第10話 山田さんは考えない

「……さん、山田さん」

 朝、俺は名前を呼ばれて目を覚ました。

「シイか……おはよう」

 俺はベッドの方を振り返ると、真っ先に繋いでいた手が目に入った。

 柔らかな感触が伝わってくる。

 俺は途端に恥ずかしくなったので、慌てて手を離した。

「そ、それより体調はどうだ?」

 動揺を悟られないように、あくまで冷静を装った。

「山田さんのおかげですっかり良くなりました」

「俺は何もしてないよ」

 本当だ、謙遜などでは一切ない。

「私、風邪をひいたときはいつも母が手を握っててくれた気がするんです」

 気がする? どうしてそんな言い方をするのだろう。

「私はそれが大好きでした。なんというか安心するんです。それで今朝、目を覚ましたとき山田さんが手を握っててくれて、なんだかとても懐かしくて、どうしようもなく嬉しかったんです」

 その表情から本当に嬉しかったのだと思った。

「気がするってどういうこと?」

「えっと、そうですね……私の両親は私が小さい時に亡くなりました」

「……そっ……か」

 首を絞められたような苦しさに襲われる。

 掠れた声だけが喉から漏れた。

 俺はいつもは余計なことばかり話すくせに、こういうときに言葉がつまって出てこない。

 それが情けなくて仕方がなく悔しかった。

「山田さん、ちゃんとご飯食べましたか?」

 シイが笑顔で話題を変える。

 このままだと俺はまた同じ過ちを犯してしまいそうな気がした。

 けれどあまりの唐突な現実に俺は困惑していて何を言っていいのか分からかった。こんなことは初めてだった。

 俺は頭を整理する時間が欲しかった。決して逃げるわけじゃない本当だ。

「ああ、食べたよ。すごく美味しかった」

「ホントですか! それはよかったです」

「俺も料理には自信があったんだが、きみには負けそうだ」

 お世辞ではなく本音だった。それに俺はお世辞が得意ではない。

「そんなそんな、山田さんの料理もとってもおいしいですよ。でも私……でよければまた作らせてくださいね」

「ああ、またいつかお願いするよ」

 俺はシイと約束できたことが嬉しかった。そして、いつかという言葉を使ったことに自分でも驚いていた。


「山田さん、あのですね……本当に突然なんですけどね……」

 シイが歯切れが悪そうに何かを話そうとしていた。

「気にせずに言っていいよ」

「はい、あの、どこか遠くに行きませんか?」

 それは本当に突然だった。

「えっ、遠くって?」思わず聞き返す。

 遠くって日本だよな? 行くっていつまで? 帰ってくるのか? それともずっと?

 頭の中は疑問が多すぎてこんがらがっていた。

「山田さんとどこか知らない場所に行ってみたくなったんです。少しの間だけ……わがままですよね……」

「いいよ、行こう」

 俺は即答していた。

 ただシイの笑顔が見たかったんだと思う。

 彼女には笑っていて欲しかった。

 もう考えるのはやめようと思った。

「本当にいいんですか?」

 シイは俺の二つ返事に驚いていた。

「ああ、俺もシイと行きたいからさ。体調は大丈夫か?」

「はい! もう元気です!」

 笑顔で答えるシイ。思わず見惚れてしまいそうになる。

「じゃあ準備しようか」

「はい!」

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