第三章 わんだぁらんど

「るーいーちゃん♪起・き・て♪」

 翌朝、チェシャ猫の気まぐれで起こされた瑠衣。始めは寝ぼけていたものの、意識がはっきりしてくるにつれて恥ずかしさが込み上げて顔を真っ赤にして叫んだ。

「出てけーっ!!」

 しかし、追い出されたチェシャ猫は、このあとすぐこの部屋にかけ戻ることになる。

 なぜなら………瑠衣の悲鳴が響き渡ったからである。


「瑠衣ちゃん、気づいてなかったんだね」

「昨日も鏡に映っていたでしょう」

 瑠衣の部屋に集まってしまった二人。けれど、今度は原因が瑠衣にあることは明白であり、追い出すのは理不尽に思われた。

「気にしてなかったんだもん………そんなじっくりみてないよ………」

 しょんぼりとする瑠衣。

 鏡には、昨日と変わらない「瑠衣」が映っている。

「今の顔は、嫌ですか?」

 帽子屋の言葉に、瑠衣はゆっくりかぶりをふった。

「嫌じゃないけど………落ち着かない」

 そんな瑠衣に、チェシャ猫はクスッと笑った。

「………瑠衣ちゃん、目を閉じて?」

 素直に目を閉じる瑠衣。 無防備な彼女に帽子屋もチェシャ猫も顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。

 信頼されているのだろう。それが嬉しくて、けれど、どこか違和感がある。

「そのまま、もう一度やり直そ」

 チェシャ猫は優しく呟いた。その言葉に、瑠衣に「え?」と声を漏らし、目を開けた。

 その目には、不安が浮かんでいる。

「大丈夫♪ここは不思議の国。叶うかもしれない世界、でしょ?ほら、目を閉じて」

 チェシャ猫の言葉にうなずき、もう一度目を閉じる。

「さぁ………」

 帽子屋がそっと、薄いシーツを瑠衣の姿がすっぽりと隠れるようにかけた。

 そして、チェシャ猫はをしている。そして、ひとしきり終わると、シーツを被る瑠衣に目を向けた。

「想像して?本当の自分。なりたい自分。今の君は本当はどんな人?どんな姿であるべき?」

「………」

 返答は、ない。

 それからどれくらいの時間がたったのか、不意に瑠衣が声をあげた。

「もう、いい?」

「うん。いいと思うよ」

 そっとシーツから姿をあらわした瑠衣の姿は昨日までとは違う姿になっていた。

「………本当だ………顔が変わった………」

 黒いストレートだった黒髪は、少し癖のある茶色に。

 ロングヘアーだったのがセミロングに。

 華奢な体つきが少し凹凸のある体に。

 全体的な雰囲気も、少し大人っぽくなっていた。

「………なんというか」

 あまりの変わりように、二人は頬を少し染めた。その変化に、瑠衣は首をかしげた。

「どうしたの?」

「いや………あの………服が………さ」

 瑠衣は鏡でもう一度しっかり自分の姿を確認する。

 衣類は昨日のまま。それはそのはずだ。着替えることもなく、名前を考えているうちに寝落ちしてしまったのだから。サイズも体つきが変わったのになぜかぴったりで違和感もない。

「………あぁ、そうでしたね。瑠衣さまはあまり異性を意識した暮らしをしてこなかったから………」

 瑠衣の身の回りにいた異性と言えば、幼馴染みと家族のみ。気心知れた相手しかいなかった。

「あまり気にならないんだね………?」

 チェシャ猫も、帽子屋の言わんとしていることに気づきちょっとだけめまいを覚えるのだった。

「え?」

 ………当の本人はキョトンとしている。

「えーっと、つまりですね?」

 帽子屋が、言葉を探していると、チェシャ猫が胸元を指して言った。

「ここに目がいっちゃうし、着替えてほしいかなって」

「あ」

 言われてはじめて、気づいた瑠衣。

 昨日はまったいらだったから気にならなかったが、今はあるべきものがある。谷が見えるこの服は、少し刺激的かもしれない。

「じゃ、僕たちは外にいるからね」

 理解した様子の瑠衣をみて、チェシャ猫は帽子屋とともに部屋を出ていった。

「………着替えるかぁ」

 瑠衣は、服がありそうな場所………クローゼットの前まで行き、開けたらどんな光景が広がるかを想像しながら扉を開けた。


「瑠衣ちゃんってば、鈍感というか天然というか………」

 その頃、部屋を出た二人は瑠衣の話をしていた。

「あれはもとからですからね。仕方ないのでしょう」

 帽子屋は言いながらチラりとチェシャ猫の反応を伺う。

「いやいや、あそこまで体つきが違えば気づくよ?普通は」

 チェシャ猫は笑ながら答える。

 帽子屋は予想した通りの普通の返事にため息をついた。

「………まぁ、仕方ないでしょう。それに」

「?」

 それに、と言葉をきった帽子屋に、今度はチェシャ猫が帽子屋の顔を見た。

「私たちも瑠衣のことはいえない」

「………」

 突然、瑠衣に「さま」をつけなくなった帽子屋の言葉の意味を図りきれず、返事に困っていると、急に立ち止まりこちらをみた帽子屋と目が合う。

「何か、引っ掛かっているでしょう?あなたなら」

 その言葉にチェシャ猫は何を言いたいのか察した。

「………そうだね。いくつか、確認した方がいいかも」

 それは、作られたはずの二人が、感じている違和感。

「本人には知らせませんよ。確認は我々だけで」

 帽子屋の意味ありげな言葉に、チェシャ猫はわかったよとだけ返事をして「また夜にね」と話を終わらせた。


「それで、考えたんだけどね」

 時は少し進み、朝食タイム。

 3人は、仲良くテーブルに座っていた。

 食事も終わり、食後のティータイムとなったその場で、瑠衣は突然切り出した。

「やっぱり人が少ないかなって」

 空席の目立つテーブル。それは誰もが感じること。この世界では食事をとらなくても死ぬことはなく、そこに時計うさぎの姿はない。

「あと、みんなの名前がなくて、不便だなって」

 チェシャ猫も帽子屋もおとなしく話を聞いていた。しかし、瑠衣の言葉が切れて突然訪れた沈黙に焦れたチェシャ猫が先を促した。

「うん。それで、どうするの?」

 わりと、楽しみだったのだ。だからこそ、促さずにはいられなかった。

「今日はもうおしまいにして、また明日!」

 元気に明るく言い切る瑠衣に、二人は目を丸くする。

「明日の朝、ここには住人が揃ってる」

 瑠衣は立ち上がりゆっくりと歩きだす。

「皆、お互いに名前を知っていた。思い出したの」

 ゆっくりと語りながら歩く瑠衣。

「今日は………そうね。みんな眠くてこなかっただけ」

 それは、自然と住人が増えたそろったように感じるための設定。

「だから、明日にはみんなお腹を空かせてここに集まるよ」

 それは、予言。

「私もなんだか眠いから、今日はこのまま寝ちゃうね♪」

 瑠衣はクルっと振り返りにっこりと笑った。


 翌朝、そこには住人が揃っていた。

 瑠衣の世界に住むものたちにはそれぞれ自分のトランプカードを持つ。それは、住人を増やし、その関係性を表すために瑠衣が作った、この世界の設定………。

 茶髪のセミロング。昨日、この家にはどんな人がすんでいたのか想像して思い出してこの事を予言した張本人。

 アリスこと、瑠衣。ワンダーランドのちょっとしたイレギュラーであり、この世界の主。

 主が座る椅子は、まるでクイーンの椅子のようだ。本人は頑なに認めないが、この世界のクイーン♥️の女王である。


 瑠衣の斜め左側に座るのは、紫色の癖っ毛に、左目の斜め下には星形のほくろ。神出鬼没で自由な不思議の国の猫。

 チェシャ猫ことトランプで言うところのジョーカー。名はイブ。


 瑠衣の斜め右側、チェシャ猫イブの正面に座るのは、執事のような出で立ちをしている彼。基本的に帽子を被っていて紅茶が好きでよくお茶会を開いている彼は、物知りだけど時間が止められている。

 帽子屋ことクロック。あだ名はクロさん。トランプでいうなら♠️の6。


 そして、チェシャ猫ことイブの隣に座っているのは真っ白な長い垂れ耳に、クリックリの癖っ毛が特徴の住人。短いその髪と長い耳は共に白く、可愛らしさが感じられる。先日まではまるで人形のように部屋でじっとしていた彼女だったけれど、いつの間にか眠りに落ち、今朝目が覚めた時にはではなくなっていた。

 時計ウサギ改め白うさぎこともう一枚のジョーカー、ブラン。

 姿は初対面の時とほとんど変わらないが、今は人形というよりも放っておけない天然ちゃんだ。瑠衣はブランという名とともに何物にでも染まる真っ白な子というイメージを白うさぎに与えたのだった。


 ブランの隣には♥️の6、公爵夫人ことマリー。金のロングヘアーで可愛らしい見た目に、淑女のような振る舞いを心がける彼女はまるで、背伸びをする夢見る少女のよう。


 マリーの隣には各マークのAエースが♠️、♣️、♥️、♦️の順に座っている。名前は♠️から順にソウ、ハヤテ、アイ、キラ。


 さて、帽子屋ことクロックの隣には♦️の6、三月うさぎことラヴィ。

 ラヴィは公爵夫人マリーとは対照的にアホの子だった。しかし、ちょっとお馬鹿なラヴィは一種の愛されキャラである。

 そして、ラヴィの隣は♣️の6、眠りネズミことネル。

 ネルはいつも眠そうにしている男の子。帽子屋のお茶会を意識している彼は、めんどくさがりながらも服装は意識しており、シンプルな黒いスラックスやベストを着用している。


 そんなネルの隣には各マークのJジャックが各マークのAと同様に並んでおり、名前は♠️から順にジャック、ジェイ、ジュリア、ルナ。


 各トランプの意味は、ジョーカーが「特別」、各マークの6はお茶会が好きなお茶会クラブ。各マークのAはブランの世話役───いわゆる保護者で、Jはアリスのナイト(世話役)たち。

 白うさぎは真っ白でこれから皆に影響されて成長していく、この世界を象徴するある意味特別な存在。唯一何者でもないのが白うさぎ。それが、瑠衣の出した答えだった。白うさぎのは、これから何者にも染まれる真っ白な色……。





「瑠衣ちゃん、今日はワンダーランドに行っておいでよ」

 突然、イブがニコニコと提案をすると、マリーが顔をパアッと輝かせた。

「あら、私も賛成です。ずっと自分の世界にこもっているのは、体によくないもの」

 ラヴィは「ボクはこのままでもいいと思うけどね」と笑っていて、ネルは「好きにしたらいい………僕は寝てるから………気にしないで」とそれぞれが思い思いに反応している。

「そうですね。一昨日もそんな話でしたし」

 クロックのそんな言葉に、イブは立ち上がる。

「それじゃ、その前に一昨日説明してなくて、昨日説明しそびれちゃったこととか、説明しないとね☆」



 食事を終えると、各々自由に行動を始めた。

 帽子屋を覗いた6の面々は席についたまま今日これから開くお茶会について話し合っていて、そこにAの4人組に連れられてブランも加わったようだ。

 Jたちは、瑠衣に頼まれて食器等の片付けをしている。

「さて、それじゃ、色々説明しないとね?」

 いま、瑠衣の目の前にはクロックとイブが説明しなければいけないことがあると言って立っている。

「まずは、貴女の部屋に行きます」

 そのまま説明を始めようとしたイブを制し、クロックは移動を促した。

「ここじゃダメなの?」

 早く外に行きたい気持ちとめんどくさいという気持ちで瑠衣は尋ねたが……。

「はい。これは、お部屋で説明したいですね」

 クロックは反論は認めないとでもいうように歩き出してしまった。

「さ♪行こ♪♪」

 イブも、瑠衣の背中を押して前へ進もうとする。

 瑠衣はしぶしぶ自室へ向かった。


 その後、瑠衣の部屋ではこの世界についてのいくつか説明と実践の講座が開かれた。

 世界の移動についてや、やってはいけないこと、ここでの個人の識別方法や今朝やったばかりの姿を変える方法等、外に出る前に知っていてほしいからと、簡単かつ簡潔な講座で瑠衣は約1時間の講座の後、解放された。




 この世界瑠衣のせかいの出入口───屋敷の敷地の外に出るための門。

 門越しにもあちら側が見えている。

「さぁ、手を触れてごらん?」

 隣にはイブがいた。クロックは「彼らが心配なので、ちょっと様子を見てきます………戻れない可能性が高いので、あとは猫に聞いてください」と言い残して去ってしまっていた。

 瑠衣はこくりと頷きイブの顔を見る。目が合って微笑まれただけで、なんだか勇気がもらえた気がしたのだった。

 意を決して門に触れると、目の前には見慣れてきた金の文字。


《wAnderLandへ行きますか?》

【yes】【no】


【yes】に手を触れると、門が開いて外に出られるようになる。

「いってらっしゃい」

 手を振るイブに背中を押されたような気持ちで、瑠衣は一歩前へ踏み出した。

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