第2章 勧誘
第7話 1×1×1×……
週が明けて、月曜日になった。今週中に入部してくれる人を最低二人見つけなければ、QK部は廃部になってしまう。
みぞれは今、二重に焦っていた。
一つは部員を見つけなくてはという焦り。もう一つは、自分が買える分の食べ物が残っているだろうかという焦りだった。
この日、弁当を忘れたみぞれは、津々実と一緒に本校舎一階のラウンジへ来ていた。丸テーブルと丸椅子がいくつも置かれた広い空間で、隅の方には売店がある。昼休みの間だけ、そこでパンやおにぎりなどが売っている。
売店の前には、既に生徒たちが群がっていた。押し合いへし合いしながら、女子高生たちが売店の商品を掴み、お金を渡していく。
みぞれは売店を利用するのも初めてだったし、昼休みにラウンジに来るのも初めてだった。あまりにも異様な光景に息をのみ、それから意を決して群れに飛び込んだ。
なんとか商品を掴んで、店員にお金を渡し、群れから出る。
みぞれは這う這うの体で、津々実の待つテーブルにたどり着いた。
「大変だったみたいだね」と自分の弁当の袋を開きながら、津々実が言った。「で、戦果は?」
みぞれは黙って、テーブルにシャケのおにぎりと玉子のサンドイッチを置いた。
「それだけ?」
「うん」
「なんでそんな組み合わせなの?」
「焦っちゃって、うまく選べなかった」
みぞれは水筒のお茶を一口飲んだ。忘れたのがお弁当じゃなくて水筒なら楽だったのに、とみぞれはラウンジの自販機を見ながら思った。
津々実が弁当箱の蓋を開けた。今日は、肉中心のメニューだ。肉団子のように小さく丸められたハンバーグが、いくつも詰まっている。付け合わせは蒸かしたニンジンやサヤエンドウ。主食はゴマを振った白いご飯だ。
「そのハンバーグ、つーちゃんの手作り?」
「まぁね」
津々実は、週に一度は自分で弁当を作っていた。両親が忙しいのもあるが、メニューによっては自分で作った方が美味しいからという理由もある。
いただきます、と二人で言って食べ始める。みぞれはもそもそとサンドイッチを食べたが、これだけでは足りる気がしない。
みぞれは津々実の弁当を羨ましそうに見つめた。津々実はにやにやと笑って、
「あー、美味しいなー。あたしが作ったハンバーグ、美味しい上にたくさんあって幸せだなー」
と見せつけるようにミニハンバーグを口に入れた。
「つーちゃんのいじわる」
「ごめんごめん、冗談だって。ほら、一個あげるから」
津々実が弁当箱をこちらに押し出してきた。ミニハンバーグを一個受け取ろうとして、みぞれの手が止まる。
「あ、そうか。お弁当忘れたってことは、お箸もないのか。しょうがないなぁ」
自分の箸でハンバーグを一個摘まんで、みぞれの方に差し出してきた。
「ほれ」
「えっ」
突き出された箸を見て、みぞれはたじろいだ。これをこのまま口で受け取った場合、どのような構図になるのか想像したからだ。みぞれは顔が熱くなった。
みぞれの様子に気が付き、今度は津々実が慌てる。
「ちょ、な、なに照れてんのよ、こっちが恥ずかしくなるでしょ!」
「つ、つーちゃんが変なことするからでしょ!」
「変なことなんて何もしてないでしょっ!」
言い争っていると、横から声を掛けられた。
「あれ、倉藤じゃん」
「あっ、
助かったとばかりに見ると、みぞれと同じくらいの身長の少女がいた。目が丸っとしており、髪を二つ結びにしているので、小学生のようにも見えた。
「ここ、良い?」
「良いよ」
少女が椅子に座って、丸テーブルの上に弁当箱を出した。
「あ、えーと」と津々実がみぞれに紹介する。「布川さんは、昨日家庭科部に入ったんだ」
「布川
「よ、よろしく。古井丸みぞれです」
「同じクラスなの?」
と、美里愛が津々実に聞いた。
「うん。中学も同じでね」
「へぇ、いいね。部活は?」
「QK部だよ」
みぞれが答えると、美里愛は眉根を寄せた。
「なにそれ?」
やっぱりそういう反応になるのか、とみぞれは肩を落とした。
「QKっていう、トランプゲームをやる部活なんだけど……」
「きゅーけー?」
「えっと」どこから説明したものか。「大富豪ってゲームあるでしょ?」
「うん」
「素数しか出せない大富豪、みたいなゲームなんだけど……」
「素数?」
みぞれは仕方なく、素数の説明から始めた。QKはルールも複雑だが、その前の素数の説明も難しい。みぞれにとっても、この間の部活見学のときまで完全に忘れていた用語だ。正しく説明できた自信はなかった。
ご飯を食べながら、QKの説明をする。素数しか出せないことやグロタンカットなどについて、たどたどしく話した。
「面白いの、それ?」
一通りの説明を終えると、美里愛がばっさりと切り捨てた。
「お、面白いよ! やってみる?」
「そうだねえ。やりもせずに否定するのは良くないね。でも、トランプはあるの?」
「あるよ」
みぞれは鞄からトランプを取り出した。それを見て、津々実が声を上げる。
「なんで持ってんの!?」
「部員を勧誘するときにあると便利だろうって、宝崎先輩がくれたの」
美里愛も津々実も、弁当を食べ終わっていた。テーブルの上を片付けて、トランプを三人に配る。
「QKって三人でもできるんだ」
と津々実が聞いた。
「うん。宝崎先輩が言うには、五人くらいまではできるって」
じゃんけんで順番を決める。親は美里愛になった。
「素数。素数か。要するに他の数で割り切れない数でしょ」
「うん、そんな感じ」
「ん~~、じゃあ、これ」
美里愛は「A」を出した。つまり、1だ。
「んっ?」
みぞれは目を丸くした。美里愛が首を傾げる。
「え? 素数でしょ?」
「ええと、1は素数じゃなかった気がする」
「なんで? 1は他の数で割り切れないじゃん」
「ちょ、ちょっと待って」
みぞれはスマホを取り出して、インストールしておいた素数判定アプリを起動した。そこに1を入力すると、「1は素数ではありません」とだけ表示された。
「ほら、やっぱり素数じゃないよ」
「なんで?」
「なんでって言われても……」
みぞれは助けを求めて津々実を見た。津々実もみぞれを見返してくる。
「あたしが知るわけないでしょ」
「そ、そうだよね。なんで素数じゃないんだろう……」
「素因数分解が滅茶苦茶になるからよ」
突然背後から声を掛けられた。三人が驚いて顔を上げる。
見たことのある少女が立っていた。つり目で、二重まぶたの美人だ。
「あ。たしかあなた、健康診断のときの……」
美少女は真顔で三人を見ていたが、みぞれの反応を見て、目を泳がせた。
「あっ、ご、ごめんなさい。また無意識に話しかけちゃった」
立ち去ろうとする美少女の腕を、みぞれは掴んだ。少女は後ろに転びそうになって踏みとどまり、みぞれを振り返った。
「な、なに?」
「どうして1が素数じゃないのか、知ってるの?」
少女は目を反らし、何か言葉を探していたが、やがて諦めたように言った。
「……たぶん説明できると思うけど」
みぞれに促されて、椅子に座る。少女は少しの間、長い髪をいじった。どうやって説明するべきか、考えているようだ。やがて指を離すと、説明を始めた。
「素因数分解は、わかる?」
三人とも頷いた。素因数分解とは、ある数を素数のかけ算で表すことだ。例えば6を素因数分解すると、2×3になる。
「仮に1を素数だとすると、例えば6は、2×3とも素因数分解できるし、1×2×3とも素因数分解できてしまうでしょ?」
三人は顔を見合わせた。津々実が小さく手を挙げた。
「別に良いんじゃないの?」
「ダメよ。同じ数なのに、素因数の個数が二個になったり三個になったりしたら、色々な証明で不都合になる。例えばルート2が無理数であることの証明だって……」
そこまで言って、三人が呆けた顔をしているのに気付いたのか、少女は言葉を止めた。
「ちょっと待って。他の説明を考える」
制止するように手を広げた。やがて手をテーブルに置くと、説明を再開した。
「素因数分解というのは、自然数を素数の積で表すことだったわよね。それじゃあ、例えば5は素因数分解できる?」
「5は……」
みぞれは考えた。5は素数だから、他の素数のかけ算で表すことは……。
「できない」
少女は頷いた。
「その通り。だけど、仮に1を素数だとすると、5も素因数分解できてしまうのよ。5=1×5だから」
「あ、そっか」
とみぞれは呟いた。本来、素数は素因数分解できないはずだ。それができてしまうのは、たしかにおかしい。
「それどころか、1×1×5とか、1×1×1×5とかいう素因数分解までできてしまう。つまりどんな数でも、好きなだけ分解できちゃうのよ。これじゃ、何のために素因数分解するんだか、わからなくなるでしょ? だから、1は素数じゃない」
すんなり理解できた、とは言えなかった。しかし、1を素数にしてしまうと、何かとんでもないことが起こるのだということは理解できた。
「つまり、素因数分解を好きなだけ、自由にできてしまうと困る、ってこと?」みぞれは確認の質問をした。「同じ数は、常に同じように素因数分解できないといけない。だから1は素数じゃない。そういうこと?」
少女は大きく頷いた。
「そう! そう言いたかったの! そういうのを一意性と言って、それがあることで整数の性質が……」
また少女は言葉を止めた。弁当箱とペットボトルを持って立ち上がり、「それじゃ」と言って立ち去ろうとする。
「ま、待って!」
みぞれは手を伸ばして少女の腕を掴んだ。「きゃっ」と小さく叫んで少女が立ち止まる。
「まだ何か?」
「あなた、クラスと名前は?」
少女は小さな声で、
「一年三組の、
みぞれは立ち上がって、慧に顔を近づけた。
「剣持さん、素数に詳しいの?」
慧はつり目をさらにつり上げて、視線を反らした。
「別に詳しくないわ」
「でも、数学は詳しいよね」
「く、詳しくないわよ」
「あの」みぞれは両手で慧の腕を掴んだ。「わたし、QK部の古井丸みぞれっていうの。剣持さん、わたしと一緒に、QKやらない? 素数を使ったトランプゲームなの!」
素数の説明が難しいのなら、最初から素数に詳しい人を勧誘すれば良かったのだ。それにこの人は、数学が得意に違いない。そういう人ならきっとQKに興味を持つはずだと、みぞれは思った。
ところが慧は、みぞれの腕を振りほどいて、
「悪いけど、興味ないわ」
そう言って背を向け、早足で去って行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます