○会えない理由

 青の国に滞在するようになってから、しばらく経って。

 気が付けば、私と大牙の食事は当番制になっていた。厳密には微妙に違うのかもしれないけれど。


 こちらに来た最初の頃は、こちらの家に呼んで食事を出して一緒に食べていた。大牙のことだ、こうでもしないとろくな食事をしないような気がしたから。

 しかし、いつ頃からだろうか。食事時になっても大牙がこちらの家に来ないことが増えてきたので、ある時、せめて夕食用にと軽食を袋に詰めて相手の部屋のドアノブにかけておいた。


 すると翌日、律儀にも全く同じ要領で私の部屋のドアノブに袋が下がっていて。


 その袋の中には、まだ温かい卵焼きに、焼き魚に、おにぎり……らしきもの。この世界の米らしき穀物を使っているので、さすがに元の世界のモノとはちょっと違っていたけど。

 元の世界においては王道ともいえる立派な朝食メニューだ。しかし、この国の飲食店でなかなか見かけないこの料理……多分、大牙がわざわざ作ったんだろう。しかも、深緑の魔女のところで学んだのだろうか。料理の火加減を見るに、薪を用いるカマドなど、この世界のレトロな調理器具を私よりか上手に扱っているようだ。


 お礼としてわざわざこんなものを用意してくれるとは……お前はごんぎつねか。


 とでもツッコミを入れたいところだったけど、結局その日も大牙と顔を合わせることは無く。仕方が無いのでお返しのお返しに、とまた同じようにご飯を差し入れるたところ、やっぱり次の食事は向こうから差し入れられ……。

 こうして、疑似的な当番……というより交代制の食事準備が定番となってしまった。


 が、それと同時に大牙はパッタリと私の前に姿を見せなくなってしまった。食事のやりとりがある以上、大病や重大なトラブルではないと思うけど……やはり顔を見せてくれないのは心配だ。


 だから。


 その日は、なにがなんでも大牙の顔を見てやろうと決めたのだった。


▲▼▲▼▲


 そんなこんなでお昼時。正確にはまだ午前中と言える時間だが、すでに今日の昼食はバッチリできあがっていた。今日はふっくら炊いたご飯(っぽい穀物)と肉と野菜の炒め物を一つの皿にまとめたプレートだ。


 ええ、こいつをデリバリーする名目で、あいつの家へ押しかけてやりますとも。ちょうど今日の昼は私がご飯を作る番。あいつだって腹を空かせているはずだ。

 そんなわけで皿を二つ乗っけたお盆を抱え、いざ突撃。



「大牙~、一緒にご飯食べよう」

 部屋を出てすぐお向かい、大牙の部屋のドアをノックするも、相変わらず応答は無い。


「開けろー! 今日のは力作なんだぞー! 絶対目の前で食べてもらうからなー!」

 と、ちょっと乱暴なくらいのノックをするも変化無しだ。昨日まではこのくらいで諦めていたが、今日はそうはいかない。


「たーいーがー!! 開ーけーろぉ!」


 声を張り上げ、しつこくノックする。

 真っ昼間から馬鹿みたいな大声を上げている私が物珍しいようで、ちょくちょく野次馬が遠目から私を見てきた。視線が痛い。さらにこの行為がご近所迷惑になるかもしれないと思うと心も痛んでくる、まさに諸刃の剣に等しい愚策だ。


 けど今日だけは退けない。退いちゃいけない気がするのだ。もうあいつと顔を合わせなくなってだいぶ経つ。せめて元気な顔を見ておかないと(いや、会ったとしても顔はよく見えないんだけど)寝覚めが悪い。

 だから、私は――幼少期の大牙のごとく、空気読めない馬鹿になりきる!


 そんな決意の下、心を無にしてドアを叩き続けていると、ドアの向こうからノックの音が聞こえた。


「――!」


 来た。このままドアを蹴破る勢いで侵入したい気持ちを抑え、この国のルールにのっとり、一歩下がる。一拍置いてからドアが静かに開かれ、中から黒いオオカミの姿が見えた。

 これで計画の第一段階は成功だ。……だが、本番はこれからである。


「よっ、大牙。今日は一緒にご飯食べよう!」

 つとめて平常心で、あくまでもいつも通りのノリで、大牙に話しかける。


「……■■」


 ……だが、肝心の大牙の方からはいつもの彼らしい様子が伝わってこなかった。

 まったくの別人、というわけではないことはなんとなく分かるが……「まるで別人」と言っていいほど、大人しい。というか暗い。



「どうしたのさ、あんたらしくもない。腹減りすぎた?」

「■■■……」

「もー馬鹿だねー、アンタは。変なところで気合い入れすぎてガス欠起こすんだから。今日は小鈴おねーちゃんが腕によりをかけて美味しいもん作ったんだから感謝しなさいよね~」


 なんて、たわいもない話を(一方的に)しながら、ドアを閉められないように、つま先をドアの隙間にすべりこませた。なんだか悪質セールスみたいだが、とにかくここでドアを閉じられることだけは避けたかった。


 もはや「一目様子を見るだけ」とはいかなくなっていた。――大牙の様子がここまで変わった理由を突き止めないと。そんな思いが、私の中で芽生えていた。


「■■■、■■」


 私の小細工に気付いたらしい大牙は、肩をすくめて渋々ドアを開いて招き入れた。……計画第二段階成功、ってところか。

 私は、はやる心を抑えつけて、ゆっくり大牙の部屋へと入っていった。


▲▼▲▼▲


 ――大牙の部屋は、予想外に荒れていた。


 いや、「一人暮らしの男の部屋なんて汚いもんだ」という知識(先入観?)は元からあったけど。だけど目の前の光景は、そういうのとは違う。明らかに、生活感とは別の要因による荒れ方をしていた。


 台所には割れた食器の破片がいくつか転がっており、壁や家具にも殴りつけたようなへこみがあった。室内は比較的清潔ではあったものの、いくらかホコリが積もっていたし、部屋の片隅には洗濯物らしき服(……だと思う。これも仮面のせいなのだろうか? 男物の服すら、オオカミの輪郭のようにぼやけて見えるのだ)が乱雑に積まれていた。

 ――もしかしてこいつ、毎日のご飯を作る以外のことが全く手についてないんじゃないか。


「……本当に、なにがあったんだか」


 私はそうつぶやいたが、大牙から答えを求めるつもりは無かった。というか口頭で説明されても、内容が聞き取れないので意味が無い。


「……」


 大牙は答えなかった。ただ、少しピリピリした様子でテーブルの上を指さすだけだった。言わんとすることはなんとなく分かった。「飯を置いて早く帰れ」だろう。

 だけどあえて私はそれを無視して、テーブルに着席し、さっさと持ってきた皿二つを並べた。


「言ったでしょ、一緒ご飯食べようって。さ、帰ってほしいんだったらさっさと席に着く!」


 私がそう言っても大牙はしばらく立ち尽くしていたが、やがて大人しく着席すると、黙々とご飯を食べ始めた。


 いつもは食事時でもよく話しかけてきた大牙が、一言もしゃべる気配が無い。……このまま気まずい沈黙が続いたら、こちらの気が滅入ってしまいそうだったので、あえて私は積極的に話しかけていた。


「しばらく顔見せなかったから、心配しんだよ?病気かなにかかと思えば、ちゃんと毎日のメシを作る余裕はあるときた。もう、ワケが分からないっての」

「……■■」

 どうやら謝られてしまったようだ。


「いや、別に責めてるんじゃないってば。病気じゃないってことはさ、なんか悩みとかストレスとか抱えてるんじゃないかと思って」


 私がそう言ったとたん、大牙の手が止まった。お、これはもしかして図星か? なら、ここからさらに踏み込めるかもしれない。


「じゃあさ、今度どこかにでかけようか。一暴れしたいってんなら、また討伐隊にでも――」

「■■■」


 大牙がぴしゃりと言い放った一言で、場の空気が凍った。


 ああ、これは。内容が聞こえなくても分かった。……分かりたくなかったけれど。

 ――拒絶された。それもたった一言でバッサリと。


 致命的な沈黙が、二人の間に流れた。


 ――なんだよ。おかしいじゃないか。こっちの世界に来て、色々あって。そのおかげで、私はようやく昔みたいな立場でこいつと向き合えるようになってきたってのに。今度は、そっちから私から距離を取るっていうのか。


 今まで勝手に距離を作っていた私がこんなことを考えるのは身勝手極まりないと分かってるけど。……でも、こう思わずにはいられなかった。


(どうしたらいいんだよ、こんなの……!)



 結局……それから私たちは、一言も交わさないまま食事を終えてしまった。


「じゃあ、帰るわ。今日は色々と……ごめん」

 しぼりだすようにそう口にして、私は逃げるように大牙に背を向けた。……そこで、うっかり大牙の家に食器を忘れていくところだったことに気付き、慌てて向き直ると


 すぐ目の前に、大牙がいた。


 この重い空気のせいだろうか。すっかり見慣れたはずのその巨躯が、やけに威圧感があるように見えて。とっくに慣れたはずのオオカミの姿がまさに『怪物』のように感じられるくらいだった。


 そして――


「っ!」


 一瞬、なにが起きたか分からずに、頭が真っ白になった。


「た、大牙……!?」


 ――私は、大牙の太い腕で抱き締められていたのだ。

 混乱する頭をどうにかフル回転させても、どうしてこんな状況になってしまったのか、さっぱり理解できない。それどころか、オオカミの気に当てられているせいだろう、頭がぼうっとしてきた。


「バッ……! 離せ!!」


 私が抵抗すると、思いの外あっさりとその腕はほどかれた。私は脱兎のごとく身を翻して大牙の部屋を飛び出していた。そして自分の部屋へ逃げ帰ると、そのまま鍵をかけ、ドアにもたれるようにへたり込んでしまった。


(なに、なんなの……!?)


 混乱する頭の中はひどいくらいぐちゃぐちゃで、なにもかもが、どうしたらいいのかさっぱり分からない。

 そして《ハート》のさらに下で馬鹿みたいに跳ねる心臓は、なかなか収まってはくれなかった。

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