第二部 wAnderLand
my wonderland
第二章 涙の海
『your name:
『sex:♀』
『変更しますか?』
真っ白な世界に浮かぶ淡い赤の文字。
【須藤瑠衣】の名を見て、急に頭が痛くなった。
そして、全てを思い出す。
私が誰で、どうしてここにいるのか。
ここが一体なんなのか。
私は探していたのだ。
『welcAme to wAnderland』という最新のウイルスを………。
そのウイルスを受け入れた者が神隠しにあうのは、"不思議の国へ連れていかれた"から───
………ネット上ではそんな噂が流れていた。
けれど、そのウイルスの対処法がわかるだけで、「どこにある」のかや「どうやって感染する」のかは依然として不明のまま。
そして、感染したいという者は大勢いた。
………といっても、神隠しにあいたいわけではない。感染して解除したいのだ。
でも、私は違った。その、神隠しが目的だった。夜な夜なウイルスを探す日々。
そして、あの日。疲れがたまっていた私は、探しながら寝落ちしてしまった。
目が覚めたとき、時計は3時を過ぎていた。
今日はおとなしく寝ようと思い、パソコンのスリープを解除する。
一瞬映ったのは『welcAme to wAnderland 情報掲示板』の検索結果。
あぁ、掲示板をチェックしようとして寝ちゃったのか………なんて思ったけれど、急にディスプレイが真っ白になり、そんな思考は吹っ飛んだ。
それもそのはずだ。
その真っ白になった画面に、程なくしてあの言葉が表示されたのだから。
"不思議の国へようこそ"
それから程なくして暗転し、真っ暗になったディスプレイには白い文字が浮かぶ。
《welcome to wonderland.》
不思議の国へようこそ。
なぜ感染できたのか、理由はわからない。
それでも、ようやく感染できたのだと歓喜に震えた。
そして、それとほぼ同時に生還者たちの言葉の意味を理解した。
"きっかけはわからない"、"覚えてない"、"特別なことは何もしていない"そんな言葉たちは決して嘘ではなかった。
本当に………本当に、何もせずとも突然感染してしまうのだから。
私の名前はアリスじゃない。
私の名前は須藤瑠衣。ここは、正真正銘 不思議の国で、私は神隠しにあってここにきた。つまり、そういうことだろう。
少し前のあの出来事も、それなら納得ができなくもない。実際、あのうさぎ───クロウが言っていた。ここは不思議の国だと。
「あ………」
全てを思い出したからなのか、さっきまでは感じなかった自分の身体が当たり前のように存在していて、自分の視界にも映るようになった。
【yes】【no】
変更しますか?の下にある選択肢。
私は【yes】に手を伸ばす。
すると、目の前に金色の羽ペンが現れた。
よくみると、羽ペンの手前には金色の細文字が書かれている。
your name:【 】
sex:【♂】 【♀】
【OK】
私は、your nameの空白に「瑠衣」とだけ記入し、sexは♀を選択した。そして、【OK】にペンで触れた途端、目の前に浮かんでいた淡い赤の文字が更新された。
今度は【no】を選ぶ。
すると、その文字は消え、代わりに真っ赤な文字が表示された。
《welcAme to wAnderland.》
不思議の国え よおこそ。
【∃N⊥ЕЯ】
私は何の迷いもなく、【∃N⊥ЕЯ】に手を伸ばした。
すると、黒い霧のようなものが浮かび、その上に金色の文字が浮かび上がる。
"あなたは深い穴に堕ちた。長い長い時間おちて、そして不思議の国に迷い込んだのだ。改めて歓迎しよう。wAnderLandへようこそ"
最後まで読むと、丁度良いタイミングで文字が消え、また新たに文字が浮かんだ。
"扉の先へ向かうとき、自分のなりたい姿を想像するといい。いつでも、自分のなりたい姿を想像しているといい。ここは不思議の国。それが叶うかもしれない世界なのだから"
すべて読んだとき、今度は黒い霧ごと霧散した。そして、その先にあるのは1つの扉。
私は、昔見た漫画の"アリス"が好きな少女の姿を想像しながら、扉へと手をかけた。
扉を開けると、そこは大きなお屋敷の中だった。
「おかえりなさい、"アリス"」
目の前に立っているのは、室内なのに帽子を被った謎の男の人。
「え?」
わけもわからずあとずさりすると、その男は近づくのをやめ、おもむろに時計を見た。
「………そうですね。まずは、色々説明しましょう。お庭のテーブルでお待ちいただけますか?記念すべき第1回目のお茶会を開催しましょう」
まるではじめからわかっていたかのように、私はお庭のテーブルまで1人でこれた。
いや………なんとなくわかったと言うべきか。
謎の男が屋敷の奧へ消えてすぐ、冷静に屋敷の内装を見て、気がついてしまった。
ここは、私が想像した少女のお屋敷に似ている。いや、おそらく、私の中にあるお屋敷の
「なんとなく、察しはついているかもしれませんが、ここは、瑠衣様のお屋敷です。まぁ、モデルについてはもうお気づきですよね?」
紅茶とお菓子を持って現れたのはさっきの男。しかし、その男以外にも2人増えていた。
「………まぁ、なんとなく」
私は、入れてもらった紅茶に手をつけることなく、会話に集中する。
というより、紅茶を楽しめるほど内心穏やかじゃない。
「私の称号は帽子屋…………この意味もおわかりですね?」
「………そう、ね。私の予想が合っているのなら………たぶん、わかってる」
対して、彼らは紅茶と
でもだからこそ、気になる。
ここに来て喋らないどころかお菓子も紅茶も口にしない子。白くて癖っ毛のある髪と、長く垂れている2つの───おそらくは、うさぎの耳。たぶん、帽子屋のような称号が彼にあるとしたら、白うさぎだろうか。けれど、魂ここにあらずといった様子でまるで心のない人形のよう。
「ちなみに、今現在、この屋敷に存在しているのは
予想通りの白うさぎ、もとい時計うさぎという称号にやっぱりと思うと同時に、たった四人しかこの屋敷にいないことに驚く。
この広い屋敷には似合わないほどに少なすぎる気がする。
「え………それだけ?」
そんな私の反応に、帽子屋は微笑みを崩さずに返答する。
「はい。今はそれだけです。貴女が扉に手をかけたときに読み取れた強いイメージからこの世界ができましたから。おそらく、この世界の
話を聞けば聞くほど、自分の中にあるイメージがどれだけ影響しているのかがよくわかる。けれど、だからこそ、納得のいかない部分があった。
「………待って。イメージって、皆の姿はどうやって決まったの?」
ここにいる3人の姿は、私の記憶にない姿。少なくとも私の読んできたたくさんの本の中にもイメージが重なる登場人物はいないはず。
その問いに答えたのは、帽子屋ではなかった。
「瑠衣ちゃんのイメージはたくさんあったからねー、知ってる姿にならなかったのも無理はないよ」
初めて声を発したチェシャ猫。ずっとお菓子を楽しそうに食べていたチェシャ猫のその声は男の子にしてはやや高く、けれど女の子と断言もできない………そんな声だった。
初めて聞いたチェシャ猫の声について考えていると、帽子屋が口を開く。
「………貴女のイメージには色々なものが混ざりあっています。原作のアリスはもちろん、貴女の好きなアリスの姿もとどめてない。これはもう、瑠衣様だけのアリスです」
そういいながら、帽子屋は時計うさぎに目を向けた。
「たとえば、彼女は"時計うさぎ"です」
帽子屋のその言葉から、今までの会話とは違う空気を感じて違和感を感じる。
そして、自分の話になったのに、時計うさぎは無反応だ。
「………それは、さっき聞いたけど?」
「なぜ、白うさぎではないと思いますか」
「え?」
時計うさぎは、白うさぎの別の呼び方だと思っていた。だからこそ、その問いの意図がわからない。
「それと、もうひとつ。なぜ、こうも無反応だと思いますか?チェシャ猫ですら既に声を発しているのに」
その通りだ。白うさぎはかなり重要な登場人物だったはずなのに。
そういえば、私の中のイメージは………?
白うさぎのイメージについて考えてみようと思考をめぐらすが、思った以上に漠然としたイメージしかなかった。
「帽子屋は帽子を被っている。時間を止められている。紅茶が好き。お茶会を開いている………あと、わりと物知りなイメージが強かったのでしょうね」
突然帽子屋が言い出したのは、帽子屋のイメージ。私の中のイメージとほぼ合致している。
「ボクは、神出鬼没、不思議で自由な猫………かな。あ、あと、ちょっとチャラいっていうか………かるいイメージもあるよね。これはほんの少しだけど」
チェシャ猫の言葉にも、私のイメージと相違ないだろう。
それは、色々な話に影響されてできた、私の中だけのイメージ。
チェシャ猫の発言中、帽子屋は紅茶を飲み干し
「………私たちは、自分がどんなイメージからできているのか、なんとなくわかります」
帽子屋の言葉にチェシャ猫は笑いながら「まぁ、ボクらの対する君のイメージのせいかもどけどね」と呟いた。
私はその言葉で、たしかに"物知りな帽子屋さん"と"神出鬼没で不思議なチェシャ猫"なら、どんなことでも知っていてもおかしくないと思っていた自分に気づく。彼らが言うからには知っていたのだろうと、無条件に思うだろう。
「貴女の中でも私たちはわりとしっかりとした具体的なイメージがあるのです」
その私たちの中に時計うさぎは含まれていない。自分自身のイメージの話だからか、そんなことが直感的にわかってしまった。
「時計うさぎはどうなの………?」
この問いの予想はできていたのか、小さなため息のように一息つくと、少し悲しそうな顔をした。
「………イメージが弱すぎるのです。白うさぎに対するイメージが弱すぎて、彼女はまだ完全ではない」
その帽子屋の言葉に、チェシャ猫は急に立ち上がり、天を仰ぐ。
「時計をもって公爵夫人のもとへ走る白うさぎ………。それは白うさぎがいなければ不思議の国のアリスは始まらないというイメージの一部」
そう言って、ゆっくりと顔の向きを変える。その先にいるのは時計うさぎ。
けれど、そのまま口を閉ざしてしまう帽子屋に代わり、チェシャ猫が「このままじゃ、時計うさぎはただの人形だよ」と言った。
チェシャ猫のその言葉に「ほぼ、ただの人形ですがね」と、帽子屋はボソリと呟く。
きっと、このままではいけないと思う。けれど、何をしたら良いのかわからない。
「………どうすればいいの?」
それは、誰かに問うでもなく、口からこぼれてしまった独り言のようなものだった。
けれど、それを聞き取った帽子屋は、初めて会った時のような微笑みを作って問いへの答えをくれた。
「貴女が考えるんですよ。どんな時計うさぎがいいか。そのイメージが強ければ強いほど………彼女の存在は完全なものになって、人形ではなく自立した思考を持つ存在になれるでしょう」
この時、私は何か希望が見えたようなそんな気持ちになった。全ては私次第。怖くないと言ったら嘘になるけれど、嬉しくもあった。
そのまま何気なく手が伸びて、紅茶を口に運ぶ。
冷めてしまっていたけれど、心が落ち着く味だった。
「そういえば、この世界はついさっきできたばかりなんだよね?このクッキーや紅茶はどこから?」
それはクッキーに手を伸ばしたとき、ふいに気になったことだった。
私の言葉に顔を見合わせる二人。
「………そういえば、その辺の説明してないね」
先に口を開いたのはチェシャ猫だったが、行動に出たのは帽子屋だった。
「例えばですね………」
そう言って、帽子屋はカップを2つ並べる。
そして、1つ目のカップに紅茶を注いだ。
さらに、2つ目のカップにも紅茶を注ぐ。
けれど、それは1つ目の紅茶と違う色、違う香り………。
「えっ、なんで!?すごい!!」
同じところから出たのに、出たものが違うのだ。それは当然の反応だろう。
しかし、そんな言葉はチェシャ猫に「まぁ、ここは不思議の国だから♪」と返されてしまう。
それに反して帽子屋は具体的な答えを示した。
「ここにあるはず、これはあれなはず………そう思いながら行動すればある程度思った通りになりますよ。まぁ、ならないものもありますけど」
その言葉で、叶うかも知れない世界だと、少し前に金色の文字で書いてあるのを読んだことを思い出す。
そして、帽子屋はもうひとつ言い忘れてました、と続けた。
「屋敷にいる者たちは貴女の意思で増えたり減ったりします」
さらっと告げられた衝撃の事実。
けれど、チェシャ猫の「消しちゃイヤン」という
「チェシャ猫」
一声でそれを制した帽子屋は、ため息をつきながらさらに続けた。
「………そしてもうひとつ、大事なこと。この屋敷………もとい、この敷地は、貴女の世界。ですが、ここから一歩外へ出れば、そこは貴女の世界ではない。貴女から生まれた我々はここでしか存在できません」
「私の、世界………?」
「はい。正真正銘、瑠衣様の世界です。そして、wAnderLandの一部でもあります」
次々と与えられる情報に、理解が追い付いていけない。
「wAnderLandに来た人間には必ず自分の世界があるんだよん」
楽しそうに会話に加わるチェシャ猫は、私の理解が追い付いていないことにきっと気づいているのだろう。心底愉しそうな笑みを浮かべながら、さらりと新しい情報を増やしてニコニコと私をみている。
「まぁ、こんな大きな世界を持つ方は数少ないですが……まぁ、いないわけでもありませんし、コンタクトをとってみてはいかがです?」
帽子屋の言葉に驚きと提案に対する答えについて考えていると、チェシャ猫が「あ」と声をもらした。
「………1人、会ってるよ?」
そして、また愉しそうに口元を歪めた。
会った人とは、あの時の声の人のことだろうか……?
「しかも、数少ないこの世界創世の関係者だネ♪」
「チェシャ猫っ!」
突然大きな声をあげた帽子屋に、私はビクッとしてしまう。
「いいじゃない、別に。いつかは知るかもしれないんだし」
けれど、チェシャ猫はいたずらっ子の笑みで帽子屋なんてもろともしない。
「あ、それとも、帽子屋はいいの?危険なところにまた迷いこまれちゃっても」
チェシャ猫の言葉に、帽子屋はいいよどむ。
「それは………」
けれど、そんなことよりも、私は『また迷いこまれちゃう』という言葉が気になった。
「危険なところ?」
私の言葉に、チェシャ猫は笑みを深め、帽子屋の顔はとうとう困ったような表情を浮かべた。
「瑠衣ちゃん、ここに来る前にいたところ、覚えてる?」
チェシャ猫の問いに、一瞬何のことかわからなかったが、すぐに真っ暗なあの世界を思い出した。
「あ、うん。覚えてるよ?」
チェシャ猫は「そこのことだよ♪」と笑った。
「え?」
チェシャ猫は、それ以上教えてくれない。ダメ元で帽子屋をチラッと見ると、彼は深いため息をついた。
「………仕方ないですね、説明しましょうか」
「あそこは、言うなれば不思議の国の外の世界。あそこは、すべてを失いかねない一番危険な場所です。………まぁ、早々迷い込める場所ではありませんが」
すべてを失う危険な場所。心当たりがあった。何せ、あの場所で私は記憶と、そしておそらく身体もなかったのだから。
「ついでにもうひとつ」
チェシャ猫が人差し指を立てて、ニコッとする。
けれど、それを見た帽子屋は怪訝そうな顔をした。
「………なに?」
「"涙の海"っていうのがあるんだけどね?"涙の海"はねぇ~、元は不思議の国の創造主の涙で、君たちのいた世界でいう海的なものだったんだけど、この世界の人が急増してから、バランスがとれていたはずの涙が負の感情にかたむいちゃって。だから、今では涙の海は危険なの」
帽子屋に邪魔をされないためか、ただのいじわるか。
「今の説明、わかりましたか?」
帽子屋の言葉に私は首を横にふる。
「………まぁ、魔物がすんでいる海のような物だと思っていただければいいです」
ずいぶん簡単になった気がするけれど、それならわかる。海には魔物がすんでいるとか、危険な海でよく言われる文句だ。まぁ、不思議な国では
「………でも、創造主たちに逢いかったら、危険な場所にいくのが一番だよね。涙の海じゃなくても、国の外とか」
チェシャ猫が話を戻すと、帽子屋はやれやれといった感じで返事をする。
「国の外が1番駄目ですよ。あそこは、全てを失ってしまいかねません。というか、会いに行くこと自体、賛同しかねます」
「でも、失わなかったし、もう会ってるし(・ε・` )」
ムスッとするチェシャ猫がなんだか可愛い。
「あのときはまだ、この世界で必要なものは何一つ持っていませんでした」
「でも、黒うさぎにあってるし」
なかなか話に入れずにいた私の耳に、気になる言葉が飛び込んでくる。
「黒うさぎ?」
「クロウっていたでしょ?」
チェシャ猫の言葉に、汚れた白いうさぎの姿を思い出す。
「あ………」
黒うさぎというくらいだから、きっと本当は黒いうさぎなのだろう。汚れだと思っていた黒い部分以外が白や他の色で汚れていたということか。
「クロウは、主様に嫌われたあわれなうさぎです」
そう言って帽子屋は顔を曇らせる。
「たしか、あの場所で永遠に看板に落書きをし続けるんでしょ?」
チェシャ猫の言葉に、「同じことを繰り返させられているだけでしょう?」と帽子屋は返した。
そして、私がキョトンとしていることに気づいたのか、しっかり説明してくれた。
「白い塗料をかぶって白くなった瞬間から、看板を不思議の国風にアレンジし終わるまで、その一連の流れをずっと繰り返しているんです。まぁ、何度アレンジしてももとに戻る看板相手に同じようなことをただ繰り返すだけの作業、という感じでしょうね」
たしかに、あの時も看板に何か書いていた。
「そうだねぇ。記憶は全部残っているから、今さら新しいデザインなんて考えてないよね」
チェシャ猫の言葉に私は帽子屋を見つめる。
「嫌がらせだから記憶は保護されているんです」
帽子屋の言葉に、チェシャ猫は「かわいそーな黒うさぎ」とおどけてみせた。
「それで………瑠衣ちゃん。もう1回あそこに行ってみたくない?」
失うのは、とても怖い。
けれど、クロウにも、それに、会えるならあのときの声の人にも会いたい。
「えっと………」
返事に困り、帽子屋を見ると、すかさず答えてくれる。
「行く必要はありません。わざわざ危険をおかさずとも、ワンダーランドに行けば他の方と交流できますから」
「………うん」
帽子屋の言葉にうなずくと、チェシャ猫は「ちぇー(´ 3`)」と不満そうな顔をした。
「………さぁ、もうこの話はおしまいにしましょう。瑠衣さまもいきなり色々聞かされてお疲れでしょう?もうお茶会はおひらきにして、屋敷の案内をしましょう」
帽子屋の言葉に、チェシャ猫はいってらっしゃいとでもいうように手をふる。
「さあ、行きましょう」
「あ………チェシャ猫は来ないの?」
帽子屋は「チェシャ猫には、時計うさぎを送ってもらいますので」と時計うさぎを見た。
そこには、ただ座っている時計うさぎ。
「あ、そっか………。チェシャ猫、その子、お願いね」
どうしていいかわからず、私はチェシャ猫に丸投げしてしまった。けれど、チェシャ猫は何とも思っていないのか、「もちろんだよ」と笑顔で私たちを送り出した。
「さて、案内したいのは山々ですが、実は案内するところって多くはないんです」
屋敷に入ってすぐ、帽子屋はそんなことを言い出した。
「え?こんなに広いのに?」
私の問いに、にっこりと笑う帽子屋。
「はい。まだ、どんな部屋かわからない部屋がありますから」
「わからない部屋?」
「まだ決まってないと言えば、察していただけますか?」
「あ………」
どんな部屋にでもなれる、思い通りになるかもしれない部屋のことだと気づいた。それが顔に出ていたのか、帽子屋は「大丈夫そうですね」と歩みを進めた。
「こちらが貴女の部屋になります。………それでは、ごゆっくり」
そのまま立ち去ろうとする帽子屋に慌てて声をかける。それは、お茶会が終わってからずっと考えていたこと……。
「皆にはクロウみたないな名前はないの?」
私の声に足を止める。
「名前………?」
しかし、動きを止めるだけで戻ってきてくれないどころか振り返りもしてくれない。
「帽子屋さん?」
呼んでみると、驚いたのか、肩がビクッと震えたように見えた気がした。
「あ………、そうですね。称号しかないですね」
振り返った彼は、変わらず笑顔だ。気のせいだったのだろうか。
「私がつけてもいい?」
「はい。ぜひ、お願いします。楽しみにしていますね」
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