第8話 3×41
翌日、登校したみぞれと津々実は、ラウンジに人だかりができていることに気が付いた。
何事だろうとラウンジに入ると、ラウンジの液晶掲示板に、先週行われた実力テストの上位者が表示されていた。
五教科の上位三十人と、総合得点の上位三十人が、画面を切り替えながら表示されている。みぞれと津々実も顔を上げ、一覧を眺めた。
「あ、つーちゃんだ」
みぞれが画面を指す。倉藤津々実の名前は、すべての画面で登場していた。全科目で十位以内に入っている。総合では、なんと五位だ。
「つーちゃんすごい!」
「まぁ、当然ね」
得意気に言う。みぞれはきらきらした目で津々実を見上げていた。
「そんなことよりみぞれは?」
「わ、わたしは……」
みぞれの名前はどこにもない。みぞれの点は、三十位の得点よりもずっと低かった。
「わたしには無理だよ」
力なく笑う。
それから、ふと思いついて、「剣持慧」の名前も探した。総合得点のページには載っていない。英語や国語のページにもだ。数学以外は苦手なのかもしれない。
ところが、数学のページにも剣持慧の名前はなかった。みぞれが指摘すると、津々実も改めて画面を見た。
「実はそんなに数学得意じゃないとか?」
「そうなのかなぁ」
「それより、ここに載ってる人の名前、覚えておいた方が良いんじゃないの? 数学の上位者なら、QK部に入るかもしれないよ」
「あ、そっか」
みぞれはじっと、画面を見つめた。
「剣持、ご飯食べに行こー」
「うん」
高校生活にもだいぶ慣れた。クラスメイトとの付き合いも良好だ。慧は自分の現状を、そう判断していた。実力テストの結果も、良くもないが悪くもない。特に数学は、見事に平均点を取った。
クラスメイト二人と一緒に教室を出て、ラウンジへ向かう。
ラウンジは既に生徒たちで賑わい始めていた。慧たち三人は適当なテーブルに座って、弁当を広げる。
慧はなんとなく周囲に目を配った。昨日の三人組は見当たらない。今日は数学の話が聞こえてくる心配はなさそうだ。
「あれ凄いよねー」
クラスメイトの遠野が、液晶掲示板を箸で指して言う。
「総合トップ、四百九十点だってよ。五科目で十点しか間違えないってなんだよ」
「箸で指すな、行儀悪い」と橘が言う。「私だって英語三十位だし。もうちょい頑張ればそのくらい行けるし」
「はいはい、頭良い奴は羨ましーねー。なあ、剣持?」
慧は曖昧に笑って見せた。慧は無口だねー、と遠野が笑う。
無口なわけじゃないけどね、と慧は心の中で呟いた。ただ、人と普通に会話するのは少し苦手だった。特に、何を話して良くて、何を話すとまずいのか、考えながら喋るのは不得意だった。何も考えずに、一方的に喋り続けることならできるのだが。
「ところでさ」
橘が話題を変えようとした時だ。
「あなたが剣持慧さん?」
慧は突然、後ろから肩を叩かれた。
驚いて振り返ると、二人の女子が立っていた。一人は昨日見た少女だ。ショートカットで、童顔で、高校生にはとても見えない子。たしか、古井丸みぞれと名乗っていた。
もう一人は初めて見る女子だった。赤いフレームの眼鏡が印象的で、ふわふわのセミロングの髪を頭の両側で少しずつまとめている。校章の色から、上級生だとわかった。
「そうですけど、何か?」
嫌な予感がしつつ、問い返す。後ろで橘と遠野が、不審そうにひそひそ話しているのが聞こえる。
「初めまして。私はQK部部長の宝崎伊緒菜よ。古井丸さんから聞いて、ちょっと顔を見に来たの」
やっぱりか、と思いながらみぞれの顔を見る。目が合うと、みぞれは気まずそうに視線を反らした。
「古井丸さんが言うには、あなた、数学が得意だそうね?」
「そうなの?」
橘が聞いてきた。慧は前に向き直り、
「そんなわけないでしょ。私の実力テストの点、忘れたの?」
「えーと、五十八点だっけ。ちょうど平均点だったんだよね」
「あら、十分じゃない」と、伊緒菜が胸を張って言った。「私なんて、数学で三十点以上取ったことないわ!」
「えっ!」
声を上げたのはみぞれだった。視線だけ動かして、みぞれの様子を確認する。本気で驚いているようだった。
「宝崎先輩、理系クラスですよね?」
「何言ってるの、私は文系クラスよ」
「ええっ!?」
QKとは、素数を使ったトランプゲームだと言っていた気がするが……。大丈夫だろうかこの人、と慧は思った。
その疑問に答えるように、伊緒菜が言った。
「QKは素数を使ったトランプゲームだけど、必要な能力は数学とはまるで違うわ。必要なのは、暗算能力と記憶力、そして運。数学が得意だからといってQKが強いとは限らないし、数学が苦手でもQKが強い人はいるわ」
そうなんですか、とみぞれが呟いた。
「ね、ねえ、剣持」と橘。「なんなの、この人たち?」
「私も知らないわ。今日初めて話した人よ」
「わ、わたしとは昨日も話したよね!?」
みぞれが一歩前に出て、慧の腕を掴む。
「あの、わたし達と一緒に、QKやらない? 昨日もちょっと話したけど、素数を使ったトランプゲームで……数学が好きなら、きっと気に入るから!」
「私、別に数学好きじゃないんだけど」
みぞれの手を振り払って、弁当を食べる。
「得意でもないし、暗算だって苦手だし、記憶力だって悪いし。運だって悪いわ」
左手で液晶掲示板を指差す。
「ほら、あれ見てよ。私の名前、どこにも出てないでしょ? むしろこっちの橘の方が、英語ができる分、優秀だと思うけど」
「友達を売る気!?」
橘の訴えを無視して、慧は弁当を食べ続けた。
「数学は好きじゃない、ね」伊緒菜が腕を組んで言う。「嫌い、とは言わないのね」
慧は一瞬だけ箸を止めたが、
「ただの言葉の綾ですよ」
と言って、弁当を空にした。そして手早く弁当箱を袋にしまうと、
「気分が悪いので、教室戻ります。それじゃ」
席を立って、足早に歩きだした。
「待って、最後に一つだけ聞かせて」と伊緒菜が声をかけてきた。「123って、何の倍数かしら?」
「はぁ?」
思わず振り返った。
「そんなの当然、3の倍数です。それか、41の倍数です」
こんな簡単なこともわからないのか。いったいなんなんだ、QKというゲームは。慧はそんな気分で答えた。
そして、やられた、と思った。
橘と遠野は、目を丸くしてこちらを見ていた。みぞれも驚いていた。そして伊緒菜は、にやりと笑っていた。
慧は苦虫を噛み潰したような表情になった。しかしすぐに表情を戻して、背を向ける。今度は何も言わずに、逃げるようにラウンジを後にした。
慧が去った後、みぞれと伊緒菜は、橘たちとは離れたテーブルで弁当を食べ始めた。
「あの、宝崎先輩。さっきの最後の質問は、なんだったんですか?」
みぞれは首を傾げながら質問した。伊緒菜は、昼休みの残り時間を気にしているのか、箸を素早く上下させながら答えた。
「特に深い意味があったわけじゃないけど、あの子が本当に数学が苦手なのかどうか、テストしたのよ。でも、まあ、テストするまでもなかったわね。古井丸さんが言った通り、あの子は数学が得意か……少なくとも、ある程度数学の知識がある。暗算のコツも知ってる」
「それは……3の倍数判定法を知っていたからですか?」
慧は123が3の倍数だと、瞬時に判断した。「各位の数を足して3の倍数になったら、元の数も3の倍数」という性質を知っていたと考えられる。
「まあ、もしかしたら『12も3も3の倍数だから、全体も3の倍数』と考えたのかもしれないけど」
「ええと……?」
理解が追い付かなかった。伊緒菜が助け舟を出した。
「7の倍数を、適当にいくつか言ってみて」
「え? ええと、14、21、49、とか?」
「そうね。するとそれらを並べた142149も、7の倍数になるわ」
みぞれはしばらく考えて、言われてみれば当たり前だ、と思った。
142149を7で割ることを考える。頭の中で筆算すると、14の上に2が立ち、21の上に03が立ち、49の上に07が立つ。つまり142149÷7=20307だ。
ある数Xの倍数を並べた数は、必ずXの倍数になる、ということだ。
「じゃあ、41の倍数だとわかったのは、どうしてですか? 41の倍数判定法があるんですか?」
「まさか。単純に、123÷3を暗算したのよ」
「あの一瞬で?」
「簡単よ。12÷3=4で、3÷3=1なんだから、二つを合わせて41だとすぐにわかる」
あ、そうか、とみぞれは思った。さっきと同じで、筆算を考えればすぐにわかる。123÷3を筆算すると、12の上に4が立ち、3の上に1が立つ。だから答えは41だ。
「3の倍数判定法を知っていたにせよ、今の考え方を知っていたにせよ、あの子はある程度、数学に詳しいってことになる。たぶん、数学が好きじゃないってのは、嘘ね」
「どうしてそんな嘘を吐いたんでしょう?」
「さぁ。理由は本人に聞かないとわからないわね」
みぞれは液晶掲示板を見た。剣持慧の名前はない。
「好きだけど苦手ってことでしょうか。好きなのに苦手だなんて恥ずかしいから、黙っているとか?」
「わざと低い点を取っている可能性もあるわ。得意だとバレないように」
「どうしてそんなことを?」
「さぁ?」
みぞれは掲示板から目を反らし、伊緒菜を見た。
「あれ? じゃあ宝崎先輩は、数学は詳しいのに苦手ってことですか?」
「詳しいってほどではないわ。QKに必要な知識があるだけよ」
「じゃあ、数学は好きなんですか?」
伊緒菜は箸をくわえてうなった。
「どちらかといえば嫌いね。学校の授業も、何を言っているのかさっぱりわからないから」
因数分解で躓いたわ、と伊緒菜は首を振った。
「それにQKに関わる部分も、知ってるだけで、理解しているわけじゃないわ。例えば3の倍数判定法も、どうしてあれで判定できるのか、よくわかってないもの」
「えっ」
伊緒菜はバツが悪そうに、
「一応、去年の三年生の先輩たちに教わったんだけど……よく理解できなくて」
「全部理解してるんだと思ってました」
「簡単なことなら理解してるけどね? でも倍数判定法は、合同がどうとか言われて、よくわからなかったのよ」
「ごうどう?」それは図形の用語ではなかったか。「倍数の判定に合同が出てくるんですか? どうして?」
「さぁ」
伊緒菜は首を傾げた。
「もしかしたら、剣持さんなら知ってるかもしれないわね」
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