○彼女の悩み

 大牙の部屋であんなことがあった次の日。


「やっほー、遊びにきたよっ!」

「……ユノさん」

「って暗っ! なんかすっごく雰囲気暗いよっ!?」

「あの……ちょっと、色々あって」

「む、悩みごと? はいはい任せて、このユノさんがなんでも聞いちゃいますよ?」


 たまたま遊びに来てくれたユノさんの明るい雰囲気に流されるように、私は洗いざらい昨日のことを打ち明けていた。冷静に考えると、人にみだりに話すべき内容ではないのかもしれないのだけれど、とにかく誰かの助けが欲しかったのかもしれない。


「きゃー! もうそれって愛されてるとしかいえないじゃない!」

 が、案の定というかユノさんの第一声は妄想が多分に含まれた黄色い歓声だった。


「い、いや、あいつに限ってそういんじゃないから! だから、もっと別の可能性があるかと思って……!!」

 そもそもあれはそんな色っぽい状況ではなかった。むしろあいつの深刻そうな様子は見ていて辛いくらいだったし。


「んーでもまあ、可能性……ね。もしかしたらアレかも、ってのはあるわ」

 と、ユノさんは思い出したようにぽつりと口にした。

「心当たり、あるんですか!?」

「んー、まあこの国で常識と言えば常識なんだけど……あなたたち、余所の国の子だからねえ、知らないかも」

「教えて下さい!」

 私は食ってかかる勢いで、ユノさんに尋ねる。そんな私の様子に、ユノさんは一転、真面目な様子で話し始めた。


「ねえ、スズちゃんはオオカミの〈渇き〉について、どれくらい知ってる?」

「〈乾き〉?」

「そうよ。オオカミにかけられた、逃れられない呪いのようなものなの――」


 ――……。


 そして、私はオオカミが抱える〈渇き〉という衝動について。それを和らげるために青の国が用意している神殿や巫女という制度についてのこと――それら全てを、ユノさんから教わった。


「もしかしてさ、タイガくん、神殿を利用してないんじゃないかと思って。

 ……でもおかしいな、ちゃんと討伐の後とかに先輩オオカミが誘ったりするはずなんだけど」

「じゃああいつ、神殿に行かないで〈渇き〉をガマンして、あんなに……」


「ねえ! もしかしたら彼、『お前以外の女に触れるなんて不義理はできない!』みたいな誓いでも立ててるんじゃない? やだぁ、もうそれ確定じゃないの!」

「だから、そういうんじゃないですから!」

 あいつのことだ、むしろ巫女の娘たちを気の毒に思ってやせ我慢したに違いない。変なところで異常に気を遣うヤツだから、あいつは。


「あの、どうすればその〈渇き〉から助けてあげられるんでしょうか」

「そりゃあ、女の子がオオカミに触れるのが一番よ。可能なら、結魂がベストなんだろうけどね」

「結魂?」

 以前ユノさんがぽろりと漏らした、例の知らない単語だ。


「あ、知らない? 結魂てのは、エンゲージ間でのハートの交換のこと。この世界じゃ正しいハートがなければ心穏やかには暮らせない、みたいなことは習わなかった?」

 そういえば白の国でそんな話を聞いたような。ただ、あの国ではどちらかというと「《ハート》はオオカミに奪われた大事なモノだから取り返さなければいけない」的な面ばかり強調されていたように思うけど。


「女の子とオオカミ、正式なエンゲージ相手とハートを正しく交換できれば、オオカミは〈渇き〉を忘れ、少女は強い心を得て魔女に近づける。噂じゃ、元の世界に戻れるようになるっていうし、いいことづくめよ」

 ユノさんのその説明は、私の心に大きな希望を与えてくれた。

「じゃあ、エンゲージを探してあげれば、大牙も……!」

「探してあげるっていうか……もうすでに近くにいる気もするんだけどねえ?」

 と、ユノさんの仮面の向こうから、痛いくらいに熱い視線が伝わってくる。どうも、この人はなにがなんでも私と大牙を運命づけたいらしいけど。


「……私は、多分違いますよ」

 ジャンヌ隊長からは、『エンゲージ相手には、特別な感覚を覚える』と教わったけど、大牙にはそれを感じていない。……と思う。本当に、今まで特別な何かを感じたりはしていないのだ。


「ふーん。でもさ、仮にあんたがエンゲージじゃなかったとして、さ。どっちにしろ第三者が誰かのためにエンゲージを探し出すなんてまず無理なんだけど」

 と、ユノさんは申し訳なさそうに肩を落とした。

「そうなんですか……」


 どうも簡単に結魂頼みとはいかないようだ。……となると。


「ま、こうなったら結魂だの難しいこと考えないで、あんたから触りまくってやりゃいいのよ!」

 私とほぼ同意見をユノさんはあっけらかんと言い放った。


 確かに触れるくらいなら、私にだってできる。今まで稽古の名目で何度もそんなことをしてきたのだ。しかし、あんなことのあった直後じゃお互いに顔を合わせづらいのもまた事実で――


 そんなことを思い悩む私の肩を、ユノさんの温かい手がポンと叩いた。そして彼女は、先輩らしいしっかりとした声色で言ったのだった。

「ねえスズちゃん。エンゲージがどうとか、恋愛感情とかそういうの色々抜きにしてもだよ。

 本当にタイガくんを大事に思ってんなら、こんな時こそ踏みこんで、話し合って、協力しないと」

「そう……ですね」


 そうだ。私はなにを悩んでいるんだろう。色々なトラブルもあったけど、大牙がおかしくなった理由が判明したのは確かなんだ。……なら、私はやるべきことをやるしかない。


「私、やれることをがんばってみます!」

「そう、その調子! ガンガンいっちゃいなさいよ!」

 明るい声で、ユノさんは私の背を力強く押してくれた。


 ……さて、問題はどうきっかけを作るか、だ。もう同じ手段は通用しないだろうし、状況的には前より遙かにに会いづらくなっている。


「ふっふっふ、お困りみたいねスズちゃん?」


 不敵な――というより、少しおもしろがっているような様子でユノさんは言った。多分、今彼女は仮面の下でニヤリと笑っている。なぜだかそう確信させる声だ。


「近々、ヒントぐらいなら出してあげられるかもしれないわよ。ちょっと時間がかかるかもしれないけど」

「時間、ですか?」

 ヒントくらい、今すぐというわけにはいかないのだろうか?


「そう、ちょうどタイミングよく見せたいものがあったのよね。とりあえず、昨日の件でタイガくんにもそれくらい待つ時間は残ってるはずだし……どう、乗ってみる?」

「は、はい。お、お願いします」


 その妙に高いテンションを少し胡散臭く感じつつも、私はユノさんを信じてそう答えていた。彼女の言うヒントがなにかは分からないけれど、絶対にそこから大牙を手助けする糸口を見つけ出してやるんだ――私はそう決意していた。

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