○『この世界について学んだ時』の記憶
それから私は、ニクスさんに付き添っていた少女の一人に案内されて、泉のあった部屋の外……もとい、城の中を歩いていた。
私を案内してくれたのは、ジャンヌさんという人だった。
彼女はは背が高くすらりとした女性で、その落ち着いた様子から年上のような印象を受ける。制服らしき赤銅色のブレザーの上から革の胸当てを身につけていて、ニクスさんが王族なら彼女はまるで軍人か騎士の風格だ。
西洋の彫像めいた無表情な鉄仮面のせいで当然顔立ちや表情は分からないが、その名前と豊かに波打つブロンドヘアから察するに、ヨーロッパ系の色白美人なんだろうな、と勝手に想像してしまう。
「こ、こス……す、ず? ……うーむ」
そんな彼女が、私の名前を呼ぶのにたいへん難儀していた。
ニクスさんは流暢に発音していたが、やはり外国(別世界?)の人には少々発音が面倒な響きのようだ。
「すず、でいいですよ。みんなそう呼んでたから」
一文字取っ払っただけだが、いくらか呼びやすいだろう。
「そ、そうか? ……ではスズ、ここがこれから君の暮らす『白の国』と呼ばれる場所だ。国と言っても、この城だけが領土だけどね。それでもずいぶん広いし、住みやすい場所だよ」
と、私の前を歩きながらジャンヌさんは説明してくれた。
長い廊下ですれ違うのは、(声や背格好から察するに)私と同年代か少し年下くらいの少女ばかり。みんな仮面をつけている点を除けば、まるで女子校のような雰囲気だ。実際、教室めいた広い部屋で何十人もの少女たちが学んでいる光景も見られた。もっとも、そこで教えていたのは銃の構え方だの護身術だの、おおよそ女子校らしからぬ内容だったけれど。
「みんな、戦う気満々なんですね」
少女たちが一心に戦闘訓練に打ち込んでいるその光景は、物珍しいもののように思えた。私と同年代の女の子なら、今まで戦いなんかとは無縁の人生を送っていて、この状況に恐怖や抵抗を抱いている娘だって多いと思っていたのに。
それとも、私のような荒事への抵抗感が薄い少女が集められていたりするんだろうか。
「みんな必要に迫られているからね。最初は城内の家事だけに従事する娘も多いけど、この世界にいる以上、オオカミとの戦いは避けて通れないんだ」
そう語るジャンヌさんの声は少し沈んでいるように聞こえた。
「そんなにオオカミって凶悪なんですか。全員で戦う必要があるくらいに」
「決してそういうわけではないんだが――まあ、詳しくはすぐに分かる。ほら、ちょうど着いたぞ」
そう言ってジャンヌさんが示したのは、十数名の少女が待機している広い部屋だった。そこは木製の机と椅子がたくさん並べられていて、今まで見てきた部屋に比べて一番『教室』らしかった。
「ここにいるのは、君と同じくこの世界に来て日の浅い少女たちばかりだ。ちょうど今日、彼女たちにオオカミについての講釈をするところだったんだよ」
それじゃあ私はものすごく絶妙なタイミングでこの世界へやってきたのか。異世界に来てすぐに大事な授業を受けられるなんて、ラッキー……なのかな?
「さあ、適当な席に着いてくれ。これからこの世界についてできる限りのことを教えよう」
▲▼▲▼▲
私が空いている席に座り、ジャンヌさんが教壇のような場所に立つと、教室内のざわめきが急速に静かになっていった。
そして室内がすっかり静まりかえった頃、ジャンヌさんはおもむろに口を開いた。
「さて、皆はすでにニクス様から聞いているかもしれないが、ここは君たちが元いた世界とは違う異世界だ。私たちは《森》と呼んでいる」
ずいぶんとシンプルなネーミングだ。やはりその名の通り、この城の外には、ジャングルのように樹木が生い茂っていたりするんだろうか。
「この《森》は、元の世界とは全く違うルールで動いている。私たちは、召喚された時点でそのルールに組み込まれてしまっているのだ」
と、ジャンヌさんはその顔を覆う仮面に触れていた。
「まずはこの仮面。こいつがあっても生きていくために不自由は無いが、普通の手段では決して外れない」
それを聞いて、試しに自分の仮面を外してみようとしてみる子もいたが、やはり外せはしないようだった。
「あ、あの! これを着けたままじゃごはんが食べられないと思うんですけど……!」
と、一人の少女がおずおずと手を挙げてそんな質問を口にした。確かにその通りだ。
それに対してジャンヌさんは「その質問が来ると思った」とばかりに、教卓に置いてあった箱から可愛いラッピングのされた袋を取り出し開いた。――袋には、クッキーが詰まっていた。
「実際にやってみると分かるが、食事は可能だ。目に見えるまま、口に運んでかじってみろ」
そう言ってジャンヌさんが仮面の口元にクッキーを寄せると、クッキーの一部がひとりでに割れて、その部分だけ消えた。直後、ジャンヌさんの仮面の向こうから
「ほら、全員に回しなさい」
と、ジャンヌさんが最前列の少女たちにクッキーを配ると、そのままプリントを配る要領で教室内にクッキーが一枚ずつ行き渡っていった。それからすぐにクッキーをかじる音と、驚きの声が上がって。
(うわ、本当だ……)
私も内心で驚きの声を上げていた。仮面の目前で食べ物が消える光景は奇妙なものだが、自分で見えている分には、全く違和感無くクッキーが口に運べる。味も匂いも食感もよく分かる。甘くて歯ざわりの良い、普通に美味しいクッキーだ。
こんなことができるなんて、まるで魔法みたいだ。……いや、ここが異世界である以上『魔法』と呼んでも差し支えない現象なんだろうな、多分。
「次に仮面と対になるこの銃のことだ」
ジャンヌさんは腰のホルスターから、真鍮色の渋い輝きを放つリボルバー式の銃を取り出した。
「実際に触れたことがない者も多いだろうが、我々の唯一にして最大の武器だ。少々特殊な武器だが、まあ使い方はおいおい訓練で教えていく」
(ひえぇ……物騒なことをさらりと)
つまりは銃器の使い方を実技で教えていく、と。その宣言に、ここが非現実的な異世界であると再認識すると同時に、身の引き締まる思いがした。
「皆がもつ銃は、それぞれが君たち専用のものだ。主人から遠く離れても、ひとりでに手元に戻ってくる」
おお、これまた実に魔法っぽい。
「だが、いざという時に手元に無くては困るからね。各自、肌身離さず持ち歩くように。なお、携帯するためのホルスターは後日支給する」
……やっぱりそういうところまではファンタジーとはいかないか。
私は、自らの右手に収まっているその銃を改めて眺めた。
この、金属色をした小さく冷たい道具が、これからの生活のパートナーになるのか――。
「さて。これで君たちの身の回りについて最低限の説明はした。次は――オオカミの話だ」
ジャンヌさんのその言葉に、教室内の空気が一気に張り詰めた。
――私と一緒で、みんなそれを知りたがっていたんだ。これから対峙するであろう、その恐ろしい『敵』のことを。
「オオカミとは、我々の魂の結晶である《ハート》を奪った憎き敵。
……正しくは、『入れ替えられた』と言うべきなのかもしれないが。まずはこれを見てほしい」
そう言って、ジャンヌさんは胸当てを少しだけずらして、ブレザーとブラウスのボタンを乱暴に外した。そうして晒された彼女の白い胸の中央には――拳くらいの大きさの宝石が、深々と埋めこまれていた。
「これが《ハート》。この世界における我々やオオカミどもの魂の結晶だ。君たちも例外なく持っているはずだ」
その言葉に、教室の誰もが――もちろん私だって例外ではなく――自らの胸に手を当てていた。……服の向こうに、明らかに人肌と異なる硬質な感触があった。
「実のところ、今君たちの胸にある《ハート》は、厳密には君たちのものではない。
各々の持っている《ハート》は皆、この世界にやってくる時にすり替えられてしまったものだ。――オオカミどもの手によってね」
忌々しげにそう言うと、ジャンヌさんは胸のボタンを閉じながら言葉を続けた。
「それで、私たちにはそれぞれ、《ハート》をそっくり入れ替えられた――いわば対になるよう運命づけられた一体のオオカミが必ず存在する。その特別な個体を『エンゲージ』と呼ぶ」
『
「私たちは、そのエンゲージを探し出して、《ハート》を奪い返さなければならない。本来の《ハート》無くては、元の世界に帰るどころか、心穏やかな生活すらできはしないのだから。それが、オオカミを狩る最大の理由だ」
その説明だけで、ずいぶんと事情がはっきりと見えてきた気がした。
「
……うーむ。分かりやすい目的だけど、さらにファンタジックになってきたな。
「厄介にも、エンゲージは実際にその個体と遭遇しない限り判別できない。しかしオオカミは無差別に我々を襲ってくる。しかも《ハート》を奪い返さない限りは不死身という始末。
だからこそ我々は一匹でも多くのオオカミに出会い、その上で残らず退治していかなければいけないのだ。正しい《ハート》を探すだけでなく、自分と、仲間たちの安全を守るためにも」
なるほど。自分のエンゲージ相手を見定めるためにも、いつかは直接オオカミに会う必要があるのか。
同時にそれはとても危険な行いで、オオカミに会えば戦いになる事は必至。「誰もが戦う必要に迫られる」というのはそういう理由だったんだ。
「それで、次は――」
と、ジャンヌの言葉を遮るように、城内に重い鐘の音が響いた。なんとなくそのタイミングが、学校のチャイムを彷彿とさせた。
「ふむ、ちょうどいい時間だったようだな。とりあえず、最低限のことは教えた。これ以上の詳しい事はこれから人に聞くなりして、少しずつ学んでいってほしい。私も、時間が空いてる限りは極力質問に答えよう。
それから、次は君たちをこれから暮らす部屋へ案内する。係の者が来るまでしばらくここで待っていてくれ」
……こうして授業の時間は終わった。
やっぱりなんだか既視感のある、学校のような雰囲気のこの状況。それでいてファンタジーなアイテムは確かに目の前にあって。
(実感が湧くような、そうでもないような……)
この時はまだ、私の心は現実と非現実どっちつかずのあやふやな感触のままだった。
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