○新天地への兆し
「■■、■■■?」
やはりよく聞き取れない声と共に、そのオオカミ――大牙は私に一枚の紙を突きつけていた。
紙には、大牙が今しがたペンで書いた文字が踊っている、はずだった。しかし、紙の上にはオオカミの輪郭と同じ黒い霧のようなものがうごめくばかりで、文字は判別できそうにない。
「駄目、全然文字に見えない。……こりゃ周到だわ」
あれから数日。私はここ、魔女の住処に滞在同然のかたちでお世話になっていた。
大牙が甲斐甲斐しく世話をしてくれるので、部屋から出る必要はほとんど無かったし、たまに外に出る用事があっても、住処の中のオオカミたちが私に狼藉を働くようなことはなかった。
「本当、オオカミとのコミュニケーションは難しいね」
「■■」
その滞在の間、私と大牙はこうして、どうにかコミュニケーションの手段を見出そうといろいろな実験をしてみたものの、成果は振るわなかった。
声はとにかく、まさか文字まで制御されてしまうとは思ってもみなかった。
ただ、なにも進展が無かったわけじゃない。一緒に色々試すうちに気付いたことも多い。たとえば、輪郭のはっきりしないオオカミもよく観察すれば人体らしい手足の細かい形や動作がよく分かってくることとか。
といよりも、大牙自身のまとっている霧めいたものが薄れ、黒くおぼろげだった輪郭が、少しはっきりしてきたような……? そのおかげか、他のオオカミと一緒にいてもすぐに判別できるようになってきている。
「どう、がんばってる?」
「■■!」
と、部屋に入ってきたのはこの住処の主である深緑の魔女・アルセイドだった。
「いやー、がんばってるね。必要なことは私が通訳してあげられるってのに、感心感心」
「いえ、そんな褒められるようなことは。単に自分たちがやりたくてやってるだけですから」
彼女は私のいる部屋にちょくちょく訪れて、こうして気さくに話しかけてくれていた。少し前まで敵対関係であったことなどすっかり忘れているかのような軽さである。いや、彼女の言葉を信じるなら私たちが過剰に敵視していただけなのかもしれないけど。
(私たち、か)
ふと、白の国での生活が頭をよぎった。それから仲間たちの顔も。
「あの、アルセイドさん。少し相談があるんですけど」
「ん、なんだい?」
「そろそろ白の国に……帰りたいとは言いません、せめて私の無事を伝えたいんです」
ここに捕まってから、私はいろんなことを知ってしまった。特に、オオカミについての事実。けど、帰ってそれをみんなに伝えても、魔女に洗脳されたとか疑われてしまいそうだ。そもそも事実を知ってしまった私は、これ以上オオカミを撃てそうにないし、平然とオオカミを撃つ仲間たちと今まで通り接することができるだろうか。
結局、帰ったところで私の居場所はないのかもしれない――けど、やはり七海やジャンヌさん、部隊の仲間たちに私の無事くらいは伝えたい。
「うーん」
やはりアルセイドは難しい顔をしてしまった。しかし、返ってきた返事は予想外のものだった。
「報告を入れることは簡単。多分あそこの女王様もそれを信じてはくれるだろうけど」
女王様……ニクスさんのことだろうか。
「でもねえ、ちょっと前に戦った手前、ここに置いてる以上捕虜と変わらないんだよね。だから、連絡したらしたで、あんたの救助を大義名分にまた小競り合いになるのは目に見えてる」
「……確かに」
ここでお世話になっている私としては、この魔女にそんなつもりがこれっぽっちも無かったことはすでに十分理解している。が、白の国はそうは受け取らないだろう。
「でもまあ、手段が無いわけじゃない」
「! 本当ですか?」
「ちょっと面倒だけど、よその国に『深緑の魔女の領土から、捕虜を奪還した』名目であんたを引き取ってもらう。で、そこから白の国に報告入れてもらうって寸法さ」
「そんなこと、できるんですか」
というか、白の国以外にも国があるんだ、この世界。
「魔女様はどの国にもいるからね。みんなそれぞれワガママだしケンカもするけど、腐れ縁の姉妹みたいなもんなんだよ」
そう言ってアルセイドは小さく笑った。魔女って、思ったよりもこの世界にありふれているのか。
……ん? っていうかちょっと待って。
「じゃあ、白の国にも魔女っているんですか?」
「もう素顔を見てるんじゃないの? あの国の魔女は一人だけだけど」
「……あ」
そうだ。白の国で素顔を晒しているただ一人の人間に、もう会ってる。
「ニクスさん……」
「そう。白雪の魔女・ニクス。私が言うのもなんだけど、一番魔女っぽくない子だわ。実際、魔女の名前や力を毛嫌いしてるっぽいし」
王子様あるいはお姫様のような人。そこから魔女というイメージが遠すぎて少しも結びつかなかった。
「意外……」
「だろうね。白の国は他の魔女を敵視するわりに、自国の魔女に少しも疑問を抱かないから。それくらいあの子の教育とイメージ操作は徹底してる」
「■■、■~」
と、大牙がなにやらアルセイドにむかって話しかけてきた。
「ん、ああゴメンゴメン。すっかりあんたを蚊帳の外に放っちゃってたね。でもこっからはあんたにも関係ある話だ」
とアルセイドは改めて真面目な調子で話を切り出した。
「タイガ、あんたはこの子と一緒に『青の国』へ行ってもらう」
「■■?」
不思議そう、あるいは不安そうにタイガが首をかしげて魔女に尋ねていた。
「大丈夫だよ。あの国はオオカミも少女も問題なく暮らせる場所さ。そこでしばらく二人一緒に暮らしてもらう」
「「!?」」
互いに確かめる術は無いが、私と大牙は、多分二人揃って心底驚いた顔をしていたことだろう。
「あんたたちもずいぶんと勉強を重ねたようだし、そろそろあの国で『オオカミと狩人』とは違う関係性について見てくるべきだと思うんだ」
「■■■! ■■!」
大牙はなにか必死で反論しているらしいが、内容が聞こえない以上、私には加勢のしようもなく。
「あんたたちなら大丈夫だって! ね、スズちゃんもいいね?
ま、どうしても肌に合わないようだったら、あの国の魔女に直談判して白の国なりここに戻ればいいから」
「は、はあ……それじゃあ、行ってみます」
ここまで押し切られると、私も強くは拒否できない。
大牙と一緒に新天地へ……という点は少しひっかかるが、いつまでもここに世話になるのはなんだか心苦しかったし、息苦しくもあった。(なにせ軟禁同然の生活の上、どうにかコミュニケーションを図れるのが魔女と大牙の二人だけだったのだから)なにより、この取引(?)によって白の国の仲間たちをいくらか安心させられるのでだから、安いものだ。
「■■……」
「よし決まり。じゃあ善は急げだ、明日の朝一番に出発するよ。旅の準備はこっちですませるから、タイガは今のうちに仲間に挨拶回りでもしときな。スズちゃんは、向こうで必要になりそうなものがあったら私かタイガに言っといて。なるべく準備しとくから」
「は、はい」
まくしたてるようにそう言うと、魔女アルセイドは(旅の準備のためだろう)慌ただしく部屋を去っていった。甲斐甲斐しく後輩の世話を焼くその姿は、なんだか魔女というか、部活のキャプテンとかのイメージだ。……あるいは、お母さんか。
「■■■」
多分、今の大牙も同じような感想を漏らしたんだろう。
「それにしても『青の国』、か」
私はぽつりとつぶやいた。
ここ数日で、私を取り巻く環境はめまぐるしく動いていた。異世界に来たというだけでも大事件なのに、姿がまるっきり変わってしまった知人との再会、さらにはこの異世界の抱える秘密を次々と明かされたり――。
その『青の国』で、これ以上予測不可能な出来事が襲ってきたらどうしよう。
(付いていけるかな……)
「■■? ■■■!」
などと、少し不安になっていた私に、(多分)励ます言葉を言ってくれた大牙の存在が、今はちょっとだけ頼もしく思えた。
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