○いつも通りに もと通り

 ステンドグラス越しに夕日が差し込む礼拝堂。私たちはそこにある一つの長椅子の両端にそれぞれ座っていた。

 とりあえず大牙から花束を受け取りはしたものの、それっきり話しかけることもできず抱えた花束に視線を落として黙っていることしかできなかった。


 ……今度は私が勇気を出す番だっていうのに、情けない。


「■■――」

「待って」


 私は大牙の言いかけた言葉をさえぎった。大牙の言葉の意味を受け取れない以上、私が主導権を握らなければ、会話なんてうまくいかない。


「あのさ……」

 しかし、何を話せばいいものか。


「……花束、ありがとう。嬉しいよ」


 とりあえず出てきたのは、当たり障りのない感謝の言葉だった。大牙は「どういたしまして」とばかりに小さくうなずいた。……やっぱりその態度はよそよそしく感じられたけれど。


「その、あんたは……まだあの日のこと気にしてるみたいだけど、私は別に、き、気にしてないから」

 しまった、声が少し震えてしまった。これじゃあ逆効果だ。


「だいたい、触っただの口ゲンカだのは、昔っから当たり前にやってたことじゃん。今さら意識することでもないでしょ?」

 と、極力明るい口調で言ってみたものの、どうにも白々しいその言葉は重苦しい空気をぬぐう役には立たなかった。やっぱり、こんなぬるいフォローじゃいつまでたっても解決そうにない。もっと、私が踏みこんでいかないと。


「あのさ、先輩から聞いたよ。オオカミの〈渇き〉のこととか、神殿のこととか」


 そう告げると、大牙は明らかな狼狽の色を見せた。本当に、こいつはいつだって分かりやすい。


「あんた、それでやせ我慢してあんなに荒れてたんでしょ? やっぱ馬鹿だよ」

「――■■」

 弱々しくつぶやかれた大牙のその言葉は、やはり謝罪の言葉だろうか。……まったく、こいつらしくない。


「ああもう、本当に馬鹿! どうして私に相談してくれなかったの! あ、いや言葉で伝えられても分かんなかっただろうけどさ――でも、いつもみたく一緒に稽古したり、ふざけあったりするだけでも、ずいぶん違ったはずだよ。一人で抱えこむ必要なんて少しも無かったでしょうが!」


 思わず声に感情をこめてしまったが、それがかえって二人の間に横たわるわだかまりを打ち砕く力になるような気がした。


「あっちの世界で散々つっかかってた私が言うのもなんだけどさ。元の世界からの顔馴染みなんだし、もっと…………協力しあおうよ」

 『仲良くしよう』という言葉がでかかったはずなのに、なぜだか気恥ずかしくてその言葉を呑みこんでしまった。


「■■■……」

 また大牙が何事かを口にした。多分、また弱音混じりの謝罪だろう。


 ……まだだ。これじゃあまた臆病風に吹かれて大牙が逃げてしまう。それも、妙な罪悪感を一人で抱えたまま。

 そんなのは駄目だ。もう一歩、私が踏み出して……捕まえてやる。


 逃がしてなんか、やるものか。


「■■――……!?」


 ぱさり、と花束が聖堂の床に落ちる。

 私は大牙にずずいっとすり寄り、横からその大きな身体を一気に抱きしめていた。


「■■■、■■……!」


 大牙は抵抗するように身をよじったが、決して乱暴にふりほどいたりはしなかった。

 ――それからしばらくして、オオカミの気に当てられて頭がくらくらしてきた私が身を離す頃には、大牙は観念したように大人しくなっていた。


「はい、これでおあいこ。後腐れ無し! それでいいでしょ。……不満があるなら殴ってやるから」

 頭がぼうっとしていたからうまく笑えていたかは分からない。

 ただ、本当にこれでチャラにしていいと心から思っていた。そもそも真相を理解した今、私が思い悩む理由なんて一つもないのだ。むしろ、今のまま大牙が落ち込んで私に変な壁を作るほうが困る。……なんか、調子が狂うから。


「……■■、■■■」

 と、大牙は私の額をコツンと小突いた。その声はかすかに苦笑しているように聞こえた。


「ァリ■゛■ゥ ■」


「――?」

『ありがとう、な』と。――今、大牙の言葉がなんとなく聞き取れたような。

 ……だめた、まだ頭が重い。オオカミの気に当てられて、変な錯覚を起こしたのかもしれない。


「ごめん、今日はもう帰るけど。明日からはご飯にも稽古にも付き合いなさいよ! また部屋に閉じこもるようだったら部屋の扉ぶち破って侵入するから、覚悟しといて」


 捨てゼリフのようにそう大牙に告げた後、私は床に落ちた花束を拾い上げ、礼拝堂の出口へと歩き出していた。

 ……今さらになって先程の自分の大胆な行動に恥ずかしさが芽生えてきて、自然と足早になってしまう。


「■■■」


 そんな私の背後からかけられた声は、やはりいつもの聞き取れないオオカミの声。だけど、その一言の意味はちゃんと読み取れたという確信があった。


 ――『また明日』と。

 確かに大牙はそう言ってくれたのだ。


▲▼▲▼▲


 礼拝堂を出た私を出迎えたのは、ダリアさんと、式の客だった少女たち。出入口を囲むように固まった彼女たちは、一人出てきた私をみてどよめいた。


「す、スズちゃん! どうだった? タイガ君とはどうなったの!?」

 と、ユノさんが駆け寄ってきて心配そうに話しかけてきた。


「どうって……明日にならないと分からないです」

 明日、本当に私と顔を合わせてくれるかどうか。それが判明しない限り、仲直りできたとは言い切れない。


 そんな私の回答に、周囲の少女たちから一斉に安堵とも落胆とも取れるようなため息が漏れた。


「ほらほらみんな、詮索はそこまで。あまり他人の事情に踏みこむような子は嫌われちゃいますよ」

 ダリアさんのその言葉で、少女たちは礼拝堂前の包囲網を解いてゆっくりと解散していった。後に残ったのは、私の目の前にいるダリアさんとユノさんだけだ。


「どうやら、上手くいったみたいね」

「……はい」

 ダリアさんのその問いに、私は力強くうなずいて答えた。


「本当に!? じ、じゃあ――」

 と、声を上げるユノさんに、ダリアさんは口元に人差し指を当てて静かに制した。


「スズちゃんは疲れているみたいだから、今日は静かに帰してあげなさい、ね?」

「は、はーい……」

 渋々といった様子だったが、ユノさんは大人しくダリアさんに従った。

「それじゃあ二人とも、今日はここでお別れね。また討伐任務で一緒になったらよろしくお願いするわ」

「はい、こちらこそ!」


 そうしてダリアさんに見送られ、私たち二人は帰路についた。その帰り道、


「今度、暇な時でいいから詳しく聞かせてね」


 なんてユノさんは耳打ちしてきたけど、あいつとのやりとりなんて、聞いてもおもしろいものではないと思うけど。

 ……というか、その、私のほうから抱きついたりとか、とてもじゃないけど話せないんですが。


 とにかく私は疲労感を理由にユノさんへの回答をはぐらかした。しばらくは質問攻めにされそうだけど、どう乗り切ろう……なんてことを考えているうちに家に着いて。

 私はそのまま自室のベッドに倒れ込み、泥のように眠ってしまったのだった。


▲▼▲▼▲


 ――そして私は、夢をみた。


 幼い頃の夢。まだ大牙が私より小さくて頼りなくて、私の後をついて回っていたような頃の光景だ。

 二人揃って父さんに稽古をつけてもらったり。あの頃は模擬試合で大牙に負けたことなど一度も無かった。一緒にイタズラをして、逃げ遅れた大牙だけがとっつかまったこともあったっけ……結局後で私も怒られたけど。


(……『頼りない』、か)


 それじゃあ、私は今の大牙を『頼れる人間』だと思っているのだろうか?


 そりゃあ私より腕っぷしは強いし、あの底抜けに明るくお人好しな性格に助けられていることも多い。

 けど、あいつは妙なところで繊細で、不器用で、そのくせすぐ一人で無茶をする。そこは昔とちっとも変わってない。


(やっぱりまだ頼りないよ、あいつは)


 だから、私が支えてやらないと。元の世界ならまだしも、この世界であいつの弱い部分をよく知っているのは私一人だけなんだから――



 夢の中でそんな決意を抱いた直後……私は、ノックの音で目が覚めた。

 窓から見える空は青く澄み渡り、白い太陽はすでに翌日の朝になっていることを告げていた。


「……!」

 即座に飛び起き、急いで玄関へ向かう。そしてノックの礼儀も忘れてドアを勢いよく開けると――

 そこにはオオカミが立っていたのだった。


「……おはよう、大牙」

「……■■■」


 挨拶の言葉と共に部屋に流れ込んできた朝の空気は、とても清々しかった。

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