美濃side

155

 ―6月2日―

 私は男に扮装し、天王山の麓山崎の民家に身を潜めていた。


 ◇


 ―5月26日―

 多恵に渡した文は光秀の手に届き、私と光秀は秘かに亀山城で落ち合った。髪を切り男装した私を見て、光秀は目を見開いた。


 言葉を発することができない私は、新たな文を光秀に差し出す。


 その文には、真実を包み隠さず書いた。

 私が未来からこの戦国時代にタイムスリップしたことや、平手紅は男ではなく私の妹紗紅であることも告白し、本筋である本能寺の変のことも書き記してある。


 織田信長に反旗を翻し謀反を企んでいた光秀は、私の文を読み愕然とした。


『……なぜ、謀反を起こすことが、わかったのじゃ……』


(わらわは、未来を知っているからでございます)


 光秀は『タイムスリップ』という聞き慣れない言葉や、『未来から来た』という唐突な文章に、強い違和感を抱いた。


『……タイムスリップとは何ぞや。帰蝶が未来から来たなどと、そのような話を信じられるはずはなかろう』


(これは偽りではございませぬ。まことにございます。光秀殿、筆と硯をお貸し下さらぬか)


 光秀は筆と硯を私に差し出す。


 本能寺で織田信長を討ち取ったあと、明智光秀の運命はどうなるのか、光秀の前で詳細に文に綴った。


 【“本能寺の変のあと、天下人となった明智光秀は、織田信長討伐を知った羽柴秀吉に、中国大返しで討たれる。”】


 羽柴軍は光秀の軍勢より勝っている。未来を知り尽くしている私は、光秀が天王山の麓で秀吉を包囲したとしても、秀吉の軍勢には敵わないことはわかっていた。


 織田信長を殺した汚名で、信長の旧臣や旧組下からの協力は得られず、明智軍が孤立することもわかっていた。


 光秀は困惑していたが、私が次々と未来を予言し、次第に信じるようになった。


『わしが織田信長を討ち取ったとしても、すぐに羽柴秀吉に返り討ちとなり、天下泰平の世をつくることは出来ないのだな』


(はい。未来の歴史ではそうなっております)


 羽柴秀吉を毛嫌いし、ライバル視していた光秀は、信長を討ち取ったとしても、天下を取るのは秀吉だと知り愕然とする。


『わしは羽柴秀吉のために、謀反を起こし織田信長を討ち取るのではない。わしは天下泰平のために……。これでは、織田信長を討ち取る意味がないではないか』


(はい。光秀殿、歴史を変えず、みなが生き延びるための策がございます)


『策とな?』


 私はスラスラと和紙に筆を走らせる。

 

 もしかしたら、光秀を怒らせてしまうかもしれない。こんな策など、戦国の世で通用しないかもしれない。


 ――でも……

 これしか、残された道はない。


【光秀殿は歴史書通りに謀反を起こし、本能寺を襲撃して下さい。上様を討ち取ったと見せ掛け、上様と紅を本能寺より逃がして欲しいのです。信忠も同様に、討ち取ったと見せ掛け二条御所より逃がして欲しいのです。】


 光秀は私の策略を読み、体を震わせた。


『このわしに、家臣を欺き一芝居打てと申すのか。そのようなことが、易々出来るはずはない。それに……わしはそのあとどうすればよいのじゃ』


(はい。それも策は考えております)


【織田信長討伐後、天王山の麓で羽柴軍は明智軍を襲撃します。光秀殿はその混乱を利用し落ち延びるのです。天下など取らなくてもよい。わらわと2人で秘かに暮らしましょう。わらわは帰蝶の名を捨て、美濃に戻りとうございます。山崎合戦の後、本経寺にてお待ちしております。】


『……そなたの本当の名は……美濃。上様と離縁し、このわしと一緒に落ち延びようとな?』


(はい。美濃は、たとえ地の果てまでも、光秀殿にお供する所存でございます)


『……美濃。そなたがそこまで申すなら……わかった。本経寺だな』


 私の真剣な眼差しに、異を唱えていた光秀も深く頷き、全てを承諾した。


 これで信長も光秀も命を落とすことはないだろう。


 歴史を変えることなく、大切な人を救うには、もはやそうするしか手立てはなかった。

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