第3話 1/365
QK部に見学に行った後、みぞれと津々実は、家庭科部には寄らずに帰ることにした。
五時近かったが、日はまだ出ていた。最寄り駅まで徒歩五分程度の坂道を、二人で並んで下る。入学して約一週間が過ぎたが、まだ寄り道のルートは確立されていない。今日は最短ルート(と今のところ考えている道)を通って、まっすぐ帰ることにした。
周りに同じ制服の生徒はいない。帰宅部の生徒はとっくに帰っているし、部活をやっている生徒はまだ学校に残っている、そんな中途半端なタイミングだった。
「面白いゲームだったね」とみぞれ。
「難しいゲームだったけどね」
あのあと四、五回試合をしたが、津々実は一回しか勝てなかった。みぞれは妙に強かったのだ。
「みぞれにあんな才能があったとは知らなかった」
「そ、そんなことないよ」
「あの先輩もすごかったよね。素数はスマホで判定するとか言っておきながら、全然使ってなかったじゃん」
「そういえば……」
最初の試合こそ二枚出しまでしかしなかったが、試合が進むにつれ、二人とも三枚出しや、賭けでの四枚出しをした。しかし伊緒菜は、ほとんどスマホを使うことなく、即答で素数かどうか判定していた。
みぞれは唇に指で触れながら、
「四枚くらいまでの素数なら全部覚えてるってことなのかな?」
「全部は無理じゃない? だって、いくつあるのよ」
「だけど、今日出て来た素数は全部覚えてたってことだよね。それだけでも相当な数だと思うけど」
「んー……」津々実は少し上を向いて考えた。「五回くらいやったんだから、一回の試合で十種類くらい出てきたとしても、五十種類か。でも同じ素数を何回も出したりしてたから、三十種類くらいかな」
「それって多いのかな?」
「どうだろ。かけ算の九九よりは少ないけど」
「九九って何個あるんだっけ?」
「八十一個に決まってるでしょ」
「あ、そっか……えへへ」
つーちゃんは賢いなぁ、とみぞれが言うと、この程度で何言ってんの、と津々実は答えた。
駅について、改札を通る。小さい売店とホームだけがある飾り気のない駅だ。駅前にもファミレスと本屋くらいしか遊べそうな場所がない。高校がある以外には特に何もない、静かな住宅地なのだ。
ちょうどやって来た電車に乗る。他校の生徒がちらほらいる。二人は並んで席に座った。
「素数かどうか、簡単に判断する方法ってないのかな?」
「あの先輩は割るしかないって言ってたけど、どうだろうね。一の位が七なら大体素数なんじゃない?」
「でも57は素数じゃないんでしょ?」
「あ、そうか。難しいな」
津々実が一の位が七の数をいくつか挙げる。17、27、37、47……。
「27は素数じゃないけど、他は素数っぽいよね」
「57も違うでしょ、67は素数……かな?」
「えーと、待って」
津々実はスマホを取り出して、電卓を開いた。67を3や7で割っていく。
「うん、素数っぽい」
「77は……7×11だから違うか。87は……素数じゃなかったはず」
「そうなの?」
また電卓を操作する。今度はすぐに3で割れた。
「ホントだ。3×29だって。あ、そっか、8+7=15だから、3の倍数なんだ」
各桁の数を足して3の倍数になれば、元の数も3の倍数になる。今日、伊緒菜から教わったことだ。
「どうしてそれで、3の倍数だってわかるんだろうね?」
「さぁ?」津々実は首をひねった。「他の数もそうなるんじゃないの? 全部足して7なら7の倍数とか」
実際に計算して確かめてみる。7にはそのような性質はなかった。11や13でも試してみたが、やはり足して倍数になるようなことはなかった。
「不思議だね」「不思議だねー」
二人して、呟き合う。
何より不思議なのは、電車の中で延々と数学の話をしていることだな、とみぞれは思った。いつもなら学校の話とかゲームの話とかなのに。
しかしよく考えたら、これも学校の話でゲームの話なのだった、とみぞれは思った。
「97は素数っぽいね」電卓をいじっていた津々実が言う。「107は……」
「107は素数だよ!」
津々実が計算する前に、みぞれは身を乗り出して言った。
「それだけはしっかり覚えたんだ」
ふふふ、と笑うみぞれを見て、津々実が呆気にとられる。
「珍しいね」
「なにが?」
「みぞれがそんな表情をするのが」
「?」
どんな表情だろう、と思って自分の顔を触ってみたが、もちろんわからない。津々実はつまらなさそうに唇を尖らせて、スマホをしまった。
翌日は健康診断だった。午前中の授業をいくつか潰して、学年ごと数クラスずつ体育館へ集まった。体育館に併設された広い更衣室で、セーラーブレザーを脱いでTシャツに着替える。
さらにみぞれは、袖からTシャツの中に両腕を入れて、ブラジャーを外した。ワイヤー入りの物は付けて来ないように、と言われていたのに、うっかり付けてきてしまったからだ。
自分の胸元を見る。透けてはなさそうだが、形がわかるような気がしなくもない。女子しかいないとはいえ、さすがに恥ずかしいので、記録用紙で胸を隠した。
「みぞれ、早く行くよ」
「え、あ、うん」
津々実と一緒に、小走りで体育館へ向かう。いつもより揺れて落ち着かないが、健康診断が始まってしまえば、ほとんどの時間は列に並んでいるだけだ。気にすることはないだろう。
みぞれ達はクラスメイトに交ざり、出席番号順に並んだ。1番の生徒から、順番に測定を受けていく。
測定中は記録用紙を医師に渡すので、胸元が隠せない。しかも医師の半分くらいが男性だった。多少恥ずかしかったが、測定時間なんて一瞬なのだし、誰も気にしていないと自分に言い聞かせた。
身長と体重の測定が終わり、みぞれは自分の記録を確認した。体重は……まあ、これは普段から測っているから、どうでもいい。滅多に測ることのない身長に注目した。結果は、155.0cm。
「どうだったよ?」
津々実が覗き込んできた。身長の項目を見て、
「相変わらず小さいなー」
と、みぞれの頭を撫でまわす。
「そういうつーちゃんは?」
「167センチ」
圧倒的な差だった。
「むー……」
津々実の顔を見上げるように睨む。津々実はにやにやしながら、みぞれの頭を撫でた。
「あれ、ちょっと待って」ふと、みぞれは気になって計算を始めた。「それ、素数じゃない?」
「え?」
「だから、167って素数じゃない?」
すると津々実は、またつまらなさそうに唇を尖らせた。
「みぞれ、昨日の部活にだいぶ感化されてるね」
「そ、そうかな」
「そうだよ」
「……そうかも」
昨日までの自分なら、目にした数が素数かどうかなんて気にしなかっただろう。影響は明らかに受けている。
「あんたが1213に縁があるのは知ってるけど……」
とため息交じりに津々実が言う。
「あのね、みぞれ。一年は365日しかないんだから、365分の1の確率で誕生日は十二月十三日なんだよ。しかも今年の一年生は二百人くらいいるんだから、365分の200の確率で、十二月十三日生まれの生徒が入学してるんだよ。運命でも何でもないって」
「違うと思うけど」
突然、横から声をかけられた。津々実とみぞれが同時に振り返ると、知らない女子がいた。身長はみぞれと津々実の中間くらい。つり目で、二重まぶたの美人だった。長い黒髪をハーフアップにしていて、とても大人びて見えたが、ここにいるということは同学年のはずだ。
女子生徒は真顔だったが、二人の顔を見て、急に目を泳がせた。
「あ、ごめんなさい、その、つい、無意識に話しかけちゃって」
ああ、あるなぁ、そういうこと、とみぞれは思った。気になる単語が聞こえると、いけないと思いつつも聞き耳を立ててしまい、油断するとうっかり声を出してしまう。
津々実は女子生徒の言い訳は意に介さず、
「違うって、どういうこと?」
と聞き返した。
まさか聞き返されるとは思っていなかったのか、彼女は困惑していたが、たどたどしく話し出した。
「さっきの計算、生徒が二百人いるからって365分の200にしてたけど、それが成立するのは全員の誕生日が違うときだけだと思う。実際には同じ誕生日の人がたくさんいるはずだから、十二月十三日が誕生日の人がいる確率は、もっと低くなるはず」
「同じ誕生日の人なんて、そんなにいる?」
と津々実が反論する。
「二百人もいたら」とみぞれ。「何人かはいそうだけど……」
「『何人か』どころか、ごろごろいるはず」
「どうして?」
「だって、仮に全員の誕生日がバラバラだとすると、その確率は……」
そのとき、彼女に視力測定の順番が回ってきた。彼女はいそいそと医師のもとへ行ってしまった。
なんだったんだろうね、とみぞれと津々実は顔を見合わせたが、すぐに津々実も呼ばれ、この話はここで有耶無耶になってしまった。
視力検査、聴力検査と、健康診断は順調に進んでいく。なんだか検査項目が中学の時より多い気がする、とみぞれは思った。
最後はレントゲンだった。体育館を出て、横に停められている車の前に並ぶ。今日は曇っているので、Tシャツにハーフパンツだと、ちょっと肌寒い。
「桜散っちゃったね」
と、体育館前の大きな桜の木を見上げながら、津々実が言う。
「でも、チョウチョはたくさんいるよ」
飛んできた小さな黄色い蝶たちを指差して、みぞれが言う。二人は顔を見合わせると、くすくす笑い合った。
列が進み、ようやく車に乗れた。空調はかかっていなかったが、風が防げるだけでかなり暖かい。人が密集しているせいでもあるだろう。二人は看護師に記録用紙を渡して、順番を待つ。
順番はすぐに来て、まず津々実が奥の部屋に入っていった。数十秒で出てきて、「次、みぞれ」と言った。
みぞれも奥の部屋に入る。医師の指示に従って、機械の前に立って腕を広げる。撮影はすぐに終わった。数秒の間を開けてから、医師が「はい、結構です」と言ったので、みぞれは「ありがとうございました」と言って部屋を出た。
車から降りると、外で津々実が待っていた。
「やっと終わったねー」
津々実が伸びをする。みぞれもつられて、「そうだねー」と言いながら腕を上にあげた。
そのとき、
「あれっ」
と言って、津々実がみぞれの両腕を掴んだ。みぞれは目を白黒させ、津々実の顔を見上げた。その視線は……胸に向かっていた。
みぞれも自分の胸元を見て、気が付いた。腕をあげて上体を反らしたせいで、先端の形がはっきりと現れてしまっていた。
津々実の手を振りほどいて、両腕で胸を隠す。津々実はにやにやしながらこちらを見ていた。
「おやおやまあまあ、この子ったらこんな淫らな格好しちゃって、お母さんはそんないやらしい子に育てた覚えはありませんよ」
と言いながら、後ろから抱き着いてくる。
「お母さんじゃないし、い、いやらしくもないし! ひゃうっ、やめ、揉まな……やーめーてー!」
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