第5話 2÷2
津々実がみぞれと出会ったのは、中学の入学式の日だ。
初めはただ、後ろの席におどおどした子がいるな、という印象だった。ちっちゃくて可愛くて、小動物みたいな子だった。
津々実はこの時すでに身長が160㎝を超えていて、スポーツも得意だった。みぞれとは対照的だったと言える。すぐに男女問わずクラスメイトと打ち解けた津々実と、いつまで経っても人見知りが抜けないみぞれは、一言も会話することはなかった。
関係が変わったのは、二学期が始まってしばらく経った頃だった。
バスケ部に入った津々実は、すぐにその頭角を現した。一年生としては異例なことに、夏の大会のレギュラー選手にも抜擢され、大活躍を見せた。顧問の先生にも期待されて、練習に熱が入っていた。
その日はテスト期間中で、部活動は休みになっていた。それでも津々実は、個人的に走り込みをしていた。学校のジャージを着て、家から遠く離れた公園まで走る。近所のショッピングモールの脇を抜け、人通りの少ない路地に入ろうとしたときだ。
「返して!」
と、女の子の声がした。何事かと路地を覗くと、同い年くらいの数人の男子と一人の女子が、何やら揉めていた。男子達が、トランプの柄が描かれたショルダーバッグを掲げ、女子がそれを取り返そうとしている。揉めているというより、これは……。
嫌な現場に遭遇してしまった、と津々実は顔をしかめた。こういうとき、できることは二つしかない。無視するか、助けるか。無視するのは気分が悪いが、助けるのはリスクがある。どちらを選んでもデメリットしかない。
しかしよく見てみれば、男子達は全員、自分より背が低い。力もなさそうだ。おまけに男子の一人はクラスメイトである。以前から、クラスの中でたびたび調子に乗って問題を起こしている奴だ。これを口実に、一発ぶちかましてやってもいいかもしれない。
「ちょっとあんた達」
津々実は声を張り上げた。その場にいた全員が、こちらを見る。
いじめられていた女の子は、泣きそうな顔になっていた。その顔を見て、おや、と思った。誰かと思えば、クラスにいる小さい子だ。名前は古井丸とか言ったか。
なるほどね、と津々実は納得する。背が低くて、運動が苦手で、胸が大きい。小学生みたいな思考回路の男子から見れば、格好のいじめの標的だろう。
「なんだ、倉藤か」とクラスメイトの男子が言う。「なんだよ、何か用かよ?」
「やめなよ、そういうの」
毅然とした態度で言い放ち、男子達に近づく。
「悔しかったら取ってみろよ」
クラスメイトがバッグを高く掲げる。こっちの方が背が高いのに、そんなことをしても意味がない。津々実は一瞬で、最高速度まで加速した。バスケボールを奪うのと、要領は変わらない。男子が反応するよりも早く、津々実はバッグを取り返していた。
「あっ、てめえ!」
男子達がすぐに、津々実を囲む。
バスケは格闘技ではない。だがスポーツの得意な津々実には、普段じゃれ合いしかしていない男子達の動きは、あまりに緩慢だった。基礎体力も動体視力も段違いなのだ。津々実は男子達に、次々と拳や脚を打ち込んでやった。
あっという間に全員をのしてしまった。蜘蛛の子を散らすように、男子達が逃げていく。
「大丈夫?」
道の端でへたり込んでいた古井丸みぞれに、津々実は手を伸ばした。泣きそうになっていたみぞれは、顔を赤らめると、ゆっくり腕を伸ばして津々実の手を掴んだ。
津々実はその手を握って、みぞれを立ち上がらせる。お尻の砂を払ってやり、ショルダーバッグを掛けてやる。
改めて見ると、みぞれは小学生みたいな服装をしていた。ミニのワンピースの下に、スパッツを穿いている。そのくせ肉付きが良いので、アンバランスさが半端ない。しかも、せっかく津々実がショルダーバッグを縦に掛けたのに、わざわざ自分で斜めに掛け直した。
「あ、あの……ありがとう……」
消え入りそうな涙声で、みぞれが言った。そのまま立ち去ろうとするのを、津々実は思わず呼び止めた。
振り返ったみぞれと目が合う。声をかけてしまったが、言いたいことがあったわけではない。考えた挙句、津々実は適当なことを言った。
「あんた、その服、もしかして小学生の頃から着てる?」
みぞれは驚いたように、
「どうしてわかったの?」
と答えた。小学生みたい、じゃなくて本当に小学生の服装だった。
別に、小学校卒業と同時に、すべての服を捨てる必要はない。津々実だって、小学生の頃の服を今でも着てる。だけど、他の服とうまく組み合わせて、中学生っぽい恰好をするものだ。友達と遊びに行ったりするうちに、自然とそういう方法を覚えていく。
もしかしてこの子は、友達がいないのだろうか。クラスでの様子を思い出そうとするが、影が薄すぎて記憶にない。いじめられていることも知らなかったし。
「あんた、いま時間ある?」
「え、あ、あるけど……」
ちょうど、すぐ隣がショッピングモールだ。津々実はみぞれの手を掴んで、歩き出した。
「来て。あんたに合う服、見つけてあげるから」
無かったら、作ってもいい。弟の破れた服をいつも縫っているのだ、女の子の服を一着作るくらい、少し練習すればできるだろう。
自分に引っ張られながらついてくるみぞれを見て、津々実はいじめたくなる男子の気持ちも、なんとなくわかった。だけど同時に、別の気持ちも湧いてきた。守りたい、守ってあげたい、という気持ちが。
だから、みぞれが自分でQK部に入りたいと宣言したとき、津々実は心底驚いた。今までみぞれが、自分から積極的に何かをやりたいと言い出したことは、ほとんどなかった。みぞれはいつも、津々実の後ろをくっ付いて来ていた。
そういえば、そもそもQK部を見に行ったのは、みぞれの一言がきっかけだった。みぞれは以前、「自分は1213に縁がある」と言っていた。だからQK部を見たいと言ったのは、占いを気にする程度の些細な気まぐれだと思っていた。だけど、もしかしたら違ったのかもしれない。
みぞれは伊緒菜に宣言したその場で、入部届を書き上げた。伊緒菜はそれを受け取ると、職員室に持って行くと言って二人と別れた。
津々実とみぞれは、それぞれ折り畳み傘を広げて、学校を出た。傘の分だけ、二人の間に距離が空く。駅までの坂道を下る間、二人の間に会話はなかった。
「ごめんね、つーちゃん」
駅のホームに着いてから、ようやくみぞれが口を開く。
「一緒に家庭科部に入る約束してたのに」
「別に、それは良いけど……」
津々実はぶっきら棒に答えてしまった。
昨日、QK部を訪ねてから、津々実はずっともやもやしていた。QKをやっているときも、帰りの電車の中でも、みぞれは今まで見たことないような表情をしていた。
それは、心から楽しんでいるときに出るような表情だった。
津々実は胸の奥が痛んだ。じゃあ何か、今まで自分と一緒にいたとき、みぞれは全然楽しんでなかったってことなのか。あたしはみぞれと一緒にいて、ずっと楽しかったのに。
どうしてQK部に入ることにしたのか、その理由を確かめることは、みぞれの津々実への気持ちを確かめることにもなる。津々実はそれを知るのが怖くて、なかなか問い質せずにいた。
電車が来たので、二人で乗り込んだ。乗客はまばらだった。二人は並んで席に座った。
「わたしとつーちゃんが初めて話したときの事、覚えてる?」
口火を切ったのは、またみぞれだった。
「もちろん覚えてるわよ。みぞれのバッグを取り返して、服を買いに行ったときでしょ」
津々実は、気まずそうに答えた。
二人の間で、あのときの事を話すのは、なんとなくタブーになっていた。友達になったきっかけであると同時に、津々実がバスケ部を辞めるきっかけにもなったからだ。
あのいじめっ子達が通報したのか、それとも誰かに見られていたのか。津々実がいじめっ子達を蹴散らしたことが、翌日には学校に知られていた。いくら津々実が、みぞれを守るためだったと弁解しても、男子達に暴力を奮ったことは変わらない。なまじ大会で好成績を出した選手だっただけに、問題は余計に大きくなった。
結局、津々実はバスケ部を辞めた。一時的にみぞれとも気まずくなったが、津々実は積極的にみぞれとの友人関係を続けた。あのとき助けたことを後悔したくなかったし、部活を辞めたのがみぞれのせいだとも思わなかったからだ。
「バスケ部、本当は続けたかった?」
とみぞれが聞いてきた。津々実は「うーん」と言ってから、答えた。
「どうだろ。バスケをちゃんとやり始めたのは中学に入ってからだったし。確かにあの時は、大会で活躍できて、バスケが楽しくなってきていた時期だったと思う。あのまま続けていたら、きっとバスケが好きになってただろうね。でも、あの時はまだ、そこまで好きじゃなかった」
それに、目をつけてくる先輩もいた。だからあっさりと辞めることができたのだろう、と津々実は自己分析した。
津々実の言葉を聞いて、みぞれはほっとしたように溜息を吐いた。津々実は初めて、みぞれが今までずっとそれを気にしていたのだとわかった。
みぞれは少し顔を赤らめてから、意を決したように話した。
「わたしを助けてくれた時のつーちゃん、本当にカッコよかった。だからね、わたし、あのとき思ったの。この人みたいになりたいって」
「え?」
そんな風に思っていたのか。津々実はみぞれの顔を見た。みぞれもこちらを見返してきて、目が合った。
「だからわたしは、つーちゃんとずっと一緒にいたの。仲良くなりたかったのももちろんだけど、それよりも、この人みたいになるにはどうしたら良いんだろうって、ずっと観察してたの」
「か、観察……」
言葉が悪い、と津々実は思った。
「それで? その答えは見つかったの?」
みぞれは首を振った。
「全然。やっぱりつーちゃんは、強くてカッコよくて、憧れの人のままだよ」
さすがに照れる。津々実は、目をそらして頬を掻いた。
「でもね、一つだけ分かったことがあるの。つーちゃんは、スポーツも裁縫もできて、得意なことがたくさんあるから、自分に自信があるんだろうなって。だから、わたしも何か一つで良いから、これだけは誰にも負けないっていう得意なことがあれば、自信が持てるようになって、いつかつーちゃんのようになれるんじゃないかなって思ったの」
「まさか、それでQKを?」
そんなまさかとみぞれを見たが、みぞれの表情は真剣だった。
「うん。だって、何か勝負をしてつーちゃんに勝てたの、あれが初めてだったんだもん」
「え、そうだっけ?」
「そうだよ! スポーツも勉強も、今まで一度も、つーちゃんに勝てたことないもん」
言われてみれば、そうだったかもしれない。みぞれは運動も勉強も苦手だ。高校受験のときも、津々実はずっとみぞれに勉強を教えていた。津々実は勝負しているつもりはなかったのだが、みぞれにとってはすべてが勝負だったようだ。
「だからわたし、決めたの。QKをやる。QKをやって、全国へ行って、全国の人をみんな倒す。絶対に一番になって、つーちゃんみたいになってみせる」
みんなで仲良く文化祭を盛り上げるのではない。一人で戦って、他を圧倒するのだ。
「みぞれにそんなバイオレンスなところがあるなんて、知らなかった」
えへへ、とみぞれは笑った。
今までずっと、津々実はみぞれのことを、守らなくちゃいけない存在だと感じていた。か弱くて、泣き虫で、一人じゃ何もできない子だと。
でもそれは勘違いだった。この子は強かで、執念深く、意思が固い。津々実は、みぞれのことを何も知らなかったのだ。
少しだけ、悔しくなった。一番の親友だと思っていたのに、その本性を全く見抜けていなかった。人を見る目はあるつもりだったんだけどな。
やがて電車は最寄り駅に着いた。雨はすっかり上がっていた。太陽が、沈む直前の最後の輝きを放っている。
「ねえ、つーちゃん。ちょっと寄り道していこうよ」
みぞれが、家の方向とは逆方向を指差した。ショッピングモールのある方向だった。
「そろそろ、高校生っぽい服買わないと」
そうだった。放っておいたら、みぞれはまた、ちんちくりんな服装をしかねない。
「うん、行こっか。みぞれのことを、色々聞きたいし」
「わたしのこと?」
「そうだよ。みぞれが何を好きなのか、何をしたいのか。あたし、みぞれのこと全然知らなかったんだから」
手を繋いで、みぞれを引っ張る。うかうかしていたら、きっとあっという間にこの子に追い越される。そうならないように、前を走り続けていこう。
いつまでも胸を張って、この子の目標でいられるように。
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