第2話 107
素数を使った、大富豪みたいなトランプゲーム。それが素数大富豪、通称QK。
基本ルールは普通の大富豪と変わらない。より強い手札を順番に出していき、最初に手札をなくした人の勝ち。ただし、出せるのは素数だけ。だからカードを二枚以上並べて、「47」などを作らないといけない。また、出すカードの枚数は自由に決められるのではなく、「親」が出した枚数と同じでなければならない。
このルールでは必然的に、出てくる素数がどんどん大きくなっていく。そして、一枚なら
「ちなみに三枚なら
QK部の部長、
二人のぼんやりした視線に気づいたようで、伊緒菜は慌てて、
「あ、別に最初から全部覚える必要はないからね。やってくうちに覚えるものだから。今はQKだけ覚えておけば大丈夫よ」
と付け加えた。
四月の、仮入部の期間だった。高校一年生になったばかりの古井丸みぞれは、倉藤津々実と一緒に家庭科部に入部しようとしていたが、ふとした気の迷いでQK部の見学に来てしまっていた。
といっても、まだ説明を受けているだけで、ゲームは見ていない。そういえば、他の部員も見ていない。もしかして、部員はこの先輩一人だけなのだろうか、とみぞれは少し不安になる。
「基本的なルールはこれだけなんだけど」とその先輩が言う。「あと三つ、ルールを説明するわね」
伊緒菜は手にしたトランプの束を適当に切ると、みぞれと津々実の前に配りだした。七枚配って、残りを机に置く。
「一つ目。最初に配るのは、まあ何枚でもいいんだけど、今回は七枚にしましょう。そして、残りは山札にする。山札からは、自分の手番のときに、いつでも一枚だけ引けるわ。引いてから手札を出しても良いし、引いてからパスしても良い。もちろん、引かずに出したりパスしたりしてもオーケーよ」
山札は普通の大富豪にはない。素数大富豪に山札があるのは、これがないと「どう頑張っても素数にならない」という手札に陥った場合に、ゲームが続けられなくなってしまうからだと伊緒菜は説明した。
「二つ目。大富豪に8切りってあったわよね」
「はい」と津々実。「8を出すと、強制的に場を流せるってやつですよね」
「素数大富豪でも、同じようなルールがあるの。でも流せるのは8ではなく、57よ」
伊緒菜は山札から5と7を探し出し、並べて見せた。津々実が小さく手を挙げる。
「どうして57なんですか? 何か特別な素数とか?」
「実は57は、そもそも素数じゃないの」
え、と津々実とみぞれが同時に声を出す。
「57は、3×19よ。だから、素数じゃない。でも昔、グロタンディークっていう偉い数学者が素数だと勘違いしたってエピソードがあって、それ以来57を『グロタンディーク素数』と呼んでいるそうよ。で、このルールは『グロタンカット』と呼ばれているわ」
47が素数なのだから57も素数のような気がするが、どうやら違うらしい。九九の表には出てなかったと思うが、3×19ならそれも当然だろう。
「そして三つ目。さっきから『素数しか出せない』と言っているけど……もし間違って素数でない数を出した場合は、ペナルティを受けます」
「えっ、素数しか出せないって、そういう意味なんですか」
津々実はどうやら、そもそも素数以外の数は場に出せないルールだと思っていたようだ。しかしそうではない。素数以外の数を場に出した場合、ペナルティを受けるルールなのだ。
「素数以外の数を出したときは、出したカードを全て手札に戻し、山札から一枚引く。つまり、間違えれば間違えるほど、どんどんカードが増えていくわけね。そしてその数が素数かどうかは、場に出した後、これで判定するわ」
と、伊緒菜は制服のポケットからスマートフォンを取り出して、アプリを見せた。
「ここに数を入力すると、素数かどうか判定してくれるの」
試しに87と入力すると、「87は素数ではありません。87=3×29」と表示された。
「ええと、出す前にこれで素数かどうか調べるのは……」
「もちろん、ダメよ」
伊緒菜は人差し指を一本立てて言った。
「ルールは以上よ。山札からはいつでも一枚引いて良い、57で場を流せる、そして素数でない数を出したらペナルティを受ける」
しっかりと説明すると長くなるが、考え方としてはシンプルなゲームだと、みぞれは思った。とにかく手札をなくせばいい。ダウトやスピードと同じだ。
「説明ばっかりでもなんだから、実際にやってみましょう。というわけで、どうぞ」
さっき配ったカードを、伊緒菜が示す。津々実とみぞれはそれを取って、向かい合った。
みぞれのカードは、「A、4、8、9、10、J、Q」だった。
「それじゃあ、じゃんけんで先攻後攻を決めて」
伊緒菜に言われ、二人はじゃんけんした。先攻は津々実だ。
「ええと……素数かどうかって、どうやって判断したらいいんですか?」
「色々方法はあるけど、基本的にはその数より小さな素数で割っていくしかないわ。それで、どの素数でも割り切れなければ、その数は素数よ。例えば19は、19より小さな素数のどれでも割り切れないから、素数とわかる」
津々実のカードを覗き込みながら、伊緒菜が言う。伊緒菜はみぞれのカードも覗き込んできた。みぞれはカードを少し傾けて、伊緒菜に見やすいようにする。
「あの、どうですか?」
みぞれが尋ねると、伊緒菜は楽しそうに口元をほころばせた。
「うん、二人とも結構いいカードが来てるね」
ヒントはくれないらしい。
津々実はうんうんと悩んだ結果、場に一枚だけ出した。「2」だった。
「2は……そっか、素数なのか」
2は、1と2でしか割り切れない。だから素数だ。
「いま倉藤さんが一枚で素数を出したから、古井丸さんも一枚で返さないといけないわけ」
伊緒菜がルールを再確認する。
「一枚の素数があれば出せるし、敢えて出さずにパスしても良い。もちろん、山札から一枚引いてから判断しても良いわ」
他のトランプゲームに比べて、自分の手番でできることが多いな、とみぞれは思った。普通の大富豪なら出すかパスするかだし、ダウトなら必ず出さないといけない。
みぞれは頭の中で素数を数えた。2、3、5、7、11、13、えーと、17? トランプで一番大きいのは
みぞれの手札の中にはJがある。これは11で、2より大きい素数だから、出すことができる。しかし、他に一枚で素数になるカードはない。ここでこのJを出すと、後々不利にならないだろうか。敢えてパスしても良いが……津々実との差が広がってしまう方が危険だろう。みぞれは出すことにした。
「ジャック……じゃなくて、11を出します」
津々実は場と手札を見比べて、またうんうんと悩んだ。そして、
「パス」
と素っ気なく宣言した。
「相手がパスしたら」と伊緒菜。「場に出されたカードは流す」
伊緒菜は場の2とJを回収して、裏返しにした。
「そして、次は古井丸さんのターン」
手で指し示され、みぞれは自分の手札を見た。A、4、8、9、10、Q。一枚で出せる素数はない。
「当たり前のことだけど」伊緒菜がヒントを出す。「このゲーム、一枚出しだけだと永久に終わらないから、積極的に二枚出しや三枚出しをしていってね」
素数かどうかは割り算するしか判断方法がない、とさっき伊緒菜が言っていた。みぞれは、頭の中で一つ一つ割り算をしていく。
14や18は素数ではない。偶数は必ず2で割れるから、2以外の偶数は絶対に素数ではない。だからこの手札の中では、1か9を一の位に持ってこないと素数は作れない。すると……91? 89? いや41か?
41は2では割り切れない。3……でも無理だ。5もダメ。7は……7×6=42だから、41は割り切れない。11でもダメだろう。13は……。
このあたりで、みぞれの頭はオーバーフローした。とてもではないが暗算できない。仕方がない、勘でいこう。みぞれは覚悟を決めてカードを出した。
「41です」
「うん、素数だね」
あっさりと伊緒菜が言う。計算したとも思えないので、覚えているのだろう。
「ふぅん、41ね」津々実がにやにやして言った。「じゃあ、あたしはこれ。57でグロタンカット!」
57を出すと、強制的に場を流せる。普通の大富豪の8切りに相当するルールだ。
「あ、すごい。初心者はなかなか出さないのに」
伊緒菜が喜びながら場のカードを流した。
「そしてこう!」即座に津々実がカードを出した。「47! これは素数だって、さっき言ってましたよね!?」
津々実が自信満々の瞳で伊緒菜を見る。
「すごい! 記憶力良いね!」
ルール説明の時、伊緒菜が例として出した数だ。津々実はしっかりと覚えていたらしい。
褒められて喜ぶ津々実を傍目に、みぞれは手札を確認した。8、9、10、Q。二人ともここまでミスなく出しているので、みぞれは残り四枚、津々実は残り二枚になっている。もし津々実の二枚が素数になる数だったら、ここでうまく返さないと負けてしまう。
加えて、みぞれはあることに気が付いた。いま手札には奇数が一枚、偶数が三枚ある。さっき考えた通り、一の位が偶数だと素数にならないので、この手札では9を一の位に持ってくるしかない。しかし9を出すと、残りの手札は偶数だけとなり、素数が作れなくなる。だから……。
「一枚引いて良いですか?」
「どうぞ」
みぞれは山札から一枚引いた。7だった。奇数を引けて良かった、とみぞれはほっとした。
改めて、この五枚の組み合わせを考える。暗算で判断できそうなのは、87や89だろうか。いや、87は素数ではないと、さっき言っていなかったか。
みぞれは89を素数で割り始めた。2では当然割れない。3で割ると……29あまり2。5でも割れないし、7でも……無理。11でもダメだ。そしてこのあたりで、暗算能力が限界になる。みぞれは恐る恐るカードを出した。
「八十……九?」
不安げなみぞれを見て、伊緒菜がにやりとする。
「素数だと思う?」
「え、えっと、違うんですか?」
「89は……」伊緒菜が『溜め』を作る。「素数です!」
「よかったぁ」
ほっと胸を撫で下ろす。
「ふっふっふっ。安心するのは早いんじゃないかな、みぞれ」
津々実の声。みぞれが顔を上げると、わざとらしく笑う津々実がいた。二枚のカードをうちわのように扇いでいる。
「あたしのこの残り二枚が素数なら、みぞれの負け。しかもあたしは、これが3でも7でも割れないことを確認済みよ!」
津々実は振りかぶって、そのカードを出した。
「
伊緒菜は即答した。
「残念、3で割れるわ」
「あれっ!?」
みぞれはくすっと笑った。
「つーちゃん、本当に計算したの?」
「したんだけどな……あれー?」津々実は改めて3で割り算し始めたが、何かに気付いたように言った。「っていうか、先輩、どうして3で割れるってすぐにわかったんですか?」
そういえば、とみぞれも気になった。まさか覚えているわけではないだろう。
「3で割れる数には特徴があって……。すべての桁の数を足して3の倍数になったら、もとの数も3の倍数になるの」
二人とも首を傾げた。伊緒菜は説明を付け加える。
「1311の場合、1+3+1+1=6でしょ? 6は3の倍数だから、もとの1311も3の倍数だとすぐにわかるのよ」
「へー!」
どうしてそうなるのだろう、とみぞれは思ったが、質問する間もなく伊緒菜が話を進めてしまった。
「じゃあ倉藤さんは、いま間違えたから、出したKとJを手札に戻して、さらに山札から一枚引いてね」
これで津々実の手札は三枚になった。そして、伊緒菜が場を流す。
「倉藤さんが間違えたから、次は古井丸さんのターン。何枚出しでも良いわよ」
みぞれの手札は、7、10、Q。ここで出せるのは、107か127だ。素数だろうか? そして、どちらを出しても奇数がなくなってしまう。
「一枚引きます」
みぞれはまた、山札から一枚引いた。Kだった。それを手札に入れて、みぞれはハッとする。
107を3で割ると……まず10と3を比べて、3×3=9だから、3を立てる。10-9=1だから、今度は17と3を比べる。3×5=15だから、5が立って、17-15=2だから……答えは、35あまり2だ。107は3では割れない。
あ、そうか、とみぞれはさっき伊緒菜が説明したことを思い出した。1+0+7=8で、合計が3の倍数ではないから、107は3の倍数ではないのだ。わざわざ割る必要はなかった。
5でも割れない。7でも……割れない。
次は11だ。11×9=99で、107-99=8だから、107÷11は9あまり8だ。11は107を割り切れない。
13は、えーっと、13×10=130で、13×9は……1×9が9、3×9が27だから、13×9=117だ。そして13×8は、1×8が8、3×8が24だから、13×8=104になる。107-104=3だから、107÷13=8あまり3だ。割り切れない。
少なくとも、13までの素数では割れなさそうだ。107は素数である可能性が高い。なら、ここで取るべき作戦は……。
みぞれは手札からカードを二枚取って、場に出した。
「
「なっ」津々実は驚いて固まった。「自分が最初なのにそれを出すの!? もっと小さい素数出せば良いのに!」
当然、津々実はこれより大きい素数は出せない。伊緒菜は場を流し、
「さあ、古井丸さん、その二枚は何?」
みぞれはゆっくりとカードを出した。
「107……です」
また伊緒菜がにやりとした。
「素数だと思う?」
「たぶん……そう思います」
「107は……」
みぞれは祈った。これが素数なら、みぞれの勝ちだ。自分ではちゃんと計算したつもりだが、さっきの津々実みたいに計算ミスをしているかもしれないし、13より大きな素数で割れるのかもしれない。
伊緒菜がたっぷり『溜め』てから、宣言した。
「素数です!」
「やったぁ!」
みぞれは手を挙げて喜んだ。107が素数だとわかって喜ぶなんてちょっと変だな、とみぞれは自分で自分がおかしくなった。
「おめでとう! この勝負、古井丸さんの勝ち!」
伊緒菜が大げさに拍手した。
「ちぇー、負けたー」津々実が残り三枚だった手札を机に投げる。「これ、運の要素が強すぎませんか?」
「そうね、運が悪いと延々パスする羽目になることもあるわ。でもね、そこがQKの魅力でもあるわ」
「どうしてですか?」
「このゲームは、素数をたくさん知っている方が圧倒的に有利よ。でも、素数をほとんど知らない初心者でも、運が良ければ勝てる。上級者でも、運が悪ければ初心者にボロ負けすることがあるの。QKは、運と実力の両方がそろって初めて勝てるゲームなのよ」
そう言ってから、伊緒菜はみぞれに向き直った。
「そういえば、古井丸さんは一回もペナルティを受けなかったわね。すごいじゃない。暗算得意なの?」
「い、いえ、それこそ運が良かっただけですよ……」
「でも、1213が二枚出し最強素数であることもしっかり覚えていたし、上出来よ」
べた褒めされ、みぞれは、はにかみながら答える。
「わたし、1213にはちょっと縁があって……」
「縁?」
「はい、実は誕生日が12月13日なんです」
伊緒菜が眼鏡の奥で目を丸くする。一瞬だけ、津々実が机に投げた手札を見てから、身を乗り出してみぞれの手を握りしめた。
「すごい! これは運命ね!」
「え、えーと、そうでしょうか」
「そうよ! あなたには素数大富豪の神がついてるわ!」
津々実が二人の手を掴んで、引き離した。
「妙な宗教勧誘みたいな殺し文句やめてくれますか」
と低い声で言う。
「冗談よ」
伊緒菜はにこりと笑った。その視線はなぜか、津々実の手札に向けられていた。
それから二人は、さらに何戦かして帰っていった。
二人がいなくなってガランとした部室で、伊緒菜は安堵の溜息をついた。
今回は上手くいった。きっと、QKの面白さが伝わったはずだ。
QKは、実は正式ルールがかなり複雑だ。去年の先輩たちはそれを最初から全部説明して、新入部員が伊緒菜ひとりしか獲得できなかった。だから伊緒菜は今回、工夫に工夫を重ね、簡略化したルールを考案した。
また、実は二人に遊んでもらったトランプは、偶数のカードを少し減らしていた。二桁以上の素数は一の位に偶数が来ないので、偶数カードが少ないだけで初心者にはだいぶ易しくなる。
ほかにも色々工夫して、わかりやすく、楽しみやすくしたつもりだった。しかし、それが入部につながるかどうかは別問題だ。
ちらりと見えてしまったのだが、背の高いポニテの子(倉藤さんだったか)は、家庭科部の入部届を持っていた。もう一人のちんまいショートカットの子も、一緒に家庭科部に入るつもりかもしれない。
困った。本当に困った。
いまQK部には、部員が伊緒菜ひとりしかいない。仮入部期間の終わる四月二十日までに、あと三人部員を集められなければ、QK部は部員不足で廃部になる。
できれば二人とも入ってほしい。一人でも良い。何なら家庭科部との兼部でも良い。特にショートカットの子はとても筋が良かったので、ぜひ入ってほしい。
そう、彼女はとても強かった。伊緒菜はみぞれの戦い方を思い出して、身震いする。
例えば最初の試合。みぞれは最後の二手で、QKを出したあとに107を出した。これ自体は戦略として、ごく当たり前のものだ。QKは二枚出し最強素数だから、先にこれを出してしまえば、相手は反撃できない。ではあの時、もしみぞれが先に107を出していたら、どうなっていたか?
実はあの時、津々実の手札は、J、Q、Kだったのだ。もしみぞれが107を出していたら、津々実がQKを出し、みぞれは負けていた。
もちろん、素数大富豪に慣れたプレイヤーなら、この可能性を見越して先にQKを出す。別段珍しくもない戦略だ。しかし、みぞれはあれが初プレイだった。しかも、1213は彼女にとって特別な数だったのだ。
素数大富豪プレイヤーには、自分の好きな素数で上がりたがる人が多い。もしみぞれもそのタイプだったら、彼女は負けていた。しかしみぞれはそれを選択せず、確実に勝つ戦略を選んだ。
あの子は、勝ちにこだわるタイプだ。ぽやっとした見た目に反して、熱い闘志がある。あの子は、鍛えれば必ず強くなる。
強くなったあの子と戦いたい。そして一緒に、全国へ行きたい。
伊緒菜は、そう願った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます