紗紅side

140

『さ』

『く』

『あ』

『り』

『が』

『と』

『う』


 帰蝶が……

 あたしに……手話で会話をした。


「於濃の方様……!?お待ち下さい!待って……美……」


(さらばじゃ)


「美濃―!行ってはだめ!美濃――!」


 帰蝶は……やはり美濃だった……。

 記憶喪失なんかじゃない。


 あたしの名前を……

 ちゃんと手話で……。


「ありがとうって、何だよ。今まであたしを騙しておいて、今さら何だよ……」


 あたしは鮮やかな色打ち掛けを身に纏い、髪を下ろし赤い紅をさしている。


 直ぐに美濃を追い掛けたいけど……

 追い掛けることが出来ない……。


 それを承知で、美濃はあたしに女の恰好をさせ、あたしの着物で男装をした。


「……美濃。どうして……」


 座敷にへたり込み、あたしは泣きじゃくる。


 美濃はきっと死ぬ気だ……。


 自分の命を捨ててまでも、光秀の謀反を阻止するつもりに違いない。


「帰蝶、入るぞ」


 ――う、上様!?


 廊下で信長の声がし、あたしは慌てて涙を拭い背を向けた。


 襖の開く音がし、信長の力強い足音が近付く。


「俺を呼びつけておいて、背を向けるとは……」


 信長は深い溜息を吐く。

 あたしは声も出せず、顔を伏せたまま身動き出来ない。


「そんなにわしが憎いか。今宵、わしを呼んだのは明智光秀のことか。中国攻めのことならば、帰蝶の頼みでも聞けぬ。こちらを向け!」


 信長は怒りを露わにし、あたしの肩を掴んだ。あたしは伏せていた顔を上げる。


 信長はあたしの顔を見て……

 絶句した。





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