第12話 1729

「せっかく全員いることだし、QKの正式ルールを説明しましょう。倉藤さんにはどこまで話したっけ?」

 津々実に入部届を書かせたあと、伊緒菜は教壇に立った。

「ジョーカーが使えることは、みぞれから聞きました。まだ何かあるんですか?」

 伊緒菜は合成数出しについて、津々実に説明した。それから眼鏡を押し上げると、

「QKにはあと二つ、ルールがあります。正確には、ひとつは訂正で、もうひとつが追加だけどね」

「訂正?」

 伊緒菜は頷いて、説明した。

「ペナルティのルールは覚えてるよね?」

「はい」と慧。「何か間違えて出したときは、出した札を手札に戻して、しかも山札から一枚引くんですよね?」

「ええ、今まではそう説明していたんだけど、正式ルールでは少し違うの。山札から引くのは一枚ではなく、出した枚数よ」

 例えば、と言って伊緒菜は具体例を挙げた。

「間違えて87を出したとしましょう。そしたら、出した『8』と『7』を手札に戻して、さらに山札からは二枚引かないといけない。もし三枚出しで間違えたら三枚引くし、四枚出しなら四枚引く」

 津々実が小さく手を挙げた。

「合成数のときはどうなるんですか? 場に出した枚数だけですか? それとも、素因数に使った札の分も引くんですか?」

「後者よ。だから例えば、3×5=16なんて出したときは、出した『3』『5』『A』『6』を手札に戻して、しかも山札から四枚引かないといけない。多く出そうとする人は、それだけ多くのリスクを負う。常にリスクとリターンが等しいルールになっているのよ」

「なるほど」慧は得心した。「やっぱり、そうですよね。何枚出してもペナルティが一枚なら、常に手札を全部出すのが最善手になってしまいます。これではゲームが成立しません」

 あっそうか、とみぞれは思った。もう何回もプレイしたのに、全く気付かなかった。

「そして最後のルールは、『革命』よ」

「革命って、大富豪のですか?」

「ええ」

 いつの間にか「QK」という呼称が定着していたが、QKの正式名称は「素数大富豪」というのだった。大富豪の「8切り」に似たルールがあるように、革命に似たルールもあるのだ。

「普通の大富豪では四枚出しをすると革命が起こるけど、QKでは『1729』を出すと革命が起こる。これを、『ラマヌジャン革命』と呼ぶわ」

 津々実が小さく手を挙げた。

「1729も、何とか素数って名前がついてるんですか?」

「ええ。『絶対擬素数』と呼ばれる数らしいんだけど……」

 伊緒菜は慧を見た。目が合うと、慧は髪を引っ張ってから、説明した。

「コンピュータを使った素数判定法の一つに、フェルマーテストというものがあるんだけど、フェルマーテストは百パーセント正確ではなくて、合成数なのに素数だと判定してしまうこともあるの。そして、ほとんど確実に素数だと判定されてしまう合成数を、絶対擬素数と言うのよ」

「ということらしいわ」

「私の説明に乗っただけじゃないですか」

 まぁまぁ、と伊緒菜がなだめた。そして説明を引き継ぐ。

「絶対擬素数は1729以外にもあるんだけど、1729はさらに、ラマヌジャンという有名な数学者に所縁のある数らしいわ。ラマヌジャンが入院していたとき、知り合いの数学者がお見舞いに来たんだけど、そのとき乗ったタクシーのカーナンバーが1729だったらしいの。そして、その数学者が、『今乗って来たタクシーのナンバーが1729だったよ。全く面白くもない数だ。悪い知らせじゃなければいいが』って言ったんだって。そしたらラマヌジャンは、こう答えたそうよ。『そんなことはありません、1729は、二つの自然数の三乗の和で表す方法が二通りある、最小の数です』」

 みぞれも津々実も、頭が追い付いていなかった。伊緒菜はチョークを取ると、黒板に式を書いた。

 1729

 =1^3+12^3

 =9^3+10^3

 津々実が小さく手を挙げる。

「その『へ』みたいなの、なんですか?」

「ああ、ごめんなさい。これはべき乗を表す記号よ。『9^3』で『9の三乗』を表すの。で、1729は、1の三乗足す12の三乗でもあるし、9の三乗足す10の三乗でもある。こんな風に、三乗の和で表す方法が二通りある数の中で、最小のものが1729なのよ」

「その人は、1729がそういう数だと、瞬時にわかったってことですか?」

「さぁ? そうかもしれないし、何かで読んで知っていたのかもしれないわね」

 不思議だな、とみぞれは思った。1729なんて一見なんの特徴もない数なのに、コンピュータに素数だと間違われやすかったり、三乗の和で表す方法が二通りあったりする。見た目に反して、すごくすごく特徴的な数だ。そういえば、みぞれの好きな1213だって一見すると大して特徴のない数なのに、二枚出し最強素数という目立つ特徴があった。

 もしかして、すべての数には、何かしらの特徴があるのだろうか。1には「素数でも合成数でもない」という特徴があった。2は最小の素数だ。3には「倍数の各桁の和が3の倍数になる」という特徴がある。みぞれが知らないだけで、4にも5にも、107にも81013にも、何かびっくりするような特徴があるのかもしれない。

 もしそうだとしたらすごいな、とみぞれは思った。数はたくさんある。大きな数もあれば小さな数もある。負の数や小数もある。そのすべてに何か特徴があるなんてことが、あり得るだろうか。数は無限に存在するのに。

 しかし、少なくとも一つ、非常に大きな特徴を持つ数があることに、みぞれは気付いた。それは「最大の素数」だ。この性質を持つ数は、文字通りこれ以上ないくらい特殊な数である。だが、それはいったい、いくつなのだろう?

「以上がQKの全ルールだけど、何か質問ある?」

 と伊緒菜が聞き、みぞれの意識は教室へ引き戻された。

「ええと、ルールへの質問じゃないんですけど、良いですか?」

「なに?」

「あの、一番大きい素数って、なんですか?」

 みぞれの質問に、伊緒菜は少し困惑した。

「それは、QKで出せる素数で、という意味?」

「いえ、普通に、全部の素数の中で、という意味です」

 そういうことなら、と伊緒菜はためらいなく答えた。

「そんなものはないわ」

「え? どうしてですか?」

「だって、素数は無限にあるから。『最大の自然数』がないように、『最大の素数』もないのよ」

「素数って無限にあるんですか?」

 すぐには信じられない話だった。素数とは、1と自分自身でしか割り切れない数のことだ。言い換えれば、「自分より小さな数では割り切れない数」のことだ。数が大きくなれば、「自分より小さな数」は当然増える。ものすごく大きな数なら、それを割り切れる数が絶対にひとつはありそうではないか。

 伊緒菜が慧にチョークを向けた。

「剣持さん、お願い」

「仕方ないですね」

 慧は席から立つと、チョークを受け取って黒板の前に立った。

「それじゃ、古井丸さん。好きな素数を言って」

「ええと……1213」

「倉藤さんは?」

「え? じゃあ……13」

 慧は黒板に二つの数を書き、間に「×」を書いた。ポケットからスマホを取り出す。

「この二つをかけ算して、1を足す。すると、こうなる」

 スマホを見ながら、黒板に数式を書く。

 1213×13+1 = 15770

「今できた1万5770は、1213でも、13でも、どちらでも割り切れないよね?」

「ええと……あ、そっか。どっちで割っても、必ず1余っちゃうんだ」

 三の倍数判定法の話に似ている。最後に「+1」があると、それが余りになってしまうのだ。

「その通り。で、宝崎先輩、これを素因数分解するとどうなりますか?」

「ちょっと待って」

 伊緒菜もスマホを取り出して、素数判定アプリに数を入力した。伊緒菜が差し出した画面を確認して、慧がまた数式を書く。

 15770 = 2×5×19×83

「ここに出て来た四つの数は、どれも素数よね?」

「うん」

「それでいてこの四つは、最初に二人が挙げた1213とも13とも違う数。でしょ?」

 みぞれは頷いた。

「つまり私達はいま、二つの素数を使って、新しい素数を作ったってことになるの。今はたまたま二人が挙げた素数でやったけど、全然違う素数でやっても全く同じことができる。複数の素数の積に1を加えた数は、絶対に元の素数では割り切れない。だからその数は、新しい素因数を含むか、その数自身が新しい素数かの、どちらかになる」

「ええと、確かにそうだと思うけど……でも、それが?」

 素数が無限にあるかどうかという話をしていたのに、この話がどこへ向かおうとしているのかよくわからない。

「ここで、今やった操作を、今度は新たに得られた四つの素数も使ってやってみる。つまり、こうしてみる」

 1213×13×2×5×19×83+1=

「この結果は巨大な数になるけど、その数は絶対に、ここに並べたどの素数でも割り切れない。そうでしょ?」

「うん」

「つまりこの計算をすると、私達はまた、新しい素数を手に入れることになる。そしたら今度は、さらにその素数も含めて同じ計算をする」

 慧は歌うように説明を続けた。みぞれ達の頭の中に、素数を次々と作る過程を描かせる。

「この操作は、何度でも繰り返せる。だって、どんな素数を使っても、必ず新しい素数ができるから。ということは、私達は何個でも好きなだけ、素数を作り続けることができる。百個でも千個でも、一億個でも一兆個でも、どんな個数を決めても、必ずそれ以上に素数を作ることができる。ということは、素数は何個ある?」

 みぞれは頭の中に、素数を作る工場を思い浮かべた。二つの素数を材料に、新しい素数を作る。できた素数を使って、また素数を作る。できる素数は、全部違う素数だ。それを何度でも好きなだけ繰り返したら、できる素数の個数は……。

「無限?」

 慧は頷き、満足気に言った。

Q.E.D.これが証明すべきことであった

 それからちょっと照れくさそうに、

「わ、わかった?」

「うん……なんとなく」

 不思議だけど、確かに素数は無限に存在するようだ。

 津々実が小さく手を挙げた。

「いまの話、二つの素数から始めたけど、ひとつから始めても同じだよね?」

「そうね。例えば1213だけから始めても、無限に素数を作り続けることができるわ」

「面白い発想だよね、素数を作るって。そしてその作り方が無限回繰り返せるから、素数も無限にある。面白い考え方だ」

「『作る』と言ったけど、『見つける』って表現しても良いと思う。そこは数学というより、日本語の問題かな。だけど私は、作るって表現が好き」

 女子高生二人が、数学の話で盛り上がっている。不思議な光景だな、とみぞれは思った。

 二人の話がひと段落したところで、伊緒菜が言った。

「ついでに、大会の日程を教えておくね」

 大会、という言葉でみぞれは背筋を伸ばした。そうだ、自分はそこで優勝するために、ここにいるのだ。

「QKの全国大会は地区予選と本選で構成されていて、地区予選は六月、本選は八月に行われるわ」伊緒菜はスマホのカレンダーを見た。「今年は予選が六月二十五日、本選は八月十一日ね」

 今日は四月十九日だから、予選まであと二カ月と少し。それまでに、全国へ行けるレベルの力をつけなくては。

 伊緒菜は説明を続けた。地区予選は、全国を八つのエリアに分けて行われる。各地区の上位数名が本選に進出し、決勝トーナメントを行う。

「うちは南関東地区で、今年は上位五人が全国へ行ける予定よ」

「ええと、何人くらいが参加するんですか? うちの地区の予選は」

「三十人くらいかな」

 南関東地区は、東京、神奈川、千葉、埼玉の四都県だ。各都県から七、八人しか出場しないことになる。

「え、そんなに少ないんですか?」

「そりゃそうよ、QKだもの。そんなにプレイ人口がいると思う?」

 身も蓋もないことを言う。しかし一週間前までみぞれも知らなかったのだから、納得するしかない。

「少ないとはいえ、油断は禁物よ。三十人中の五人は、想像以上に狭き門だから」

 伊緒菜はにやりと笑った。

「明日から、びしばし鍛えていくわよ」

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