒菜からの電話だった。

「ちょっとごめん」

 と後輩達に言って、席を立つ。部室の隅っこで電話に出た。

「もしもし?」

『吉井さん、お久しぶりです。萌葱高校QK部の宝崎です』

「冬以来だね。今年はどんな感じ?」

『なんとか無事、部員を確保できました。そちらは?』

「こっちも有望な一年が二人も入ったよ」

 うちら有望だって、と後輩達が囁き合っている。

 軽く世間話をしてから、本題に入った。

「それで、この時期に電話して来るってことは……」

『はい。練習試合をお願いしたいんです』

「光栄だな。いつにする?」

『去年と同じ、ゴールデンウィークの頭でどうでしょう?』

「ちょっと待って」

 後輩二人に連休の予定を聞く。二人とも、いつでも大丈夫だと快諾した。

「じゃ、四月二十九日にしよう」

『わかりました。私達がそちらへ行きますね』

 集合時間を決めて、高校に立ち入るための手続きを簡単におさらいする。史はメモを取った。部員は四人、と。

「オーケー、この内容で先生に伝えとく。なんかあったら連絡するから」

『ありがとうございます』

 また軽く世間話をして、電話を切る。

 くるりと振り返った。後輩二人が、興味深そうにこちらを見ている。二人とも、表情がそっくりだ。史は笑顔で言った。

「喜べ後輩たちよ。萌葱高校との練習試合が決まったぞ」


「というわけで、今週末に練習試合するわよ!」

 萌葱高校QK部の部室で、電話を終えた伊緒菜が言った。部室にいるのは、みぞれと慧の二人だ。

「うち以外にもQK部あるんですね」

 慧がどこか冷ややかに言った。

「あるわよ! 全国大会があるくらいなんだからね!?」

「でも、大丈夫なんですか? わたし達、つーちゃん含めても四人しかいませんけど、人数足りるんですか?」

「問題ないわ。向こうも三人しかいないから」

 むしろこちらの方が多かった。さすがマイナーゲームだ。

「しかも、そのうち二人は一年だし。だから二人には、向こうの一年と戦ってもらうわ」

 みぞれは少しほっとした。いきなり経験豊富な二年生や三年生と戦うのは、さすがに無謀というものだ。

「練習試合に向けて、何か特殊な訓練とかするんですか?」

 慧が尋ねる。伊緒菜は腕を組んで考えた。

「特別に何かしようとは思ってないけど……。ああ、でも、時間を意識する練習はした方が良いかもね」

「時間?」

「そう。今までは時間無制限でやってたけど、大会では将棋みたいに持ち時間があるの」

 時間制限があるとなると、これまでのように素数かどうかじっくり考えてカードを出すことができなくなる。ますます暗記が重要になりそうだ。

「持ち時間はいくらなんですか?」

「十三分よ。持ち時間がゼロになったら、その時点で失格」

 それは長いのか短いのか。みぞれも慧も、自分が今までどのくらいの時間を使っていたのか、覚えていなかった。

 問うように伊緒菜を見ると、腕組してから答えた。

「今まで見ていた感じだと、二人とも一試合で二十分くらい使ってると思う。練習試合までにあと五分くらい短くした方が良いわね」

 ダメ出しされてしまった。慧が質問する。

「全国大会だと、一試合何分くらいなんですか?」

「十分くらいね。早いと一分で終わることもあるわ」

「一分!?」

 それは、ほとんど考えずに出しているのではないか。覚えている素数だけでカードを出し合い、勝負を決しているのだろう。

「さすがに一分で終わるのは稀だけど、平均十分前後、長くても二十分ってところよ。少なくとも、タイムアウトで失格になる人は見たことないわ」

 全国へ行くレベルの人達にとって、十三分の持ち時間は長すぎるくらいのようだ。

「まあ、いま二十分くらい使っているのに、いきなり十三分に縮めるのは難しいと思う。だから今週は、一手二分以内で出せるように意識しましょう」

 大会の試合では、一手一分くらいが平均だ。終盤の重要な局面で、二分程度の長考が入る。一手二分は妥当な目安だろうと伊緒菜は考えた。

「早速やってみましょう」

 カードを配って、試合を始める。伊緒菜はスマホのタイマーで時間を測った。


 実際にやってみると、二分は恐ろしく短かった。

 みぞれは計算するのをほとんど諦め、知っている素数だけを出していった。慧はなんとか計算しようとしたが、五桁や六桁になると、計算を終えることはできなかった。いつもはまず素数を探してから合成数出しを考えていたが、合成数出しを考える余裕はなかった。

「A5A!」

「647!」

「829!」

「A2K!」

「8Q3!」

「ええと……パス!」

 今までみぞれは、QKは将棋に似ていると思っていた。二人のプレイヤーが黙々と考えて、じわりじわりと攻め合うゲームだと。しかし時間制限を設けると、突如としてバレーボールのような様相を呈した。向こうから飛び込んできたボールを、三タッチ以内に打ち返す。それもただ返せば良いのではなく、試合の流れを読んだ上で、効果的なアタックを決めないといけない。

「合成数出しします」と慧がカードを並べる。「7×51で、357です!」

「残念。51は3の倍数よ」

「え? ……あっ」

「はい、ペナルティ六枚ね」

 みぞれはおずおずと、手元に残った三枚を全部出した。

「637……って、素数ですか?」

「残念、7の倍数ね。63も7も、7の倍数でしょ?」

「あっ、そうか。慌て過ぎた……」

 そんなやり取りの繰り返しだった。時間制限があると、今までできていたこともできなくなる。落ち着いて、冷静に、素早く思考する。そういう訓練が必要だった。

「どうしたら良いんですか?」

 何試合か終えたところで、みぞれが質問する。伊緒菜はトランプを切りながら、

「当たり前だけど、相手の手番の間も、自分の手札の素数判定をすることかな。二人ともまだ、その場その場で考えてる感じがする。相手が出したカードを見てから、何を出すか考えてない?」

「た、たしかに……」

「そう、ですね」

 みぞれも慧も首肯した。

「強い人は、数手先まで何を出すか決めているわ。相手がこう来たらこう返す、ああ来たらああ返す、みたいにね。だから出すのも早いし、早く出せばその分、相手の思考時間を奪える。すると相手は余計に慌てて、ヘタな手を出す。そうなったらもう、こっちのものよ」

 相手の出方を読み、相手を翻弄する。まさに球技だなと、みぞれは思った。

 下校時刻までひたすら実戦を行った。終わる頃には、二人とも頭がくらくらしていた。

「お疲れ様。チョコでも食べる?」

 伊緒菜が鞄から赤い箱を出した。一口サイズのミルクチョコレートが入っていた。

「ありがとうございます」

 口に入れると、じわっと唾液が出てくる。脳が、味はどうでもいいから糖分をくれ、と言っているようだった。

「QKみたいにね、頭使うゲームをするときは、チョコを食べると良いらしいのよ。脳は糖しか栄養にできなくて、糖を素早く吸収できるのがチョコだとかなんとか」

「へぇ」

 チョコを食べながら帰り支度をした。部室の鍵をかけて、職員室に鍵を返す。

 三人で一緒に学校を出て、最寄り駅までの坂道を下った。

「この辺って、寄り道するとこないですよね」

 駅周辺まで来たところで、みぞれが言った。

「あら? そんなことないわよ?」

 伊緒菜はにやりと笑った。

「駅のこっち側は本屋くらいしかないけど、向こう側に大きい駅ビルがあって、そこに色々あるのよ。ファミレスはもちろん、カラオケとかゲーセンとか。放課後なら、たいていうちの生徒がどこかしらにいるわよ」

 言われて見てみれば、確かに駅の向こうに大きなビルがある。今までも視界に入ってはいたが、あまり意識したことがなかった。

「今から行ってみる?」

 みぞれと慧は顔を見合わせた。

「じゃあ、せっかくなので行ってみます」

 改札の前を素通りして、駅の反対側へ行く。三人での初めての寄り道だった。


「それでね、剣持さん、なに着ても似合うの!」

 その夜、みぞれは津々実に電話していた。放課後の寄り道のことを、興奮気味に話す。

「清楚なお嬢様っぽいのから、パンクファッションみたいなのまで、もうなんでも。やっぱり美人でスタイル良いと、何でも着こなせちゃうんだね」

『あー、あたしも、剣持さんはなんでも似合いそうだなって思ってた。家庭科部にモデルに来てくれないかなぁ』

 津々実もスタイルの良い方だが、自分でモデルになるのは楽しくないらしい。着るより着せたいのだ。

「家庭科部はどんな感じなの?」

『今は演劇部と打ち合わせしたりしてる。六月だったかな、公演があるらしくって、そこで使う衣装の打ち合わせ。心霊スポットにいる幽霊たちが主人公のドタバタコメディで、「怖いんだけどどこかユーモラスな衣装」とかいう注文なのよ』

「へー、面白そう。地区予選と被ってなかったら観に行こうかな」

『そうだね、一緒に行こうか』

「うん」

『QK部の練習はどう? どんなことやってるの?』

 みぞれは今日の練習のことを話した。

「それで、今週末に柳高校ってところと練習試合するの」

『へぇ、うち以外にもQK部あるんだ』

「つーちゃん、剣持さんと同じこと言ってる」

 くすくす、とみぞれは笑った。

「でも、なんかちょっと不安だな。もう他校と試合なんて……全然勝てる気しないよ」

『なに言ってんの』津々実は笑い飛ばした。『剣持さんには圧勝してるんでしょ? あたしにも圧勝してたし、余裕だって』

「そうかな」

『そうだよ。そんなに不安なら、あたしも付いて行こうか?』

 津々実は笑いながら言った。みぞれは、伊緒菜が電話で話していた内容を思い出した。

「あれ、そもそも宝崎先輩、『四人行きます』って向こうの人に言ってた気がする」

『え? じゃあ、あたしも行く前提なんだ? あたしも試合するの?』

「どうだろう。向こうは三人しかいないらしいから、試合はしなくていいんじゃない? マネージャーみたいな感じで」

『ふぅん。じゃあ、お菓子でも作っていこうか』

「ホント? やったー!」

 半分くらい、遠足気分になっているみぞれであった。

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