黒い蝶

189

 ―2017年1月―


 多数の死傷者を出した陥没事故から1年が経過した。あの事故現場は、今は駐車場となっている。黒紅連合も月華も事故後解散したが、新たな暴走族の集会場所となっているらしい。


 あたしと信也は駐車場の隅に花を供えた。粉雪が舞い、花びらの上にうっすらと雪が積もる。


 あれから、あたしの周辺で僅かな異変が起きている。仏壇に置かれた写真の美濃が、色褪せ薄らいだ気がしてならない。


 それが何を意味しているのか、あたしにはわからないが、もしも写真から美濃の姿が消えたとしても、みんなの記憶から美濃の存在が消えたとしても、あたしの記憶から美濃が消え去ることはない。


 美濃は確かに、この現世に生きていた。

 あたしの……たった一人の姉だから。



 ――『天下泰平』は、徳川社長の手腕により急成長し、あの崩れ落ちそうだった通称お化け屋敷は解体され6階建てのビルとなり、1階は修理工場、2階は事務所、3階から5階は賃貸マンション、6階は徳川社長の住居となっている。


 秀さん曰く、徳川社長は自由に現代と戦国時代をタイムスリップする能力を身に付け、徳川埋蔵金を秘かに持ち帰っては売り捌き富を築いているらしい。


 その秀さんも、居酒屋のマスターに留まらず、偽の戸籍と学歴を利用し、夜間大学に通い政治経済を学んでいる。『いずれは国を動かす総理大臣になるのだ』と、豪語している。


 本当にホラ吹きなんだから。

 でも、あたしは信じるよ。


 秀さんなら、きっとやり遂げる。


 信也は徳川社長の元から独立し、公営住宅の近くに一戸建てを借り、小さなバイク屋を経営している。『徳川社長や秀さんに負けるわけにはいかない』と奮起しているが、住宅の築年数は古く外壁もボロボロで、自称『お化け屋敷』だ。



 あたしは学校から帰宅すると、すぐに信也のバイク屋に行き、2階の部屋に上がり込み歴史の本を読み更けるが、今のところ史実に大きな変化はない。


 ――午後8時、ガラガラと店のシャッターが締まる音がし、信也が2階に上がって来た。


「あー、腹減った。紗紅、また読んでるのか?織田信長ばかり図書館で何冊借りれば気が済むんだよ」


「面白くてさ。それに色々調べたいし」


「昔の俺みたいだな。そう言えば、去年貸した本どうした?」


「あれはまだ貸して。お気に入りなんだ」


 あの本はあたしと信也を繋ぐ本。

 いわば、人質みたいなもの。


 あの本を返したら、あたしと信也の繋がりが切れてしまいそうで不安になる。だから一生借りてるつもり。


「そんなに織田信長が好きなのか?」


「うん、好きだよ」


「俺よりも信長に惚れてるのか?」


 信也はあたしにキスを落とす。

 軽く触れた唇に、信也と信長の面影が重なり、鼓動がトクンと跳ねた。


 テーブルに置かれた【身代わり姫と戦国の蝶】の本が、風もないのにパラパラと捲れた。


 

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