第11話 1×3
「ど、どうだった?」
カードを片付けながら、みぞれが聞いてくる。
「まあ……つまらなくはなかったわ」
伊緒菜がからかうように指摘する。
「つまり面白かったのね」
「そうは言ってません」
「さっき笑ってたのに」
慧は言葉に詰まった。
「それで、その……入部、する?」
上目遣いでみぞれが聞いてきた。負けたら入部するなどとは言っていない。入るも入らないも、慧次第だ。
「悪いけど、断るわ。ゲームは確かに面白かったけどね」
鞄を持って、席を立つ。それじゃあ、と言って教室を出て行こうとする。
「あ、待って!」
みぞれが手を伸ばして言った。
「一つだけ、質問させて」
「なに? また123が3の倍数かとか聞くの?」
「ええと……ちょっと似てるかも……」
慧は席に座った。
「今度は何?」
「あのね、3の倍数の判定方法って、知ってる?」
「知ってるわ。各桁の数を足して3の倍数になれば、元の数も3の倍数になる。でしょ?」
みぞれは頷いてから質問した。
「どうしてそれで、3の倍数だってわかるの?」
「え?」
慧はちらりと伊緒菜を見た。
「先輩は知らないんですか、それ」
「え、ええ、まあ」
バツが悪そうに答える。
二人とも、方法だけ知っていて、理由を知らなかったのか。慧は半ば呆れながら、鞄からノートとペンを出した。
「簡単な話よ。例えば、456という数を考えましょうか。4+5+6=15だから、これは3の倍数だけど、それはこういう式変形をすればわかる」
慧はノートにすらすらと式を書いた。
456
=400+50+6
=4×100 + 5×10 + 6×1
「ここで質問だけど、10って、9+1よね?」
「う、うん」
「そして9は3×3だから、結局、10=3×3+1ということになるわ。じゃあ、100は?」
「ええと」
いまの慧の考え方を応用する。100=99+1で、99=3×33だから……。
「3×33+1?」
「そう。だからさっきの式に、10=3×3+1と、100=3×33+1を代入する」
慧は先ほどの式に続きを書いた。
=4×(3×33+1) + 5×(3×3+1) + 6×1
=4×3×33 + 4×1 + 5×3×3 + 5×1 + 6×1
「ポイントは、ここに『×3』があることね」
慧は式の中の「4×3」と「5×3」をペン先でつついた。
「そこで、この式を部分的に因数分解すると、こうなる」
=(4×33+5×3)×3+(4+5+6)×1
「これでわかったんじゃない?」
慧がノートを二人の方に向けるが、二人ともまだわかっていなかった。慧は少し考えてから、
「この式は456を変形した物だから、456が3で割れるかどうかは、この式が3で割れるかどうかに懸かってる。だからこれを3で割ってみると……」
{(4×33+5×3)×3+(4+5+6)×1}÷3
=(4×33+5×3)×3÷3+(4+5+6)×1÷3
「ほら、こうなるでしょ? そして前半の『×3』と『÷3』はお互いに打ち消し合うから、結局こうなる」
=(4×33+5×3)+(4+5+6)÷3
「ね?」
と言って、後半の「4+5+6」の部分を指で指した。
「もしこの後半部分が3で割り切れれば、式全体が3で割り切れたことになる。そしてこの後半部分は……」
「各桁の数を、足したもの?」
みぞれが顔を上げる。慧は頷いた。
「そうよ。そして今やった式変形は、何桁の数でも同じようにできる。だから3の倍数かどうかは、各桁の数を足せばわかるのよ」
みぞれはノートを覗き込んで、もう一度式変形を頭から追う。
ポイントは、10や100が、「3の倍数+1」であることのようだ。3の倍数は、3で割り切れる。だからあとは、「+1」の部分が3で割り切れるかどうかが問題になる。そしてそれは、各桁の数を足すことで判断できる。だから3の倍数は、各桁の数を足せばわかる。
「すごい……」みぞれは目を輝かせた。「すごいすごい! こんな理由だったんだ! 面白い!」
10が9+1であることなんて、小学生でもわかる。だけどそれが3の倍数判定法につながるなんて、今まで思いもしなかった。
「あれ、待って」とみぞれがもう一度ノートを見た。「じゃあ、11でも同じようなことができるの?」
「え?」
「だって、100は99+1で、99は9×11なんだから、100=9×11+1でしょ? だから今と同じように、『+1』だけ余る。ってことは……」
慧は、みぞれの発想力に驚いた。
「え、ええ、もちろん。さらに言えば、10=11-1であることから、こんな風に式変形できる」
456
=4×100 + 5×10 + 6×1
=4×(9×11+1)+5×(11-1)+6×1
=4×9×11+4×1+5×11-5×1+6×1
=(4×9+5)×11+(4-5+6)×1
「さっきと同じように、456をバラバラにして、『×11』のついた部分と、『×1』のついた部分に分ける。すると、前半の『(4×9+5)×11』の部分は11で割れるから、456が11で割れるかどうかは、『4-5+6』が11で割れるかどうかにかかっている」
「ええと、3の倍数のときは全部足したけど、11の倍数のときは交互に足したり引いたりするってこと?」
「そう。一の位は足して、十の位は引いて、百の位は足して、千の位は引いて……と、交互に足し引きを繰り返して、その結果が11の倍数になっていれば、元の倍数も11の倍数なの」
3の倍数だけでなく、11の倍数も判定できるとは。他の数にも、倍数判定法は存在するのだろうか?
伊緒菜もノートを見ながら、ぽつりと呟く。
「因数分解って、こんなところで役に立つのね」
心底感心していていた。
「ついでにもうひとつ聞きたいんだけど、去年の先輩たちは、合同がどうとか言っていたわ。合同ってなんのこと?」
「合同式のことですか?」
「合同……式?」
「はい。割り算のあまりだけを考える式のことです。例えば、8も5も、3で割ったあまりが同じですが、それをこう書くんです」
慧はまた、ノートに数式を増やした。
8≡5(mod3)
「これが合同式です。それで、『割り切れる』ということは『あまりがゼロ』ということですから、合同式の性質を利用して、色々な数の倍数判定法を作ることができます。おそらくその先輩たちは、まず合同式の性質を証明してから、倍数判定法を説明したんじゃないでしょうか」
そう言って、慧は合同式の説明を始めた。みぞれも伊緒菜も、それを興奮気味に聞いた。さながら、おとぎ話をわくわくしながら聞く子供のように。
翌日の数学の授業は、実力テストの解説だった。慧は真面目にノートを取るふりをしていたが、実際にやっているのは、自分の本当の実力の確認だった。教師の解説よりも先に問題を解き、自分の解答が合っていることを確かめる。
あっという間に全問解き終わってしまった。これまでのところ、すべて正解している。この先も全部正解だろうという自信があった。
ぼんやりと黒板を眺めながら、慧は中学一年のときのことを思い出していた。
あれは、一年二学期の、中間試験の頃だ。なんとなく、周囲とのずれを感じ始めていた。友達がみんな、数学の授業が難しいと言い出していたからだ。
しかし慧には、全くそう思えなかった。むしろ、簡単なことばかりやっているな、という印象だった。
そして迎えた中間試験。慧は、十分足らずで全問解けてしまった。試験時間はまだ三十分以上あるし、何より周りはまだ解き続けている。どうやら自分が早かったらしい。念のため見直しをしてから、慧は机に突っ伏して寝ていた。
数日後、テストが返却された。慧は、満点だった。
テストを友達と見せ合うと、びっくりされた。みんな、六十点台や七十点台を取っていたからだ。クラスの平均点は六十五点。満点は慧一人だけで、二位の男子も九十点だった。慧は断トツだったのだ。
その結果を、慧は素直に喜んでいた。心の中でガッツポーズを作ったりもした。
慧は心を弾ませながら家へ帰った。そして母親に、満点の試験用紙を見せた。きっと褒めてくれると思った。しかし母親の反応は、予想外に淡白だった。
「あら、そう。でも、女の子が数学なんてできてもねぇ……」
母親はむしろ、国語や英語の点数が低いことを注意した。慧の得点は平均に近く、決して悪くなかったが、数学に比べれば見劣りするのは当然だった。
数学ができても意味がないのだと、慧は理解した。それ以来慧は、数学の試験ではわざと悪い点を取ることにした。
数学を好きになったのは、それより少し後のことだ。
ある休日のこと。遊ぶ予定だった友人が急に遊べなくなり、暇になった慧は、ふらりと市の図書館へ行った。そこで、数学の本が並べられた棚を見つけた。
教科書以外にも数学の本があることを、慧は初めて知った。どんなことが書いてあるのだろうと、一冊手に取って開いてみた。
そこには、文字通り無限の世界が広がっていた。素数という概念を知り、それが無限にあることを知った。無限にある自然数は、無限個の素数と無限個の合成数、そしてたったひとつの1からできていることを知った。
孤独な1。しかしその1から、自然数という構造が生み出されることを知った。さらにそこから0が作られ、負の数が、有理数が、無理数と複素数が構成されることを知った。
あまりの世界の広さに、慧は頭がくらくらした。同時に、世界を構築する方法の巧みさに夢中になった。
気付くと閉館時間になっていた。本を借りて外に出ると、日はすっかり暮れていた。
家に帰ると、こんな時間までどこで何していたのだと、母親に怒られた。どうせ言ってもわかってもらえないだろうと思って、慧は何も答えなかった。
その日から、慧はたまに図書館で数学の本を借りて、家でこっそり読むようになった。何回か、試しに友人に数学の話をしてみたが、誰一人として興味を持ってくれなかった。
だから慧は、ずっとひとりで数学をやっていた。
QK部の部室で、みぞれと伊緒菜は暗い顔をしていた。明日までに部員を二人増やさないと、QK部は廃部になる。
「ま、まあ。別に部活の形をしていなくても、大会には出られるし? 私はそれでも構わないけど?」
「でも、せっかくですから部活として出たいです」
二人で溜息を吐く。実力テストの数学上位者に声をかけたりもしたのだが、色よい返事は全くもらえなかった。
どうやって部員を勧誘しようか、と二人が話し始めたとき、教室の扉がノックされた。
「はい!」
伊緒菜が威勢よく返事をして、扉に駆け寄る。開くと、そこには慧が立っていた。
「剣持さん!」
みぞれも駆け寄る。
「ど、どうしたの? どうしてここに?」
「そんなの、決まってるじゃない」
鞄から、一枚の紙を取り出す。
「入部しに来たからよ」
記名を済ませた入部届を、ひらひらさせながら言う。みぞれと伊緒菜は顔を見合わせて、「やったぁ!」と飛び上がった。
「でも、どうして? 昨日はあんなに嫌がってたのに」
慧は照れくさそうに横を向いて、髪をいじった。
「だって、その、数学ができて褒められたの、初めてだったから……」
みぞれはぽかんとして聞いた。
「え、どうして?」
「どうしてって……」
慧は言葉を失った。たしかに、どうしてだったのだろう。
「たぶん、数学ができたところで、何の役にも立たないからじゃない? それに私、女だし」
「女の子でも男の子でも、役に立たなくても、すごいと思うけど……。だって、数学ができるんだよ?」
思わず噴き出した。なんの理由にもなっていない。
「な、なんで笑うの?」
「理由なんてないわよ」
ふふふ、と慧は笑った。
慧を教室に招き入れて、三人とも席に付いた。入部届を受け取って、伊緒菜が場を仕切る。
「さて、これでようやく部員が三人になったので、明日中にあと一人増やしましょう」
「は? どういうことですか?」
伊緒菜に現状を説明され、慧は呆気にとられた。
「なんでそんな状況になってるんですか」
「QKの知名度が低すぎるのが悪いのよ。で、何か部員を増やす案、ないかしら?」
「急に言われましても……」
慧は髪をいじったが、ふと気が付いてみぞれを見た。
「そういえば、古井丸さんといつも一緒にいた人は? あの背の高いポニテの人」
「つーちゃんのこと? つーちゃんはもう家庭科部に入っちゃってるから……」
「兼部してもらえばいいじゃない。要は、名前さえあればいいんですよね?」
「そうね」
二人でみぞれを見る。みぞれはたじろいでから、
「じゃあ、聞いてみます」
といってスマホを取り出し、メッセージを送った。
数分後、再び扉がノックされた。
「つーちゃん、部活中だったんじゃないの?」
「そうなんだけど、メッセージ見せたら、部長が行って来いって。親友のピンチは助けてやれってさ」
津々実にはいつも助けられてばかりだな、とみぞれは思った。
「というわけで、名前を貸すだけで良ければ、あたしも入部します」
「それで十分よ」
伊緒菜はにやりと笑って、机の中から白紙の入部届を出した。津々実が名前を書いて差し出す。
「よし、これで……」
伊緒菜は諸手を挙げた。
「QK部、存続決定!!」
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