○『この世界へ来た時』の記憶
この世界で最初に目覚めた時は、温かな水の中にいた。
その時は、「まずい、うっかりお風呂で寝ちゃった!?」なんて間の抜けた心配をしていたっけ。……実際のところ、事態はもっと深刻だったのだけれど。
意識がハッキリしてきた私は、ざば、と浅い水から身を起こした。
どういうわけか私は学生服のまま水中にいたらしかった。さらに不思議なことに、水にどっぷり浸かっていたはずなのに、服は少しも濡れてはいない。
周囲を見渡すと、全く見覚えのない場所だった。そこはお風呂どころか、日本らしからぬ西洋風の石造りの部屋だった。その部屋の中央にある、綺麗に整備され豪華な彫刻で飾られた……ちょうど公園にある噴水めいたその泉に、私は浸かっていた。
「――目が覚めたようだな、新しい同胞よ」
「とりあえず水から出よう」なんてことを考えつく余裕もないくらい呆然としていた私の前に現れたのは、背の高い男装の麗人だった。
雪のように白い肌によく栄える、黒檀のような長い黒髪を風になびかせているその女性。その唇と瞳は
……『白雪姫』だ。
彼女の姿を見て、そんなイメージが頭をよぎった。お姫様というより王子様のような雰囲気だが、品のある美しい美貌と白黒赤の色彩が、あの童話を彷彿とさせたのだ。
そんな男装白雪姫一人だけだったら、私はまだ(彼女に
その美しい女性は、数人の少女を引き連れていた。……多分、少女だろう。その時断定ができなかったのは、その全員が仮面をかぶり、腰から銃をぶら下げている異様な出で立ちだったからである。
その恐ろしいメンツを前にして、一瞬遅れて恐怖と混乱が襲ってきた。
私はとっさに立ち上がり後ずさったが、男装白雪姫も仮面少女たちも特別な動きをしなかった。ただその白雪姫が、私をなだめるように静かな声で言葉を紡ぐだけだった。
「落ち着いて聞いてほしい、私たちは敵ではない。この世界に迷いこんだ君を助けたいと思っている」
「この、世界……?」
「まずは聖泉から上がるといい。……我々が信頼できないというのなら、この場で事情を説明するが」
「い、今! この場所でいいですから、事情を教えてください! 私、何がなんだか分からなくて……!」
私はそう答えていた。とはいえ、それは単にいち早く状況を理解したいがために下した決断であって、この男装白雪姫へ対する警戒自体はだいぶ和らいでいた。
出会ってからそれほど経っていないが、その間に彼女が見せたその態度と言葉から、真摯な様子が十分に伝わってきたからだと思う。……断じて彼女の美形補正がかかっているわけではないと信じたい。
まあとにかく。私の要望に応え、白雪姫はそのまま話を始めたのだった。
「信じがたいだろうが、ここはいわゆる異世界だ。ここにいるのは皆、それぞれ違う世界からここへ呼び出された少女たちで、私は彼女たちを保護しているニクスという者だ」
「少女って……ど、どうしてみんな、そんな妙な格好してるんですか」
保護されているというワリには、みんなずいぶんと物騒な姿をしている。
「……大変言いにくいが、君も同じ姿をしているんだぞ」
「へ?」
男装白雪姫、改めニクスさんに指摘され、思わず私は下を向いていた。――水面に写る私の顔にも、仮面が張りついていた。
「な、なにこれ……!?」
目の部分に狐目のような黒いラインが引かれ、その目元にワンポイントとばかりにささやかな紅の模様が施されたシンプルな仮面だ。その仮面の両脇、こめかみの部分からは、紅い飾り紐で房のように結わえつけられたいくつかの鈴がぶら下がっていた。揺れても音がしないところをみると、これは鈴の形をしただけの飾りらしい。
不思議なことに、仮面という覆いがあるにもかかわらず、私の視界は少しも遮られていなかった。というより、水鏡に映るこの仮面……見たところ、目に当たる部分に視界確保用の穴すら空いていないのだ。
「どうやって見えてるの、この仮面……」
さらにここでようやく気付いたのだが、片手には掌に収まるサイズの小さな鈍色の拳銃まで握っていたのだ! ……目覚めてから今まで気付かなかったのが不思議でならない。
「異様だと思うかもしれないが、これはこの世界――《森》のルールの一つなのだよ。ここに召喚された時から備わっている、君たち少女を守るための武装だ」
武装……ということは、そんなものが必要なくらい危険な世界に私は呼び出されてしまったのか。
「一体、何が少女たちを
私がそう尋ねると、ニクスさんは重々しく口を開いた。
「少女たちの魂を奪いこの世界へ迷いこませた、罪深き悪魔の化身――『オオカミ』だよ」
(白雪姫に続いて、オオカミか)
ますますもってこの世界の印象が童話めいてきたが、白雪姫ニクスさんの表情はいたって真剣で……深刻だった。
「……そうだ、君の名をまだ聞いていなかったな」
と、ニクスさんに言われ、私は自己紹介がまだだったことに気付いた。
「小鈴です。
周りから可愛いと言われるが、コンプレックスの一端にもなっている……そんな、ちょっと面倒くさいその名前を、私は素直に名乗っていた。
「小鈴、か。――改めて言おう、小鈴。非常識な事態だとは思うが、これは現実だ。そして私たちは敵ではない。君の身を守り、この世界で生きていくためにもどうか我々を信用してはもらえないだろうか」
そう告げて、ニクスさんは私へと手を差しのべた。私は黙ったまま、静かにその手を取っていた。だが、それで私の意志は十分に伝わったようだった。
「……信じてくれてありがとう。そして、我々は君を心から歓迎する」
そう言ってニクスさんが初めて見せた笑顔は、やっぱり見惚れるくらいに美しいものだった。
――正直、まだ混乱はしてるし、分からないことは多い。だけど、この白雪姫ニクスさんと仮面少女たちへの警戒はもう必要無いと、私はその時すでに確信していた。
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