第3章 練習試合
第13話 743
仮入部期間が終わると、校舎内から一斉に部活勧誘ポスターが消える。みぞれは伊緒菜、慧と一緒にポスターを剥がしながら呟いた。
「急に飾り気がなくなると、寂しいですね」
「こっちがデフォルトの状態だけどね」伊緒菜も剥がしながら答える。「ま、風物詩のひとつよ」
あっちでもこっちでも、生徒たちがポスターを剥がしている。家庭科部のポスターもなくなっていた。
ポスターを剥がし終え、部室へ戻る。第二校舎三階の、一番端の空き教室。そこがQK部の部室だ。
「このポスターは、どうするんですか?」
「まとめて置いておいて。あとで生徒会室に持って行くから」
渡された小さい段ボール箱にポスターを入れる。慧も部室に戻って来たので、まとめて箱にしまった。
片付けを終え、みぞれと慧は席に座った。伊緒菜が教壇に立って、眼鏡を押し上げた。
「さて。古井丸さん、剣持さん、改めてQK部へようこそ。今日から、二か月後の地区予選に向けて練習していくんだけど……第一歩として、まずは素数を覚えてもらうわ」
「やっぱり、そうですよね」
慧が少し嫌そうに言う。暗記は苦手らしい。
「前にも言ったけど、QKに必要なのは暗算能力と記憶力、そして運。……とはいえ、人間の計算能力には限界があるし、常に運の良い人間はいない。素数を覚えていなくても勝てることはあるけど、基本的には素数を大量に覚えている方が圧倒的に有利よ。そこで、まずはこの五つを確実に覚えてもらいます」
伊緒菜はチョークを取って、黒板に数を書き並べた。
慧が質問した。
「なぜその五つなんですか?」
「これらは、二枚出しの上位五つなのよ。二枚出し最強が1213であることは教えたけど、その後にはこれらが続くの。逆に言えば、613以上の二枚出し素数はこの五つしかないから、例えば7
みぞれも慧も、新品のノートを鞄から出した。
「おお、優秀。じゃあ、とりあえずこれ、書いといて。たぶん三回くらい唱えれば覚えられるから」
みぞれはノートを開いた。まっさらなページの一番初めに、産まれたときから縁のある数を書き込む。
「1213、1013、911、811、613……」唱えながら、みぞれは首を傾げた。「700台の素数はないんですか?」
「二枚出しならね。三枚出しなら、743とかがあるわ」
それを聞いて、慧が感心して言った。
「そんな中途半端な数、よく覚えてますね」
「これは覚えやすいわよ。馴染みの数だから」
「馴染み?」
「そう。743だから、
「……あっ、語呂合わせ!」
伊緒菜はにやりと笑って、頷いた。
「世の中に、暗記法と呼ばれるものはごまんとあるわ。素数なんてほとんどデタラメな数字の並びなんだから、とにかく色んな暗記法を駆使しなきゃ覚えられない。語呂合わせとか、関連付けとかね。そしてすべての素数を覚えるのも効率が悪いから、覚えるべき素数を厳選して暗記するの」
「覚えるべき素数?」
伊緒菜は黒板に二つ数を書いた。
3109、9103。
「例えばこの二つ、どっちも素数だけど、覚えるべきは
「工藤さん? あ、それも語呂合わせですか」
「どうして工藤さんだけなんですか?」
「なぜなら、3109も9103も、使うカードは同じだけど、後者の方が強いからよ。同じカードを使う素数のうち、一番強い並べ方だけ覚えればいいの。つまり、一番大きい素数と、一番小さい素数ね」
3、9、10を並べ替えて作れる最大の素数は9103、最小の素数は1039だ。
「どうして小さい方まで覚えるんですか?」
「革命があるからよ。小さい素数は革命時に強くなるからね」
1729を出すとカードの強弱が反転する。革命対策として、小さい素数も覚えておかないといけないのだ。
「他に覚えるべき素数は、偶数消費型素数ね。これは名前の通り、偶数を大量に含んだ素数のこと。887とか、641とかね。二枚出し上位五つも、911以外は偶数消費型素数になっているから、実は結構おいしいのよ」
手札に偶数しかなければ、どう頑張っても素数は作れない。だからなるべく早く偶数を消費した方が良い。そのために、偶数消費型素数を覚えておいた方が良いのだ。
「覚えるものたくさんありますね」
「そりゃそうよ。でもまずは、この五つを覚えればいいわ。少しずつレパートリーを増やしていきましょう」
チョークを置いて、伊緒菜が教壇を下りた。二人の間の席に座ると、トランプを取り出した。
「そしてレパートリーを増やす方法だけど、さっきみたいに語呂合わせとかを駆使する方法が一つ。もう一つは、実際に自分で素数を出すこと。実戦の中で、自分で計算して、自分で素数だと判断して出した数は、デタラメな数でも簡単に覚えちゃうからね」
まあ、中には他人が出したものも覚えちゃう人がいるみたいだけど、と伊緒菜は小さく言って、みぞれをちらりと見た。
「効率の悪い方法だけど、意外な素数に出会える方法でもあるわ。とにかく、今日はひたすら実戦をしましょう。二人とも、QKそのものにも、まだあまり慣れてないだろうからね」
カードを切って、二人に十一枚ずつ配る。
「あれ、多くないですか?」とみぞれ。
「そっか、今まで七枚でやってたんだっけ。大会では十一枚でやるから、今のうちに慣れておきましょう」
配られたカードを取って、十一枚だと多いな、とみぞれは思った。七枚なら二枚、二枚、三枚で終わるが、十一枚だと三枚出しや四枚出しを積極的にしていかないと、全然減りそうにない。
「それじゃ、早速やりましょうか」
勝負はみぞれの連勝だった。
覚えている素数の種類がわずかに多いこともあったが、みぞれは妙に強かった。ひと試合ごとに伊緒菜が話すアドバイスを、一回聞くだけで吸収していた。
慧は慧で、合成数出しを駆使してなんとか食い下がった。暗算能力は慧の方が高く、知らない数でも的確に素数判定してから出していた。
「なかなか、いい勝負ね」
時間的にそろそろ最後の試合かな、と思いながら、伊緒菜は二人の手札を覗いた。
残り手札はみぞれが六枚、慧が1、2、3、4、4、6、7、8、9の九枚だった。場には慧が出した
慧は考えた。このままみぞれが何も出さなければ、慧が親になれる。この試合では、ここまでずっとみぞれに親を取られていた。次でようやく親になれそうだ。
手札が配られた時点で1729があったので、革命を起こそうと思って大事に取っておいた。しかし、いま革命を起こして、旨みはあるだろうか。手札から1729を除くと、残るのは3、4、4、6、8。奇数が一枚しかないから、このまま戦うのは無理だ。山札から良いカードが来るのを期待するか?
「うーん……」みぞれが悩んでいる。「これを出したあと、これを出せば、これで勝てる?」
「えっ?」
Kに勝てるのはジョーカーしかない。ここで悩むということは、みぞれはジョーカーを持っているということだ。
「うん、これで勝てるはず。ジョーカー!」
一枚出しジョーカーは最強のカードであり、これが出たときは強制的に場が流れる。伊緒菜がカードを回収して、みぞれを見た。
「さ、何を出す?」
「これで革命ができるんですよね? 1729!」
「なっ!?」
向こうも革命を用意していたのか。いや、1729と57は、手札にあったら温存するのがセオリーなのかもしれない。だとしたら、今後も革命やグロタンカットがバッティングすることは起こり得るのか。
みぞれの手札は残り一枚だ。あの一枚が素数なら、このまま場を流すわけにはいかない。
「ルールを確認したいのですが」慧が伊緒菜に聞く。「1729が出されたときは、そのまま流れるんですか?」
「いいえ。1729に対して、カードを出すことはできるわ。ただしもちろん、1729より小さい四枚の数じゃないとダメだけどね」
四枚出し素数は、当たり前だが四桁以上だ。ということは、1000から1729の間の素数を出さないといけない。
慧は黒板を見た。1213と1013は、この条件を満たす素数だ。これを四枚で出せればいいのだが、いま手札には
そもそも1729以下の四桁の素数なんて、そんなに多くはないはずだ。革命を起こしたら、ほぼ確実に場が流れると考えていい。
みぞれもそう思っていたからこそ、この四枚を出したのだ。みぞれの残り一枚は5だ。ここで慧が何も出せなければ、みぞれが勝つ。
伊緒菜はまた慧の手札を覗いた。カウンターできる素数はいくつかある。例えば、1489が可能だ。しかし、慧はそのことに気付くだろうか?
「一枚引きます」
慧は山札から一枚引いた。6だった。手札は1、2、3、4、4、6、6、7、8、9の十枚になった。全く美味しくない引きだった。
慧は髪をいじりながら、手札を眺めた。今まで出た素数のうち、特徴的なものは覚えている。例えばこの手札なら、821、823、827、829の四つがどれでも出せる。このように、一の位が違うだけの四つの素数を「四つ組素数」とか「四つ子素数」とかと呼び、覚えておくと便利だと、前の試合で伊緒菜が解説していた。
しかし、四枚出しの素数は、ほとんど覚えていなかった。
合成数出しで何とかできないだろうか、と慧は考えた。手札には2がある。1729÷2=864.5なので、これ以下の素数と2を捨てて、合成数出しできる可能性がある。
そうだ、820台の四つ子素数を二倍したものが出せないか。
……いや、ダメだ。そのためには2が最低二枚必要になる。いま2は一枚しかない。
700台の素数はどうだろうか。700台の素数で覚えているものは……。
あ、
「合成数出しします」
宣言して、慧はカードを机に並べた。
「743×2で、
ずらりと八枚ものカードが机に並ぶ。
伊緒菜が素数判定アプリに1486を入力し、確認する。
「合ってるわね。合成数出し、成功よ」
十枚もあった手札は、一気に二枚にまで減った。ふふ、と笑顔を浮かべながら、みぞれを見る。みぞれの手札は残り一枚。この場はパスするしかないはずだ。
「パスします」
「ドローしなくていいの?」
「はい」
伊緒菜が場を流す。手番が慧に移った。この試合で初めての親だ。しかし……。
慧の手札は、6と9の二枚だった。これはどう頑張っても素数にならない。合成数出しも不可能だ。
「なかなかつらい手札ね」
と伊緒菜が手札を覗きながら言った。
だが前の試合で、69Aや69Jが出ていた。これが山札から出れば、三枚出しで勝てる。
「一枚引きます」
AかJが出ることを期待して、山札から引いた。しかし、出たのは3だった。3、6、9の三枚は、どう頑張っても三の倍数にしかならない。手の打ちようがなかった。
「……3を出します」
慧は引いたカードをそのまま出した。
だが、悪い手ではない。いまは革命中だ。3より強いカードは2しかない。みぞれの手札が2でなければ、ここで終わったりしない。
みぞれは自分の手札を確認した。残った一枚は、5だ。革命中のいま、3より弱い。
山札から引くかどうか、みぞれは考えた。慧はいま、ドローしたカードをそのまま出した。ここでパスした場合、慧はまた山札から引くだろう。そのときこそ二枚出しをしてくる可能性は高い。だとすると、ここで一枚引いて、そのときに備えておくべきだ。
みぞれは山札からカードを引いた。そして、ぱっと笑顔になった。
引いたのは、2だった。5と組み合わせても素数は作れないが、これはもう、ほぼ勝ちだ。
「2です」
といってカードを出す。
「え……」
うそでしょ、と慧は固まった。
「はい、剣持さんのターン」
「えっと、一枚引きます」
ジョーカーが出れば対抗できる。が、出たのはAだった。2より小さいが、素数ではない。さっき出てくれればよかったのに、と慧は思った。
「パスします」
伊緒菜が場を流す。
「さあ、古井丸さん、最後のカードは何?」
「はい、5です!」
場に最後の一枚を出す。
「5は素数。よって、古井丸さんの勝ち!」
「また負けた……」
手札を机に広げる。
「惜しかったわね」と伊緒菜。「さっきAを引けてれば勝てたのに」
「運が悪かったです」
そうね、と伊緒菜は同意してから、
「QKはトランプゲームだから、どうしても運が絡む。でも、運だけはどう頑張っても訓練できないから、普段から極力、運に頼らず戦うようにするべきね」
「それはわかるんですが……」
「ひとつアドバイスすると、カードを出すときは、『出したあとに何が残るか』を考えながら出した方が良いわ。あとのことを考えずに出すと、すぐに手詰まりになっちゃうからね」
後先考えずに合成数出ししたせいで、手札が6と9だけになってしまった。もっともあの場では、カウンターしなければ次のターンで負けていたのだが。
「さっきの1729のところだけど」伊緒菜が山札からカードを取り出して、慧の手札を再現する。「あんな合成数出しをしなくても、1489を出す手があったわ」
「素数なんですか、それ」
ええ、と伊緒菜は頷いた。
「すると残りは、2、3、4、6、6、7。古井丸さんはパスするから剣持さんの手番になって、647が出せる。この時点で古井丸さんの手札は一枚、山札から引いても二枚だから、古井丸さんはパスせざるを得ない。そしたら剣持さんは、残った263を出して、勝てたのよ」
そんなのわかるわけがない。
「大会に来るような人だと、みんなそのくらいはわかるんですか?」
「たぶんね」
勝てるだろうか、そんな人たちに。
不安がる二人を見て、伊緒菜はふむ、と考えた。
「もし良かったら、練習試合してみる?」
「練習試合?」
「ええ。他校のQK部と、ね」
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