139


 ――“胸の前に親指を外側に出して手を握る。”

『さ』


 ――“親指を立て、他の4指を揃え指先を左に伸ばす。”

『く』


 ――“手のひらを下に向けた左手の甲を、右手の手刀で軽く叩き、左手はそのまま、右手の手刀を上に上げる。”

『ありがとう』


 これは平成の世で……

 紗紅と一緒に習った手話だ。


「於濃の方様……!?お待ち下さい!待って……美……」


(さらばじゃ)


 私は紅を部屋に残し襖を閉める。

 女の着物を身につけた紅は、私を追うことは出来ないだろう。


 顔を伏せ小走りに安土城を抜け出し、うまやで白馬の手綱を握った。


 乗馬も剣術もいざという時のためにと、輿入れ前に斎藤道三の屋敷で光秀に教わった。まさか、役にたつとは思ってもいなかった。


 夜は更け、周囲は薄暗い。

 1人で城を抜け出し、夜の闇に飛び出すことに不安はあったが、それでも私は馬を走らせずにはいられなかった。


 何故なら、明智光秀は備中高松城攻めに向かわず、謀反を起こし織田信長を自害に追い込み天下人となる。だがすぐに羽柴秀吉に返り討ちに合うからだ。


 本能寺を襲撃する光秀を、何としてもこの手で食い止めなければならない。


 それが私の使命だから。


 ――紗紅……

 私が紗紅の愛する人も……


 私の愛する人も……

 必ず助けるからね。


 だってあなたは……

 私の大切な妹だから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る