第6話 9103
「じゃあここで」
「うん、またあとで」
本校舎から第二校舎まで、みぞれと津々実は一緒に来た。昇降口を入ったところで、手を振りあって別れる。津々実は一階奥の家庭科室へ向かい、みぞれは階段を上って三階空き教室を目指した。階段ですれ違うのは、全員上級生だった。
第二校舎には一年生の教室はない。二年と三年の文系クラスと理系クラスがあるだけだ。
この学校では、二年生から文系コース、理系コース、文理総合コース、情報コースの四つのコースに分かれて、それぞれに特化したカリキュラムで授業を受ける。二学期の終わり頃には、みぞれ達もどれかを選択しないといけない。
三階の一番端にある教室に着いた。少しだけ緊張する。部屋の電気は点いているので、伊緒菜は既に来ているのだろう。みぞれはノックしてから、ドアを開けた。
「失礼します」
声に反応して、伊緒菜が振り返る。みぞれの顔を認めて、笑顔になった。
「古井丸さん、こんにちは。さ、座って座って」
今日も、教室の奥には机が積み上げられ、中央に三脚の机が出されていた。二脚が向き合うように置かれ、一脚は黒板の方を向いている。
みぞれは伊緒菜に促されて、黒板を向いた席に座った。伊緒菜は座らずに黒板の前に立ち、教卓越しにみぞれを見下ろした。
「改めて自己紹介しましょうか。私の名前は
言いながら、自分の名前を黒板に書く。画数の多い名前だな、と画数の少ない古井丸みぞれは思った。
「あの、宝崎先輩」みぞれは小さく手を挙げて聞いた。「早速一つ質問があるんですけど、他の部員の方は?」
伊緒菜はぎくりと体を硬直させた。チョークを置いて、教卓に両手を付く。
「うん、まあ、まずはそれが気になるわよね」
聞いちゃまずかったのかな、とみぞれは不安になった。
「まずは古井丸さんに、我が部の現状を説明するわ。現在我が部には、部員が二人しかいません!」
「それは、えーと、わたしを含めてですか?」
「もちろんです!」
家庭科部の部員達がほとんど知らなかったわけだ。きっと、毎年こんなものなのだろう。
「そしてさらに残念なことに、実は来週中に部員を四人にまで増やさないと、我が部は部員不足で廃部になります」
「えっ!?」
さすがにそれは予想していなかった。二人の間に、気まずい沈黙が流れる。伊緒菜が申し訳なさそうに言った。
「より正確には二十日までに集めないと、廃部になるの。兼部でも二年生でもいいから、とにかくあと二人増やさないと……」
「誰かあてはないんですか?」
伊緒菜は首を振った。
「あったら困ってないわ。今のところ、見学に来たのも古井丸さん達だけだし……。クラスの友達で、興味持ちそうな子とかいない?」
まだあまりクラスメイトと仲良くなっていないみぞれは、そう言われても困るだけだった。いつも津々実と一緒にいるのが裏目に出た。みぞれは静かに首を振った。
「そうよね……。ま、考えたって仕方ないわ。来週、なんとかして入ってくれそうな一年生を捜しましょう。ポスターが何枚か余ってるから、それを配ったりとかね。で、今日やることなんだけど……」
伊緒菜が話し始めたところで、みぞれがまた小さく手を挙げた。
「あの、宝崎先輩。良かったら、なんですが」
「なに?」
「試しに一度、先輩と試合させてもらっても良いですか?」
伊緒菜は一瞬、きょとんとした。それから、にやりと笑って言った。
「良いわね、やりましょうか」
教壇から降りて、伊緒菜が席に座る。みぞれも向かい合う席に座りなおした。
「試合の前に、一つルールを追加してもいいかしら」
何か賭けるのだろうか、とみぞれは身構えたが、そうではなかった。伊緒菜が説明を続ける。
「実はこの間説明したルールは、QKの正式ルールじゃないのよ。QKは正式ルールが結構複雑で……全部説明すると長くなるから、この間は簡易版のルールを説明したわけ」
「この間のだけでも、割と複雑でしたけど」
「あれ、そうだった? 頑張って簡単にしたつもりだったんだけど……」
伊緒菜が首をひねった。まだ改良の余地があったか、とつぶやく。
「それで、追加するルールってなんですか?」
「ああ、えっとね」
伊緒菜は机の中からトランプを取り出すと、カードを探し始めた。そして、二枚のカードを机に置く。どちらもジョーカーだった。
「実はこの間使ってもらったトランプは、ジョーカーを除いてあったの。だけど本来はジョーカー二枚を含む五十四枚を使うのよ。で、ジョーカーは0から13までの好きな数として使える。つまりワイルドカードってことね」
「0も含めるんですね」
「そう、そこがミソね。トランプには0がないから、ジョーカーを含めることで出せる素数の幅が一気に広がるの。例えば」
と言って、伊緒菜はまたカードを漁った。そして、「2」「ジョーカー」「2」「7」を並べた。
「こうやって出して、ジョーカーを0として使えば、本来トランプじゃ出せないはずの『2027』が出せるってわけ」
もちろんジョーカーを0にする必要はないので、欲しい数が来ないときにピンチヒッターとして使うこともできる。むしろそうして使うことの方が多いのだろうな、とみぞれは思った。
「さらに一枚出しのときは、無条件で最強のカードとして使える。つまり、相手がKの一枚出しをしてきても、ジョーカーならカウンターできるってわけ」
ここは普通の大富豪と同じだった。
「二枚出しのときは? ジョーカーを二枚並べて、QKに勝てたりするんですか?」
「いえ、それはできないルールよ。ジョーカーが最強になるのは、一枚出しのときだけ」
追加ルールはそれだけだった。
「本当はまだいくつかルールがあるんだけど、いきなり全部説明しても混乱するだけだろうから、また今度話しましょう。と、いうわけで」
伊緒菜はカードをシャッフルして、七枚ずつ配った。
「早速、やりましょうか」
本当は、今日すべてのルールを話すつもりだった。それと、大会の日程や大会独自のルールも。だけど、可愛い後輩がやりたいと言うなら仕方ないよね、と伊緒菜は自分に言い訳した。
みぞれがどのくらい強いのかを、伊緒菜は早く確かめたかった。そのためには、自分で戦ってみるのが一番だ。
「先攻は譲るわ」カードを手に取りながら伊緒菜が言った。「QKは、先攻の方がちょっとだけ有利だから」
「そうなんですか?」
「本当にちょっとだけよ。親は出す枚数を決められるから、試合の流れを自分に有利にできる場合がある、ってだけ」
みぞれは自分の手札を見て、考え始めた。伊緒菜も自分の手札を見る。伊緒菜のカードは、「A、5、8、10、Q、K、ジョーカー」だった。
困ったわね、と伊緒菜は思った。札が強すぎるからだ。少し手加減しようと思っていたのだが、これではみぞれに圧勝してしまう。
伊緒菜の頭の中には、既に「詰み」のルートが浮かんでいた。
おそらくみぞれは、二枚出しまでしかしないだろう。みぞれが二枚出ししてきたら、伊緒菜は
もし最初にみぞれがQKを出してきても大丈夫だ。一回パスすれば、その次の手番でQK以外の二枚出しをするだろう。一枚出ししてきたときも同様だ。いずれにせよ、みぞれがQK以外の二枚出しをした時点で、伊緒菜の勝ちが決まる。
しかし、初めから本気を出してしまっていいものだろうか。いきなりこてんぱんにしてしまうと、嫌になって退部してしまうかもしれない。
多少は手加減しよう、と伊緒菜は結論した。この手札なら、作れる素数はたくさんある。131とか、1013とか。
「ええと、じゃあ……」
と、みぞれが手札からカードを出した。
「9103、です」
出されたカードを見て、伊緒菜は固まった。
9103。
9、10、3。
三枚出しだった。
「えっ!?」
驚いた伊緒菜を見て、みぞれが慌てる。
「あ、あれ、何か間違えました?」
「いえ、何も間違ってないわ。ちゃんと素数だし……」
自分で言った言葉に、自分で驚く。みぞれは、ちゃんと素数を出した。これは偶然だろうか。
一般的に、数は大きくなるほど素数かどうか判定するのが難しくなる。また、カードの枚数が増えるほど、適当に出した数が素数である確率は低くなる。
とはいえ、9103は比較的偶然に出てきやすい数といえる。この三枚は、10を一枚目にしない限り、どう並べ替えても素数になるからだ。みぞれが出したのがたまたまこの順番だったというだけで、1093や3109が出てきてもおかしくなかった。はずだ。
「古井丸さん、これが素数だって、よくわかったわね」
「わかったっていうか、覚えてたんです。この間、つーちゃんが出してたんで」
「え、それで覚えたの? 9103を?」
「はい」
うそでしょ、と伊緒菜は思った。自分が出した数なら、印象に残りやすいので覚えていてもおかしくない。しかし相手が出した数は、覚える気がないと無理だ。やはりこの子は、この間の見学の時からずっと、勝つことを考え続けている。
伊緒菜は眼鏡を押し上げて考えた。ここでパスして、みぞれが二枚出しするのを待っても良い。けれど、もう少しこの子を試してみたい。
伊緒菜は手札から三枚出した。
「810
みぞれが目を丸くする。
「それは、素数なんですか?」
「確かめてみる?」
伊緒菜はスマホを取り出して、素数判定アプリを起動した。81013と入力すると、素数だと判定された。
「素数、なんですね」
みぞれはその三枚をじっと見た。頭に叩き込んでいるに違いない。
「どうする? 出す?」
伊緒菜が促すと、みぞれは少し考えたあと、何かに気付いたように山札から一枚引いた。そしてまた少し考え込んだが、すぐに首を振った。
「パスします」
場を流し、伊緒菜は手札を見た。A、5、Q、ジョーカー。ジョーカー以外の三枚をどう組み合わせても、素数にはならない。3の倍数になるからだ。三枚のうち二枚を選んでもダメだ。そして一枚では5しか出せない。
伊緒菜は手札から、ジョーカー、Q、Aを出した。
「ジョーカーをKとして使って、
「13121……」
みぞれは唇を真一文字に結んで、五枚の手札をじっと見つめた。
悩んでいるということは、これに勝てそうな数を持っている、ということだろう。ちょうど良い数を出せたようだと、伊緒菜は思った。
さっき出した81013は、三枚出しの中で強い部類に入る素数だ。これより強い三枚出し素数は、すべて六桁だ。三枚出しで六桁ということは、三枚全部が二桁カード(10、J、Q、K)ということだ。
もちろんみぞれは、そんなことは知らないだろう。さっき悩んでいたのは、81013より大きな数を作ろうと試行錯誤していたからに違いない。
しかし、もし手札に二桁カードがなければ、そもそも悩む必要がない。どう並べ替えても、絶対五桁以上にならないからだ。悩んでいたということは、みぞれの手札にはいま、少なくとも二枚の二桁カードがあるはずだ。
そして、いま伊緒菜が出した13121は、さほど強い数ではない。これより大きな三枚出し素数は、たくさんある。
伊緒菜の残り手札は一枚。もしここで素数を出せたら、みぞれは有利な立場に立てる。
みぞれはようやく、三枚のカードを出した。
「2
伊緒菜もこの数は知らなかった。知らないということは、素数でない可能性が高い。頭の中でさっと計算して、3の倍数でも11の倍数でも、その他判定しやすいどの素数の倍数でもないことを確認した。
「判定するわね」
スマホを操作して、素数判定アプリを動かす。21113と入力し、判定ボタンを押すと。
「残念。43×491だそうよ」
「わかりませんよそんなのー」
みぞれが机に突っ伏す。
出したカードを手札に戻し、さらに山札から一枚引く。しかしその目は、既に負けを確信していた。
「宝崎先輩、その残り一枚はなんですか?」
伊緒菜は黙って一枚出した。5。素数だ。
「私の勝ちね」
にやりと笑ってから、しまった、と思った。手加減するつもりだったのに、結果的に圧勝してしまった。
しかしみぞれの表情は、負けても楽しそうだった。
「やっぱり先輩は、強いんですね」
きらきらした目で言う。伊緒菜は少し照れながら、
「まあ、初心者に比べたらね」
「もう一回やりたいです。良いですか?」
「もちろん良いけど、その前に手札を見せてくれる?」
と言って、伊緒菜はみぞれの手札を机に広げた。残っていたのは、2、3、4、5、J、Kだった。
「最初に出したのは、9、10、3だったわよね」
伊緒菜は流したカードの中からその三枚を取り出した。
「試合の途中で山札から引いたのはどれ?」
「えっと、最初に引いたのがKで、最後のペナルティで引いたのが4です」
伊緒菜がその二枚を避けると、みぞれの最初の手札が再現された。2、3、3、5、9、10、Jだ。
「あの、何をするんですか?」
「古井丸さんはこれから、全国優勝を目指して訓練していく必要があります」と、伊緒菜が言った。「だから今後は、試合後に手札を再現して、どうすべきだったか考察しましょう」
「は、はい」
硬い声でみぞれが答える。
「あと言い忘れてたけど、ノートを用意しておいてね。今後、考察結果とか覚えやすい素数とか、どんどんメモしてもらうから」
「はい、わかりました」
伊緒菜はにこりと笑ってから、みぞれの手札を見た。
「最初に古井丸さんは、9103を出したわよね。で、残ったのが、2、3、5、Jの四枚」
「はい。それで先輩が81013を出したので、しばらくそれに対抗できるカードを考えていたんですけど」
その先は言われなくてもわかった。
「二桁カードが一枚しかないから、どう頑張っても五桁を出せないことに気付いた?」
「はい。それで山札から一枚引いたら、Kでした」
二桁カードが二枚集まり、五桁が出せるようになった。それでみぞれはしばらく考えていたのだ。だが、札にKを加えた伊緒菜は、すぐに言った。
「なるほどね。せっかく五桁が出せるようになっても、この状況だと81013より大きな数が作れない。だからパスしたわけね」
「はい」
この時のみぞれの手札は、2、3、5、J、Kの五枚。作れる最大の数は51311だ。
「そして私が13121を出したあとは……なるほど」
13121は五桁だから、これに勝つためには、必ずJとKを含めた数を出さないといけない。しかし3JKは3の倍数なので、2か5を組み合わせないといけない。
「それで、なるべく偶数を先に使った方が良いかなと思って、2JKを出したんです」
「正しい判断ね。でも、2KJじゃなかったのはどうして?」
「えっと、特に理由はありません。そっちだと素数だったんですか?」
「どうかしら」
伊緒菜がアプリで判定すると、「21311は素数ではありません。21311=101×211」と表示された。
他の組み合わせはどうだろうか、と伊緒菜は次々判定していった。K2Jは素数ではない、5JKも素数ではない、5KJも素数ではない……。
13121より大きくなる組み合わせを全て試して、伊緒菜は驚いた。あの時、みぞれの手札をどう組み合わせも、伊緒菜の手より大きい素数は作れなかったのだ。
「あれ、ちょっと待って」と伊緒菜は机に広げられたカードを見た。「確か最後にペナルティで引いていたのは、4だったわよね」
「はい」
伊緒菜は言葉を失った。
4JKは、素数だ。だから、もし最後の手番でみぞれが山札から引いていたら、そしてみぞれが2JKではなく4JKを出していたら、伊緒菜は負けていたかもしれない。しかも4JKを出したあと、みぞれの手札は2、3、5になるが、523も素数だ。
伊緒菜は、みぞれに圧勝したつもりでいた。しかし伊緒菜が勝てたのは、単に運が良かったからだったのだ。
「あの、それでわたしは、どうするべきだったんでしょうか?」
「そうね……」
最初の手札を再現する。目立つのは、二枚の3と、9だ。
「3の倍数は、どう並べ替えても3の倍数になってしまう。だから手札に3や9があるときは、早めに処理した方が良い場合が多いわ。そういう意味で、最初に9103を出したのは好手だったと思う。だけどその後は……」
言葉に詰まる。どうしようもない。QKというゲームは、運が悪いときはどう足掻いても負けるのだ。
「運が悪かった、としか言えないわね」
伊緒菜は正直に告げてから、いま考えたことを全て話した。
「だから古井丸さんが勝つ道筋は、山札から一枚引いて4JKを出し、私がパスした後で523を出す。これしかなかったってことね」
「でも、山札から何が出てくるかなんて、わからないじゃないですか」
「もちろんその通りよ。だから、運が悪かったとしか言えないの」
運だけは、どう頑張っても訓練できない。だからこそ、大量の素数や倍数判定方法を頑張って覚えるのだ。
しかしみぞれは、おととい友人が出した素数を覚えたと言っていた。きっと、いま伊緒菜が出した素数も全部覚えてしまっただろう。もし本当に、一回見ただけで素数を覚えてしまうのだとしたら?
まさか、そんなことはあり得ない。しかし、もし他のプレイヤーよりも、ほんの少しでも素数を覚えるのが得意だとしたら。
この子は、とんでもなく強くなる。
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