第10話 19×23

 数学が好きだからといって、素数をいくつも覚えているわけではない。

 二桁の数なら素数かどうかすぐにわかるが、三桁以上となるとそうはいかない。せいぜい、101、103、107、109の四つが素数であることを知っているくらいだ。これより大きな素数はほとんど知らない。

 慧は配られた手札を見て、頭を抱えた。

 配られた七枚は、「A、A、2、3、3、4、7」だった。31や41が素数であることはすぐにわかるが、三桁以上の素数は何一つわからない。例えば743は? 3の倍数でも11の倍数でもないし、7の倍数でもない。そこまではすぐにわかるが、それより上は計算しないとわからない。

「まずはじゃんけんして、先手を決めて」

 伊緒菜に言われ、二人はじゃんけんした。先手になったのは慧だった。

 慧はまず、山札から一枚引いた。9だ。慧はほっとした。二桁以上の素数は、一の位が1、3、7、9のいずれかになる。9を引けたのはラッキーだ。

 まずは偶数を減らそう、と慧は考えた。手札から2と9を出す。

「29」

「素数ね」

 と伊緒菜。

「じゃあ、古井丸さんの番」

 みぞれも、まずは山札からドローした。そしてすぐに、手札から二枚出す。10とKだった。

「1013です」

「え」

「うん、素数ね」

「ええっ」

 慧は目を丸くした。みぞれが四桁の素数を迷いなく出したことも、伊緒菜がそれを普通に受け止めたことも衝撃だった。

「一応、確認する?」

 伊緒菜がスマホを操作し、画面を慧に見せた。数字ボタンが並んだ画面の上に、「1013は素数です」と表示されている。

「……わかりました」

 慧は手札を見た。A、A、3、3、4、7。いまは二枚出ししかできないから、どう組み合わせても1013以上の数は作れない。このままパスしてもいいが、次もみぞれが三桁や四桁の素数を出したとき対抗できるように、山札から一枚引くことにした。運が良ければ、二桁のカードが出てくるはずだ。

 結果、Kが出てきた。二桁カードだ。慧はほっと溜息を吐いた。

「パスします」

 伊緒菜が場を流す。次はみぞれの手番だ。

 みぞれは悩んでいた。手札に8が三枚もあるからだ。8を使った素数は、今までの何回かの試合で、既にいくつも見ていた。81013もあるし、883もある。いま手札に3はないが、ジョーカーがあるから、883なら作ることができる。しかし……ジョーカーは、もう少し取っておきたい。

 みぞれは山札から一枚引いた。9だった。889は素数だっただろうか。今まで、見た記憶はない。みぞれは悩んだ末、別の三枚を机に出した。

「929です」

「うん、素数ね」

 伊緒菜が確認する。

 慧はまた目を丸くしていた。早くも三枚出しをされてしまった。

 慧の手札は、A、A、3、3、4、7、Kだ。これらを三枚組み合わせて929以上の素数を作るためには、Kを使って四桁の素数を作るしかない。だが四桁の素数なんて、覚えているはずがない。知っているのは、さっき教わった1213だけだ。

 山札から一枚引いて、2が出ることを期待しようか? もし2が出れば、13で対抗できるが……。

 いや、期待するよりは、今の手札でもう少し考えてみよう、と慧は思った。素数かどうかは、計算すればわかるはずだ。

 例えばKAA1311なんてどうだろう、と考えて、すぐにそれが3の倍数であることに気が付いた。これは素数ではない。慧の頭は、無意識に割り算をした。1311=3×437だ。

 あれ、と思った。手札に、3が二枚ある。それに、4も7もある。今のかけ算に必要なカードが揃っている。

 しかも、それで手札を全て使い切れる。つまり、慧の勝ちだ。

「合成数出しします」慧はすぐに言って、机にカードを出した。「3×437で、1311です」

「えっ!」

 七枚もあった手札を、たった一回で使い切った。みぞれが身を乗り出す。

「すごい……」

「どうですか。計算、合ってますか?」

 慧は横目で伊緒菜を見た。伊緒菜はスマホを操作しながら、

「計算は合ってると思うけど、でも、違うんじゃないかしら」

「どういうことですか?」

 伊緒菜はスマホの画面を慧に見せた。素数判定アプリが開かれている。そこには、こう書かれていた。

「1311は素数ではありません。1311=3×19×23」

 みぞれも横から画面を覗き込んできた。

「あれ? 違う?」

「違うというより」伊緒菜はまたスマホを操作した。「素因数分解しきれてないのよ。437は、19×23よ」

 スマホの画面には、「437は素数ではありません」と表示されていた。

「そんな……」

 そんなのわかるわけがない、と慧は思った。

「宝崎先輩は、どうして今、違うってわかったんですか?」みぞれが質問した。「1311が3の倍数であることは、すぐにわかりますけど……」

「前に言ったかどうか覚えてないけど、1311は有名な合成数なのよ。3の倍数であると同時に、23×57でもあるの」

 みぞれも慧も、眉をひそめた。どうしてそれが有名なのだろう。

「わからない? 2、3、5、7は、最初の四つの素数よ。そして57はグロタンディーク素数だから、合成数。ここまで覚えておけば、1311は23×3×何か、ということがわかるわけ。だから、3×437ではないことがすぐにわかったの」

 このゲームは明らかに初心者には不利だ、と慧は思った。知識の多寡が勝敗に直接結びつく。

 しかし逆に言えば、やればやるほど強くなるゲームということだ。やればやるほど、たくさんの素数と素因数分解に出会えるのだから。

「剣持さんはいま間違えたから、出した札を全て戻して、ペナルティで一枚引いてね」

 伊緒菜に言われて、慧は山札から一枚引いた。Aだった。これでAが三枚、3が二枚、あと4、7、Kというアンバランスな手札になった。

 場が流れ、みぞれの手番になった。みぞれは山札から一枚引くと、すぐに三枚出した。

「883です」

「素数ね」

「また三枚……」

 慧は顔をしかめた。しかもまた大きな素数だ。慧の手札でこれを超えるには、四桁以上の素数を出さないといけない。パスしてもいいが、みぞれの手札は残り二枚だ。パスしたら、おそらくみぞれはそのまま上がる。

 慧も山札から引いた。今度出てきたのはQだった。

 手札を眺める。また合成数出しができないか、考えてみる。いま引いたQは3×4だ。4なら手札にあるが、4は2×2だから素因数には使えない。そして2は手札にない。そもそも三枚出ししないといけないのだから、意味がない。

 そこでふと、慧は閃いた。30×40は1200、つまりQ00だ。ということは、3□×4□=Q□□となるような数があるのでは?

 カードを並べ替えて考えてみる。Aが三枚もあるのだから、まずはこれを使ってみよう。31×41はいくらになるだろうか。慧は頭の中で式変形した。

 31×41=(30+1)×(40+1)=1200+30+40+1=1271。

 1271。四桁。これはQ7Aだから三枚出しだ。しかも、Qも7もAも、手札にある!

 この合成数出しをした後、手札に残るのは3とKだ。これを組み合わせて素数が作れるだろうか。少し考えて、133は素数ではないことに気付いた。これは7の倍数だ。140=7×20だから、そこから7を引いた133も、7の倍数だ。

 では313は? 3の倍数でも11の倍数でもない。13の倍数でないこともすぐにわかる。7の倍数でもなさそうだ。

 17の2乗が289で、18の2乗が324なので、313が素数かどうか確かめるためには、17以下の素数の倍数かどうかだけ調べればいい。つまり、あとは17で割り切れないことさえ確かめればいい。

 313+17=330であり、330は明らかに17の倍数ではない。よって、330から17を引いた313も、17の倍数ではない。

 よって、313は素数である!

 慧は頭の中を整理した。自分の手札は、A、A、A、3、3、4、7、Q、Kの九枚。このターンで3Aと4Aを捨てて、Q7Aを合成数出しする。残るのは3Kで、これは素数。

 つまり、1271を出したあと、みぞれがパスすれば、慧は313を出して勝てる。

 みぞれの手札は残り二枚、山札から一枚引けば三枚になる。その三枚が1271より大きくなるかどうかで、勝負が決まる。

 慧は、伊緒菜の言葉を思い出した。QKに必要なのは、暗算能力と記憶力、そして運。その言葉通りだなと、慧は思った。

「合成数出しします」慧は七枚のカードを机に並べた。「31×41で、1271です」

「え、また」

 みぞれがまた驚く。伊緒菜は冷静に、素数判定アプリに「1271」を入力した。

「あってるわね。合成数出し成功よ」

 ふふん、と慧は思わず笑った。そして笑っている自分に気が付くと、すぐに笑みを引っ込めた。

「二人とも、残り二枚ね。古井丸さん、どうする?」

 もちろん山札から一枚引いて、三枚出しするしかない。ドローすると、Kが出た。手札は8、K、ジョーカー。もう考える必要はなかった。

「ジョーカーを10として使って、81013です」

「なっ」

 ついに五桁になった。伊緒菜が宣言する。

「81013は素数。よって、古井丸さんの勝利よ!」

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