第8話 山田さんは考える

 そう思ったのもつかの間、俺は現実に引き戻される。

 さすがにこの質問に「なんで?」と聞き返すほど俺はイタくはなかった。

「居たらこうしてきみと二人で映画なんて見てないと思う」

 どうせ答えは分かってるだろうから俺は悪戯っぽく言った。

「あ……」

 彼女は案の定、言葉に困っていたようだったので続ける。

「きみこそ彼氏とかは作らないのか?」

「え、私ですか? 私はあまり他人と親しくなったことがないので……」

 俺と似たようなことを言うシイ。

「そうか? 俺にはそんなふうには見えないけど」

「私って山田さんからはどんなふうに見えますか?」

 彼女の黒い瞳が俺を捉える。それは見ているだけで吸い込まれそうな綺麗な黒だった。

「普通の女の子……に見える」

 俺のその言葉に彼女が驚いたように目を見開いた。

そして「だからきみは俺とは違うよ」と付け足すように言った。

「私も山田さんは普通の男の人に見えますよ」

「いや、それはどうかな」

「それじゃあお互い様ですね」

 彼女に一本取られたような感じだった。

「私たちって案外似たもの同士なのかもしれませんね」

ふと彼女が呟く。

「うーん、俺はあんまり似てないと思うけど」

 これは屁理屈とかではなく本当にそう思っていた。

 彼女は俺とは正反対の人間だと思っていたから。

 するとシイは「そうですよね」と明るく笑った。

 そうですよねってなんだ?

その言葉の違和感だけが胸に残った。

 俺にはその言葉の真意もその笑顔の理由もわからなかった。

 もしかしたら俺は何か決定的な勘違いをしているのかもしれない。

 そんな気がした……。


「山田さん、この雨が止んだら……」

 シイは真剣な面持ちで俺と床を交互に見つめたあと、

「やっぱりなんでもないです」と無理矢理笑った。

 俺はその言葉の続きがめずらしくとても気になったが、俺の口から何か言葉が出ることはなかった。

 空は厚い雲に覆われ、雨は俺の言葉とは裏腹にとめどなく降り続いていた。


 その日の夕食はシイが作ると言ったので、俺はいつもならキッチンに立っているはずの時間をリビングでテレビを眺めて過ごしていた。

「何か手伝うことないか?」

「いえ、大丈夫ですよ」

 俺はなんとなく落ち着かなかった。

 別に彼女の料理が心配というわけではなかった。

 ただ慣れない環境にまだ順応できていないのだと思う。

 シイは黙って料理を作っていた。

 料理を作る前に彼女に好きな食べ物を聞かれたのでハンバーグと答えた。

なのでおそらくハンバーグを作っているのだと思う。

 しばらくして、フライパンで肉の焼ける音やおいしそうな香りが五感を刺激した。

 程なくして、シイが「できましたよ」と言ったので、俺は食事の配膳を手伝おうとキッチンへ向かった。

 すると一瞬シイの体が傾くのに気づいた俺はとっさに彼女の体を抱き寄せた。

「おい、大丈夫か!」

思わず出た大きな声に自分自身が驚いていた。

「あれ……山田さん……どうかしましたか?」

シイが力の抜けた声で尋ねる。

「どうかしているのはきみの方だ!」

 俺はシイの額に手を当てると、かなりの熱を帯びていた。

 俺はそのまま彼女の体を抱き抱えるとすぐさまベッドへと運んだ。

「山田さん……すみません」

「いいから、少し休め。今は何も気にしなくていい」

「はい……」

「暑かったり寒かったり、何か欲しいものがあったら遠慮なく言えよ。遠慮したら怒るからな」

「ありがとうございます。山田さん……ご飯食べて下さいね」

「ああ、分かった」

 シイはすぐに眠りについた。

 テレビを消した部屋は静まりかえっていた。

 いまの俺にできることはもうなかったので、俺は言われた通りシイの作ったご飯をいただくことにした。

 シイの言葉を借りるならば、せっかくのご飯が冷めてしまうから。

「いただきます……」

 俺は両手を合わせた後、ハンバーグを口に運んだ。

「おいしい……」

 俺の作るハンバーグより何倍もおいしかった。

 ただ何か物足りない気がした。その何かの理由は考えずともわかっていた。

 食卓にはいつもと変わらない一人分の食事。

 一人で食べるご飯には慣れていたはずだった。

 シイと食べていたご飯があんなにも美味しかったなんて思わなかった。

 いつの間にかシイがいることが俺の当たり前になっていた。

 朝、目が覚めるとそこにはシイがすやすや眠っている。

 そんな日常が永遠に続くような錯覚をしていた。

 いや、そう願っていたのかもしれない。

 我ながら実に傲慢で都合のいい話だと思う。

 けれど俺はいまの、シイのいるこの日々が好きなのだと……


 ただ、それを認めるしかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る