第4話 3+4=7

 放課後になり、二人は鞄を持って教室を出た。本校舎を出て、第二校舎へ向かう。今日こそ家庭科部へ行く予定だった。

 本校舎から第二校舎までは、渡り廊下はない。一応、二つの建物の入り口を繋ぐように屋根はあるが、吹きさらしなので雨が降ったら傘が必要そうだな、とみぞれは曇り空を見上げながら思った。

 第二校舎に入って、一階の廊下を歩く。みぞれは壁に貼られたQK部のポスターをちらりと見た。またあのゲームやりたいな、とぼんやり思う。

「早く行くよ、みぞれ」

 と津々実が促す。みぞれは相槌を打って後を追う。

 家庭科部の部室は、一階の一番端にある家庭科室だ。突き当りの扉に、家庭科部のポスターが貼ってある。フリルのたくさんついた服を着たマネキンのイラストや、黄色いお米にシーフードが混ぜられた料理のイラストが描かれている。

 津々実はノックして扉を開けた。

「失礼しまーす。ここ、家庭科部で合ってますか?」

 家庭科室は、普通の教室より倍以上広かった。流しとコンロの付いた調理台が十数台、等間隔で並んでいる。そのうちの一台に調理器具や食材らしきものが並べられ、数人の生徒たちがその周りに立っていた。全員、制服の上にエプロンを付けている。

 津々実の声に反応して、生徒たちがこちらを見た。そのうちの一人が笑顔になり、ハスキーボイスで言った。

「おー、なんかカッコいいのが来たな! いらっしゃい、家庭科部へ!」

 二人を招き入れて、椅子に座らせる。あっという間に二人は、部員たちに囲まれた。

「君たちは同じクラス?」

 とハスキーボイスが聞いてくる。津々実がはきはきと答えた。

「はい、一年二組です」

「もう仲良いんだ。同じ中学だったとか?」

「そうです、中一の時から友達で」

 津々実は堂々と会話していたが、みぞれは囲まれて委縮していた。それに気付いたハスキーボイスの女子生徒が、

「ああ、ごめんごめん。いきなり詰め寄って悪かったね。みんな離れて離れて。あとすずたちは準備進めてて」

 鈴と呼ばれた眼鏡の生徒が、数人の部員を引き連れて、食材の方へ去っていく。周りの人数が減って、みぞれはほっとした。

 残った部員たちは、みんな津々実を見ているようだ。イケメンを見る目である。ハスキーボイスの女子生徒が言っていた「カッコいいの」とは、津々実のことであろう。そのハスキーボイスが言った。

「私は家庭科部の部長をやってる伊藤雪子。あっちの性格キツそうなお嬢様が副部長の工藤ね」

「変な紹介しないでくれる!?」

 工藤鈴が突っ込みを入れると、周りの部員たちがくすくすと笑った。

「二人は?」

「あたしは倉藤津々実です。こっちは古井丸みぞれ」

「古井丸です」

 名乗って頭を下げる。

「まず聞いておきたいんだけど、二人は家庭科部が裁縫班と調理班に分かれてることは、知ってる?」

「はい、部活紹介の冊子で見ました」

「勉強熱心で大変よろしい」と雪子がわざとらしく言う。「昔は裁縫部と調理部だったらしいんだけど、部員が減って何年か前に統合したらしい。ちなみに私は裁縫班で、あっちの工藤とその周りにいる子たちは全員調理班」

「部長って裁縫班だったんですか?」

 津々実の隣に立っていた部員が、おどけて言う。

「いつも食べてばっかりって言いたいのか!」

「食べてばっかじゃないですか」

「まあ、そうだな」

 また笑いが起こる。雪子は腕を振って、

「話が進まないから茶々を入れるな。えーと、裁縫班と調理班に分かれてて、一応、別々に活動してる。ただ、はっきりと分かれているわけではなくて、調理班が作ったものをみんなで食べたりするし、文化祭の時なんかは部員全員分の服を裁縫班が作ったりするね」

「そもそも部室が一緒だからね」と、部員の一人が付け加える。

「ちなみに、今のところ裁縫班はここにいる三人、調理班はあっちで鍋を見てる四人。合わせて七人が、家庭科部の全員」

 七は素数だな、とみぞれは思った。

「一年生はいるんですか?」

 と津々実が聞いた。見たところ、全員上級生のようだ。

「今年はまだ入ってない。昨日何人か見学に来たけど」

 鍋の方から、ぷつぷつという音が聞こえ始めた。何かが沸騰しているようだ。バターの匂いが漂って来た。

「何を作っているんですか?」

「見に行こうか」

 雪子が歩き出す。裁縫班の部員たちと一緒に、みぞれ達も鍋に近寄った。

 部員の一人が木べらで鍋を混ぜている。その横で、白い粉の入ったボウルを持って待ち構えている部員もいる。

「そろそろいいかな。早苗ちゃん、手早くね」

「はい」

 鍋を火から下ろして、布巾の上に載せる。早苗と呼ばれた生徒が、ボウルの中の粉を一息に鍋に入れ、へらでかき混ぜた。粉が徐々に固まってくる。

 その間に、他の部員が大きめのフライパンに油をたっぷり入れて、火にかける。そこに温度計を差した。

「鈴、何を作ってるのか、説明してあげて」

 ようやく鈴がこちらを向いた。

「いま作っているのは、チュロスよ」

「チュロス? あの、遊園地とかで売ってるやつですか?」

「そう。細長いドーナツみたいなやつ」

 早苗が「できました」と言って、団子状になった塊を鈴に見せた。鈴はへらで突いて、

「うん、良さそうね」

 少し冷ましてから、金具の付いたビニール袋に入れる。これを上から絞れば、星型の生地ができる。まず鈴が、力を込めて紙皿の上に絞り出した。

「よし、良い感じ」

 満足そうに言うと、絞り袋を津々実に差し出した。

「やってみる?」

「良いんですか?」

「もちろん」

 まず津々実が絞り出し、みぞれも真似してやってみる。思いのほか力が必要で、一口サイズでしか絞り出せなかった。

 部員たちが代わる代わる絞りだす。調理班だけでなく、裁縫班の部員も参加する。雪子の言っていた通り、はっきりと分かれているわけではないようだ。

 雪子が絞りながら腕を動かす。できあがった生地はハート型をしていた。そこから、部員たちは銘々、好きな形を絞り始めた。水滴の形だったり、リボンのような形だったり。

 二巡目が回ってきたので、津々実もアルファベットの「M」の形を作った。ならば、とみぞれはまっすぐ生地を絞った後、横方向にも生地を絞り、「T」の形を作った。

 絞った生地を油に入れる。菜箸で転がして、まんべんなく火を通す。狐色になったところで、紙皿に取り出した。上から砂糖のようなものをふりかけて、

「はい、これで出来上がり。食べてみて」

 鈴が「M」と「T」のチュロスを紙ナプキンでつまんで、津々実とみぞれに手渡す。食べてみると、かすかに甘くて、サクサクしている。

「めっちゃ美味しいです!」

 津々実が言うと、鈴は喜んだ。


 十数本のチュロスが載った紙皿を囲むように、全員が席に着く。お茶会をしながら、改めて自己紹介をしたり、家庭科部の説明をしたりした。

「調理班はこんな感じで」と鈴。「お菓子を作ったり、ちょっと本格的な料理に挑戦したりするのが主な活動。創作料理もやるし、なんなら食材にこだわったりもするから、見た目よりも結構ハードよ」

「部活が買い出しから始まることもあるからね」

「あれいつだっけ、朝早く魚市場に行ったことあったよね」

 三年生の部員が聞くと、鈴が答えた。

「私達が一年の時だったと思う。さすがに面倒くさくて、それ以降やってないけどね」

 雪子がチュロスを飲み込んでから、

「裁縫班は、服作ったりぬいぐるみ作ったりしてるんだ。メインは服だね。隣の準備室にミシンもあるから、割としっかりした物が作れる」

「やっぱり、生地を買いに行ったりもするんですか?」

「もちろん。ただ、あんまり高い生地は買えないんで、涙を飲むことも多いけどね」

 部費が少なくてね、と雪子は愚痴る。

「あと、演劇部やダンス部の手伝いをすることもあるんだ。これが面白くってね。先方の注文に合わせて色んな服を作ることになるから、かなり勉強になると思うよ。男物の服とか、普段自分じゃ絶対作らないからね」

 みぞれは小さく手を挙げた。

「女子高なのに男物なんですか?」

「演劇の登場人物は女ばっかりじゃないからね。演劇部にカッコいいのがいて、そいつが男装するんだよ」

 雪子はニヤリと笑い、

「だからうちらは、演劇部全員のスリーサイズを知っているのだよ。一部のファンに高く売れそうな気がするんだよね」

「絶対やめなさいよそれ」

 鈴が突っ込むと、また周りの部員たちがくすくす笑う。

「主な活動はそんなところかな」と雪子。

「あと大きな活動は、文化祭ね」と鈴。

「ああそうか、文化祭だ、文化祭。当然だけど、うちらは文化祭、ガチで本格的なものをやるからね」

「本格的?」とみぞれ。「何をするんですか?」

「コンセプト喫茶だよ」

 それはなんだろう、とみぞれと津々実は顔を見合わせた。雪子が説明を続ける。

「平たく言えば、コスプレ喫茶ってことになるのかな。毎回何か一つテーマを決めて、それに沿った喫茶店にするんだ。去年は『ロミオとジュリエット喫茶』だったね。全員でロミオかジュリエットの格好をして、おもてなししたんだよ。もちろん、服は全部うちら裁縫班が作ってね」

「あと料理も、十四世紀のイタリア料理を調べて再現したり、『ロミジュリ』をイメージした創作料理を作ったりしたわ」

 鈴が付け加える。なるほど本格的だし、面白そうだな、とみぞれは思った。

 雪子が笑いをこらえながら、

「傑作だったのは、『二人を分かつ仮死の毒薬』って料理だな。ムラサキキャベツを使った紫色のポタージュだったんだけど、結局誰も注文しなくて、そのあとしばらくムラサキキャベツ料理ばっかり作ってたんだよね、調理班は」

「一生分のムラサキキャベツを食べたわ」

 げんなりした顔で鈴が言った。みぞれと津々実は、くすくすと笑い合う。

「部活の説明はそんなところかな。二人とも、他に何か質問ある?」

 二人は顔を見合わせてから、首を振った。

「そっか。で、二人ともどうする。入部する?」

「します!」

 津々実が元気よく手を挙げた。部員たちが色めき立つ。

「ちなみに裁縫班? 調理班?」

「裁縫班でお願いします」

「よしっ!」

 雪子がガッツポーズを作った。それからみぞれを見て、

「そっちの子は?」

「えっと……」

 みぞれが言いよどむと、津々実が首を傾げた。

「あれ? 一緒に裁縫班やるんじゃなかったの?」

 部活の紹介冊子をもらった時から、二人でそういう約束をしていた。だが、みぞれは悩んでいた。

 家庭科部は面白そうではある。十四世紀の料理とか、どんなものだったのかとても気になる。先輩たちも優しそうで、入ったらきっと楽しいだろう。でも……。

 みぞれは、自分の中に沸いた感情を表す言葉を、なかなか見つけられなかった。考えて、考えて、思いつかなかったので、別のことを言った。

「QK部と迷ってて……」

「え!?」

 津々実が本気で驚いた声を上げた。家庭科部員たちが、ざわつきながら顔を見合わせる。

「きゅーけーぶ?」「なにそれ」「休憩すんの?」

「たしか……」と鈴が言う。「なんか、トランプやる部活だよね?」

「はい。QKっていう、素数を使ったトランプゲームをやる部活で……」

 なにそれ、という声がまた上がる。みぞれは鞄から部活紹介冊子を取り出した。家庭科部のページしか見ていなかったが、QK部も載っているはずだ。探してみると、最後の方のページにしっかり載っていた。

 ひとつのページを上下に二分割し、見開きで四つの部活が紹介されている。QK部の欄には、トランプのイラストとともに、短い説明書きがあった。

『素数を使ったトランプゲームQKをやる部活です。数学ができなくても大丈夫。ほとんどの人が高校生から始める初心者なので、すぐに全国に通用する実力が付きます。』

 鈴と雪子以外、QK部を知っている部員はいないようだった。あまりの知名度の低さに、みぞれはしょんぼりする。

「まあ、別に今日すぐに入部を決める必要はないよ」と雪子が言った。「仮入部期間はあと一週間あるんだしさ。それまでに決めてくれれば良いからね」

「すみません」

 謝るみぞれの隣で、津々実はつまらなさそうに唇を尖らせていた。


 家庭科室を二人で出て、廊下を歩く。みぞれも津々実も、言葉少なだった。いつの間にかに降ってきていた雨が、廊下の窓を濡らしている。

 入口ホールに着いたところで、横の階段から足音が聞こえた。見上げて、みぞれは「あ」と言った。足音の主も、「あ」と言って立ち止まる。

 赤い眼鏡が印象的な、ツーサイドアップの二年生。QK部部長の宝崎伊緒菜がそこにいた。これから帰るところのようだ。

「昨日来てくれた二人だよね」

 言いながら、階段を下りてくる。二人が歩いてきた方を見て、恐々といった感じで聞く。

「もしかして、家庭科部の帰り? 家庭科部に入ったの?」

「あたしは入ったんですけど……」

 と、津々実がみぞれを見る。みぞれは伊緒菜に一歩近づいた。

「あの、先輩」

「なに?」

「昨日、QKには全国大会もあるって言ってましたよね」

「ええ」

 みぞれは拳を握りしめて質問した。

「QK部は、全国大会を目指すんですか?」

 伊緒菜の口元がほころんだ。我が意を得たり、という表情だ。

「目指すのは全国大会じゃないわ。全国大会よ」

 これだ、とみぞれは思った。さっき思いつかなかった言葉が、ようやく見つかった。みぞれは、「物足りない」と感じたのだ。みんなで協力して文化祭を盛り上げるのは、絶対に楽しいだろう。だけど、それでは物足りない。自分が本当に求めているのは……。

 みぞれは、自分でもびっくりするくらい、堂々と宣言した。

「わたし、QK部に入部します!」

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